
塩むすびは、時間を戻す
疲れているとき、
塩むすびを食べる。
白い米に、
塩が少しついている。
海苔もない。
具もない。
それだけの、
小さなおにぎり。
手に取る。
口に運ぶ。
噛む。
すると、
少しだけ時間が戻る。
祖母の手
黒ずんだ木の柱。
縁側から入る、
午後の光。
炊きたての飯から立つ、
白い湯気。
祖母が、
水で濡らした手のひらに、
塩をつける。
熱い米を、
何度も転がす。
祖母の手は、
皺だらけだった。
節も太かった。
その手で、
おにぎりを握る。
少し形が崩れている。
塩も、
少し多い。
子供の頃は、
それが当たり前だった。
縁側に座って、
それを食べる。
熱い。
少ししょっぱい。
でも、
うまい。
祖母は、
何か話していただろうか。
私は、
何か答えていただろうか。
もう、覚えていない。
ただ、
あの手のことは覚えている。
昔のことは、
思い出そうとしても、
なかなか出てこない。
何歳だったか。
何をしていたか。
誰といたか。
そんなことは、
いつの間にか曖昧になる。
でも、
味は違う。
匂いも違う。
手触りも違う。
ふいに、
戻ってくる。
夏の麦茶。
夕方のカレー。
味噌汁の湯気。
誰かが握ってくれた、
少し形の崩れたおにぎり。
思い出そうとしていないのに、
向こうからやってくる。
私の場合は、
塩むすびだった。
何も知らなかった頃
子供の頃は、
いろいろなものを見ていた。
蟻の行列。
雨粒。
自分の影。
風で揺れる葉っぱ。
何でも、
少し不思議だった。
蟻は、
どこへ行くのだろう。
雨粒は、
どうして葉っぱの先から落ちるのだろう。
自分の影は、
どうしてついてくるのだろう。
そんなことを、
いつまでも見ていられた。
今は、
あまり見ない。
知っている。
分かっている。
そう思って、
通り過ぎる。
仕事をしていると、
なおさらだ。
次の予定。
次のメール。
次の判断。
目の前にあるものを、
早く片づけていく。
そうしているうちに、
見なくなったものがある。
見えなくなったのか。
見ようとしなくなったのか。
その違いも、
よく分からない。
塩むすびを食べる
そんな日に、
塩むすびを食べる。
米粒が、
口の中でほどける。
塩の味がする。
すると、
縁側の光が戻ってくる。
祖母の手が戻ってくる。
熱い米を、
何度も転がしていた手。
少し形の崩れた、
あのおにぎり。
あの頃の私は、
何も知らなかった。
明日のことも、
将来のことも、
自分がどんな大人になるのかも。
ただ、
おにぎりを食べていた。
熱いと思った。
しょっぱいと思った。
うまいと思った。
それで、
十分だった。
もちろん、
今の私が子供の頃に戻れるわけではない。
仕事は残っている。
考えなければならないことも、
なくならない。
食べ終われば、
またいつもの時間が始まる。
それでも、
ほんの少しだけ、
何かが違う。
急いで片づけようとしていたものを、
少しだけ、そのままにしておける。
いつもなら通り過ぎるものに、
ふと目が留まる。
塩むすびが、
何かを解決してくれるわけではない。
ただ、
忘れていた時間に触れさせてくれる。
食べ終えて、
顔を上げる。
窓の外で、
葉っぱが揺れていた。
いつから、
そこにあったのだろう。