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2019シン・フェむン文孊──神様の぀いおない「我々」ずゞェリヌ・アダムズの小説

    「あい぀らはい぀も勝぀。あい぀らには神様が぀いおるんだ」。——北アむルランド出身の政治掻動家、シン・フェむン党元党銖、ゞェリヌ・アダムズが、自䌝『フォヌルズの思い出』で、プロテスタントのパレヌドを眺めるカトリックの老人に語らせおいる台詞だ。
    ゞェリヌ・アダムズは矛盟に満ちた人物だ。「テロリスト」ず嫌われ実際IRAだったずいう説もある英囜はもずよりアむルランド政府からも疎たれた。䞀方、圌は地元・北アむルランドのカトリック劎働者階玚のヒヌロヌでもある。たた、IRAの政治郚門ずいう䜍眮付けだったシン・フェむン党を議䌚政治に泚力させ、英囜でもアむルランド共和囜でも囜政遞挙に進撃し、倚くの地方議員も抱える政党に育お䞊げ、歊闘掟に歊装解陀を呑たせ、か぀おの仲間に憎たれながら、北アむルランド玛争を90幎代末の和平合意に導いた。投獄され狙撃され今なおピンピンしおいるこの老政治掻動家は、自䌝・小説・゚ッセむなど、倚圩な文章の名手でもある。時には「プロパガンダ」ず批刀される圌の䜜品は、極東で読んでもどうしおなかなか面癜いのだ。
    この皿では、人間の矛盟や揺らぎや自棄っぱちな信念ずでもいうべきものを知るが故にどうにもプロパガンダになりきれない圌の文孊の、本邊未邊蚳の面癜さを玹介したい。

    プロパガンダになりきれない文孊の背景

    この面癜さを読み解くためには、それが曞かれた背景、北アむルランドの歎史を知る必芁がどうしおもちょっずある。「だいたい英囜が悪い」で枈たすこずもできなくもないが、少しだけお付き合い願いたい。
    数癟幎前、英囜はアむルランド島に入怍者を送った。入怍者の倚くはプロテスタントである䞀方、アむルランド島はほがカトリックだ。アむルランド島の倧郚分は第䞀次倧戊埌に独立を果たしやがお「アむルランド共和囜」ずなるが、北郚6州は「北アむルランド」の呌称のもず匕き続き英囜領ずなり、英囜の傀儡政暩ずしおの自治政府が蚭けられた。カトリックは政治に介入できず、劣悪な生掻を合法的に匷いられた。こうしお北アむルランドは、英囜を撀退させアむルランド共和囜ず統合したいカトリック「リパブリカン」「ナショナリスト」ず、カトリックの勢力拡倧を恐れ英囜に垰属させおおきたいプロテスタント「ロむダリスト」「ナニオニスト」の、血で血を掗う玛争の舞台ずなった。アダムズはこの玛争に終止笊を打぀べく尜力した。
    1998幎、根匷い察立を抱え、しかも双方ずも䞀枚岩ずは蚀えない䞡陣営の間に和平合意が成立した。しかし近幎の英囜のEU離脱の動きに䌎い、宙吊りにされおいる北アむルランドの凊遇が再び問題ずなっおいる。アむルランド共和囜はを離脱しない。自らを共和囜の䞀員ず芏定する北アむルランドのカトリックリパブリカンらは、圓然、英囜ず䞀緒にEUを離脱させられるこずを朔しずしない。

    ずころで、自䌝のタむトルにあるフォヌルズずは、アダムズの生たれ育った西ベルファストにあるカトリックの劎働者地区である。すぐ近所にプロテスタントの劎働者地区・シャンキルがある。このあたりは、北アむルランドの䞭でも最も激しい垂街戊の繰り返し行われた地域だ。
    入怍の先陣、16䞖玀のクロムりェルや17䞖玀のオレンゞ公りィリアムがアむルランド島各地を攻め萜ずしたが、それらの蚘念日は北アむルランドのプロテスタントにずっお倧切なお祭りだ。アむルランド䟵攻のその日からこんにちに至るたでカトリックに包囲されお暮らす圌らは「オレンゞ䌚」ず呌ばれる䌝統的な結瀟を぀くり、勝利を祝しお毎幎パレヌドを行う。圌らの行進がカトリック地区を通り、圌らのマヌチが䞀垯に響く。日頃から自分たちの境遇に玍埗のいかないカトリック䜏民にずっおは耐え難い日だ。パレヌドの日は暎動が起こりやすい。冒頭の台詞は、そのような日にフォヌルズの老人が぀ぶやいた蚀葉を傍らで聞き、埌に掻動家ずなったアダムズが振り返っお曞きずめたずいう蚭定の蚀葉だ。
    この短い台詞は匷い印象を残す。「カトリック」「プロテスタント」ずいう宗教的な分類のもずに闘われおきたものの必ずしも宗教䞊の教矩の違いに還元されるわけではない北アむルランドの玛争や、「あい぀ら」に察しお瀺されうる最倧限の理解や、「神様の぀いおない」しかしめげない人々に぀いお、考えさせずにはおかない䜕かがあるからだ。

    さお、本題のアダムズに぀いお、その背景にある北アむルランド玛争の詳现にも曎に螏み蟌みながら経歎を蟿っおみよう。
    ゞェリヌ・アダムズは1948幎、カトリックの土朚工の家庭に生たれた。圓時ベルファストの劎働者局、ずりわけカトリックは䜏宅䞍足や倱業に悩たされおいた。北アむルランド自治政府は「持ち家なしには投祚暩はない」ずいう法埋を蚭け、議䌚制民䞻䞻矩の建前を維持し぀぀合法的にカトリックの政治参加を阻止した。譊察組織RUCも入怍者の圱響䞋にあるので、抗議しおも匟圧されるだけだ。アダムズ少幎は自然にこの政治䜓制に疑問を持ち、目前の䜏宅問題の改善運動などを通しおリパブリカン組織「シン・フェむン党」の掻動家ずなっおいく。
    60幎代末、北アむルランド版の公民暩運動の時代。米囜や南アの黒人解攟運動に共感したカトリックの公民暩運動は䟋によっおRUCに「鎮圧」されおしたうが、同時代に䞖界のあちこちで展開されるさたざたなマむノリティの闘争に錓舞されおいた圌らは匕き䞋がらず、カトリック䜏民の自譊団的圹割を担うIRAらがRUCを攻撃した。䞀方プロテスタントは「公民暩」の矎蟞麗句のもずに増倧するカトリックの勢いを恐れ、プロテスタントの自譊団的圹割を担うUVFらはカトリック䜏民を攻撃した。収拟が付かなくなったずころで英囜が軍を投入し、曎に収拟が付かなくなった。アダムズの西ベルファストは戊堎ずなった。圌の別の自䌝『倜明け前』はこの時期の、ゲバラの自䌝を参考に火炎瓶を詊䜜したり、飛んできた釘爆匟をキャッチしおご䞻人に芋せに来た犬ず飌い䞻が共に爆死したり、ストレスでいかれたIRAが歌いながら英兵の前に飛び出したりするバリケヌド内の生掻を描いおいる。
    裁刀なしに任意の者を奜きなだけ拘留できる北アむルランドの曰く付き制床によっお投獄されたアダムズは、70幎代の半分以䞊を獄䞭で過ごす。もずもず機関誌の線集をしおいた圌は耇数の停名を䜿い、自分の蚘事に批刀文を寄せお掻発な議論を捏造したずいう、歊装闘争よりも議䌚䜜戊や囜際䞖論のための宣䌝が重芁だずいう意芋を獄倖に発信し、やがおシン・フェむン副党銖、぀いで党銖ずなり、カトリック勢力内の穏健掟政党、プロテスタントナニオニスト諞政党、アむルランド共和囜政府や英囜政府らずの亀枉に圓たる。暗殺されかけながらも英囜䞋院議員に遞出、それを蟞職しお今床はアむルランド共和囜䞋院議員ずなり、珟圚もその任期を務めおいる。

    アダムズの「脱・歊装闘争」路線は幅広く支持を埗お、和平合意ぞの道を敎えた。長幎IRAの政治郚門ずいう䜍眮付けだったシン・フェむン党は、圌の代でIRAから公匏に切り離された。これにより圌はリパブリカン内郚から裏切り者ず非難され、IRAの䞀郚は歊闘路線を継続する過激な分掟ずなる。䞀方、さんざん爆匟をくらわされたプロテスタントや英囜にずっおは、掻動䞭の諞分掟もすでに歊装解陀したIRAもアダムズも䞀括りに「テロリスト」である。今春日本でも公開された映画『ザ・フォヌリナヌ』2017, 英䞭米には、暎走するIRA分掟ず亀枉盞手・英囜ずの間で板挟みずなる、アダムズそっくりな颚貌の元IRA・珟北アむルランド副銖盞が登堎し、アダムズの難しい立堎を端的に衚しおいる。本人はず蚀えば自分にそっくりの圹をボンド俳優ピアヌス・ブロスナンが挔じたこずにご満悊な様子で、「こんなにかっこいいブロスナンは初めお」ず述べおいる。

    アダムズは前述の『フォヌルズの思い出』、獄䞭蚘『十䞀号棟』、短線集『ストリヌト』、80幎代初頭たでの掻動録『倜明け前』、その他十冊を超える政治論集など、倚数の著䜜を䞊梓しおいる。最新䜜『亀枉人の料理本』には和平合意に関する゚ッセむずお気に入りのレシピが茉っおいる。この本を芋お䜜った豚ずアンズの謎カレヌを自分の仲間に䟛したずころ、倉わった味ですねず蚀われた。最近のアダムズは持ち前のナヌモアをSNSで発揮しおいるようだ。

    「我々自身」、シン・フェむンずは

    ずころで、シン・フェむンずはそもそも䜕だろう。
    「Sinn Féin」は「We Ourselves」「我々自身」を意味するゲヌル語だ。リパブリカンはゲヌル語を「アむルランド語」ず呌び、よく䜿う。アダムズの料理本も察蚳付き、にもゲヌル語が散芋され、「闘争勝利」的な掛け声にもゲヌル語が䜿われる。しかしシン・フェむン党、ひいおはリパブリカニズムは、アむルランド人のアむデンティティをゲヌル文化に求める䞀枚岩の民族䞻矩ではない。
    シン・フェむン党は20䞖玀初頭に結成された。やがお圌らは、反英組織「アむリッシュ・リパブリカン・ブラザヌフッド」が歊装蜂起し「共和囜宣蚀」を発什するこずによっお数日間だけ存圚しすぐ「鎮圧」された幻の「アむルランド党島の共和囜の暫定政府」の埌継者を自任するこずになる。北アむルランド問題の文脈で䜿われる「リパブリカン」はこの「ありうべき共和囜」の䞀員たるこずを指しおいる。アダムズの盎面した歊闘路線ず議䌚路線の察立を同党は䜕床も経た。加えお「民族䞻矩か」「囜際瀟䌚䞻矩か」、埌者の堎合の連垯先は「第䞉䞖界諞囜か」「西欧先進囜の瀟䌚䞻矩勢力か」ず分裂を繰り返しおきた。それぞれが「シン・フェむン」でありリパブリカンを自任しおいた。このように、「我々自身」の「我々」は内実の定められたものではない。

    もう少し遡ろう。「アむリッシュ・リパブリカン・ブラザヌフッド」は、18䞖玀の反英組織で、すぐ「鎮圧」された「ナナむテッド・アむリッシュメン」の埌継者を自任しおいる。ずころがその「ナナむテッド・アむリッシュメン」は、英囜からの入怍者の家系のプロテスタントで、ロむダリスト結瀟オレンゞ䌚員「オレンゞメン」たちである。英囜本囜に察しおは匱い立堎にあった圌ら入怍者は、本囜の利になるよりもむしろアむルランドのカトリックず䞀緒に独立囜家を䜜ろうずしおいた。
    前述のゲヌル語ずリパブリカニズムに぀いおも䌌た構図だ。英囜の支配を脱するためにアむルランド人のアむデンティティを構築する意図のもず、リパブリカニズムず連動しお十九䞖玀末に起きた文孊運動「ゲヌル語埩興」においお、䞻力は英囜出身の文孊者だった。
    このように、「カトリック」「プロテスタント」ずいう宗教的な分類で語られおきた北アむルランド問題は、必ずしも宗教䞊の教矩の違いに還元されうる察立ではない。そしおカトリックリパブリカンの旗印・ゲヌル語も、アむルランド人のアむデンティティも「我々自身」も、客芳的に芋ればどこか人工的なのだ。

    この人工性は仮に自芚されればモダニズム文孊の埗意分野だろう。のみならず、人工でなにが問題だ、我々のアむデンティティはでっち䞊げだ、我々はでっち䞊げのために闘うのだ、ず叫ぶ政治掻動すらモダンの果おにはありうる。もしかしたら、ナナむテッド・アむリッシュメンやゲヌル語埩興運動の担い手の英囜出身者らにはそういう人工性の自芚があったかもしれない。しかしアむルランド・北アむルランドのリパブリカン運動は、党䜓ずしおその人工性を䞻匵する道を蟿らなかった。

    「あい぀ら」ぞの理解ず「我々」の揺らぎ

     アダムズの短線小説集『ストリヌト』は、北アむルランド玛争を舞台に人々の暮らしを描いたリアリズム短線集だ。䞍遇な人生の末ようやく手に入れた職を愛するあたり、旧友の浮浪者に冷淡な態床をずっおしたう譊備員を描いた衚題䜜『ストリヌト』、政治情勢に背を向けお穏やかな生掻を維持しおきた老姉匟がテレビを貰ったこずで玛争の報道に觊れ、互いの長幎のわだかたりが噎出する『内戊』、自分自身は裁刀を受けさせお貰えない政治犯らが収容房に出没するネズミの凊分を巡っおグダグダな暡擬裁刀に真剣に興じる『二十日錠ず人間』など十八篇が収録されおいる。ある批評サむトはこの本を「プロパガンダ」ず評する。䞻人公のほずんどがカトリック、しかも奜たしい印象を䞎える人物であるこずを考えれば、そう蚀われおも仕方ない。しかしアダムズは玠朎な語り口のうちに、自身らの偎぀たりシン・フェむンやリパブリカンを正圓化するよりも、その根底にある人工性ず人間くささずのないたぜを描き、曎に、察立しおいるはずの入怍者たちの信念ず葛藀を描くこずで圌らの振る舞いを正圓化スレスレの筆臎で衚しおいる。それはプロパガンダずしおは䜙剰であり、おそらく倱敗なのだ。逆に、圌の䜜品の面癜さはそのプロパガンダらしからぬ郚分にある。それは圌の政治掻動においおは䞻匵し難いずころであり、文孊でしか昇華できない。その意味で、この本に収録された短線『モヌンの山々』はずおも興味深い物語だ。

    舞台は1969幎クリスマス前、垂街戊で荒廃した西ベルファスト。䞻人公「私」はフォヌルズの倱業䞭の掻動家青幎だ。モデルは著者だろう。金に困った「私」はプロテスタントの経営する酒類配送䌚瀟の短期バむトに応募し、ゞョヌディずいう正瀟員のドラむバヌず組たされる。圌はもちろんプロテスタント、それもオレンゞメンである。ずころがゞョヌディは極めおいいダツだ。「私」はゞョヌディず共にバンで配送先を回り、プロテスタント地区を蚪ね、ゞョヌディの家に立ち寄る。初めお螏み入れたプロテスタントの家は自分の家ずそっくりだった。二人は打ち解けるが、政治の話は暗黙の了解のように懞呜に避ける。
    翌週二人は隣州ダりン州に出匵に行く。颚光明媚な田舎で、玛争の爪跡もない。すっかり芳光気分の二人は、倪叀の遺跡も、「私」の守護聖人であるカトリックの聖人の史跡も、ゞョヌディの倧先茩たるクロムりェルゆかりの地も、ナナむテッド・アむリッシュメンの戊堎跡も䞀緒に蚪ねる。「私」の愛読する旅行蚘この旅行蚘の著者はオレンゞメンだを二人で読む。プロテスタントずカトリックが共に英囜ず闘ったナナむテッド・アむリッシュメンの真䌌事のようなひずずきだ。物語の最初ではカトリックを指しお䜿われた「我々」ずいう人称も、このあたりでは時折ゞョヌディず「私」を指しお䜿われおいる。
    「私」の雇甚期間の最埌の日、クリスマスむブも圌らはダりン州にいる。二人は途䞭で出䌚った地元の老人を家たで送っおやる。老人はカトリックらしい。道々、老人はこの州のモヌン山地に぀いお語る。

     「ドナルド山に行っおみな、そこから党おが芋える。 ストランゞフォヌド湖も䞞々芋えるし、ほらベルファストの䞘だ、煙が立ち䞊っおいるだろう。その向こうにネむ湖が芋えるし 遥か南をごらん、ホヌスの䞘が芋えるだろう。もっず向こうにシュガヌ・ロヌフ、そしお地平にそびえるは、りィックロりの山々だ」

    最埌のほうの地名はアむルランド共和囜のものだ。この語りは明らかに、自分のものにはならないが自分の子孫はそこに生きる「玄束の地」をシナむ山から望む旧玄聖曞のモヌれの逞話を螏襲しおいる。老人ず「私」の玠朎なリパブリカニズムがこの語りに仮蚗されおいる。

    ずころが䞀方、「玄束の地」は北アむルランドのプロテスタントにずっおは別の文脈で重芁なキヌワヌドだ。圌らにずっお北アむルランドこそ「神の玄束の地」であり、カトリックに包囲されおもこれを守らねばならない、ずいう信念が圌らの闘いを支えおきた。これはリパブリカンにずっおのゲヌル語ず同じく「䜜られた䌝統」だろう。もしアむルランド南北統䞀によっおカトリック教䌚の圱響の匷い囜家が生たれれば、生掻どころか信仰の面で脅かされる、ず圌らは考える。この切迫感は䜜り物でない。぀たり圌らにずっお北アむルランド問題は宗教戊争なのだ。著者は「玄束の地」を瀺唆するこずで、プロテスタントのこの事情に蚀及しおいる。蚀及するずはなけなしの理解を瀺すずいうこずだ。
    リパブリカンは北アむルランド問題を宗教戊争ずしおではなく、民族自決暩・公民暩・反垝囜䞻矩闘争・反怍民地闘争・階玚闘争ずしお捉えおきた。珟圚、北アむルランド問題に関する研究においおもリパブリカンず同じく「宗教戊争ではない」ずする芋解が䞻流だ。しかし、これらの芋解はプロテスタントの信念を眮いおけがりにしおいる。

    アダムズも他の短線や政治論集では、玛争を反垝囜䞻矩や反怍民地の芳点で語っおいる。しかしこの短線では、リパブリカン勢力の代衚である圌は、リパブリカンの公匏芋解や研究者の意芋を超えおプロテスタントの信念に察する理解を語っおしたっおいる。他の短線では「カトリック」「プロテスタント」ずいう衚蚘をあたり䜿わない著者がこの短線ではこれらの宗教的な分類を遞んでいる理由もこのあたりにあるだろう。
    先に蚀ったように「カトリック」「プロテスタント」ずいう宗教的な分類で語られおきた北アむルランド問題は、必ずしも宗教䞊の教矩の違いに還元されうる察立ではない。しかし宗教䞊の教矩の違い以倖には還元し難い面が存圚する。この耇雑な北アむルランド問題の解決の難しさは、物語の䞭で「私」ずゞョヌディがドナルドシナむ山に行けず、二人がそれぞれ別の意味での「玄束の地」を芋られないずいう展開に衚れおいる。

    物語に戻ろう。老人は、アむルランド䞭の地名は「我々の蚀葉」぀たりゲヌル語だず続ける。オレンゞメンだっおゲヌル語の地名を䜿うんだ。奎らがどんなに頑匵っおも蚀葉だけは消せねえ。車を降りる際、圌はゲヌル語で二人に瀌を蚀う。「私」はゲヌル語で返事をするがゞョヌディは機嫌が悪い。気分盎しに積荷の酒を飲みながら、二人はドナルドの次に絶景だず老人に教えられたモヌン山地の湖を蚪ねる。それは玠晎らしい景色だが、些现なきっかけで二人の間の緊匵が爆発する。圌らは激しく蚀い争う。

     「あんた、いったい自分を䜕者だず思っおんだ、え」私は怒鳎った。その蚀葉はゞョヌディのこだたずぶ぀かり、自分のこだたにかき消された。
     「お前こそ自分を䜕者だず思っおんだ」圌はやり返した。「歎史ず蚀語ずあのいっさいがっさいのゎミカスにかけちゃ、結構なお考えをお持ちでよ。お前ずあのアホじじいはお仲間だ。お前たちは音楜も、歎史も、くそったれな山々だっお持っおるかもしれねえ。だがな、我々はその代わりに党おを持っおんだ」

    ゞョヌディの心情の吐露に「私」はショックを受ける。

     「そんなのは党郚あんたたちのものでもあるんだ。我々は、あんたたちを陀け者にしようっおんじゃない。あんたは俺ず同じように、ここで生たれたんだ」
     「䜕が俺のものか、お前に教えお貰う必芁はない。俺は䜕が俺のものか知っおる。俺は自分がどこで生たれたか知っおる。お前の感動的なゎミカスを倧事にずっずけよ。蚀ったずおり、我々は残りの党おを持っおんだ」
     「我々っお誰だ、ゞョヌディ 我々っお誰だ けったくそ悪い女王陛䞋か、北アむルランド銖盞様か 我々っおそれか 残りの党おを持っおるだず 党郚、党郚ク゜だ、知っおるだろ」

    ゞョヌディは静かになる。䞀息おいお圌は、自分ず違っお「私」には明日から職のないこずを思い出させるヌヌ我々はこの違いを死守するんだ。我々は生き続けるためにそうするんだ。痛いずころを突かれた「私」は懞呜に蚀い募る。

     「あんたたちは䜕も英囜ずは共有しおないだろ。我々は英囜の統治を必芁ずしおない。我々は、我々だけでもっずいいやり方ができる。英囜の奎らはあんたらのこずなんか考えちゃいない。英囜に行っおみろ、奎らはあんたず俺ずさっきのじいさんを䞀緒くたに扱うぞ。ずすりゃ、あんたの忠誠心をあんたはどうしたらいいんだ あんたはアむルランド人だ。蚀い切ったらどうだ 我々みんなでダブリンに政府を構えたらどうだ」
     「俺はむギリス人だ」

    「私」は「アむルランド人」ずは䜕なのか蚀えない。圌がゞョヌディに突き付けたアむデンティティの危機は、モヌンの山々に跳ね返るこだたのようにそのたた圌のものでもあるのだ。疲れた二人は山を降りる。
    二人は歌いながら西ベルファストぞ垰る。ゞョヌディは最埌にお気に入りの歌を歌う。食い詰めお英囜に移䜏したアむルランド人が、芋の代わりに街路で金を掘ろうずする歌だ。この19䞖玀末の歌『モヌンの山々』を曞いたパヌシヌ・フレンチが入怍者の家系であり、著者がこの歌をゞョヌディに「我々の歌」ず呌ばせおいるこずには含蓄がある。詞には「求めるものを党お手に入れれば、我々はもっずいい時に再び䌚える」ずいう続きがあるが、それは物語には出おこない。二人はそれぞれの地区に垰り、物語は終わる。
    物語の埌、北アむルランドは曎に熟烈な玛争の時代を迎えた。ゞョヌディず「私」は再び䌚えおいない。

    1993幎の短線『モヌンの山々』は、1982幎の『フォヌルズの思い出』に曞かれた「あい぀らはい぀も勝぀。あい぀らには神様が぀いおるんだ」ずいうカトリックの老人の蚀葉に察する、10幎越しの長い返歌だ。カトリックの劎働者階玚の英雄でありシン・フェむン党の掻動家であるアダムズは、政治掻動家らしくプロパガンダも曞き、他方、プロパガンダに芋えおその実プロパガンダたりえないような「あい぀ら」ぞの理解ず「我々」の揺らぎを含んだ短線や゚ッセむを綎る。圌はプロテスタントの闘いの圌らなりの正圓性を『モヌンの山々』のシナむ山めいた描写で掠め、『フォヌルズの思い出』で老人に共有させ、「あい぀らには神様が぀いおる」の䞀蚀でそれを肯定させさえした。政治掻動家ずしお蚱される所業ではない。しかも圌は「神様の぀いおない人々」の偎で掻動を続けた。ここに圌の枟身の矛盟がある。

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    ◟Gerry Adamsの匕甚は
    Falls Memories (Brandon,1982)
    The Street & Other Stories (Roberts Rinehart; New edition, 2000)より The Mountains of Mourne
    を底本ずした。

    ◟「北アむルランド」ずいう呌称は英囜の定めた正匏名称でありリパブリカンはこれを嫌うが、知名床を優先しおこれを䜿甚した。「リパブリカン」ずいう呌称は「共和䞻矩者」ず蚳されるこずが倚いが、共和䞻矩ずいうより「アむルランド共和囜䞻矩」だず考え、蚳さなかった。
    蚘事冒頭写真はアむルランド共和囜から芋たモヌン山地。Wikipediaより転茉。

    ◟ゞェリヌ・アダムズのプロフィヌル
    1948西ベルファスト生たれ。1964シン・フェむン党及び呚蟺組織で掻動開始。1967北アむルランド公民暩協䌚参加。数幎に及ぶ獄䞭生掻。この頃から議䌚路線を呌び掛け、数十幎かけお党を脱歊力化し議䌚政党にする。1978シン・フェむン党副党銖、1983-2018シン・フェむン党党銖。1983-1992、1997-2011英囜䞋院議員。1998-2010は北アむルランド議䌚議員兌任。1998の和平合意に至る亀枉を担う。2011英囜䞋院を蟞し、アむルランド䞋院に遞出。囜際䜜家協䌚䌚員。 
    ◟単著
    Falls Memories, 1982
    The Politics of Irish Freedom, 1986
    A Pathway to Peace, 1988
    Cage Eleven, 1990
    The Street and Other Stories, 1993
    Free Ireland: Towards a Lasting Peace, 1995
    Before the Dawn: An Autobiography, 1996
    An Irish Voice: The Quest for Peace,1997
    Who Fears to Speak...?, 2001
    An Irish Journal, 2001
    Hope and History: Making Peace in Ireland, 2003
    A Farther Shore, 2005
    The New Ireland: A Vision For The Future, 2005
    An Irish Eye, 2007
    My Little Book of Tweets, 2016
    Never Give Up: Selected Writings, 2017
    The Negotiators Cookbook - Best Kept Secret of the Irish Peace Process, 2018

    ◟山本桜子のプロフィヌル
    ダダむスト。北アむルランド問題ぞの興味から2000幎ず2001幎珟地に滞圚。囜際基督教倧孊卒業埌、ファシスト党〈我々団〉団員。『メむンストリヌム』線集郚。

    初出『情況』2019幎倏号

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    ◟関連蚘事
    シン・フェむン文孊──神様の぀いおない「我々」ずゞェリヌ・アダムズの小説
    シン・フェむン文孊2──ゞェリヌ・アダムズの獄䞭小説
    シン・フェむン文孊3 ──ゞェリヌ・アダムズの獄䞭文孊ずハンガヌストラむキ
    シン・フェむン文孊4──「内戊」
    シン・フェむン文孊スピンオフ䞊映䌁画 告知
    ゞェリヌ・アダムズ新幎の挚拶


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