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坂本龍一と高橋幸宏関連の7インチコレクション①(19枚)

    7インチコレクションとして既に公開している記事に2人が参加している盤が当然のようにあり、基本的にそれらは省いているので、そちらも是非参照してみてください、坂本龍一と高橋幸宏を一緒にしたのは同時に参加しているケースが多いからです

    なお、坂本龍一と高橋幸宏それぞれのソロ作品については下記の記事を後日他の7インチコレクションのようにリニューアルして公開予定(YMOも同様)



    渡辺香津美「トーキョージョー」(1979)

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    79年7月25日リリース

    A面「トーキョージョー」
    作詞作曲:Bryan Ferry/編曲:坂本龍一
    B面「マザーテラ」
    作編曲:坂本龍一

    おそらくアルバム『KYLYN』と同時期に録音されたが、シングル用の歌モノカヴァー企画として敢えてアルバム未収録にしたと思われる

    A面「トーキョージョー」はブライアンフェリー作品ということで、選曲はユキヒロの薦めか? さすがに渡辺香津美の生ヴォーカルというわけもいかずトーキングモジュレーターで歌唱、サビは高橋ユキヒロが生声で歌っている

    B面がアルバムラスト曲の「マザーテラ」だが、どーして坂本龍一関連のシングルはA面動的/B面静的な構成になるのだろうか、シングルの選曲は担当ディレクターが決めてるケースもあると思うが、ここまでくると坂本本人がそう決めているとしか思えなくなってくる、ちなみに自分の希望は「I’LL BE THERE」でした(でも長いので要シングルエディット)

    このリリースから約10日後にYMOの初海外公演がグリークシアターで行われるが、渡辺香津美も同行しているため、この時点でKYLYN/カクトウギセッションとYMOに差異がないといえばない、坂本龍一にとっては地続きともいえたが、グリークシアター公演の成功によってYMOが全ての中心となっていく、このタイミングで村井社長は渡辺香津美をアルファに誘うが、事前に察知していたかのようにコロムビアが契約をとりつけていた、コロムビアは同じく『千のナイフ』をリリースした坂本龍一とも専属契約しておくべきであったが『千のナイフ』の売り上げが悪いから担当ディレクターが望んでいても会社から許可が出なかった経緯がありつつ(後の祭り=逃がした魚は大きい)、その後YMOがどんどんブレイクしていく恨み辛みを『パブリックプレッシャー』の時にぶつける(渡辺香津美の演奏を収録させない)

    さらにコロムビアは82年に『TOKYO JOE』という『KYLYN』と『千のナイフ』と「トーキョージョー」をゴチャ混ぜにした節操のないコンピレーションもリリース




    酒井俊「I LOVE TALKIN' 'BOUT BABY」(1979)

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    2017年03月29日リリース

    A面「I Love Talkin’ ’Bout Baby」
    作詞作曲:Johnny Bristol/編曲:坂本龍一
    B面「Sentimental Journey」
    作詞:Bud Green/作曲:Les Brown, Ben Homer/編曲:坂本龍一

    79年6月25日リリースのアルバム『My Imagination』からの37年後のシングルカット、本来7インチでリリースされてなかった曲がリリースされる2017年を誰が予想しただろうか? こういうのは単なる再発・復刻とは言わず、何というのだろうか? これでまた7インチの可能性が広がったし、じゃアレもコレも、と妄想してしまう、因みにアルバムからAB面何の曲を選ぶかが重要だが、偶然ながら2曲共に自分のミックスでも選曲してました

    『My Imagination』は全編曲坂本龍一という貴重なアルバム、演奏はドラムが全曲高橋ユキヒロなど同時期のカクトウギセッションのメンバー(KYLYNではない、ここポイント)、『Summer Nerves』のレコーディングとどっちが先なのか同時なのか気になるところ




    マコトハイランドバンド「ダンシン」(1979)

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    2019年10月28日リリース

    A面「ダンシン」
    Egyptian Reggae(作曲:Jonathan Richman)
     ~Dancin'(作詞:Stephen Lemberg 作曲:矢野誠)
     ~Korobuchka(ロシア民謡)
    編曲:矢野誠
    B面「ワナワナ」
    作詞:Stephen Lemberg, Shigeru Ueda/作編曲:矢野誠

    オリジナルシングル盤は79年5月21日リリースのアルバム『Injection』からのシングルカットで発売日不明、ジャケ裏にアルバム絶賛発売中とあるので、アルバムより後にリリースされたことは間違いなく、それの復刻盤

    マコトハイランドバンドはイエローマジックオーケストラの初LIVE(78年10月18日)にも参加した矢野誠がシンセサイザー+ディスコという初期のYMOのコンセプトを自分だったらこうする的なアプローチで企画されたアルバムだと推測、ドラムはまんま高橋ユキヒロにオファーしているが、理由はこの時点でシーケンサーと一緒に叩かせるのであればユキヒロ以外は考えられないという至極当然さ、時期的には『ソリッドステイトサヴァイヴァー』レコーディング前と思われ、この企画が数ヶ月遅れていれば、徐々にYMOがメインになりつつあったユキヒロもオファーを断ったかもしれず、YMOブレイク前ゆえのタイミング的にはギリだったのかも、ベースは流石にまんま細野晴臣というわけにもいかず、シンセベースで押し通すわけでもなく、サディスティックス解散から1年が経とうとしていた後藤次利が担当、しかしこのシングルの2曲に関しては殆どエレキベース感はない

    B面「ワナワナ」は後にプロデュースするアパッチ「宇宙人ワナワナ」(79年7月リリース、鬼高!未入手)と曲調は全く似てないが、ここからの発展形であることは想像出来るし、試作品的だった「ワナワナ」の数ヶ月後にテクノポップを自分のモノにしたクオリティをはっきりと感じられるのは名アレンジャーとしての面目躍如か

    如何せんアルバムが未CD化のためアナログ盤もそこそこ高く、自分もまだ全部聴いたことがない、ソニーのオーダーメイドファクトリーでCD化のオーダーが始まって申し込んでみたが、残念ながらオーダーが足りず実現されなかった! そういうレベルの作品こそプレスのコストがいらないサブスクで出せばいいと思うのだが、日本のレコード会社はそのような発想がない(商売にならないという単純な理由だろうが、今後CDでどうにかなるわけでもないから考えを改めてほしい)

    ↑この投稿から6年、ついに初CD化、但しサブスクは解禁されていない




    サーカス「アメリカンフィーリング」(1979)

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    83年12月リリース?(ALR-771というレコード番号からの推測)

    A面「ミスターサマータイム」
    作詞:Pierre Delanoë、日本語詞:竜真知子/作曲:Michel Fugain/編曲:前田憲男
    B面「アメリカンフィーリング」
    作詞:竜真知子/作曲:小田裕一郎/編曲:坂本龍一

    坂本龍一自身にとってはどうでもいいことだろうが「アメリカンフィーリング」は日本レコード大賞編曲賞(79年)を受賞した記念の曲、これを入手することは安価だし何も迷うことはないのだが、通常盤を買うのではなく、どうせサーカスを買うのならもう一つのヒット曲「Mr.サマータイム」とカップリングされたもの(レコード会社が勝手に出すヒット曲抱き合わせの企画盤)が出てそうな勘が働き、あるかないかの確証がないまま掘っていたところ、やっぱりあったか、と見つけた次第

    例えばソニーなら「HIT PACK SERIES」として7インチで4曲入り33回転のお得な盤が各種あり(郷ひろみ、山口百恵、太田裕美、キャンディーズなど)、ジャケもアーティスト写真がしっかり入ったデザインがされている盤だが、アルファのこの売る気のない感じはなんだろう? シンプルおしゃれというよりメディアに配るテキトーなプロモ盤レベルのジャケ、低予算で凌ぎたい物悲しいフィーリング(ちなみにこれに続いて出たハイファイセットやブレッド&バターの企画シングル盤も同傾向のジャケ)

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    アルファのBEST COUPLINGシリーズは3アーティストのみ




    桐ヶ谷仁「アンハッピーデイ」(1979)

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    80年1月21日リリース

    A面「アンハッピーデイ」
    作詞作曲:桐ヶ谷仁/編曲:坂本龍一
    B面「リターン•トゥ•ザ•スカイ」
    作詞:岡田冨美子/作曲:桐ヶ谷仁/編曲:松任谷正隆

    君の目の前で幸せがにげる 僕にはどうするすべもない

    A面は坂本龍一アレンジということで、YMOの3人が演奏しているが(AB各面のプレイヤークレジットが有難い)、特にテクノ歌謡でも何でもない、3人のうち2人が揃うことはあっても3人揃うって意外と少ない印象、特にYMOが忙しくなってくる辺りではプロデュース作品以外は珍しく、もはや音楽的には3人が演奏する意味もないのだが、これもアルファレコードのアーティストならではということか、全くテクノでないといえば福沢もろ「7:00AM」も思い出すが、その高値レコードに比べて、「Jin」はメッチャ安く入手




    phew「終曲(フィナーレ)」(1980)

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    80年3月25日リリース

    A面「終曲」
    B面「うらはら」
    作詞作曲:phew/編曲:坂本龍一

    そもそもPASSの主宰者・後藤美孝と坂本龍一は70年代から吉祥寺界隈で知り合いであった

    アーントサリーのレコードを聴いた後藤美孝は大阪へ行き、次のレコードをPASSから出したいと申し出たが、バンドは解散したとのことで、ならばPhewのソロでと持ちかける

    Phewが巻上公一と知り合いだったので、後藤美孝と会わせるが、発展はせず、逆に後藤美孝は昔から知り合いのYMOでブレイク寸前いや既にワールドツアーは行った後ながら、お茶の間に知れ渡りオリコン20位以内に4枚のアルバムが並ぶバカ売れ状態になる直前の坂本龍一に声をかけ、Phewと対面させ、最初にして終局のコラボレーションが完成、インディーズながらメジャーのトリオレコードの流通もありつつ異例のヒットになる

    これがリリースされた辺りからYMOはライブ盤『パブリックプレッシャー』がオリコン1位、初の本格的な国内ツアー(TECHNOPOLIS 2000-20) を経て夜ヒットでTV初出演、特定の音楽ファンから小学生の自分レベルの人間にまで知れ渡り、社会現象となってしまう

    その真っ只中、想定外に有名になり過ぎたことで坂本龍一はノイローゼ(写楽祭の「うるせぇなーこのやろう」や芸能週刊誌に騒がれたことを含む)になりつつ、後藤美孝に協力を仰いでクリエイティヴに昇華させたのが『B-2 UNIT』である、アルバムのミックスダウンはロンドンで行われ、完成後に坂本は帰国、一方後藤美孝はケルンのコニープランクスタジオに行き、「終曲」を聴かせて気に入られ、翌年のアルバム『PHEW』のレコーディングに繋げる




    ピンクレディー「ラストプリテンダー」(1981)

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    81年1月21日リリース

    A面「Last Pretender」
    作詞:糸井重里/作編曲:高橋ユキヒロ
    B面「AMENIC(逆回転のシネマ)」
    作詞:糸井重里/作曲:梅林茂/編曲:EX

    A面「ラストプリテンダー」はラジの「偽りの瞳」を聴いたピンクレディーのディレクター(飯田’ルイジアナママ’久彦)が「この曲は売れる!」と思い、新たに詞を糸井重里のものに変更し、高橋幸宏が改めてアレンジし直し、ピンクレディーのラストから2枚目のシングル「ラストプリテンダー」として生まれ変わった(ちなみにラジの所属はCBSソニー、ピンクレディーはビクター)、いわば異名同曲、曲は同じだが歌詞が違うパターンは何カヴァーというのだろう?

    B面「AMENIC(逆回転のシネマ)」も訳あり、あのX JAPANより先にEXと書いてエックスと名乗っていたグループの未発表曲「Sweet Little Dancer」を同じく詞を糸井重里のものに変更し、EXが改めてリアレンジ(EXの起用は交流があった高橋幸宏が紹介したと思われる)したナンバー(死語)

    両面とも音だけ聴いたらピンクレディーとはわからない異色のシングルに仕上がったが、ピンクレディーは80年9月に半年後の81年3月に解散することを既に宣言しており、その半年間というのははっきりいって消化期間で、そもそも人気も79年から徐々に下降、その後アメリカ進出などもありつつ、日本ではシングルがヒットしていない状態、キャンディーズの解散時の盛り上がりとは違い(解散宣言してから初のオリコン1位になる等)、世間的に冷ややかであったことは否めない、そんな中での「ラストプリテンダー」のリリースはピンクレディー本人達にとってどうでもよく、また思い入れもないらしく、おそらくその頃テレビ出演も少なくなっていたことから、テレビで歌われた形跡もなく(よってこの曲の振り付けもない)、そして解散コンサートでも歌われてなく、さらに近年まで断続的に行われている再結成コンサートでも歌われていない、結局残念ながらレコーディング以来一切歌っていないピンクレディーの封印作品となった(未唯のLIVEでは歌われているとの情報アリ)

    確かにピンクレディーとしては異色だが、作品としては両面とも素晴らしく、本人達もやる気がないとは思えない程、曲の世界観に合わせた今までにない歌唱法にトライしてプロ根性を見せつけている

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    80年12月5日リリース(未CD化)

    ちなみにジャケデザインは奥村靫正であるが、この直前に出たベスト盤『ターニングポイント』のデザインが先で(ジャケ裏参照)、同じフォトセッションの別素材がシングルに流用されている、さらに「ラストプリテンダー」はシングルBOX企画で紙ジャケCD化、さらに食玩で8cmCD化になっていることが判明、この7インチを合わせれば3種類が存在することなる

    「AMENIC(逆回転のシネマ)」にいたってはプロモで12インチ(激レア)も作られており(当時のディスコ用か?)、ロングヴァージョンが存在、そのB面に至ってはタイトルに合わせてA面をそのまま逆回転させただけの、ひたすら逆再生音が続く、ディスコでもラジオでもかけられない単なるスタッフの暴走としか思えない「CINEMA(逆回転のシネマの逆回転)」を収録、これらは内容的に永久にCD化されないと思われたが『PLATINUM BOX』にめでたく収録された




    大村憲司「けんじの春がいっぱい」(1981)

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    81年3月21日リリース

    A面「けんじの春がいっぱい (Spring Nerely Here)」
    作曲:Brian Bennett, Bruce Welch/編曲:大村憲司、高橋幸宏、坂本龍一
    B面「THE DEFECTOR」
    作詞:Peter Barakan/作曲:高橋幸宏/編曲:大村憲司、高橋幸宏、坂本龍一

    アルバム『春がいっぱい』から1ヶ月後のシングルカット

    アルバムではB面1曲目の「春がいっぱい」はシャドウズのカヴァーだが、この邦題は日本でシャドウズのシングルがリリースされた時につけられたもので、これが仮に「春はもうすぐ」とか「春はすぐそこ」とかだったら大村憲司もアルバムタイトルにはしなかっただろう、ということでナイスな邦題であった

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    日本でだけシングルカットされた模様

    アイデアとしては古き良きエレキサウンド+テクノ風味の同じくB面1曲目で大村憲司がメロを奏でる高橋ユキヒロ「美人教師のスイミングスクール」の延長のような気がします

    問題はB面「THE DEFECTOR」、アルバムに高橋幸宏が2曲提供した内の1曲だが、曲としてはどちらでも良かったものの、YMOワールドツアーでも演っていた「MAPS」でなかったのは何故なのかといったところ、ピートバラカンになってしまったのはヨロシタに入ったばかりゆえの誤植?

    デザインに使われている通称テクノデリックフォントの日本語版、これだけでなくフォントとしてちゃんとあったら是非使いたいのですが!




    大村憲司「けんじの春がいっぱい」(見本盤ミスプレス)

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    81年3月21日リリース、アルバム『春がいっぱい』から1ヶ月後のシングルカット、と思いきや

    A面「けんじの春がいっぱい (Spring Nerely Here)」
    作曲:Brian Bennett, Bruce Welch/編曲:大村憲司、高橋幸宏、坂本龍一
    B面「UNDER HEAVY HANDS AND HAMMERS」
    作詞:Chris Mosdell/作曲:大村憲司/編曲:大村憲司、高橋幸宏

    矢野顕子のシングル「ごはんができたよ」と同様の見本盤のミスプレス、本来B面が「THE DEFECTOR」であるはずが「Under Heavy Hands And Hammers」になってしまっている、出来るだけ色んな曲の7インチが欲しい自分としては願ったり叶ったりのミスである

    運良く訂正の紙が入ったものを入手出来たが、中古の場合、これが捨てられている可能性大、そして見本盤の全てが「Under Heavy Hands And Hammers」ではなく「THE DEFECTOR」の場合もあるので、見本盤のさらに初期プレスということになってしまう、写真のように紙が入っていれば確実だが、入ってない場合は試聴しないと判明せず!




    酒井司優子「コンピューターおばあちゃん」(1981)

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    オリジナル盤は81年12月1日リリース、40年後の2022年1月26日再発

    A面「コンピューターおばあちゃん」
    作詞作曲:伊藤良一/補作曲、編曲:坂本龍一
    B面「フォトムジーク」
    作編曲:坂本龍一

    A面「コンピューターおばあちゃん」は当時坂本龍一の初のラジオ番組NHK-FM「サウンドストリート」火曜日でかかったのは81年ラスト回の「リクエストベストテン」のみ、その際ちらっとシングルになっていると一言触れただけ(某動画で確認)

    そしてB面がサウンドストリートの特番「電気的音楽講座」で作られ、そのまま番組のテーマ曲になった「フォトムジーク」である説明はなかったので、音盤化されていることをすぐ知ることはなかったが、知った後も特に探すことはなかったのを35年後に後悔することになる、2017年に再びレコードを集め出す頃には既に高く、なかなか手に入らなかったが、昨年(2021年)ようやく手に入れたのも束の間、まさかの再発、自分は特に違いがない限り再発盤でも良しとするが、オリジナル盤も手放せないので仕方がない2枚持ち

    実は「コンピューターおばあちゃん」のオリジナルはコレではなくコスミックインベンションのヴァージョンだが、何故かシングルカットされてない(すればいいのに)、そして「みんなのうた」用に坂本龍一が曲を若干補正して(クレジットは補作曲)アレンジ、再発の際ドラムが高橋幸宏だというインフォがあったが、「フォトムジーク」同様ドラム含めて全て坂本龍一の演奏と思われるが、近年坂本龍一がドラムは高橋幸宏だと証言する動画を発見

    歌っている女の子の名前「酒井司優子」は「さかいつかさゆうこ」か「さかいしゅうこ」か?諸説あるが後者らしい

    「フォトムジーク」は「電気的音楽講座」のために作られた曲で坂本龍一のアルバム未収録曲、CDでは『テクノ歌謡 東芝EMI編』のみ収録で中古も高値、曲名は「サウンドストリート」で募集した中から選ばれた




    アゴ & キンゾー「世界最強の愛のテーマ」(1982)

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    1982年4月21日リリース、とはいえジャケ裏に小さく℗1982-05とあるので5月かもしれず

    A面「世界最強の愛のテーマ‼︎」
    B面「哀愁のデスマッチラブ<予告篇>」
    作詞:秋山道男/作編曲:高橋幸宏

    ハンダース解散後に組まれたお笑いコンビであるが、この頃まさに「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜きグランプリ(6月12日放送分にて獲得)へ向けて邁進している最中のリリースであった、通常10週勝ち抜くとグランプリ獲得で番組卒業になるのだが、その後番組側からの要請で再び挑戦させられ、再度10週勝ち抜いた逸話もある

    当時「お笑いスター誕生」は見てて、アゴ&キンゾーも知ってたが、ネタを覚えてなく、レコードのことはだいぶ後で知ったので、ジャケや歌の設定がネタと関係あるのかないのか不明

    「お笑いスター誕生」☞ 日テレ☞系列会社バップ☞ビートニクス『出口主義』の流れで高橋幸宏がプロデュースすることになったのだろうか、さらに秋山道男が作詞というのも珍しい

    B面推し「哀愁のデスマッチラブ<予告篇>」は半年後にリリースされたビートニクス「洋の中の川」と共通するサウンドのテクノ歌謡、『イエローマジック歌謡曲』収録のCD化で初めて聴いたが、アゴ&キンゾーのディスコグラフィを知らないので「予告篇」がつかない「哀愁のデスマッチラブ」もあるのかと思ったのだがなさそうだ、A面「世界最強の愛のテーマ」はさらに前の92年に『知ってる?そんなこともありました。』というCDコンピに収録





    前川清「雪列車」(1982)

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    82年10月21日リリース

    A面「雪列車」
    作詞:糸井重里/作編曲:坂本龍一
    B面「真昼なり」
    作詞:橋本治/作編曲:坂本龍一

    80年代に入って時代も変わり、このままじゃイカンとクールファイブから抜け出したかった前川清(実際に抜けるのはさらに数年後)が坂本龍一を始めとする、いわゆる演歌・歌謡曲の先生じゃない系の先生を招いて作られたファーストソロアルバム『KIYOSHI』からのシングルカット、A面「雪列車」はおそらく坂本龍一が全パート(キーボードの他にドラムとベース等も)を演奏して作り上げたが、残念ながらベストテン入りするようなヒットにはならず、CMタイアップとかあったら化けたかも、B面同じく坂本龍一作の「真昼なり」はアルバム未収録曲(サブスク未解禁)、坂本曲であればアルバム1曲目の「他の男・別の女」の方が良かった

    同時期に森進一もこのままじゃイカンと松本隆/大滝詠一/細野晴臣等に曲を提供してもらったりする、70年代末に歌謡曲がピークに達し、次の時代に対応するべく各人が模索していたが、結局良くも悪くも落ち着くとこに落ち着いてしまった





    加藤登紀子「唯ひとたびの〜映画“会議は踊る”より」(1983)

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    83年3月1日リリース

    A面「唯ひとたびの〜映画“会議は踊る”より」
    作詞:Robert Gilbert、訳詞:加藤登紀子/作曲:Werner Richard Heyman/編曲:坂本龍一
    B面「愛はすべてを赦す」
    作詞:Oldlen、訳詞:水木陽子、北川フラム/作曲:H.Wars/編曲:坂本龍一

    82年11月1日リリースのアルバム『愛はすべてを赦す』からのシングルカット

    70年代からアレンジャーとして活躍していた坂本龍一だが、79年にサーカス「アメリカンフィーリング」でレコード大賞の編曲賞を獲り、80年にYMOで有名になって以降、歌謡界/芸能界方面の仕事も増えていく、加藤登紀子と同時期に前川清などの仕事も重なっているが、これらは戦メリの撮影で日本を離れる前にまとめて詰め込まれたらしい

    加藤登紀子とはレコーディング前の82年3月に「地平線上のメッセージ」というイベントでジョイント(昭和の云い方)しているらしいのだが、ここでの詳細は分からないものの、アルバム『愛はすべてを赦す』のインナーに加藤登紀子と坂本龍一のステージショットがあるので、それが「地平線上のメッセージ」の時のだとすれば、アルバムの世界を先に披露していたことになる

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    LPのインナーより、リリースの前にライブが行われた?

    加藤登紀子の次のアルバム『夢の人魚』(83年12月1日リリース)にも引き続き坂本龍一が参加しているが、残念ながらシングルカットは無さそうだ

    さらに84年6月5日にリリースされた6曲入りのミニアルバム『デ・ラ・シ・ネ』(未CD化)のタイトルチューンを坂本龍一がアレンジしている

    いずれにしろ、これら加藤登紀子と坂本龍一のコラボレーション作品は残念ながらサブスク未解禁




    Pierre Barough「Pepe」(1983)

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    83年4月リリース

    A面「Pepe」
    作詞:Pierre Barough/作曲:加藤和彦/編曲:清水信之
    B面「Saint Paul De Vence」
    作詞:Pierre Barough/作曲:Francis Lai/編曲:坂本龍一

    A面は82年9月にリリースされたアルバム『Le Pollen 花粉』より、B面はその1ヶ月後にリリースされた12インチ『おくりもの』からのカット、それらからシングルカットされていたのを最近まで知らなかったのだが、とりあえず曲が使用されたグリコカフェゼリーのCMは見た記憶がない、むしろ記憶にあったのはアルバムタイトルチューン「花粉」が使われた西武セゾンカードのCMなのだが、残念ながらシングルカットされなかった、せめてこのB面に、とか思ってしまうのだが、そこまで音源の7インチ化にこだわる人間が自分以外にどの位いるのか想像出来ない、しかし!フランスでは7インチがリリースされていた! A面「花粉」でB面が「Pepe」、まさにこれをこのまま日本でもシングルカットすれば良かったという話

    ちなみに2021年に和モノ等々を復刻しているスイスのWRWTFWW Recordsから『Le Pollen 花粉』も復刻されたが、LPと7インチのセットで7インチの内容は『おくりもの』収録曲の『Le Pollen 花粉』に未収録のB面2曲ということで文句のつけようのない仕様




    ビートたけし「TAKESHIのたかをくくろうか」(1983)

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    83年5月21日リリース

    A面「TAKESHIのたかをくくろうか」
    作詞:谷川俊太郎/作編曲:坂本龍一
    B面「男というもの」
    作詞:来生えつこ/作編曲:坂本龍一

    坂本龍一とデイヴィッドシルヴィアンに続く、戦メリにおけるコラボといえばコレである、間違いなく映画公開に合わせての便乗企画でレコード会社も「禁じられた色彩」同様のビクター、いくら共演者とはいえ、いくら便乗とはいえ、撮影中に親交を深めなければ実現しなかった企画だったと思います、それは撮影後にたけしがゲストに出たサウンドストリートを聴いてもうかがえます

    A面「たかをくくろうか」は谷川俊太郎の詩に曲をつけたもので、以前に小室等が曲をつけており、おそらくその事は知りつつ、曲を付け直したのだと思いますが(詩ありきで作ってるので珍しくワルツになってます)、何故このアイディアになったのか、多分たけしのような存在がこういうことを歌ったら面白いのではないかという発想からだと思います、B面「男というもの」もそういうことかと(作詞が来生えつこ、という組み合わせが意外でしたが)

    「たかをくくろうか」はYMOの3人とたけしで1発録りするセッティングがされましたが、たけしが得意のすっぽかし、それがまたスポーツ紙のニュースになってたような

    たけしの歌といえば「浅草キッド」になってしまうのでしょうが、自分的にはそれが出来る前の作品、「OKマリアンヌ」のB面「CITY BIRD」がオススメです




    美空ひばり「笑ってよムーンライト」(1983)

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    83年5月21日リリース

    A面「笑ってよムーンライト」
    B面「まなざしの彼方」
    作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお/編曲:坂本龍一

    Wikipediaのリストによれば293枚目!のシングル

    ソングライターとして来生たかおは美空ひばりに曲を提供するのが夢だったらしく、ついに実現することとなった、いつものように姉弟で詞曲と手掛け、アレンジはおそらく来生たかおの指名で坂本龍一が担当、以前来生たかおの82年のアルバム『遊歩道』で坂本龍一が全9曲中5曲のアレンジを担当しているので、その流れだろう

    A面「笑ってよムーンライト」はこの時期トライしていたドナルドフェイゲン『ナイトフライ』に影響されたシャッフルもの(特にこの曲は「WALK BETWEEN RAINDROPS」)、B面「まなざしの彼方」はワルツ、以上このシングル2曲だけでお仕事終了と思われたが、84年9月にリリースされたアルバム『水仙の詩/美空ひばり 〜美空ひばり ポップスを唄う〜』にシングル2曲に加えて、同じく来生姉弟&坂本龍一の「あなたでなければ」という曲が収録されており、録音は3曲まとめて行われたと思われる、「まなざしの彼方」と「あなたでなければ」に関しては特に坂本龍一色が強くなく職人に徹してる印象、アレンジだけでなく作曲まで手掛けていれば違ったのかもしれないが…

    天下の美空ひばりのレコーディングといえば歌と演奏を一発同時録音するやり方が常だったらしいが、これらに関しては坂本龍一の通常業務通り予めダビング等でオケを作り、完成したオケに合わせて歌入れしてもらうようにしたらしい(当時そして現在もそのレコーディング方法が大半)、歌入れ時のスタジオでは美空ひばりが歩くところには特別に赤い絨毯が敷かれる等の都市伝説、Wikipediaには美空ひばりの登場に来生たかおと坂本龍一が感激したとあるが、坂本龍一は恐れ多くて歌入れには行かなかったと当時サウンドストリートで言ってたような気がします




    ユミ「もしもタヌキが世界にいたら」(1983)

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    83年8月5日リリース

    A面「もしもタヌキが世界にいたら」
    B面「From Tokyo -Endingメロディーはリピートで-」
    作詞:荒木とよひさ/作編曲:坂本龍一

    ソフトクリームという3人組アイドルのユミ(遠藤由美子)のソロ、A面「もしもタヌキが世界にいたら」は「なるほど!ザ・ワールド」のエンディングテーマを1クール(3ヶ月)担当、世界地図のピクチャー盤も存在し入手したが、そもそもA面に興味なくB面をDJでかけたいだけと我に返り、音質面も考慮して割とすぐに手放した、同じオケでシーラカンスが歌う盤もアリ、当時サウンドストリートではこちらがオンエアされた

    82年発ドナルドフェイゲン『ナイトフライ』は言わずと知れた名盤だが、当時のアレンジャーにも影響を与えたと思われ、坂本龍一の83年仕事も御多分に洩れず、このB面曲に加えて、わらべ「春風の郵便屋さん」や美空ひばり「笑ってよムーンライト」のアレンジ、ビートたけし「男というもの」などは珍しくシャッフルものになっており、影響大と思われる(シャッフルではないが、YMO「音楽」のエンディングがアルバムタイトルチューン「ナイトフライ」と酷似、それから「Perspective」のAOR作風なども)

    ところでB面「From Tokyo -Endingメロディーはリピートで-」(これもシャッフル)ってこの伝言メモみたいな曲名どうなのよ

    A面は7分もあるので33回転、このようにAB面でrpmが違う盤の名称って何かあるんでしょうか?




    飯島真理「きっと言える」(1983)

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    83年11月5日リリース

    A面「きっと言える」
    B面「ひみつの扉」
    作詞作曲:飯島真理/編曲:坂本龍一

    83年9月21日リリースのファーストアルバム『Rosé』からのシングルカット、アルバムからどれをカットしてもいいと思うが、7インチを集め出した時にこれがシングルだったんだーと知った時に一瞬何故?と思ってしまった、自分の希望は「Blueberry Jam / ガラスのこびん」だが、これはもう人によって違うと思うので、この組み合わせを絶対とはいわない、なので、もう1枚シングルカットしちゃっても良かったのでは?と勝手に

    知らずに入手した盤はセンターホールの初回盤だったが、ピクチャーレーベルとかいうものの、特に飯島真理の写真だったりでもないし、これほど有り難みのない初回盤も珍しい

    このシングルの7ヶ月後「愛・おぼえていますか」のリリースを機に運命が変わってしまう、もしそれがなければブレイクというものに縁がないシンガーソングライターということになってしまった可能性もあるが(逆にそういう存在である方が再評価はされやすい)、ファーストが坂本龍一、セカンドが吉田美奈子、サードが清水信之、というプロデューサーの並びだけで何をか言わんや(そしてその後、山下達郎の予定もあったが断ったw)、もうアーティストとしてのポテンシャルは充分伝わるはずだったのだが…




    中原理恵「さよなら冷たいひと」(1984)

    画像
    1984年2月1日リリース

    A面「さよなら冷たいひと」
    作詞:糸井重里/作編曲:高橋幸宏
    B面「誘惑は忍び足で」
    作詞:實川翔/作曲:木下伸司/編曲:甲斐正人

    この後2月25日にリリースされたアルバム『LADY麗(REI)』では高橋幸宏がA面全曲の作編曲をプロデュース、その1曲目が「さよなら冷たいひと」、これ当時よくゲスト出演してた「ドリフ大爆笑」で観た記憶があります、歌前のフィルインからして幸宏印

    残念ながらB面は幸宏曲でもなく、アルバム曲でもなく、シングルB面用の曲で歌謡界のしがらみか、個人的には同じく『LADY麗(REI)』からのカット「ス・テ・キ」(これも何とアルバム曲でありながら「ドリフ大爆笑」で歌唱)だったら最高でした(まー幸宏カヴァーの「蜉蝣」でもいいのですが敢えて)

    アルバム『LADY麗(REI)』は単体ではCD化されたことがなく『Premium Box』という10枚組のBOXセットのみ





     
     
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