
ムーンライダーズ関連の7インチコレクション(24枚)
はちみつぱい「君と旅行鞄」(1974)

A面「君と旅行鞄(トランク)」
作詞:渡辺勝、鈴木慶一/作曲:松本圭司/編曲:はちみつぱい
B面「酔いどれダンスミュージック」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:はちみつぱい
はちみつぱいは70年頃から活動が始まって紆余曲折ありつつ、73年10月25日にアルバム『センチメンタル通り』をリリース、その後ベルウッドからワーナーに移籍してシングルをリリースしたが、半年後の74年11月20日に解散コンサートが行われ、メンバーのうち鈴木慶一、武川雅寛、かしぶち哲郎、岡田徹、椎名和夫はムーンライダーズを結成
残念ながら『センチメンタル通り』からは人気曲の「塀の上で」などシングルカットがなかったので、はちみつぱいのシングルは「君と旅行鞄」(アルバム収録曲「僕の倖せ」の改作)のみとなり、ムーンライダーズのシングル含めても最も高値の部類に入る、従って、現在自分が持っているのはジャケなし盤(カラーコピーで代用)
2017年2月22日にリリースされた『センチメンタル通り[Deluxe Edition]のセットにはCDとDVD-ROMに合わせて「君と旅行鞄」の7インチ復刻盤も入っていたが、そこからさらに年数が経っているので7インチ単体での再発も望みたい
はちみつぱいは88年6月9日に1日限りの再結成コンサートを行なっているが、同時期に過去のLIVE盤『セカンドアルバム〜イン・コンサート〜』もリリースされ、このCDが自分にとってリアルタイムでのはちみつぱいの入口だった
その再結成時のLIVE盤『9th June 1988 はちみつぱい Live』もリリースされているが、この音源が映画「スキンレスナイト」に使われている
鈴木慶一とムーンライダース「火の玉ボーイ」(1976)

A面
「あの娘のラブレター」
作詞作曲:鈴木慶一、岡田徹/編曲:鈴木慶一とムーンライダース、矢野誠
「スカンピン」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:鈴木慶一とムーンライダース
B面
「髭と口紅とバルコニー」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:鈴木慶一とムーンライダース
「ウェディングソング」
作詞作曲:鈴木慶一、岡田徹/編曲:鈴木慶一とムーンライダース
76年1月25日リリースのアルバム『火の玉ボーイ』のプロモオンリー7インチ、本来アルバムのプロモ盤(いわゆる見本盤)は通常通り配られたはずだが、それとは別にラジオ局などメディア用に作られたものと思われる(配布しやすいサイズだから?)、そして時を経て12インチの大きさをウザがっている(且つアナログレコードの物体を欲している)自分のような人間に向けられた最良の盤であり、片面2曲計4曲(33回転)をアルバムから選曲というこのスタイル(SAMPLERという表記あり)、もっと色々なアルバムで有ってほしいと望んでいるのだが希少と思われる、これとてムーンライダーズというバンドのデビューという意味合いもあり、新たなバンド自体のプロモも兼ねて制作されたのであろう、因みにA面の「スカンピン」「あの娘のラブレター」は別途シングルカットされている
『火の玉ボーイ』はそもそもは鈴木慶一のソロとして作られたはずだが、いつの間にか「鈴木慶一とムーンライダース」となっていた経緯でムーンライダーズのアルバムとしてカウントされたりされなかったりがありつつ、この盤では「ライダース」「ライダーズ」と表記が統一されていない、メンバーのプロフィールならぬフロフィールにはメンバーの名前の誤字、この人はメンバーだったのか?等々の検証案件アリ
「はちみつぱい」と「ムーンライダーズ」の端境期にはアグネスチャンのバッキング仕事などが有名だが、映画「サチコの幸」のサウンドトラックも手掛けている、こちらは音盤化されていない
鈴木慶一とムーンライダース「スカンピン」(1976)

A面「スカンピン」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:鈴木慶一 with ムーンライダース
B面「あの娘のラブレター」
作詞:鈴木慶一、岡田徹/作曲:岡田徹/編曲:鈴木慶一 with ムーンライダース
76年1月25日にリリースされたアルバム『火の玉ボーイ』からのシングルカット、『火の玉ボーイ』のA面1曲目が「あの娘のラブレター」で2曲目が「スカンピン」なので、このシングルでは逆順
さて、『火の玉ボーイ』は鈴木慶一のソロアルバムなのかムーンライダーズのファーストアルバムなのか議論が分かれるところだが、クラウン移籍後のアルバム『MOONRIDERS』のメンバーが『火の玉ボーイ』には全曲参加してないことから、やはりムーンライダーズのファーストというには無理があると考える、発端は鈴木慶一のソロアルバムの予定でレコーディングが始まり、出来上がってジャケを見たら「鈴木慶一とムーンライダース」と入れられていたという事なのだが、どういうつもりでワーナーがそうしたのか分からないものの、結果的にサウンドは「はちみつぱい」と「ムーンライダーズ」の端境期ということもあって、そのどちらでもない最初で最後の?「鈴木慶一とムーンライダース」名義のアルバムというのが落としどころな気がします、但し2026年が50周年ということになっているのでバンドは1976年から始まったということで間違いない
因みにややこしいのはワーナーパイオニアでは『火の玉ボーイ』の前にはちみつぱいのシングルもリリースされており(アルバムはベルウッド)、よってワーナー時代のリリースははちみつぱいのシングル、鈴木慶一とムーンライダースのアルバム『火の玉ボーイ』とシングル「スカンピン」の3タイトルとなる
ムーンライダーズ「ジェラシー」(1977)

A面「ジェラシー」
作詞:鈴木博文/作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
B面「Beep Beep Be オーライ」
作詞作曲:橿渕哲郎/編曲:ムーンライダーズ
77年10月25日リリースのアルバム『イスタンブールマンボ』からの先行シングル(但し両面シングルヴァージョン)、96年再発7インチボックスの中の1枚、残念ながら前作『MOONRIDERS』からのシングルカットはなし
とりあえずジャケに写っている椎名和夫に関して、Wikipediaによれば、77年3月24日のライブを最後に脱退とあるが、ジャケ裏にはご丁寧に「77年6月2日録音」とある、Wikipediaに間違いは普通にあるので、脱退の日にちが合ってないのかもしれないが、❶3月に脱退せずにシングルの録音には参加して脱退(その後のアルバム『イスタンブールマンボ』には参加していない)なのか、❷仕事としては3月のライブが最後でシングルには参加してないが、ジャケ撮影時にはまだ脱退自体が正式に決まってなかったので、撮影だけはとりあえず参加した、❸或いはWikipediaどおりに3月に脱退してシングルの録音にも参加してないが、ジャケ写が間に合わず、以前撮ったものが使われてしまった等々が考えられる
ムーンライダーズ「ヴァージニティ」(1979)

A面「ヴァージニティ」(シングルヴァージョン)
B面「ヴィデオボーイ」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
アルバム『MODERN MUSIC』と同時発売シングル、96年再発7インチボックスの中の1枚、残念ながら前作『NOUVELLES VAGUES』からのシングルカットはなし
B面に「ヴィデオボーイ」なんて曲があるので、平成世代はさぞ家庭にビデオが既にあった時代と思われるだろうが、79年の時点で家にビデオがあるなんて極少数、クラスに1人いればいい方なんじゃないかっていうのが自分の感覚である、自分は75〜6年頃に友達の家で見たのが初めて、今考えるとユーマチックだったかもしれない、それで世の中にそういうものが存在するというのを知ったわけだが、その後いつかはアレが欲しいと常日頃思ってたわけでもない、まーとにかく高かったので、欲しいと思ったところで… といった感覚であった、とりあえずテレビはリアルタイムで観て目に焼き付ける、録画という手段がないわけなので、それが当たり前だった、うちでビデオデッキを買ったのは1984年(よってYMO等が出演した番組をリアルタイムで録画できていない)、マイケルジャクソンのスリラーとかMTV的なプロモーションビデオ(略してPV、現MV)ってやつが話題になった頃であったが、一般的にも普及はその80年代半ば辺りだろう
そしてそこから長い年月を経て、今現在テレビは録画した番組しか観ない、リアルタイムで番組時間に合わせて視聴するという行為がアホらしくなり、HDによってテープが増えることもなく(但し外付けHDが増える可能性はある)、観たいものは全て予約して好きな時に観る(ゆえにCMは飛ばすので一切観ない)、そして暇だからただテレビをつけるということはしない(殆どネットのオンデマンド的な視聴)、無駄に情報を浴びないように気をつけていますって、それでもまだテレビとビデオ(現ハードディスクレコーダー)が部屋にあるだけ昭和っぽいと感じる、令和は部屋にテレビもビデオもない、パソコンもない、全てスマホで事足りるってなことでしょう(レコードと全然関係ない話になってしまいました😅)
ムーンライダーズ「モダーンラヴァーズ」(1980)

A面「モダーンラヴァーズ」
作詞:鈴木博文/作曲:岡田徹、鈴木博文/編曲:ムーンライダーズ
B面「鬼火」
原案:松山猛/作詞:佐藤奈々子、鈴木慶一/作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
79年10月25日リリースのアルバム『MODERN MUSIC』(帯のコピー「オレ達の心、いつもNew Wave‼︎」)からのカット、96年再発7インチボックスの中の1枚、両面とも人気曲で珍しく?レコード会社とファンの思い入れが一致したケースか

この時期のライダーズはジャケにあるヘルメットをかぶってLIVEを行った、逆にそれを知らないと「モダーンラヴァーズ」という曲に対してのジャケのイラストが何のこっちゃ⁈になってしまう
僭越ながらB面「鬼火」は2013年にリリースされた『MODERN MUSIC/スペシャルエディション』のディスク2にてリミックスを手掛けさせてもらいました
ムーンライダーズ「彼女について知っている二、三の事柄」(1980)

A面「彼女について知っている二・三の事柄」
作詞:鈴木博文/作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
B面「地下水道 (KANAL DUB)」
作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
80年7月25日リリースのシングルの96年再発7インチボックスの中の1枚
A面「彼女について知っている二・三の事柄」はゴダール映画の邦題からの流用タイトルであり、アルバム『カメラ=万年筆』(80年8月25日リリース)からの先行シングルカット、ドラマーかしぶち哲郎が編み出したニューウェイヴを通過したツイストビートが印象的なナンバー
B面「地下水道 (KANAL DUB)」はアルバム未収録の「彼女について知っている二・三の事柄」のダブヴァージョン、B面にA面のダブヴァージョンという粋な計らいは、この時点で日本では初めての試みだった(と思うが、これより先に何かあったら教えて下さい)
杏里「可愛いポーリン」(1980)

A面「可愛いポーリン」
B面「マウイムーン」
作詞:湯川れい子/作曲:鈴木慶一/編曲:岡田徹
80年9月5日リリースの6枚目のシングル、ちなみに「CAT'S EYE」は3年後の13枚目、まだ先は長い
シティポップシンガー?として完成される前の作品、デビューからの尾崎亜美路線が一段落し、時期的にはセカンドアルバム『Feelin'』(79年6月)から1年以上経ち、結局サードアルバム『哀しみの孔雀』(81年9月)まで2年3ヶ月のブランクがあるが、次のアルバムはシングルヒットがないと難しいといった判断なのか、この間にシングルを4枚リリース、初のベスト盤(未CD化)も「可愛いポーリン」の2ヶ月後( 80年11月)にリリースされるが、いわゆるベストテンヒットがない状態でのベスト盤ということはここで契約終了となってもおかしくはなかったのかも、ポテンシャル的にそうならなかったのは同じくアイドルではないシンガーの松原みきも同様
ムーンライダーズのイイ仕事的にはこの「可愛いポーリン」からのシングル4枚とアルバム『哀しみの孔雀』の約2年間(意外と長い)は要チェック、この後小林武史の「思いきりアメリカン」を挟んで、角松敏生を迎えてのシティポップ路線がやっと始まるが、これも当時は不発で「CAT'S EYE」をイヤイヤ歌わされるハメになる(今では考えられないかもしれないが、なんでアニメの歌を歌わないとならないのか⁈状態)、しかしこれが大ヒットして以後、思いきり気ままにシティポップがとまらない
糸井重里「バイバイコロン」(1980)

A面「バイバイコロン」
作詞:糸井重里/作編曲:鈴木慶一
B面「SUPER FOLK SONG」(谷岡ヤスジさんに捧げます)
作詞:糸井重里/作曲:矢野顕子/編曲:鈴木慶一
アルバム『ペンギニズム』からのシングルカット、初CD化は95年9月21日、2006年8月23日には紙ジャケで復刻
色んな人がレコードを出していた時代だった、俳優は無論、野球選手やお相撲さん、文化人、時代に余裕があったから企画が通れば何でもOK、歌のレベルは二の次、しかし80年代は何でもかんでもバブルだから、と括ってしまうのは大間違い、音楽産業のバブルは間違いなく90年代です、しかし平成以降は昭和にあったような企画モノがどんどん減っていき、後々ネタに出来るような面白レコードも減っていった印象、なんだかんだコピーライターでフルアルバムをリリースしたのは糸井重里だけかもしれない、コピーライターといえば?でも真っ先に名前が挙がる人だと思いますが、この時点では代表作である「不思議、大好き。」と「おいしい生活。」はまだ生まれていない、むしろ音楽業界的には沢田研二の「TOKIO」を作詞した人って感じだったかも知れず
リアルタイムで『ペンギニズム』を聴いてなく、「SUPER FOLK SONG」は矢野顕子ヴァージョンを先に聴いてしまい、後で糸井重里ヴァージョンを聴くといかに難しい曲だったのかが分かる、80年代に矢野顕子がアイドルに提供した曲に比べれば、歌う人に遠慮しない直球勝負だったなと改めて、そして37年後には「SUPER FOLK SONG RETURNED」も軟着陸
ムーンライダーズ「エレファント」(1981)

A面「エレファント」
B面「ヴィデオ・ボーイ (Acoustic Version)」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
81年4月25日リリース、96年再発7インチボックスの中の1枚
A面「エレファント」はソニーのラジカセのCMソングが原曲
「ヴィデオボーイ」はヴァージョン違いとはいえ2回もB面曲になっている
アルバム『カメラ=万年筆』をリリースした翌年にこのシングルをリリースして、ベスト盤『東京一は日本一』を置き土産にクラウンからジャパンレコードに移籍
杏里「異国の出来事」(1981)

A面「異国の出来事」
作詞:佐藤奈々子/作編曲:鈴木慶一
B面「Am I Afraid?」
作詞:大貫妙子/作編曲:岡田徹
81年9月21日リリースの8枚目のシングル、鈴木慶一プロデュースの2年3カ月ぶりとなるサードアルバム『哀しみの孔雀』と同時発売、ちなみに「CAT'S EYE」は2年後の13枚目のシングル、まだ先は長い
ムーンライダーズのイイ仕事を集める流れで杏里のシングルを3枚買うことになるとは自分でも意外だった、この時期の作品をファンがどう思っているか知ったこっちゃないが、無理矢理なニューウェイヴ化でもなく、特にチグハグなことになってないと感じるのは、ライダーズメンバーによるプロデュースセンスと杏里の安定した歌唱力によるものと思われます、これはこれでよいという話です
シティポップの杏里も特に嫌ってはないので、サブスクでも人気な「Last Summer Whisper」が7インチ化されたら買うかもしれません
杏里「エスプレッソで眠れない」(1982)

A面「エスプレッソで眠れない」
作詞:糸井重里/作曲:鈴木慶一/編曲:岡田徹
B面「シルエット オブ ロマンス」
作詞:佐藤奈々子/作曲:松尾清憲/編曲:鈴木慶一
82年2月5日リリースの9枚目のシングル、鈴木慶一プロデュースの2年3カ月ぶりとなるサードアルバム『哀しみの孔雀』からのセカンドカット
自分は「とにかくここがライダーズのいい仕事」だから手に入れたわけですが、この頃の杏里ってどんな状況だったのか確認すると、まず78年に「オリビアを聴きながら」でデビュー、これ有名なんでそこそこヒットしてたかと思いきやオリコン65位でそうでもなかった、81年「コットン気分」これも当時CMで聴いたことがあるので、ヒットしてたかと思いきやランク外、そしてその半年後のデビュー3周年の時期にリリースしたサードアルバム『哀しみの孔雀』(81年9月21日)は鈴木慶一をプロデューサーに迎え、本来の西海岸寄りからヨーロピアン/ニューウェイヴ寄りにしてみた? しかしここで急に変えたわけでもなく、鈴木慶一は「コットン気分」の前シングル「可愛いポーリン」(80年9月)を既に手掛けており、そこから1年後に今度はアルバムのプロデュースを手掛けたことになり、突然変異なわけでもない
『哀しみの孔雀』からのシングルカットはまず同時発売で「異国の出来事」、さらに約半年後にこの「エスプレッソで眠れない」をリリース、この2枚のシングルAB面4曲全て『哀しみの孔雀』に収録されており、積極的なシングルカットの印象、そして2ヶ月後の82年4月に「コットン気分」と同じCMでのリヴェンジ盤「思いきりアメリカン」(まだ無名だった小林武史が作曲)をリリースしたがオリコン74位、ヒットというには苦しいかと思うが、「思いきりアメリカン」をタイトルに含んだベスト盤(82年5月)をリリースして一区切り、次のシングルから角松敏生が参入し、翌83年イヤイヤ歌った「CAT'S EYE」がオリコン1位の大ヒット、苦節5年で「杏里」が完成する
例によってシングルの選曲に難癖をつけると『哀しみの孔雀』よりライダーズナンバーでもある名曲「さよならは夜明けの夢に」がどれかのシングルに収録されてほしかった
ムーンライダーズ「僕はスーパーフライ」(1982)

A面「僕はスーパーフライ」
作詞作曲:鈴木慶一/編曲:ムーンライダーズ
B面「くれない埠頭」
作詞作曲:鈴木博文/編曲:ムーンライダーズ
A面「僕はスーパーフライ」は「ミノルタ押すだけ全自動クォーツ」CMソング、鈴木慶一も斉藤慶子(宮崎美子の後釜)と一緒にCM出演(ナレーションも担当)、ミノルタのCMでは鈴木慶一が作曲した「いまのキミはピカピカに光って」(斉藤哲夫)、「君のプリズナー」(シネマ)に続いて本体のムーンライダーズの登場となった
ライダーズは『マニアマニエラ』が発売延期になった後の起死回生、この後82年9月にリリースされたアルバム『青空百景』の先行シングルとなる、アルバム丸々1枚がボツになったものの、モチベーションが下がらずに別のアルバムがすぐさま出来上がってしまう勢いが改めて凄い
B面がバンドの代表曲(というか人気曲?)「くれない埠頭」であったことがファンとしても有難く、これがA面だったら、これがCMに使われていたら、とか色々妄想してしまう、埠頭ということでは湾岸スタジオ(フジテレビのではない)が出来たのもこの頃ではなかったかと
それにしてもジャパンレコード時代の作品がいまだにサブスク未解禁、なんとかしてくれ〜
かしぶち哲郎 & 矢野顕子「Listen to me, Now!」(1983)

A面「Listen to me, Now!」
B面「Friends」
作詞作曲:橿渕哲郎
リアルタイムではまだムーンライダーズをちゃんと聴いてなかった頃なので、かしぶち哲郎って誰?状態だったし、アルバム『リラのホテル』の認識はボヤッとしたものだった(サウンドストリートで特集され、別の回でリリースLIVEもオンエアされた)
とにかくここがかしぶち哲郎初ソロアルバム、リリースが当時矢野顕子とムーンライダーズがいたジャパンレコードではなく、何故キャニオンだったのか気になるが、矢野側がかしぶち哲郎をかっており、ソロを作らせたい的なことが発端なのかと、ということで原盤はヨロシタorやのミュージックと思われ、現在CDはMIDIからリリースされていますが、この2年後のセカンドソロ『彼女の時』もその時のムーンライダーズの所属(キャニオン/TENT)とは関係なくMIDIからのリリースでありました(ややこしいことにムーンライダーズもMIDI立ち上げの時は所属するはずだったのですが)
その矢野顕子全面協力の橿渕哲郎『リラのホテル featuring 矢野顕子』からのシングルカット、このAB面の選曲はベストです!
クリス「クリスの日曜日」(1983)

A面「クリスの日曜日」
作詞:高橋修/作曲:鈴木慶一/編曲:岡田徹
B面「あこがれファンタジア」
作詞:鈴木博文/作編曲:鈴木慶一
84年4月21日リリースのアルバム『プードル』からの先行シングル
ライダーズワークスとしておさえてるだけで、クリスのことは何も知らないに等しい、そして今からクリスとググってもこのクリスに辿り着くことは難しい、一般的な名前であればあるほど、ここにネットの限界を感じる、ほぼ同世代だが、今はどこで何をしてるのやらっつってYouTubeを検索したら当時テレビで歌ってた映像が出てきた、とかそういう80年代アイドル的なこともなく、逆に今だったらモデルタレントとしてテレビに出てひな壇でちょっと変わった面白い事言うみたいなポジションが想像出来るが
アルバムからコレともう1枚シングルカットされており、多分そっちの方がレア
ムーンライダーズ「M.I.J.」(1984)

A面「M.I.J.」
作詞:DIANE SILVERTHORN/作編曲:岡田徹
B面「GYM」
作詞作曲編曲:鈴木慶一
ジャパンレコードからディアハート(RVC)への移籍第1弾は両面資生堂タイアップシングル、YMO散開後の年明けに聴く&買う幅が年齢も伴って広がり、ムーンライダーズにも興味を持つ流れで、まず21〜22時台のドラマのCMで「GYM」を耳にする(歌詞はCMヴァージョン)、そこでいいね!となってクレジットを記憶(改めてYouTubeで確認したらクレジットは出てなかったっていうか、実際自分が見たのは↓猫編ではなくスケートリンクとかのパターン、それはYouTubeで見つけられず)
即シングルを買いに行ったと言いたいところだが、当時シングル曲は後にアルバムに収録されるかもしれないと、これに限らず買わない手段でレンタルしてきた記憶がある、既に名前は知ってたが、個人的にはここがムーンライダーズの導入であった、というわけでB面「GYM」のCMは記憶にあるが、もっと流れていたであろうA面「MIJ」のCM(パーキージーン)は記憶にない(こちらも歌詞とオケ含めてCMのパターンに合わせて何種類かある、最も「MIJ」に近いヴァージョンを選択)
いずれにしろ両面良曲でジャケも含めてムーンライダーズでは「僕はスーパーフライ / くれない埠頭」と並んでポップなシングルであると思う、結局満を持して半年後にリリースされたアルバム『アマチュアアカデミー』(初めて自分が買ったライダーズアルバム)に「GYM」は収録されなかったので(「MIJ」もミックス違い)、いつだか忘れてしまったが、後になってシングルを買ったのがコチラ
2025年4月12日のRecord Store Dayにて再発された
イヴ「ノン・ノン!」(1985)

A面「ノン・ノン! Non Non!」
B面「妖華 Sexy Elegance」
作詞作曲編曲:かしぶち哲郎
同時発売ミニアルバム『A-EVE わたしは子猫』(LPとカセット)、ビデオ(VHS、Beta、LD)、あらゆるメディアを網羅したかと思いきや、まだCD同発が当たり前ではなく、未だにCD化されていない(よって当然のようにサブスク未解禁)、てなわけでLPは現在高値、それはタレントヴァリューだけでなく、かしぶち哲郎プロデュースによって音楽的にもコンセプトがしっかりしているからだろう(アルバムではデュエット曲もあり)、はっきりいって歌が本業ではないので、場末な歌謡曲でも問題なかったと思われるが、そうしなかったことが後年に効いてくる
ちなみに同じく攻めた内容の黒木香の12インチ(未入手)も高値だが、こちらは「全裸監督」の影響か、2021年にタワレコ限定で初CD化された後にサブスクも解禁、イヴの作品もそういう展開になればなぁ〰︎という話
堀ちえみ「Wa•ショイ!」(1985)

A面「Wa•ショイ!」
作詞:鈴木博文/作編曲:白井良明
B面「風のサザン•カリフォルニア」
作詞:売野雅勇/作曲:高中正義/編曲:新川博
柏原よしえ「しあわせ音頭」(82年7月10日リリース)とテクノ音頭としてセットっていうイメージもあります
2枚目の裏ジャケですが、こういうのって撮影の合間に何気なく撮られた本来ならボツになるような写真、で、結構そういうのをスタッフが面白がって使う傾向があり、いわゆる狙ったショットではない本人もカメラを意識してない瞬間の写真だから、当然変な表情なわけで(そこが面白いんだろうけど)、多分本人的にはイヤなんだろうなっていう、まー個人的には敢えて使うほど面白くもないよねと、いつも笑ってるアイドル写真ばっかりでも面白くないだろっていう狙いなのはわかりますけど、もっと他にいい写真あっただろうなぁとは思ってしまいます、んで黄色地にタイトルだけ、みたいな無意味なページもあるので、せっかくの3面ジャケだけに余計そう思ってしまいます
堀ちえみといえばTBSの大映ドラマ「スチュワーデス物語」のイメージが強いのですが、その主題歌は麻倉未稀「フラッシュダンス」で何で堀ちえみの曲じゃないんだと、ドラマのイメージに合わないとか諸々理由あるんでしょうが、ファンでもない身からすれば堀ちえみにはコレ!っていう1曲がない気がしてて、それなりにシングルはベストテンに何曲も入ってたかと思うんですが、柏原よしえでいえば「ハローグッバイ」、早見優でいえば「夏色のナンシー」などファン以外も知ってるような代表曲がないかと(自分だけの問題かもしれませんが、Wikipediaに代表曲とあった3曲とも知らなかった)、「スチュワーデス物語」の当たり役で主題歌も歌っていれば間違いなかったと思うんですが、「スチュワーデス物語」はTBS、堀ちえみのレコード会社はフジテレビ系のキャニオンということで主題歌ダメっていう、大人の事情的なつまらない理由で歌手としてはチャンスを逃したかなと
ちなみに「Wa•ショイ!」をリリースした頃は「スチュワーデス物語」は前年にとっくに終わっていて、同じく大映ドラマ「スタア誕生」に出演中だった(最近再放送してたので全話鑑賞)
そして!2026年ヴァージョンも誕生!
かしぶち哲郎「彩夏夢」(1985)

A面「彩 夏 夢(いろ なつ ゆめ)」
B面「S•Ex (SENSUOUS EXPERIENCE)」KASHIBUCHI SOLO VERSION
作詞作曲編曲:かしぶち哲郎
セカンドソロアルバム『彼女の時』からの同時発売シングル
ムーンライダーズは84年にRVC内dear heartに移籍して8月に『アマチュアアカデミー』をリリース、その直後MIDIレコードが発足、RVC内だったdear heartと坂本龍一の新レーベルschoolが合体した形になりますが、翌85年ムーンライダーズはMIDI内dear heartからは作品をリリースする機会がないまま、高橋幸宏とTENTレーベルを設立して『アニマルインデックス』をリリース、しかしその約3ヶ月前にリリースされたかしぶち哲郎ソロ『彼女の時』はTENTではなく、MIDIからリリースされました
A面「彩 夏 夢」は石川セリに提供した曲のセルフカヴァー
B面「S•Ex」はムーンライダーズ『アマチュアアカデミー』が初出の曲、『彼女の時』でのセルフカヴァーは石川セリとのデュエットでしたが、ここではKASHIBUCHI SOLO VERSIONというシングルヴァージョン(よって「S•Ex」は計3ヴァージョン)、これがCD(紙ジャケリマスタ盤含む)には収録されていないため、未CD化音源と思いきや、『MIDI SINGLES 1985』というコンピに収録、当然のようにサブスクは未解禁
『リラのホテル』と『アマチュアアカデミー』時のコンサートには行けませんでしたが、ライダーズ関係のLIVEでは渋谷公会堂で行われた『彼女の時』コンサートが初めてで、矢野顕子と大貫妙子がゲストでドラムは鈴木さえ子でした
かしぶち哲郎「眩暈」(1985)

A面「眩暈」
B面「柔らかいポーズ」
作詞作曲編曲:かしぶち哲郎
85年セカンドソロ『彼女の時』からのセカンドシングルカット、アー写?ジャケ写?アルバムとは違う撮り下ろしがフランス映画風情でgoodです
ちなみにレコード番号はMIS-7、MIS-5が「彩 夏 夢」なので、MIS-6が何かと思えばEPO「音楽のような風」でした、EPOが8月5日リリースなので、「眩暈」は同時かそれ以降の発売となりますが、『彼女の時』はもともと6曲入りのミニアルバムといってもいい内容なのに、立て続けに2枚シングルカットするとは、かなり積極的なプロモーションかと
アルバム『彼女の時』は矢野顕子、大貫妙子、石川セリ各々3名とのデュエット曲を含みますが、いずれもシングルカットされなかったものの、B面「柔らかいポーズ」はこの3名の豪華なコーラス入りとなっています(が、ジャケにそのことがアピール/クレジットされてないのには理由が? 逆に「彩 夏 夢」のシングルには記されていたが)、加えてこの曲のベースは細野晴臣
A面「眩暈」はアルバム1曲目にして推し曲、ストリングスアレンジは坂本龍一、マルチプレイヤー清水信之のアコーディオンがフィーチャーされています
矢野有美「夏への手紙」(1985)

A面「夏への手紙」
作詞:高橋修/作曲:松浦雅也/編曲:岡田徹
B面「STAY NEXT TO ME」
作詞:矢野有美/作編曲:岡田徹
これ以前からの芸能活動〜アイドルグループ「シャワー」に所属などを経て、満を持して?ソロデビュー、1985年限定と決まってたのかどうかわからないが、シングル3枚/アルバム1枚/12インチ1枚でもってキッチリ1年間の任期を全うし、芸能活動をほぼほぼ終えた
A面「夏への手紙」はサエキけんぞうと並ぶ千葉2大作詞家の高橋修、作曲はPSY•Sでデビューしたばかりの松浦雅也、編曲はそのPSY•Sをプロデュースしたムーンライダーズの岡田徹が担当、同時期のライダーズのアルバム『アニマルインデックス』のプロトタイプのようなサウンドで、それまでの2枚のシングルにあった歌謡曲臭は一掃された
B面「STAY NEXT TO ME」は矢野有美自身の作詞、岡田徹作曲のムーンライダーズのイイ仕事
結局シングル2枚目までの路線は変更して岡田徹プロデュースによる9月25日リリースのアルバム『ガラスの国境(ボーダー)』は¥ENを切り捨てたアルファがアイドルをやる意味がようやく見出せるのような作品に仕上がった、そしてアルバムリリース後の12月に時流に乗ってユーロビート路線の12インチ「MAKIN' IT」(1985年12月21日)をリリースしてアイドル活動終了
85年のリリース時にCDが同時発売されず、その後再発の機会にも恵まれず、長らく未CD化であったが、めでたく2019年5月にBRIDGE-INCより全楽曲を収録したコンプリートコレクションとして初CD化となった
ムーンライダーズ「花咲く乙女よ穴を掘れ」(1986)

A面「花咲く乙女よ穴を掘れ」
作詞:糸井重里/作曲:鈴木慶一
B面「滑車と振子」
作詞作曲:鈴木博文
アルバム『マニアマニエラ』からのカット、『マニアマニエラ』は数奇な運命を辿っており、まず81年に制作され82年春頃に発売予定だったと推定してるのですが、ジャパンレコード移籍第1弾としてレコード会社の期待と内容が噛み合わなかったようなことで一悶着あり、発売中止にしてしまったと、特にジャパンレコードの81年は春先に矢野顕子「春咲小紅」の大ヒット(オリコン5位)、続いて伊藤つかさ「少女人形」の大ヒット(オリコン5位)もあり、単純にいえばライダーズもそれに続けということだったのかもしれません、しかし時はニューウェイヴ真っ只中、ライダーズ的にはMC-4同期が当たり前になる転換期、実験的なレコーディングに花咲く中、そんなの知らねーよって話ですかね?
しかし音は実験的だったのかもしれませんが、その後LIVEで定番となる「スカーレットの誓い」なども収録されており、曲は充分ポップなのですよ(そもそも何故「スカーレットの誓い」がシングルではないのかと)
A面「花咲く乙女よ穴を掘れ」はシングル向けのキャッチーさがあるので異論ナシ、イメージ的には当時とらばーゆなどのリクルート系のCMに使われたら良かったのではないかと妄想します(川崎徹の映像が合いそうな)
『マニアマニエラ』の話に戻すと、82年に発売中止と決めたものの、この年からコンパクトディスクが誕生して第1弾でソニーから大滝詠一やらビリージョエル等の既発タイトルがリリースされたわけですが、その流れでまだ世にも珍しいCDのみの新譜として82年12月15日にリリースという前代未聞(業界初?)、CDプレイヤーを持ってること自体が珍しがられる中、『マニアマニエラ』を発売日に買った人は全国にどのくらいいたのか(プレイヤーはなくとも後々のために買ったという人が大半かと)、よってこの82年版CDはレアですが、1度だけ今は亡き新宿のRecofanで見たことがあって値段は忘れましたが、端から諦める金額でした
『マニアマニエラ』発売中止決定後に取り掛かった『青空百景』が82年9月に、その3ヶ月後にCD『マニアマニエラ』をリリース(この時点で発売中止から延期という解釈)、ちなみにこの時点では『青空百景』のCDは出ていません、そして偶然でしょうが2年後に同じようなパターンで、84年夏に『アマチュアアカデミー』をリリースし、その3ヶ月後に今度はカセットブック(冬樹社[SEED]シリーズ)で『マニアマニエラ』をリリース(当時これで初めて聴きました)、そしてついに86年2月21日にT.E.N.Tよりレコードで『マニアマニエラ』がリリースされます(ジャケ違い/CDとカセット同時発売+このシングル)、さらにバンド20周年の96年に2つのCD-BOXが出ましたが『1982-1992 Complete Collection Vol.2』の方に入っている『マニアマニエラ』は82年オリジナルジャケヴァージョンでした
そしてそして、『マニアマニエラ』オリジナルジャケでのアナログレコード化が、2022年12月3日レコードの日に40周年記念としてついにリリースされました
野田幹子「太陽・神様・少年」(1987)

A面「太陽・神様・少年」
作詞:石川あゆ子/作曲:鈴木慶一/編曲:岡田徹
B面「夏服のカノン」
作詞:あさくらせいら/作編曲:岡田徹
野田幹子のデビューシングル、A面「太陽・神様・少年」はミノルタα7000のCMソングに使われたようで、作曲・鈴木慶一でミノルタといえば斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」に始まり、シネマ「君のプリズナー」やムーンライダーズ「僕はスーパーフライ」など関わりが深い
最初はジャケにミノルタの記載がない盤を買い、あとからアルバム『SWEET NOTHINGS』と同じジャケ違い盤を発見して買い替えた次第(レコード番号は同じ)
B面「夏服のカノン」の作編曲はA面の編曲も手掛けた岡田徹、この後8月1日にリリースされたファーストアルバム『SWEET NOTHINGS』の全編曲も手掛けている、裏名曲「夏服のカノン」はアルバム未収録曲となったが、後にワインソムリエになる野田幹子のワインバーの店名が「Canon」であり、その由来になっているのかもしれません
ちなみにムーンライダーズは87年から91年まで活動していなかったため、メンバー全員が参加している88年にリリースされた野田幹子のサードアルバム『蒼空の一滴』は88年のムーンライダーズのアルバムともいわれました
チロリン「途中にしてね」(1987)

A面「途中にしてね」
B面「えくぼッチャブル」
作詞:小林ユカ/作編曲:岡田徹
辛うじて「チロリン」という名前だけ宝島かMOGAで見て知っていたが、87年4月6日から89年3月27日まで2年間放送されたテレビ番組「少女雑貨専門エクボ堂」の主題歌ということは全く知らず、「エクボ堂」のエクボとはスポンサーである資生堂の商品名なので、それを売りたいターゲット(女子高生)とマガジンハウス「Olive」と文化屋雑貨店的な要素をミックスした番組だったと勝手に予想
同年8月に「夕やけニャンニャン」終了ならびにおニャン子クラブが解散し、いよいよアイドル業界も冬の時代に入るが、メンバー5人の「チロリン」は番組内アイドルではないし、なんとなく各メンバーの担当楽器というのが割り当てられているが、いわゆるベース/ギター/ドラムといった類いでもないのでバンドというには物足りなく実態が掴みにくい、その感じが逆に今っぽいというか25年早かったということで、2012年に新世代のメンバーで新・チロリンとして復活していたりもする
ディスコグラフィ的にはまだ珍しかったインディーレーベル「SWITCH」より12インチを2枚リリースしてからの、この時点ではビートニクスの新作をもって実質レーベルとしては終了状態だったT.E.N.Tからのメジャーリリースをもって活動は終了した模様、そして2年後の89年に2枚の12インチとこのシングルのAB面、つまり全音源(10曲)が1枚のCDにまとまった『チロリン・アンソロジー1986-1987』がリリースされた(2014年リマスター盤アリ)
