メインコンテンツへスキップ
見出し画像

歯を蹴り飛ばせ!トランプ時代にスプリングスティーンが語ることを選んだ理由

    【導入】「歯を蹴り飛ばせ」

    2026年3月31日、ミネアポリス・ターゲットセンター。

    ブルース・スプリングスティーンとEストリート・バンドの「Land of Hope and Dreams American Tour」が幕を開けた。開幕公演の数日前、スプリングスティーンはミネソタ・スター・トリビューン紙のインタビューにこう答えていた。

    「このツアーは政治的で、国内の状況について非常に時事的なものになる」

    その言葉の背景に、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロからのアドバイスがある。スプリングスティーンはモレロからこう言われたという。「ニュアンスは素晴らしい。しかし時には歯を蹴り飛ばさなければならない」

    スプリングスティーンはその言葉を受け入れた。今回はそういうツアーだ、と。

    この連載では70本以上にわたって、音楽家と政治の関係を問い続けてきた。この連載の72本目でザ・タイマーズを取り上げ、忌野清志郎が覆面という迂回路を必要とした理由を考えた。73本目ではパティ・スミスが広島の地面に膝をつき、素顔で謝罪の言葉を語った話を書いた。

    今回は、宣言したアーティストの話だ。

    【Part1】ボスとは何者か

    画像

    1949年9月23日、ニュージャージー州ロングブランチ生まれ。父は工場労働者、母は法律事務所の秘書。労働者階級の家庭で育ち、10代でギターを手にした。

    1973年にデビュー。1975年のアルバム『Born to Run』で一躍時代の寵児となり、「アメリカの良心」「労働者階級の詩人」と称されるようになった。半世紀のキャリアを通じて、社会から取り残された者たち——工場を失った労働者、帰還した兵士、国境を越えた移民——の側に立ち続けてきた。

    しかしスプリングスティーンの名を語るとき、避けて通れない問題がある。

    1984年、アルバム『Born in the U.S.A.』がリリースされた。タイトル曲はベトナム戦争帰還兵の絶望と怒りを歌った、痛烈な社会批判の歌だ。しかしそのアップビートなサビとアメリカ国旗を模したジャケットが誤読を招いた。ロナルド・レーガン大統領の選挙陣営が「愛国の歌」として流用しようとしたのである。

    スプリングスティーンは明確に拒否した。

    この誤読問題は、今回のツアーと直結している。ニュアンスのある歌は、時に正反対の意味で受け取られる。怒りを込めた歌が熱狂として消費される。批判が賛歌に変換される——その経験が、スプリングスティーンに「ニュアンスをやめる」という選択を迫ったのではないか。

    「歯を蹴り飛ばせ」という言葉は、40年越しの「Born in the U.S.A.」への応答でもあるかもしれない。

    【Part2】何がここまで駆り立てたのか

    2026年1月、ミネアポリスで何が起きたかを記録しておく必要がある。

    トランプ政権のICE(移民税関執行局)による大規模な取り締まりが全米各地で展開される中、ミネアポリスでは約3,000人の連邦捜査官が投入された。その過程で、アメリカ市民のレニー・グッド(37歳)とアレックス・プレッティ(37歳)がICE捜査官に射殺された。二人はともにアメリカで生まれ育った市民だった。

    スプリングスティーンはこの報に即座に反応した。

    土曜日に作詞し、日曜日に録音し、月曜日に「Streets of Minneapolis」としてリリースした。「この曲を土曜日に書き、昨日録音し、今日あなたたちに届ける」——この速度自体がメッセージだった。スタジオで完璧な仕上がりを待つより、今この瞬間に届けることを選んだ。

    同じ時期、アメリカ自由人権協会(ACLU)とのコラボレーションも実現した。トランプが署名した大統領令——アメリカで生まれた子供に自動的に市民権が与えられるという憲法上の権利を廃止しようとするもの——に抗議するCMに、「Born in the U.S.A.」を提供した。かつて「愛国の歌」として誤用されたその曲が、今度は憲法を守る抗議の道具として使われた。

    2月、Instagramの動画でツアーを宣言した。

    「私たちは暗く、不穏で、危険な時代を生きている。しかし絶望するな。騎兵隊がやってくる」——スプリングスティーンはそう語り、ツアーを「アメリカを守るための春の行動」と位置づけた。「アメリカの民主主義、アメリカの自由、アメリカの憲法、そして神聖なアメリカンドリーム——これらすべてが、成り上がりの王様と彼の無法な政府によって攻撃されている」

    トム・モレロとのICE抗議コンサートへの参加、「No Kings」集会でのパフォーマンス。開幕公演では「真実を扱えない大統領がいる」と直接的にトランプを名指しした。

    トランプはかつてスプリングスティーンを「干からびたプルーンのようなロッカー」と呼び、「押しつけがましくて不快なろくでなし」と罵倒した。スプリングスティーンはヨーロッパツアーでトランプ政権を「腐敗し、無能で、反逆的だ」と批判した。二人の対立は、もはや個人的な確執の域を超えている。

    スプリングスティーンが動かされているのは、トランプへの個人的な嫌悪ではない。アメリカの民主主義・憲法・移民の理念への信念だ。その確信が、今回のツアーを突き動かしている。

    【Part3】聴衆の一部を失っても

    画像

    「聴衆の一部を失うかもしれないことは気にしない」

    この発言の重さを、少し立ち止まって考えたい。

    スプリングスティーンのファン層は広い。ニュージャージーの工場労働者から始まり、今やアメリカ全土の幅広い層に及ぶ。その中には、トランプを支持する労働者階級の白人男性も少なくない。「Born in the U.S.A.」を愛国の歌として聴いてきたファンたちだ。

    今回のツアーで、そうしたファンの一部は離れるかもしれない。スプリングスティーンはそれを知った上で「気にしない」と言った。

    「私の仕事は非常にシンプルだ。やりたいことをやり、言いたいことを言う。そして人々が何を言うかは人々が決める。批判は覚悟の上だ」

    この言葉を、日本の音楽シーンに置き換えてみると、その重さがより鮮明になる。

    日本のアーティストは複数の圧力構造の中にいる。レコード会社、スポンサー、テレビ局、メディア——これらの関係を維持しながら活動を続けるためには、政治的な発言を避けることが「合理的な選択」になる。この連載で繰り返し見てきた構造だ。

    もっとも近年、春ねむりや若い世代のアーティストの中に、政治的な発言を厭わない者が少しずつ現れてきている。その変化は注目に値する。しかし主流にはまだなっていない。

    スプリングスティーンの「気にしない」は、単なる強がりではない。半世紀のキャリアが支える経済的・文化的な基盤があってこその発言でもある。その点は公平に見ておく必要がある。

    それでもなお、問いは残る。「聴衆の一部を失っても語る」という選択は、日本のアーティストには不可能なのか。それとも、可能であるにもかかわらず選んでいないのか。構造の問題と個人の覚悟の問題を、切り分けながら考えなければならない。

    【Part4】バンドは困難な時代のために作られた

    「The E Street Band is built for hard times. It always was」

    この一文を、私は何度も読み返した。

    バンドは困難な時代のために作られた——これは音楽に対する一つの根本的な問いを含んでいる。音楽は何のためにあるのか。娯楽か。慰めか。あるいは共同体が困難を乗り越えるための道具か。

    スプリングスティーンの答えは明確だ。少なくともEストリート・バンドは、最後の意味のために存在する、と。

    この発想の背景には、アメリカの抵抗の音楽の長い系譜がある。大恐慌の時代に労働者の歌を歌ったウディ・ガスリー。公民権運動の時代に声を上げたピート・シーガー。時代の矛盾を詩に刻んだボブ・ディラン。スプリングスティーンはその系譜の中に自分を位置づけている。

    「これらは、バンドが本当の価値と意義を持てる瞬間だ。バンドに目的を与える瞬間だ」

    この言葉を聞いたとき、日本の音楽シーンに同じ発想がどれほどあるかを考えた。

    日本にも、社会に対して声を上げてきた音楽家はいる。忌野清志郎はその筆頭だった。泉谷しげるや吉田拓郎ら70年代フォークの世代にも、時代への異議申し立てを歌にした者たちがいた。しかし「バンドは困難な時代のために作られた」という発想——音楽の存在理由を社会との関係の中に置くという発想——は、日本の音楽文化の主流にはなっていない。

    なぜか。その問いは、この連載が最初から抱えている問いでもある。

    【Part5】三つのアプローチ——覆面・素顔・宣言

    画像

    気づけば、この連載の72本目から、この74本目は三部作になっていた。

    忌野清志郎とザ・タイマーズは覆面を選んだ。「言いたいことを言ってパッと逃げられる」機動力のために、仮面をかぶった。怒りは本物だったが、それを直接ぶつけるための迂回路が必要だった。

    72本目:罵倒した相手がTシャツを売る日—ザ・タイマーズが37年後に突きつけたものとは

    パティ・スミスは素顔で立った。父から受け継いだ問いを抱えて広島の地面にキスをした。言葉と人生が地続きだったから、仮面を必要としなかった。

    地面にキスをした女——パティ・スミスと、広島という場所

    スプリングスティーンは宣言した。ニュアンスをあえて捨て、直言を選んだ。「歯を蹴り飛ばせ」——その言葉通りに。

    三者に共通するものが一つある。自分の言葉が自分の人生と地続きであること。どの言葉も、その人の生き様全体が支えている。言葉だけが宙に浮いていない。

    三者が異なるのは方法論だ。覆面か、素顔か、宣言か。その選択を決めたのは、それぞれの時代、文化、個人の文脈だった。

    そして問いは日本へ戻ってくる。日本の音楽家には、この三つのうちどれかを選ぶ自由があるのか。あるとしたら、なぜ選ばないのか。この問いに、まだ答えは出ていない。

    【Part6】ボスの言葉を聞きながら

    正直に言います。スプリングスティーンの話を調べながら、何度か胸を突かれる瞬間がありました。

    「The E Street Band is built for hard times」という言葉を読んだとき。「聴衆の一部を失っても気にしない」という言葉を読んだとき。そして土曜日に作詞し、日曜日に録音し、月曜日にリリースしたという事実を知ったとき。

    この人は動いている、と思いました。

    言葉だけではなく、体ごと動いている。感じたことを、考えたことを、即座に音楽に変えて、ステージに持ち込んでいる。76歳になった今も、である。

    ギターを弾き始めて45年になります。週末のステージに立ち、バンドで演奏し、時に一人でステージに立って音を重ねる。その時間の中で、私は表現し続けてきた——と思っていた。しかしスプリングスティーンの行動力の前に立つと、「表現し続ける」ということの意味を問い直さずにいられません。

    表現し続けることと、語り続けることは、同じではないかもしれない。

    音を出すことはできる。曲を演奏することはできる。しかし今この時代に、今この街で、何を表現しているのか——その問いから目を逸らしたまま、ギターを弾いてきた時間がなかったとは言えない。

    この三部作を通じて、問いは深まってきました。タイマーズについて書いたとき、「歌いたいことを歌う精神を継承したい」と書きました。パティについて書いたとき、「言葉を持つ者の責任」を問いました。スプリングスティーンはその問いをさらに一歩先へ押し進めてくる。

    語るだけでなく、動け。感じたら即座に形にしろ。困難な時代こそ、音楽に目的がある——と。

    その言葉を、広島在住のロック・アーティストとして、自分に引き寄せます。この街で、ギターを持ち、マイクの前に立つ者として。表現し続けることをやめない。それだけは、今この瞬間、はっきりと言えます。

    ボスは宣言した。パティは跪いた。忌野は叫んだ。

    では私は——その問いへの答えは、次のステージで出すしかない。

    【関連コラム】
    "Streets of Minneapolis"——スプリングスティーンはなぜ4日間で曲を書いたのか
    Bad Bunnyはなぜスペイン語で歌ったのか——スーパーボウルが戦場になった夜
    『戦争をしよう』と言えなくなった日——志磨遼平の改題が問いかけること


     
     
    ロックと人生。ときどき政治。 音楽が先に鳴らしていた違和感を、 日本人の感覚から考えています。 代表作: ・ロックはなぜ戦争を嫌ってきたのか ・吉川晃司は、なぜアベフトシをステージへ呼び戻したのか ・はっぴいえんどは、なぜ「日本語でロック」を成立させたのか

    あなたへのおすすめ