
42. 黒子――都合のいい完成品であることを求め続ける大人たち
私はSDA教会の家庭に生まれ育ち、三育学院に進みました。父は教会に通わず、母と姉はSDAのクリスチャンでした。広島三育学院高校を卒業後は教会の外で生活してきましたが、家庭を通じてSDAの世界との距離は近く、一般社会との違いを長年見てきました。
特に高等教育では、米国のSDA系大学と一般の大学とで、教科書や歴史の解釈、情報の透明性などに大きな違いを感じることがありました。
しかし、信教の自由があります。教育内容や歴史の解釈が異なることも、多様性の一つです。大学の価値も偏差値だけでは測れません。私は、そうした違い自体を問題にしてきたわけではありません。
私が問題だと感じたのは、大人たちが子どもに「自分たちにとって都合のいい完成品」であることを求め続けることです。
子どもたちは、教えられたことを学び、周囲の期待に応えようと懸命に努力しています。私から見れば、非常に狭い世界の中で育てられているように感じることもあります。しかし、本人の努力まで否定するつもりはありません。
むしろ、だからこそ問題なのです。
外の世界との接触を制限し、信仰を失うことへの恐怖を与え、教団への忠誠を重視する。そして、本人が自立し、大人たちの期待とは異なる判断をすると、今度は「苦労知らず」「世間を知らない」と非難する。私自身、意見が合わなくなった際に、脅しと受け取る言葉を向けられた経験があります。
本人は、それまで大人たちの期待に応えようと努力してきたはずです。それなのに、自分で判断し始めると、その自立が問題視される。
結局、何歳になっても「都合のいい完成品」であることを求められるのです。
この構造を考えるうえで、特徴的なのが創造論と進化論です。
SDA教会の公式サイトには、「史上最大の嘘」と題する記事が掲載されています。
なお、この「史上最大の嘘」の執筆者は、三育学院系列の教育現場で教員を務めた後に牧師となり、現在も中学校のチャプレン(学校付きの牧師)として生徒の宗教教育や礼拝に関わっています。
その記事には、次のように書かれています。
「サタンは、進化論を通して神が愛でないことを広めようとしています。」
さらに、同じ記事では、
「そのためには、進化論の嘘を見抜くことが必要です。」
と述べられています。
私が疑問に感じるのは、創造主を信じること自体ではありません。
人間は自然界を観察し、証拠を集め、まだ分からないことも含めて議論を続けています。ところが、そこに神とサタンの物語を重ね合わせ、その世界で何が起きているのかを自分たちは知っているという立場から、科学的な説明を「嘘」と断定する。
神とサタンの世界で何が起きているのかを、なぜ人間がそこまで知っていると言えるのでしょうか。
信仰として何かを信じることと、それを根拠に他者の知見を否定することは、別の問題です。
教育上の論点は二つあります。
第一に、学習指導要領との整合性です。中学校の理科では生物の進化を学びます。三育学院では、進化論を「嘘」とするSDA教会の主張と、理科教育をどのように区別しているのでしょうか。
第二に、子どもの自主性です。異なる説明に触れ、自分で考え、教会の教えとは違う結論に達する自由は保障されているのでしょうか。
現在の授業内容は確認していませんが、どちらも宗教教育に携わる学校が向き合うべき問いだと思います。
そして、こうした説明を子どもに教えるとき、さらに疑問が生まれます。
家庭の中で、大人が、
「牧師が『史上最大の嘘』だと言っている」
と、その意味や理由を十分に説明しないまま繰り返す。
そして、その言葉が、まるで録音された音声を再生するように、そのまま子どもへ伝えられていく。
その結果、子どもが「外の世界は嘘をつく世界なのだ」と信じるようになるとしたら、そこで何が起きているのでしょうか。
そのとき、子どもが大人の言葉に疑問を持ったり、異なる考えを口にしたりすることは、家庭の中で認められているのでしょうか。
個人が何を信じるかは自由です。しかし、異なる考えを持つことへの恐怖を与え、『信仰の成熟』と『教派への忠誠』をともに育成目標として掲げながら、組織の期待どおりの人間であることを求め続けるのは、教育なのでしょうか。
教育とは、大人にとって都合のいい完成品をつくることではなく、自分で考え、異なる価値観に触れ、自分で判断し、自分の人生を生きていく力を育てることではないでしょうか。