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世界に、はじめて取っ手がつく

    同じ文字なのに

    白い画面の余白で、見慣れない言葉だけが少し浮いていた。

    仕事の資料だった。

    数年前なら、たぶん読み飛ばしていた。

    意味は、調べれば分かる。
    辞書にも出ている。
    検索すれば、説明はいくらでも出てくる。

    それでも、そのころの私は、その言葉をまだ知らなかったのだと思う。

    今は違う。

    その言葉を見ると、いくつかの顔が浮かぶ。

    会議室の空気。

    誰かが言いよどんだ声。

    あとで見返した議事録の、妙に固い文章。

    同じ文字なのに、前とは違うものに見える。

    言葉そのものが変わったわけではない。

    私のほうが、少し変わったのだと思う。

    「品質」という言葉

    仕事を始めたころ、「品質」という言葉は知っていた。

    良いものをつくること。

    不具合を出さないこと。

    仕様どおりに動くこと。

    そんな意味だったと思う。

    もちろん、それは間違っていない。

    でも、長く仕事をしていると、それだけでは足りなくなってくる。

    仕様書を書く人がいる。

    その仕様書を読む人がいる。

    読んでも分からず、誰かに聞く人がいる。

    使ってみて、初めて困る人もいる。

    困っていることに、自分でも気づいていない人もいる。

    会議では誰も問題にしなかった一行が、あとになって誰かを困らせることもある。

    そういう場面を、何度も見てきた。

    すると、「品質」という2文字の中に、人の顔が見えてくる。

    設計のことだけではない。

    仕様書のことだけでもない。

    その先にいる人のことまで、少しずつ入ってくる。

    言葉を覚えた、というより、

    言葉の中に、経験が増えた。

    そんな感じに近い。

    「リスク」という言葉

    「リスク」もそうだった。

    以前は、起きてほしくないこと。

    事故になるかもしれないこと。

    そんなふうに考えていた。

    でも、仕事を続けていると、まだ起きていないものを想像することが増える。

    どこでつまずくのか。

    誰が困るのか。

    そのとき、誰が気づくのか。

    気づいたあと、どうするのか。

    リスクという言葉の中に、少しずつ時間が入ってくる。

    まだ起きていない未来と、

    その未来を想像しようとしている今が、

    同じ2文字の中に入っている。

    昔は、ただの言葉だった。

    今は、その言葉を見ると、いくつかの場面が浮かぶ。

    それは、知識が増えたということとは少し違う。

    言葉の中に、時間がたまる

    言葉は、覚えたときに完成するものではないのかもしれない。

    最初に意味を知る。

    使ってみる。

    間違える。

    誰かに直される。

    自分では気づかなかったことを、あとから知る。

    そういうことを繰り返しているうちに、同じ言葉の中に、少しずつ自分の時間がたまっていく。

    だから、昔読んだ文章を今読むと、違って見えることがある。

    昔は何も感じなかった一行で、手が止まる。

    以前は読み飛ばしていた言葉が、妙に気になる。

    意味が変わったわけではない。

    こちらの中に、その言葉を受け取るものが増えたのだと思う。

    若いころには見えなかったものが、言葉の奥から出てくる。

    失敗したときの顔。

    誰かに助けてもらったときの声。

    自分が誰かを困らせてしまった日のこと。

    うまく説明できなかった会議。

    言わなくても分かっていると思っていたこと。

    そういうものが、言葉の中に沈んでいる。

    触れられるようになる

    仕事で初めて聞いた言葉は、たいてい分かったつもりになる。

    意味は調べた。

    会話の中でも使える。

    でも、実際に使ってみると違った。

    誰かと話して、初めて分かったことがある。

    失敗して、初めて分かったこともある。

    時間が経ってから、ようやく意味が分かった言葉もある。

    言葉を知ることは、世界に名前をつけることだけではない。

    その世界に触れる場所が、少しずつ増えていくことなのだと思う。

    最初は、どこに手をかければいいのか分からない。

    何度か触っているうちに、少しだけ形が分かってくる。

    ある日、そこに小さな取っ手があることに気づく。

    言葉は、そんなものなのかもしれない。

    今日も、ひとつ

    白い画面に戻る。

    さっきの言葉が、まだ残っている。

    以前なら、たぶん読み飛ばしていた。

    今は、少しだけ手が止まる。

    その言葉の向こうに、まだ知らない場面がある気がする。

    誰かの仕事。

    誰かの失敗。

    誰かが言えなかったこと。

    まだ自分の中にはない時間。

    それを知るには、もう少し仕事をしなければならないのかもしれない。

    あるいは、誰かと話さなければならないのかもしれない。

    私は画面を閉じる。

    言葉は、そのまま残った。

    今日は、まだ分からない。

    でも、次にこの言葉を見たときには、少し違って見えるかもしれない。

    世界には、まだ触れられない場所がある。

    私は今日も、その前に立っている。



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