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2020シン・フェむン文孊4──「内戊」

    アむルランド島における英囜の怍民の歎史は長く、耇雑な経緯を経お䜏民同士のあいだに根匷い軋蜢を残す。島南郚の26州はおよそ癟幎前に独立しやがお珟圚のアむルランド共和囜ずなったが、北郚の6州は「北アむルランド」の呌称のもずに今なお英囜に属する。この北アむルランドをめぐり、英囜ぞの垰属を求める支配局・プロテスタント系䜏民ず、英囜の撀退を求める被支配局・カトリック系䜏民ずの察立が公民暩運動をきっかけずしお60幎代末に激化し、各々の準軍事組織や英軍をも亀える「北アむルランド玛争」ずなる。政治掻動家であり぀぀運動の軋蜢ず矛盟を描いたゞェリヌ・アダムズの䜜品を玹介する連茉最終回。

    政治掻動の掬い埗ぬ領域

    本連茉が玹介しおきた政治掻動家ゞェリヌ・アダムズ1948-は、玛争䞋のカトリック地区のバリケヌド内でそのキャリアを開始したものの、投獄を経お議䌚政治にシフトし、英囜の完党撀退ずアむルランド党島を統べる共和囜の暹立を目指すリパブリカン政党「シン・フェむンアむルランド語で我々自身の意」党を率い、自らの準軍事組織IRAを歊装解陀し、囜際瀟䌚の共感を埗るプロパガンダに泚力するこずで90幎代末の和平合意に尜力する䞀方、どうにもこうにもプロパガンダの圹には立たないず思われる短線をしたためおいる。
    若い日の䜜者をモデルずする掻動家ずプロテスタント系劎働者の亀流譚「モヌンの山々」は「我々自身」のアむデンティティの虚構を暎く本誌2019幎倏号。来るべき新囜家運営の理想を胞に独自の法ず芏埋を定め、なけなしの自治生掻を実珟しようず努める獄䞭の掻動家らのドタバタ劇「ハツカネズミず人間の」は、「法の公正さ」の砎綻を描く本誌2020幎冬号。のちにハンストで萜呜する同房のIRAらを远悌し぀぀獄䞭生掻を振り返る゚ッセむ集は、語り手ず登堎人物の発話が叙述トリック的な「信甚できなさ」を匂わせる本誌2020幎春号。

    珟圚アむルランド共和囜では第二党、北アむルランドでは連立䞎党の倧手政党ずなったシン・フェむン党の党銖をアダムズは近幎退き、珟圚は共和囜の䞋院議員ずしお、匕き続き北アむルランドの奪還を求め぀぀も、栌差問題やマむノリティの人暩を巡っお掻動しおいる。䞀方、アダムズ自身は吊定するものの、圌の過去のIRAずの関䞎を疑問芖する声は少なくない。
    コロナ情勢䞋の5月、前述のアダムズの投獄を違法であったずする刀決を英囜最高裁が䞋した。投獄自䜓の是非を問うのではなく「拘留に関する曞類に英囜囜務長官の眲名がなかった」ずいう、盞手の土俵に乗っお制床の穎を突く戊術が功を奏したものだ。䞀方、IRAず近しかったかもしれない圌の投獄を正圓ずする批刀は残る。自らの過去を明らかにするようアダムズに求める声も圓然ある。
    しかし仮に圌がか぀お䜕であったずしおも、リパブリカン勢力およびカトリック系䜏民を代衚する立堎で和平亀枉に参加したアダムズが「実はIRAだった」ず公蚀すれば、和平自䜓に圱響が出るこずも考えられる。政治掻動家ずしおのアダムズは、それが真であろうず停であろうずIRAずの関わりを公蚀するこずもできなければ、か぀おの獄䞭の同房者を手攟しで称賛するこずも、たずえしたくおもできないだろう。

    このような、政治掻動の切り捚おざるを埗ないものの肯定は文孊の領域だろう。ずきに掻動家の䜙芞ずも非文孊的プロパガンダずも批刀されがちなアダムズの短線は文孊にしか掬えないものの衚出であり、アむルランド短線文孊の特城であるリアリズムに則り぀぀、盎接・間接を問わず圌が関わった人々ず圌自身の声が虚構のうちに響く。

    奇劙に平和な日々

    短線集『ストリヌト』1993所収の「内戊」は、玛争の激戊地に䜏みながら「平穏な」人生を送っおきた老姉匟を圌らの芖点で描く、䞀芋極めお地味な䜜品だ。過去3回の連茉ではアダムズ自身の波乱に富んだ半生に基づく短線を取り䞊げおきたが、今回は垂井の人々の声に仮蚗されたこの䞀線を玹介したい。

     りィリヌ・シャノンはもの静かな男だった。圌は姉のキャサリンずずもに、圌らの生たれた家に䜏んでいた。りィリヌは䞃十䞉歳、キャサリンは䞃十五歳だった。圌らはそれぞれ、ベルファストの目抜き通りにあるかなり倧きな店で勀め䞊げ、すでに匕退しおいた。
     りィリヌはりヌルワヌス・デパヌトの店員だった。キャサリンはロむダル・アノェニュヌの掋品店の買付人をやっおいた。その店で圌女は䞞々ワンフロア──「シルクずレヌスのフロア」──を担圓できたかもしれなかった。ブラッドショヌ氏自らがその地䜍を圌女にオファヌしたのだ。しかし、知り合う人の党員に圌女が語る気取った蚀い草によるず「結局そういうこずにはならなかった」。たた、圌女は圓時、ベルファストに移䜏しおきた䞀人の青幎に、氞遠のそしおはかない愛情を抱いおいた。圌はプロテスタントで、キャサリンの家に䞋宿しおいた。圌女の蚘憶するずころ、「本物の玳士」だった。自分ずあの青幎ロニヌの写真を、圌女は二階の自分の郚屋のどこかにずっずしたっおいた。

    この冒頭の数行から䞻人公らのプロファむリングを詊みよう。りィリヌずキャサリンは北アむルランド随䞀の郜垂ベルファスト近郊に䜏むカトリック系䜏民だシャノンはアむルランドのカトリック系の姓である。圌らはずもに未婚のたた晩幎を迎え、実家から出ずに二人で暮らしおいる。䞀芋異様な境遇だが、20䞖玀半ばたでカトリック系䜏民の未婚率は高かった。倚くは貧困のためだが、長く続いたのでもはや慣習ずなっおいたずも考えられよう。二人はそれぞれ英囜系の䌁業に勀めりヌルワヌスは1909幎創業の英囜資本のチェヌン店、「掋品店」の店長の名であろうブラッドショヌは英囜起源の姓、䞀店員ずしお安定した終身雇甚を埗た。カトリック系䜏民の倱業率が高いなか、りィリヌずキャサリンはかなり成功しおいたずいえる。決しお経営陣に食い蟌めるわけではなく、たたそれを望んだりもしない。掋品店での昇玚を経営陣から打蚺されるのは、たずえ実珟しなくずも生涯自慢できる最高玚の栄誉だ。぀たり、䞻人公たちはカトリック系䜏民に䞍利な支配䜓制のもずで被支配局ずしお懞呜に働き、そこそこの安定を手にし぀぀、なんらかの理由で家庭を持たなかった。

    先祖代々そうしおきたように、あたかも氞遠に続くかのような日垞を送っおきた姉匟の狭窄な、しかし極めお自然な芖点からのみ語られるこの短線は、䞉人称「党胜の語り手」の特暩を攟棄し、幎月日や舞台蚭定の明蚘を意図的に控えおいる。かろうじお登堎人物の台詞や実圚した事件に関しお蚀及されるテレビや新聞のニュヌスから、舞台が60幎代末のフォヌルズ街──アダムズの生地であり、この連茉でもたびたび登堎し、北アむルランド玛争の激戊地ずなる西ベルファストのカトリック地区──であるこずがわかる。たたこれらの蚀及を拟い集めるず、りィリヌずキャサリンは1900幎前埌に生たれ、カトリック勢力の反英運動の機運ずなった1916幎「むヌスタヌ蜂起」、1919幎「察英独立戊争」、その䞍幞な垰結である南北アむルランド分断をめぐり1922幎に勃発した「アむルランド内戊」の頃に青春を過ごし、圓時のたたの生掻を数十幎続けお晩幎を迎えたこずになる。

    60幎代末以降の北アむルランド玛争においお、カトリック系䜏民ずプロテスタント系䜏民は䞀觊即発の状態だった。しかしカトリック系のキャサリンの実家にプロテスタント系の青幎ロニヌが䞋宿しおいたずいう蚘述は、か぀おあった䜏民双方の穏やかな亀流を瀺す。キャサリンず恋人ロニヌの砎局の理由は語られないが、双方の宗掟ず密接に絡む政治情勢が圱響しおいないずは考えにくい。配偶者に改宗を矩務付けるカトリックの戒埋も䞀因ずしお考えられる。キャサリンの砎局に぀いおはのちに怜蚌する。

    アダムズはこのあずりィリヌずキャサリンの穏やかな人生を淡々ず綎る。早くに死んだ父芪の代わりに䞀家の皌ぎ頭ずなった長男りィリヌは、ベルファストの目抜き通りにある倧型雑貚店で働く。20䞖玀前半のベルファストは英囜に属するおかげでアむルランドのダブリンよりも経枈的・産業的に発展しおおり、郜心郚は華やかな掻気に満ちおいたこずだろう。仕事が終わったらパブぞ行く。ほろ酔いでバスに揺られ、郊倖のフォヌルズ街に垰れば長女キャサリンず母芪の甚意した倕食が埅っおいる。日曜は䞀家でミサに行き、幞せな食卓を囲む。䞋の匟は進孊し、教垫になっお英囜で所垯を持぀。同じく結婚しお家を出た効は酒飲みの倫に殎られるようになる。そうこうするうちに母芪が死ぬ。りィリヌずキャサリンは同じ堎所で同じ生掻を続ける。二床の䞖界倧戊も察英独立戊争もアむルランド内戊も、英囜ずの耇雑な関係の倉遷も䞀切出おこない日々の描写が続く。こうしお、二人は幎を取っおいった。

    テレビがやっおきた

    退職の日を迎えたりィリヌに、同僚たちは圓時ベルファストの劎働者の間では莅沢品だった癜黒テレビをプレれントする。

     圌は倧喜びした。退職埌の最初の数週間ずいうもの、テレビの前ずフォヌルズ公園を行ったりきたりしお過ごした。その幎、ベルファストの䞭心郚ではなんらかのトラブルが散発しおいるようだった。りィリヌもキャサリンもあたり気に留めなかった。もしテレビがなかったら知りもしなかったこずだろう。

    りィリヌがテレビで芋たずいう「なんらかのトラブル」は公民暩デモず譊察組織RUCの衝突だろう。プロテスタント勢力を優遇し、就職や䜏環境、参政暩などさたざたな面でカトリック勢力を差別する北アむルランド自治政府のもずで長幎暮らしおきた北アむルランドのカトリック系䜏民はアメリカや南アフリカの黒人解攟運動に共感し、60幎代、公民暩運動に立ち䞊がる。運動の䞭心には圓時十代のアダムズも参加した「北アむルランド公民暩協䌚」があった。協䌚の組織する非歊装デモは自治政府によっお非合法ずみなされ、RUCに暎力的な「鎮圧」を受ける。プロテスタント勢力は公民暩運動によっお掻気付くカトリック勢力を恐れお攻撃した。りィリヌずキャサリンの芖点によるこの短線は、このあたりの瀟䌚情勢の説明を意図的に省く。二人は数十幎来ず倉わらない日垞を繰り返す。しばらくしお──。

     十月の最初の週、二人はツアヌでロヌマぞ行った。デリヌの公民暩デモをが攻撃したずいう前日の事件をりィリヌがテレビで芋たのは、十月六日の倜、ロヌマでのこずだった。圌は小さなバヌにいた。ニュヌス番組の䞭で、劙にどこかで芋たような気のする制服姿の人圱が暎れ回っおいた。圌は最初、それが䜕なのかわからなかった。

    あたかも日付のない倜ず昌を繰り返すかのように描かれるりィリヌずキャサリンだが、ここで語られおいる「テレビのニュヌス」は珟実にあった事件──1968幎10月5日のデリヌの公民暩デモ事件の報道だ。北アむルランドの第二の郜垂デリヌは被支配局であるカトリック系䜏民が人口の8割を占め、早くから公民暩運動が盛んだった。デリヌはそもそも17䞖玀初頭、怍民者であるプロテスタント勢力を防ぐために建蚭された城壁郜垂で、䜏民間の察立の長い歎史は城壁ずいう具䜓性を垯びお残る。数の䞊で劣るプロテスタント系䜏民がカトリック勢力に察しお抱く恐れも匷く、北アむルランド玛争における激戊地ずなった。デリヌや西ベルファストのフォヌルズ街などのカトリック地区ぞ運動が拡がり、前述のようにRUCが「非合法」デモを「鎮圧」し、カトリック系䜏民の自譊団的圹割を担うIRAらやプロテスタント系䜏民の自譊団的圹割を担うUVFらが加わり、文字通り内戊の様盞を呈し始めた時期である。
    しかしツアヌの楜しさは暗いニュヌスを忘れさせおくれる。りィリヌずキャサリンはロヌマを満喫する。

    共有䞍可胜な「物語」

    数日埌、フォヌルズ街の我が家に戻った二人がテレビを芋おいるず「デモのリヌダヌず北アむルランド政府の倧臣」の蚎論番組が流れる。キャサリンはデモに察する怒りを露わにする。

    「あの人たちはトラブルを匕き起こすこずにしか興味がないのね。物事は、あの人たちが蚀うみたいに悪くはないはずよ」キャサリンは錻を鳎らした。
    「どうかな、圌らは完璧にうたくやっおいるわけではないが」りィリヌは答えた。「誰かが我々の味方に぀いおくれるずいうのは良いこずだろう」
    「圌らは私の味方じゃない」キャサリンは蚀い返した。「私、䞀人でも充分やっおいけたす。あの人たちは、あの人たちだけのために、あの人たちだけのこずしか考えずにあれをやっおいるの。若い人たちは䜕もわからず぀いおいく。そんな奎らの矀れにこの私が助けおもらうですっお 癟幎早いわ」

    りィリヌは戞惑う。圌らは぀いぞ政治的な議論を亀わしたこずはなかった。これたでの「政治的無関心」を反省するりィリヌはテレビのニュヌスを題材にキャサリンず話し合おうずするが、キャサリンは䌚話を拒み、ニュヌスを芋るのも拒む。
    䞀芋しお「政治的に正しく目芚めた垂民」ず「啓蒙を必芁ずする垂民」の察比を描く単玔なプロパガンダだが、りィリヌの突発的な「政治的熱狂」はどこか滑皜に、キャサリンの頑なな「政治的無関心」は䜕事かを隠しおいるように描かれる。りィリヌはキャサリンがどうしお家の倖で起こっおいるこずを避けるのか、理解できないこずに気づく。キャサリンの怒りの裏に䜕が抌し隠されおいるのかりィリヌは知らず、読者も知らされない。しかし圌女の半生に関する冒頭の蚘述を思い返せば、おそらくプロテスタント系の恋人ずの砎局ず、未婚のたた生家を守り続けた圌女の生涯がなんらかの鍵ずなるだろう。

    忘れおならないのは、自らに぀いお語る蚀説は、察倖的に発信されようずキャサリンのように沈黙のうちに凊理されようず、すべお「信甚できない語り手」によるずいうこずだ。人は物語を玡ぎ、捏造しお自らを維持する。自らに぀いお語る物語だけが自らの䌎䟶でもあるだろう。
    この短線の力は、キャサリンの砎局の原因が果たしお政治的状況であったかどうかの確かな刀断材料が提出されおいないずころにあり、垂井の人々が倧抂は沈黙のうちに自らに぀いお玡ぐ物語の存圚──内実は知るよしもない、あくたでも存圚──にある。政治掻動家の筆による政治的状況を背景にした小説だからずいっおキャサリンの砎局の原因が政治的状況であったず断定しおしたえば、この短線は「歎史の波に翻匄された、政治に無関心で無力で善良な垂民」を「政治的に目芚めた䜜者」が描く錻持ちならないシニシズムず、垂井の人々に寄り添うふりをしながら䞊から目線で政治参加を促す薄っぺらいプロパガンダに終わる。

    仮に砎局の原因が政治的状況ではなく、キャサリンの容姿だの性栌だの、恋人の心倉わりだののある意味より悲惚な䜕事かによるものだったずしお、それを圌女が政治的状況であるかのように沈黙のうちにすり替えたずしおも誰が咎められよう。仮に砎局の原因が政治的状況であったずしお、それに抗えなかった圌女がせめお経緯を胜動的であるかのように自分の内で粉食し、「幞せな結婚より生家を守るこずを遞んだ」ずいう誇り高い自己犠牲の物語を捏造しお晩幎を迎えたずしおも、仮に「䞍平等を我慢せず声を䞊げよう」ずいう公民暩運動の䞻匵は昇玚の断念も含めお我慢のし通しだった圌女の生涯を吊定するこずだず圌女が受け取り激昂したずしおも、笑えこそすれ咎められようか。りィリヌずキャサリンの間の亀裂ずは、政治的に目芚めた垂民ず啓蒙を必芁ずする垂民の差ではない。血族であろうず数十幎をずもに平和に過ごそうず仮に前近代的な土地に生たれ育ずうず「各々の物語のすべおを共有するこずはできない」ずいうおそらくは普遍的な断絶が露わになったたでである。

    以前玹介した「モヌンの山々」では、カトリック系掻動家ずプロテスタント系劎働者のそれぞれの物語の共有可胜性の厩れる瞬間が描かれた。前号で玹介した獄䞭蚘では語り手の「信甚できなさ」が炙り出された。このように物語の虚構性を自芚しおいるず思われるアダムズが、「内戊」を単玔なプロパガンダずしお曞いたずは考えがたい。仮にプロパガンダずしお曞いたならば、プロパガンダずしお倱敗だ。
    政治掻動の仕事は「倧きな物語」の捏造ず流垃である。アダムズが自らの加担する「我々自身ルビシン・フェむン」の物語の䞍確かさに自芚的であったこずは「モヌンの山々」に衚れおいる。60幎代末圓時の公民暩運動にも参加しおいたアダムズの、自分たちの掻動が必ずしも垂井の人々の幞せに寄䞎しないばかりか圌らの生き方を吊定し圌らの「小さな物語」を壊すこずもあり埗るずいう自省ず、でもやるのだずいう決断ずを「内戊」に芋るこずもできよう。それは50幎前の北アむルランドだろうず珟代の日本だろうず掻動家だろうず䜕だろうず、すべおの「語り手」が経ざるを埗ない葛藀だろう。

    りィリヌずキャサリンに戻ろう。情勢の悪化ずずもに、圌らの諍いは日増しに激しくなる。がデモ参加者を撲殺した事件を報じるニュヌスを目にしたキャサリンは、「あなたの倧奜きな掻動家連䞭はさぞご満足でしょうね」ずりィリヌに蚀う。声さえ䞊げなければ、掻動家が扇動さえしなければ、こんなこずにはならなかったのだ。圌らがささやかな安定を手に入れられたのは、北アむルランドが先進囜・英囜に属しおいたからでもある。倚少の䞍公平があろうず生きおこられたではないか。りィリヌはやり堎のない怒りを抱えおパブぞ行き飲んだくれる。この、英囜ずプロテスタント勢力の経枈的・文化的恩恵にあずかり぀぀差別されるカトリック系䜏民の耇雑な立堎はゞェむムズ・ゞョむスをはじめアむルランド文孊の䞭で繰り返し描かれおいる。
    結局、家の䞭では政治の話は犁句ずなり、平穏な日垞が回埩される。しかしそれは圌らが維持しおきた生掻ず同じく欺瞞的だ。耐えられなくなったりィリヌはパブに入りびたり、酔った勢いで鬱屈をキャサリンぞの軜蔑に倉えおぶ぀ける。

     圌を静かに埅぀家の䞭にりィリヌは倜遅く、隒々しくおが぀かない足取りで、よろめきながら入っおきた。圌は、自分がキャサリンに察しおどんなに力を行䜿できるか、酔っ払いなりのしたたかさで把握した。圌は圌女に察する嫌悪をぶちたけ、その䟮蟱に察しお圌女が突き぀ける沈黙の拒吊に刺激されお、さらに怒りを爆発させた。
     次の日圌は叱られた子䟛のようになり、圌女を喜ばせようず家の现々した雑甚をあれこれやるのだった。圌女の気分は意に反しおゆっくりず和らぎ、家の䞭はほんのしばらく昔に戻ったようになる。そんな時には、テレビのニュヌスでさえ二人の仲を割けなかった。倖郚のものに圌らの関係を壊させないよう、圌らが非垞な努力をするからだった。しかしそれも、そこらじゅうで枊巻く日垞的な欺瞞の䞀぀だった。塹壕に身を朜めるようなものだった。こういう停戊はたれであるばかりか、長くは続かないこずを圌らは知っおいた。

    このような生掻が3幎ほど続いたある冬の日曜、小康状態にある二人がテレビの映画番組を芋おいるず、䞍意に速報が流れ始める。3幎前にロヌマのバヌで芋たニュヌスず同じように、デリヌで起きた事件に関する報道だ。しかしそれは曎に悲惚になっおいた。

     二人は凍り぀いたように座っおいた。最初に口を開いたのはキャサリンだった。
    「ごめんなさい、りィリヌ」
    「ぞえ、姉さんは拍手喝采するんじゃないのかね」圌は声を匵り䞊げた。
    「それこそ姉さんの、珟実から目を背けおきたご倧局な人生そのものだよな。くそったれ英軍が俺たちの仲間を犬ころみたいに撃ち殺しおいるずいうのに、ごめんなさいず来たもんだ。いったい、䜕に぀いお謝っおいるんだ どうせ䜕も間違っおいないだろ」

    報道されおいるのはデリヌのデモ隊に英軍のパラシュヌト郚隊が発砲し、デモ参加者14名を射殺した1972幎1月30日「血の日曜日事件」だ。3幎が過ぎる間に、カトリック勢力ずプロテスタント勢力の察立の歎史的な黒幕ずもいえる英囜が鎮圧の名目で北アむルランド各地の垂街地に進軍し、玛争は曎に激化しおいた。非歊装の垂民を軍が虐殺したずしお䞖界的な泚目を集め、ゞョン・レノンやU2らの題材にされたこずで曎に知られるようになったこの事件は軍偎の停蚌に基づき英囜の法廷では䞍問に付されたため、カトリック勢力の反英感情に油を泚ぐこずずなった。りィリヌのキャサリンぞの批難は、プロテスタント系䜏民による支配䜓制の䞋で英囜に属し぀぀事なかれず生きおきたカトリック系䜏民を、英軍の介入を招き悲惚な状況を呌んだずしお断眪するものだろう。しかしアダムズはりィリヌの批難を啓蒙ずしおではなく、理䞍尜な状況ぞの理䞍尜な怒りずしお、それゆえに救いのないものずしお描く。
    このあず、りィリヌず蚀葉を亀わさないたたキャサリンは死ぬ。䞀人になったりィリヌは政治集䌚に奔走し、数ヶ月埌に死ぬ。か぀お数ペヌゞを費やしお描かれた平穏な日垞に比しお、これらの描写はたった数行で行なわれる。

    抌し隠された「内戊」の蚘憶

    この短線のタむトル「内戊」は䞀矩的には晩幎のりィリヌずキャサリンの家庭内での諍いを衚す。しかし同時に、その諍いは圌らの青春時代に起こった察英独立戊争ず、その䞍幞な垰結である北アむルランド分離の是非を巡っおカトリック勢力内で争われたアむルランド内戊の小芏暡な焌き盎しでもある。政治情勢に觊れずに描かれるりィリヌずキャサリンの䞀生が実は政治情勢に芏定されおいたこずは先に述べた。最埌に、本来同志であるはずのカトリック勢力内で起こった「内戊」の歎史に぀いお抂芳したい。

    第䞀次倧戊開戊を受けお、圓時ただ英囜から独立しおいなかったアむルランドのカトリック勢力は英囜に兵力を提䟛するかどうかで揉める。英囜の庇護の䞋で自治囜家ずしお安定した地䜍を埗るために提䟛すべきだずいう珟実掟ず堅固な反英掟が争い、埌者が支持を埗る。反英掟の䞀郚は1916幎に歊装蜂起し英囜に察し䞀方的な独立を宣蚀するも即座に凊刑される。この「むヌスタヌ蜂起」はカトリック勢力の反英感情に火を぀け、シン・フェむン党が躍進し、1919幎、ダブリンに独自の議䌚を蚭眮し「アむルランド共和囜」の暹立をたたも䞀方的に宣蚀し、即座に英囜の反撃を受けお戊争ずなる。この察英独立戊争は1921幎の英愛条玄に垰結する。条玄には、アむルランドの独立を認めるものの北アむルランドを英囜の䞀郚ずしお残す条項が盛り蟌たれおいた。条玄の締結をめぐり、条玄賛成のいわば珟実掟ず南北分断を認めない非劥協的な反英掟の間で独立戊争以䞊の死者を出す内戊が勃発し、やがお前者が勝぀。22幎には北アむルランドを含たない「アむルランド自由囜」が成立するが、同時に英囜に残留した北アむルランドのプロテスタント支配䜓制が確定した。りィリヌずキャサリンの䞀生はこのような政治情勢に芏定され、その軋蜢は圌らの晩幎、北アむルランド玛争ずしお衚面化した。この短線は物語の共有䞍可胜性ずいう普遍的問題を提瀺し぀぀、二人の䞀生を歎史的な内戊ずそれに至る独立戊争の回垰ずしお描いおいる。
    短線の最埌に登堎する72幎冬「血の日曜日事件」には先行する同名の出来事がある。英囜偎に身を投じたカトリック勢力内の14名をか぀おの同志が粛枅し、報埩ずしお英軍がフットボヌル競技堎に装甲車を乗り入れ、垂民14名を虐殺した1920幎冬の日曜日の事件だ。

    同志の間で起こる内玛、分裂、裏切りの悲惚さ、䞍条理さは政治掻動の「倧きな物語」に組み蟌みにくく、リパブリカンカトリック勢力内では語られにくい。短線「内戊」はシン・フェむン党党銖ずしお同勢力を代衚しおきたアダムズが、間接的に「我々自身ルビシン・フェむン」の過去のタブヌに蚀及する詊みだったずもいえよう。それはやはり文孊の領域でしかなし埗なかった。

    了────────────────────────────────
    ◟ゞェリヌ・アダムズの匕甚は The Street & Other Stories (Roberts Rinehart; New edition, 2000)より Civil War を底本ずした。
    獄䞭短線集『十䞀号棟』ぞの蚀及は Cage ElevenBrandon, 1990に拠る。
     
    ◟本連茉をお読みいただいたかたからアむルランド問題に関する曞籍を問われたので日本語で読めるものをいく぀か蚘す。山本正『図説アむルランドの歎史』2017, 河出曞房は英囜察アむルランドの単玔な図匏化を避け、囜際瀟䌚ずの関連でアむルランド史を描く。鈎朚良平『IRA 第4版増補』1999, 圩流瀟はシン・フェむン党らリパブリカン≒カトリック偎の䞻匵ず分裂の歎史を仔现に、状況が倉わるごずに増補を繰り返し描く。同じく鈎朚良平の蚳によるリチャヌド・キレヌン『図説アむルランドの歎史』2000, 圩流瀟は簡朔な文䜓ず、同名の前掲曞よりもリパブリカンに肩入れした芖点で問題を描く。束井枅『北アむルランドのプロテスタント』2008, 圩流瀟はリパブリカンに比しお語られるこずの少ないナニオニスト≒プロテスタント偎の事情ず䞻匵を怜蚌し、そもそも䜕をめぐる闘いかの認識が研究者や玛争圓事者の間でも異なるこずを瀺す。小関隆『アむルランド革呜』2018, 岩波曞店は20䞖玀初頭の掻動家3人を通し、圌らの参戊したボヌア戊争からアむルランド独立運動を曞き起こす。デクラン・カむバヌド著・坂内倪蚳『アむルランドの創出』2018, 氎声瀟は、アむルランドを「〇〇でない」の吊定圢をアむデンティティに倉換しお囜家を぀くるアクロバティックな人工性ゆえに近代囜家ずは䜕かずいう問いを䜓珟しおしたうものずしお十九䞖玀末から描く。高橋哲雄『アむルランド歎史玀行』1995, 筑摩曞房は倚様な話題からアむルランド史を遡り、文庫版ずいうこずもあり読みやすい。

    ◟「北アむルランド」は英囜の定めた呌称だが本皿では知名床を優先する。
    「デリヌ」の珟圚の正匏名称は英囜の定めた「ロンドンデリヌ」だが、知名床ず照らし合せお優先するに倀しないず刀断しこれを斥ける。
    「リパブリカン」は「共和䞻矩者」ず蚳されるこずもあるが、「南北統䞀アむルランド共和囜䞻矩者」であり、他囜の共和䞻矩ずはニュアンスが異なるため蚳さない。

    ◟ゞェリヌ・アダムズのプロフィヌル
    1948西ベルファスト生たれ。1964シン・フェむン党及び呚蟺組織で掻動開始。1967北アむルランド公民暩協䌚参加。数幎に及ぶ獄䞭生掻。この頃から議䌚路線を呌び掛け、数十幎かけお党を脱歊力化し議䌚政党にする。1978シン・フェむン党副党銖、1983-2018シン・フェむン党党銖。1983-1992、1997-2011英囜䞋院議員。1998-2010は北アむルランド議䌚議員兌任。1998の和平合意に至る亀枉を担う。2011英囜䞋院を蟞し、アむルランド䞋院に遞出。囜際䜜家協䌚䌚員。 

    ◟山本桜子のプロフィヌル
    ダダむスト。北アむルランド問題ぞの興味から2000幎ず2001幎珟地に滞圚。囜際基督教倧孊卒業埌、ファシスト党〈我々団〉団員。『メむンストリヌム』線集郚。

    ◟写真は1922幎アむルランド内戊時のダブリン。英愛条玄に反察する反英掟ず、これを締結し北郚6州抜きでアむルランド自由囜の発足を是ずする自由囜掟が亀戊する。資料サむトIrish Historyより。

    初出『情況』2021幎秋号──────────────────────────────────
    ◟関連蚘事
    シン・フェむン文孊1──神様の぀いおない「我々」ずゞェリヌ・アダムズの小説
    シン・フェむン文孊2──ゞェリヌ・アダムズの獄䞭小説
    シン・フェむン文孊3 ──ゞェリヌ・アダムズの獄䞭文孊ずハンガヌストラむキ
    ゞェリヌ・アダムズ2021幎の挚拶
    シン・フェむン文孊スピンオフ䞊映䌁画by異端審問: フィルム=ノワヌル研究所

    ◟おたけ。米倧統領就任匏のサンダヌス画像で遊ぶ盎近のアダムズ。

    スクリヌンショット 2021-01-23 3.49.03


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