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あの骨は、まだ落ちてきていない

    一本の骨だけが残った

    不思議なことがある。

    映画を観てから、

    もう何十年も経つ。

    それなのに、

    いちばん鮮明に残っているのは、

    宇宙船でもない。

    モノリスでもない。

    一本の骨である。

    駅のホームで電車を待っているとき。

    仕事帰りに空を見上げたとき。

    ふと、

    あの骨を思い出すことがある。

    なぜなのか。

    長い間、

    自分でも分からなかった。

    なぜ、あの骨だけが、

    何十年も私の中で落ちてこなかったのか。

    最近になって、

    少しだけ分かった気がしている。

    名画座で見た宇宙

    1979年頃だったと思う。

    富山から上京して間もない頃、

    名画座で『2001年宇宙の旅』を観た。

    同時上映は、

    『時計じかけのオレンジ』だった。

    驚いた。

    こんな映画があるのかと思った。

    スタンリー・キューブリックという監督は、

    1本の映画で、

    まだ誰も見たことのない場所まで行ってしまう人なのだと思った。

    宇宙。

    人類。

    人工知能。

    進化。

    初めて観たとき、

    心に残ったものはいくつもあった。

    それでも、

    最後まで残ったのは、

    なぜか一本の骨だった。

    骨から宇宙船まで

    類人猿が、

    骨を拾う。

    それは武器になる。

    骨を振り上げる。

    何かを打ち砕く。

    そして、

    空へ投げる。

    次の瞬間、

    画面には宇宙船が現れる。

    映画は、

    その間を描かない。

    何百万年という時間を、

    たった1つのカットで飛び越える。

    初めて観たときは、

    その大胆さに驚いた。

    けれど、

    年月が経つにつれて、

    別のものが見えるようになった。

    あの省略の中に、

    人類が積み重ねてきた時間がある。

    省略された時間

    誰かが火を使った。

    誰かが言葉を生み出した。

    誰かが文字を残した。

    誰かが道具を作った。

    そして、

    その道具を使って、

    また別の誰かが何かを作った。

    その繰り返しが、

    何世代も続いてきた。

    私たちは、

    その続きを生きている。

    会ったこともない誰かの知恵を使っている。

    誰かが残した言葉を読む。

    誰かが作った道を歩く。

    誰かが考えた仕組みの中で暮らす。

    昨日まで名前も知らなかった誰かの仕事が、

    今日の自分を支えていることもある。

    駅の改札を通るときも。

    信号が変わるのを待つときも。

    画面に文字を打ち込むときも。

    その下には、

    知らない手がいくつも重なっている。

    私たちは、

    知らない誰かから受け取ったものの上で、

    今日を生きている。

    自分もまた、誰かの途中にいる

    そして、

    自分もまた、

    誰かの途中にいる。

    文章を書く。

    道具を作る。

    仕組みを考える。

    誰かに教える。

    記録する。

    大げさなことでなくてもいい。

    ほんの小さなものでも、

    誰かの手に渡れば、

    そこから先がある。

    昔は、

    あの骨を「武器」の象徴だと思っていた。

    今は、

    少し違って見える。

    もちろん、

    あの骨は武器だった。

    けれど、

    それだけではなかったのかもしれない。

    誰かが拾った。

    使い方を覚えた。

    そして、

    次の誰かが、

    それを別の使い方へ変えていった。

    あの骨から宇宙船までの間に、

    いったい、

    いくつの手があったのだろう。

    まだ空中にある

    火も。

    言葉も。

    文字も。

    道具も。

    誰かが受け取り、

    次の誰かへ渡してきた。

    だから、

    あの日、空へ投げられた骨は、

    まだ落ちてきていないように思える。

    武器としてではない。

    知恵として。

    言葉として。

    技術として。

    本として。

    誰かから教わった、

    たった一言として。

    そして、

    ときには、

    1篇の文章として。

    私たちは今も、

    あの骨を受け取っている。

    気づかないまま、

    また誰かの時間へ渡している。

    あの骨は、まだ落ちてきていない

    そう思うと、

    自分が今日書いているものも、

    少し違って見える。

    いつか、

    誰かが拾うかもしれない。

    拾わないかもしれない。

    それでもいい。

    投げたものが、

    自分のところへ戻ってくる必要はない。

    あの骨は、

    落ちるためだけに投げられたのではなかった。

    誰かの手を離れて、

    別の誰かの時間へ届くために、

    空へ向かったのかもしれない。

    そう考えると、

    あの映画を初めて観てから、

    ずいぶん長い時間が経ったのだと思う。

    それでも、

    あの骨はまだ、

    空中にある。

    そして、

    たぶんこれからも、

    落ちてこない。


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