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愛犬に噛まれて気づいた、「良い先生」という思い込み

    3年前、16年一緒に暮らした愛犬を
    看取りました。

    最後の1年は車椅子の力を借りながらの
    介護生活でしたが、彼はとても穏やかでした。

    でも、そこに至るまでには、
    大きな出来事がありました。

    ある日、あれほど大人しかった彼が、
    突然私に噛みついたのです。

    「聞き分けのいい、いい子」だと思っていた
    彼が、なぜ───。

    その理由が分かったとき、
    私は書道教室で子どもたちと接する
    自分のやり方も、
    根本から見直すことになりました。


    「従順さ」を信頼だと思っていた

    この仔がまだ子犬だった約20年前、
    当時の育犬書は「飼い主に従うことが、
    信頼のかたち」だと説いていました。

    無知だった私は、
    その通りに育てようとしました。

    実際、彼はとても従順で、
    どこへ行っても驚かれるほど
    頭のいい子でした。

    「賢いね」
    「どうやってしつけてるの?」
    と言われるのが嬉しくて、

    自分の育て方に、
    何の疑いも持っていませんでした。

    でも、ある時ふと、
    彼の目が
    私の声を追っていないことに気づきました。

    従順だけど、
    心は少し離れているような距離感。

    その違和感を、私は
    「気のせいかな」
    「歳のせいだよね」
    とやり過ごしていました。

    そんなある日、
    彼は突然私に噛みつきました。

    攻撃性とは無縁だった彼が、
    鬼の形相で。

    病院に相談に行くと、
    年齢や体調を考慮して
    安定剤という選択肢も出ました。

    「そうか、もう高齢だし……」と、
    少しホッとしている自分がいました。

    私のせいじゃない──
    そう思える理由が
    欲しかったのかもしれません。

    でも、本当は違いました。


    見逃していた、小さなサイン

    その後もいろいろ調べる中で、
    彼はすでに両足の疾患が急速に進行しており、
    ずっと痛みに耐えていたことが分かりました。

    思い返せば、
    穏やかだった日々のなかにも
    予兆はありました。

    抱き上げる私の手が近づくたびに、
    ほんのわずか体が固まる。

    その一瞬を、私はずっと
    「頑固になったのかな」
    と思い込んでいたのです。

    やさしさのつもりが、
    気づかぬ支配となっていたこと。

    愛情だと信じていた関係が、
    彼の声を奪うかたちになっていたこと。

    噛みつきという行動は、
    彼が最後に選ばざるを得なかった
    「語られない声」でした。

    私はそのとき初めて、
    「教える」「導く」ことと、
    「感じ取ろうとすること」の間に、
    大きな隔たり
    があると知りました。

    この経験がきっかけで、
    私が大切にしてきたつもりだった
    「相手の声を聴く」という姿勢を、
    もう一度根本から問い直すことになりました。

    このころから、
    教室で生徒さんの筆を持つ手を見るときも、
    少し違う目で見るようになった気がします。


    整体師さんが教えてくれた、体の履歴

    痛みへの気づきが後手に回ってしまった私に、
    一筋の光のように現れたのが、
    犬の整体師さんでした。

    その先生は、
    レントゲンで異常を探すのではなく、
    触診で筋肉の違和感を確かめながら
    体の声を読み解いてくださいました。

    「この子、ずっと庇って生きてきましたね」
    「飼い主さんみんな
    『ある日突然こうなった』
    って言わはるんです。
    でも全然違います。

    何年も前から
    小さなサインを出し続けてたのに、
    気付けなかっただけなんですよ。
    だから噛みついて伝えてくれたんですよね」

    その言葉に、
    過去の彼の表情が次々に浮かびました。

    抱っこされる前の緊張。
    一歩下がる表情。

    老いて頑固になったからなんかじゃない。
    どれも、ちゃんとサインだったのです。

    私はようやく
    「声なき声に耳を傾ける」
    という寄り添い方の意味を、
    手のぬくもりで教わりました。


    教室での「なんか違う」

    この経験は、
    今も教室の中に生きています。

    筆を持つ手が、
    いつもより浅く紙に触れているとき。

    姿勢が、すこしだけ揺れているとき。

    声ではなく、筆圧や佇まいで
    「何か」が伝わってくるとき。

    そんな瞬間に、
    私は整体師さんの手のひらを思い出します。

    叱るでも、褒めるでもなく。
    ただちゃんと感じて、まずは受け止める。

    「今日はドアの開け方が違うな…
    おうちを出る前に何かあったかな?」

    「あれ、今日は珍しく目に表情がないな…」

    「宿題の字が別人みたいに不安定だな」

    こういう「なんか違う」って感覚。

    保護者の方も
    日々の中で感じておられることが
    あるんじゃないかな、と思います。

    その感覚を持てているだけで、
    もうすでに、
    ちゃんとお子さんの声を
    受け取ろうとしているんだと、
    私は思っています。

    寄り添うとは、
    感じようとする姿勢を手放さないこと。

    信頼されるとは、
    「自分の心を感じ取られても大丈夫」
    と思ってもらえる空気になること。

    桜書道教室が、
    生徒さんが心を開いて
    自分を表現したくなる空間であるために───

    私自身も、
    皆さんが安心できる「空気」として
    そこに在りたいと思っています。


    🐾 その後の、わが家のお話 🐾

    あれから数年がたち、
    今の私の「育てる」は、
    ずいぶん変わりました。

    最晩年に穏やかに暮らした彼と、
    わが家に来た子犬がともに過ごした日々。

    そして、今の2頭との暮らし。

    その時間のなかで、
    私は何を感じ、何に気づいたのか。

    よろしければ、
    こちらも読んでいただけたら嬉しいです🐶

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    東大阪で「桜書道教室」主宰。書歴40年以上・教育書道会範士。大学で心理学を学び認定心理士取得。老犬介護と子育てを経て2ワン🐾の母。書を通じ子どもの感覚と考える力を育み、noteに気づきを綴ります。 https://sakura-syodo.wixsite.com/official

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