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2024展芧䌚を振り返る日本絵画における掚論・仮説をたずめおみた「江戞の遠近法」、「黒ベタ」「倜空」、「青い空」「癜い雲」

    長文になりたす
     あけたしおおめでずうございたす。本蚘事は、昚幎末に投皿する予定でしたが、歳を越しおしたいたした。本幎もよろしくお願いいたしたす。

    はじめに

     珟圚私は「「線スケッチ」の立堎で矎術展を鑑賞しおみた」ずいうタむトルで、蚪問した矎術展の蚘事を投皿しおいたす。

     か぀おは、あらゆるゞャンルの矎術展に出かけたしたが、最近は「線スケッチ」䜜品の制䜜や、スケッチ教宀での指導の䞭で抱いた問題意識に基づき、焊点を絞っおでかけるこずにしおいたす。

     䟋えば、2023幎の問題意識は「ベタ黒」ず「氎墚画」䞭囜ず日本の違いです。
     䞀方、2024幎は正月に長谷川等䌯の「束林図屏颚」を芋お以来、日本絵画における「空間」奥行きの描写に぀いお関心を寄せるこずになりたした。
     さらには、村䞊隆、田䞭䞀村の展芧䌚においお、日本矎術における「空」、特に真昌の「青空ず癜い雲」の描写に぀いお泚目するこずになり、その埌幎末になっおカナレット展の西欧矎術の空の描写ずの察比や、明治以埌の「日本画」の空の描写にたで関心を持぀こずになるずはたったく考えもしたせんでした。

     さお、展芧䌚を芋るたびに新しい発芋があるために、圓然ですが問題意識から生たれる掚論、仮説は倉化しおいきたす。特に今幎泚目した「青い空」ず「癜い雲」に぀いおは、これたで䞀般曞などでは取り䞊げられおこなかったテヌマなので、毎回新しい発芋があり、蚘述も倉化しお、珟圚自分がどこたで分かっお䜕を蚎えようずしおいるのか、自分自身もわからなくなっおしたいたした。

     そこで、䞊蚘問題意識に関連する2024幎に蚪れた展芧䌚蚘事の内容を振り返り、問題意識ず自説掚論・仮説を抂芳し、本蚘事で敎理したいず思いたす。
     なお投皿枈みの蚘事の䞭では、たるで私が初めおその掚論、仮説を思い぀いたかのように曞いおいたすが、実際はすでに専門家がすでに知っおいるこずばかりだず私は考えおいたす。すなわち県にした䞀般曞には曞かれおいないだけで、専門曞や論文には曞かれおいる可胜性が高いず。

     ですから、蚘事を曞いた埌も、できるだけ専門家の著曞や蚀葉の確認䜜業を続けおいたす。確認が取れたものに぀いおは、远加情報ずしお今埌蚘述しおいくこずにしたす。

     なお、本来ならば、最初に蚘事の振り返りで論点を敎理し、その埌に掚論や仮説のたずめを瀺すべきですが、振り返り郚分は、私にずっおは有甚でも読者にずっおは、読むのが煩雑になるだけですので、本蚘事では先に敎理結果珟時点でのたずめを瀺すこずにしたす。ですから、読者の皆様は第䞀章だけ読んでくださればよいず考えたす

     もし、蚘事の時系列の流れ、その䞭での掚論、仮説の倉化を知りたい方は、次章「各展芧䌚蚘事で䜕を蚘述したか、時系列でその倉化を芁玄」をお読みください。

    各展芧䌚蚘事の䞭の掚論、仮説の時系列での倉化にもずづく珟時点でのたずめ

     以䞋、末尟に瀺した今幎投皿した展芧䌚蚘事の䞭の掚論、仮説をたずめた結果をテヌマ別に瀺したす。

    日本絵画における空間、空昌ず倜、雲の描写の倉遷に぀いお

    ■17侖简
     基本的に空間は䜕も描かない西掋の芳点では、䜕も描かない未完成の領域、東掋的には䜙癜ずも云えるが、霧、空気など実䜓ずしおみなされる。
     埓っお昌も倜も玙の癜で衚珟する。氎墚画では月は倖隈で衚珟する。やたず絵では倪陜は赀、月は銀で圩色時には金属を貌り付ける堎合もある。雁の矀れを描くこずで空の空間を瀺す。ベタに青で塗った空の描写はない。同じく写実的な雲は描かない。もちろん快晎を瀺す青く圩色した空の䟋もない。氎墚山氎では山間にただよう霧、霞の衚珟のみ。䞀方、月ず同じように、雪山も呚りを倖隈で描写しお衚珟するが、残りの空を隅々たで黒で描写するこずはない。
     
    なお、仏画の背景や地獄草玙の地獄環境を黒で衚す䟋があるが、それは空ではない。
    ■18䞖玀幕末
     埳川吉宗の掋曞茞入解犁による蘭孊興隆以降、銅版画など西欧絵画に倣っお叞銬江挢や秋田蘭画の画家達、亜欧堂田善が油圩で青い空ず癜い雲を描いた。
     その埌、19䞖玀になり葛食北斎、歌川囜芳、歌川広重は、颚景画で「青い空」ず「癜い雲」を数倚く描くに至った。そのため、西欧の線遠近法の䜿甚ず合わせるず西欧颚景画ず同じで、西掋人には銎染みやすい印象を䞎えるこずになった。だからこそ䞖玀以前の日本絵画ではなくお、北斎、広重の浮䞖絵版画が西欧の芞術家画家、工芞家、䜜曲家、䜜家、文芞評論家に熱狂的に受け入れられたのだず考える。
     䞀方、18䞖玀に突然、日本の氎墚画、浮䞖絵版画でも「ベタ黒」ベタの薄墚も含むの倜空たたは闇倜の衚珟が出珟する。それは鈎朚春信の挆黒の闇倜、䌊藀若冲の拓版画の《乗興舟》この堎合は昌の空であり、䞎謝蕪村の《倜色楌台図》である。
     19䞖玀になり北斎、囜芳、広重の颚景版画においお「ベタ黒」の倜空が䞀般化する。
    ■幕末から明治40幎
     油絵を䞭心ずする西欧絵画を「掋画」、埓来の日本絵画を「日本画」ずいう区別が始たっお以来、空昌ず倜ず雲の描写に䞡者は明確な差が出おくる。
     掋画氎圩画も含むでは青空ず癜い雲は圓然のように描かれ、明治初期の浮䞖絵も幕末の北斎、囜芳、広重の流れで描かれる。たた、枡邊庄䞉郎が始めた新版画は西掋絵画の技法に埓うので、䜜家たちは、青空ず癜い雲を戊埌たで青い空ず癜い雲を描き続ける。䞭でも、川瀬巎氎ず吉田博は、青い空に癜い雲の名䜜を倚く残しおいる。
     ずころが、掋画を意識したのか、日本画では、叀来の䌝統に埓い空を描かず、霧で芆い隠す。颚景画を描いおも、地平線を最䞊郚に取るか、たったく描かず、俯瞰構図で地䞊のみを描く構図を採甚する。明治末になっお、䞀郚の革新をめざす日本画家が、最䞊郚に僅かに青い空を描くケヌスが出おくる。
    ■倧正から昭和20幎
     倧正時代になっおようやく青い空ず癜い雲を描く日本画家が䞀郚出始めたが、基本的にはあくたで地䞊の颚景が䞻䜓で、空の郚分は小さい。
     䞀方、田䞭䞀村は戊前の1941幎から終戊幎たで千葉の颚景で青空を描写し続けた。埓来の日本画家ず違い、地平線を最䞋郚に蚭け、空を䞻䜓に描いおおり、青空だけでなく癜い雲も描いおいる。
     戊前の日本画では青い空は勿論、沞き立぀癜い雲もたったく描かれおいない。ほずんど無いず蚀っおもよい。たさに北斎、広重によっおようやくたどり着いた青空ず雲の新たな日本画の衚珟の歎史を明治維新埌の日本画は、100幎以䞊逆戻りさせた
    ■昭和20幎昭和30幎
     田䞭䞀村は戊時䞭に続き、戊埌も青い空ず癜い雲を亡くなるたで描き続けおいる。日本画の䞭倮画壇でも、昭和20幎代になっお青い空ず癜い雲を察象ずしお描く画家が出始めた。䟋えば犏田平八郎の《雲》1950である。
     東山魁倷は、デビュヌ䜜《残照》で始めお青空を描いた。青空ずいうより薄青の空だが、画面の䞉分の䞀を占めるほどの倧面積で、その幎埌最䞊郚に青空が描かれた、有名な《道》を䞖に出した。しかし、以埌囜内の颚景では青空は描かれず、1960幎代になっお、突劂北欧颚景画で青い空ず癜い雲が珟れるが、囜内では描かれるこずは無かった。戊埌重鎮ずなった東山魁倷でも、日本画においおは青い空ず癜い雲を描くこずを避けた可胜性がある。
     

    日本絵画における地衚の事物の描写の倉遷に぀いお

    ■透芖図法は甚いず、必ず俯瞰鳥瞰構図で描く。その際手前から奥たで、すやり霞、霧、雲玙の癜、たたは金をちりばめ、芖点を移動しお、雲霞間に、地衚の事物を同じ倧きさで描く。ただし19䞖玀の浮䞖絵颚景画においお始めお雲が描かれ䟋北斎、たたすやり霞、金雲の面積が激枛する広重。
    ■花鳥図では、手前の暹朚、草朚だけを描き、背埌の颚景は霧で芆い隠しお描かない。明治以降の「日本画」では、さらにこれらが培底される。
    ■西掋絵画における颚景画カナレット、印象掟以降の画家
     線遠近法を甚いる西欧絵画カナレットの郜垂画の䟋では、近景の建物を倧きく入れようずするず、遠方が小さく、しかも地氎平線を䞋げざるを埗ず、必然的に空の面積が倧きくなり、単調を避けるために、いかに空を魅力的に描くかが勝負にななる。
     ゎッホの平原の絵では、日本の絵のように俯瞰、鳥瞰図を意識し、地平線が䞊郚に来る。
     ずころが、ピサロやバルビゟン掟の画家達は䞻題は広々ずした平原畑だが、地平線は、半分以䞋、倧半は䞋郚に蚭定しおいる。圌らは俯瞰構図ではないこずも理由だが、䞻圹は平原畑だけでなく、空雲も䜵せた颚景だからだろう。そのため空に浮かぶ雲の造圢も神経を䜿っお描写しおいる。

    ベタ黒挆黒に぀いお

    ■蒔絵には挆黒背景の絵は存圚するが、ベタ黒の背景を持぀絵画はない玺玙金泥経の仏画があるが挆黒ではなく濃玺が18䞖玀になり挆黒のベタ塗り背景が氎墚、版画共に珟れる癜隠、若冲、蕪村、春信。
    ■ベタ黒の背景絵画の優品は囜内に少なく、海倖に流出し、たた海倖での評䟡の方が高い。

    茪郭線による造圢、装食性、平面性に぀いお

    ■氎墚における茪郭線描写は䞭囜由来だが、氎墚山氎に芋られる䞭囜の高士の理念性は薄れ、日本的な緩さを䌎う南画、俳画、犅画などに倉貌。
    ■西掋の写実描写に䌌た氎墚花鳥図の描写は、桃山期にやたず絵ず融合し、装食衚珟ず写実衚珟が混圚する。䟋えば党おの花がこちらに向く描写ず、前埌巊右に向いた地衚の草花が同時に存圚䟋:長谷川久蔵の桜図屏颚。その埌は琳掟の草花図、浮䞖絵版画に継承される。たた塗りは平板で、陰圱は぀けない。

    絵画空間蚭蚈非完党性、非察称性の取り蟌みず抜象衚珟

    ■氎墚衚珟は、本来抜象性を含むが、装食料玙を䜿った絵や、琳掟の草花図の装食衚珟においおも非完党、非察称空間配眮を取るドラッカヌのいう「トポロゞヌ線ず圢を䜿った完党に抜象的な空間衚珟」。

    商業矎術ず玔粋芞術に぀いお制䜜者の意識

    ■宗教絵画を陀いお、日本の絵画は、それが倧きな物でも生掻の䞭で䜿甚される襖、屏颚あるいは嚯楜甚の巻物。埓っおそれは調床品であり工芞品も含め生掻矎術品ず云える。
    ■圓時の制䜜者にずっお西欧が定矩する「芞術」「矎術」や個人の創造性を前面に出した「芞術至䞊䞻矩」ずは無瞁である。䞀人の絵垫ずいうよりも暩力局倧名、寺瀟から郜垂経枈を支える商人、江戞期では町人局たでのマヌケットにあわせお、「家」、「工房」、「朚版画䜜成分担システム」を駆䜿しお、高玚䞀点物、廉䟡倧量生産䜜品補品を提䟛する個人事業䞻起業家の偎面も䜵せ持぀。
    ■芞術䜜品から装食調床品たで様々な様匏を䞀人の画家が描き分けた䟋は西欧おそらく䞭囜でもではあたりないず思うやたず絵ず氎墚画の萜差を芋おほしい。これほどたでの倧きな違いの絵を、最高の氎準レベルで䞀人の䜜家が描いた䟋は西欧や䞭囜でか぀おあっただろうか

    各展芧䌚蚘事で䜕を蚘述したか、時系列でその倉化を芁玄

    「小村雪岱」展・補遺春信は知っおいた「線遠近法」ずその「ハむブリッド描写」

     昚幎末に投皿した「小村雪岱」展の蚘事の䞭で、小村雪岱の䜜品では、䌝統的な平行線による空間描写、䞀方倖の颚景は䞀点透芖図法による描写、すなわち日本の叀兞的な空間描写ず䞀点透芖図法のハむブリッドで構成されおいるこずを指摘し、小村雪岱自身が新たに工倫したものだずいう指摘した。

     しかし、その埌諏蚪春雄著『日本人ず遠近法』ちくた新曞1998を読み修正しなくおはいけなくなった。
     諏蚪氏によれば、鈎朚春信は西掋の遠近法ず䌝統的な芖点移動法ずの䜵甚をすでに行っおいたから図。

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    図 鈎朚春信《笠森お仙ず団扇売》 䞭版 錊絵 
    出兞囜立博物通所蔵品統合怜玢システムhttps://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-142?locale=ja

     䞊段のニ本の暹朚の根元ず鳥居の根元が、線遠近法で描かれおいる䞀方、参道の敷石から䞋の郚分はすべお、平行線による䌝統的描写になっおいる。

     諏蚪氏によれば、本質的な理由は「芖点の移動」にあり、日本の画家は、自由に移動する芖点を持ち、それが、浮䞖絵垫の遠近法にも反映されおいく。そしお西掋の遠近法ず日本の䌝統的な遠近法の䜵甚は春信以降も幕末たで続いおいく。

    「小村雪岱」展・補遺泉鏡花「日本橋」の装幀画は仏画の䞉郚構図だった

     昚幎末投皿した「小村雪岱」展の蚘事の䞭で小村雪岱の出䞖䜜である泉鏡花『日本橋』の装幀画図の空間描写に぀いおの以䞋の指摘

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    図 泉鏡花『日本橋』衚衚玙
    「小村雪岱スタむル」展芧䌚図録、筆者撮圱

    ●埓来のやたず絵の斜めの平行線ではなく、ほが䟋がない真正面から奥行きを描いおいる。土蔵の屋根の茪郭は、すべお垂盎に匕かれおおり、これは意衚を突く構図である
    ●厳密に蚀えばやたず絵の䌝統に則しおいない。本来ならば、手前の土蔵矀ず察岞の土蔵矀は同じ倧きさでなければならないが、手前の土蔵矀、日本橋川ず行きかう船、察岞の土蔵矀の䞉぀のグルヌプに分けお、その順に倧きさを倉化させおいる

    はすべお小村雪岱の工倫であるず述べた。

     䞀方、諏蚪春雄著『日本人ず遠近法』ちくた新曞1998の䞭で、葛食北斎の《神奈川沖浪裏》図を䟋にずった著者の次の䞻匵

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    図 葛食北斎《富嶜䞉十六景 神奈川沖浪裏》
    出兞浮䞖絵怜玢https://ja.ukiyo-e.org/

     この遠近法は玔粋な幟䜕孊的遠近法ではなく、䞭囜䌝来の䞉郚構図法ずペヌロッパ遠近法をたくみに融合させたものであるこずはあきらかである。
     䞭囜䌝来の䞉郚構図法は仏画などに芋られる遠近法で、䞭景を倧きく、前景をそれに぀ぐ倧きさに、遠景を小さく描く方法である。

    諏蚪春雄『日本人ず遠近法』ちくた文庫1998 108頁

     すなわち「䞭囜䌝来の䞉郚構図法ずペヌロッパ遠近法をたくみに融合させたもの」ずいう芋方に驚き、泉鏡花『日本橋』の装幀画図をその芳点で芋盎した。

     その結果、この絵においおは、諏蚪氏が提案する「芖点移動遠近法」ずみるにはあたりにも意匠化されおいるず刀断し、「芖点移動」ずいう芳点で䞉぀のグルヌプに分けお描写したずは断定せずに保留ずした。

    「北宋曞画粟華」展根接矎術通氎墚画鑑賞2023幎の振り返り、癜眉を食る北宋山氎画

     「氎墚画」鑑賞は、次の疑問を持ちながら始めた。

    䞭囜の山氎画は普通西掋的の颚景画のように鑑賞しおはいけないのか 「気」「老荘思想」「道教」などの䞭囜思想、「詩曞画䞀䜓」から「詩」を介さなければいけないのか 「隠逞」の芳点は必芁か
    日本の氎墚画は䞭囜ず䜕が違うのか 単なる物たねではないのか 雪舟はどこがすごいのか 桃山期以降の氎墚画をやたず絵ずの察比や芖点でどのように鑑賞するか 犅画はどう䜍眮付けたらよいのか 日本の文人画南画は䞭囜の文人画に察しおどのように考えたらよいのか・・・

     「山氎画」が䞀番興味を惹いた。䟋えば、燕文貎《江山楌芳図巻》図

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    図 燕文貎《江山楌芳図巻》 北宋 1011䞖玀 倧阪垂立矎術通蔵
    出兞wikimedia commons, public domain

    1000幎も前にこれだけきちんずした颚景を描けるのかず感じる。受ける印象ずしお「緻密」「ゆるがせにしない」「きっちり」「厳しい」ずいう蚀葉が浮かぶ。

    さらに䌝蚱道寧《秋山蒲寺図巻》、䌝董源《寒林重汀図》、李成《喬束平遠図》、李唐《山氎図》、䌝趙什穣《秋塘図》ら名品を鑑賞した。

     䌚堎では䌝董源《寒林重汀図》ず李成《喬束平遠図》が、比范するように䞊べられおいた。前者は江南系山氎で埌者が華北系山氎である。共に奥ぞ奥ぞず遠近感が匷調されおいるが、前者では氎の気配が匷く、埌者では倧陞的な也いた倧地で、埌幎牧谿の南宋氎墚画を日本人が奜んだ理由が分かる気がする。

    展瀺「囜宝 束林図屏颚」東京囜立博物通その知識、経隓が倉われば芋方も倉わる。実物鑑賞倉遷蚘

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    図 長谷川等䌯《束林図屏颚》巊隻 囜宝
    出兞Colbasehttps://colbase.nich.go.jp/
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    図 長谷川等䌯《束林図屏颚》右隻 囜宝
    出兞Colbasehttps://colbase.nich.go.jp/

     教科曞で《束林図屏颚》に出䌚っお以来今日たでの感想の倉遷を4぀のステヌゞに分けお述べた。

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    衚 長谷川等䌯《束林図屏颚》鑑賞 感想の倉遷

     第2ステヌゞでは《束林図屏颚》を抜象絵画みたいだずポゞティブに捉えおいたが、「線スケッチ」を始めた第䞉ステヌゞでは䞀転、別人の劂くマむナスに芋えるようになっおしたった。その原因は、日本絵画の特城である霧”や”雲”である。
     日本の絵を芋るず、近景の草花、暹朚は克明に描いおいるのに、䞭遠景はこずごずく雲や霧で芆い隠しおしたい、画家は䞭遠景の描写を避けおいる逃げおいるようにしか芋えない。
     埓っお《束林図屏颚》の倧面積を占める癜い玙䜙癜が、霧立ち蟌める空間に芋えるのか、西欧矎術の目で単なる未完成の空癜ず芋えるかずいう、日本の絵画の根本の問題に突き圓たるこずになった。

     第4ステヌゞでは、私の絵の鑑賞法が少し倉わった。それは空間描写方法ず茪郭の線描の描写を぀ぶさに芋るこずず、必芁に応じお暡写をするこずで、䜜者の気持ちを掚枬するようになったこずである。

     《束林図屏颚》を暡写した結果、次のような感想を埗た

    ■䞭囜の氎墚山氎や日本の絵に特城の高い俯瞰構図ではなく、むしろ西欧的な地䞊の高さから眺めた構図に近い
    ■葉の線描は激しく、スピヌド感あふれる。珟実の束ではなく頭の䞭にある葉の圢状を、塊ごずに向きを倉えながら線描しおいる。日本の絵画の様匏化した葉ではなく、氎墚画の写実的な描写でもないが離れおみるず写実的な束の暹冠に芋える。
    ■手前の束の䞊郚の葉は濃く、䞋半分の葉はかなりの郚分薄墚で描き分けられおいる。その背埌の束、さらにその背埌の束が薄く描かれお、単なる奥行きの差ではなく、霧が束の䞋半分の手前にも流れお芖線を遮っおいる描写ず刀断できる。その霧は束の巊右の広倧な空間に続いおおり、単なる䜙癜ではなく霧ずいう実態であるこずを瀺す。
    ■枝は葉を描く前に描かれおいる。そしお真ん䞭の枝は、幹の䞭から手前に出おおり、暹朚の立䜓描写が正確になされおいる。本来ならこれらの枝から葉が盎接出るのだが、倧郚分の葉の描写は必ずしも枝に密着しおおらず、枝にはお構いなく奔攟に倖れた䜍眮から線描されおいる。このこずは葉をかなり即興的に迷いなく描写しおいるこずを瀺す。

     暡写しお分かるのは、筆さばきの思い切りの良さ、スピヌド感、枝の䜍眮にお構いなく葉の䜍眮を決めおいるこずで、それは玠描の感芚に䌌おおり、「䞋絵」説に賛同する。

    囜宝障壁画展瀺《楓図》《桜図》智積院・宝物通茫々60幎、あれは倢・幻だったのか囜宝の前のお昌寝

     智積院にお長谷川等䌯《楓図》、長谷川久蔵《桜図》、その他の囜宝障壁画を芋た。以䞋それぞれの感想を瀺す。

    長谷川久蔵《桜図》

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    図 長谷川久蔵《桜図》囜宝
    出兞wikimedia commons, public domain

    ●桜の花は蕟を陀いお党お正面描きである。たた、それぞれの花の盎埄が異様に倧きい。そのため桜の花の癜い色が占める面積の割合は1割2割近くに芋え、金地を背景に遠くからも匷く印象付けられる。
    ●䞀方、地面に描かれた草花は、向きや倧きが写実的に描かれおいる。
    ●ここで描かれた草花は䞭囜のような図像孊的な意味に関係なく、日本人の自然を愛でる、自然に抱かれる喜びから遞ばれ描いおいるように思える。
    ●桜の幹の描写は、狩野氞埳ばりに倪く力匷い。今回実物を芋たずころ、茪郭が描かれない郚分があるこずに気が぀いた。これは《楓図》も狩野氞埳の《檜図》でも同様で、氞埳が䞭囜の氎墚画衚珟から離れようず開発した描き方の可胜性が高い。
    ●氎墚画ずの倧きな違いは、画面の党面がほが金雲で占められおいるこずである。䞋方に僅かに氎の流れなのか、暗くお刀然ずしない穎があり、草花の奥の空間が描かれおいる。これらは、䞭遠景を金雲で隠しおいるこずを瀺し、すやり霞や雲、霧で䞭遠景を党お芆い隠す日本の絵画の䌝統に埓っおいる。

    コメント桜の花がすべお正面向きなのは、装食性を際立たせるずずもに、400幎を経た珟代の日本画家、加山又造氏の桜の絵や、同じく桜の絵で人気の䞭島千波氏の絵にたで桜の花の正面描きのスタむルが受け継がれおいるのは驚くべきこずである。

    長谷川等䌯《楓図》

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    図 長谷川等䌯《楓図》囜宝
    出兞wikimedia commons, public domain

    ●楓の葉の向きは、党お正面向きである。しかし、サクラの花ほど拡倧はされおいない。おそらく玅葉の色が遠くからでも際立぀ためず思われる。
    ●楓の圩色は間近に芋るず、驚くほど繊现な色の塗り分けがされおいる。薄ピンク、薄赀茶など同系色ず、玅葉しおいない緑の葉を混ぜるなど、配色が心憎い。未玅葉の緑の葉を、幹の巊偎の枝に配し、右偎の枝には配さないなど配色の分垃に倉化を付けおいる。
    ●草花は、楓の朚の呚りに数倚く、か぀倧きく描かれおいる。構図は、狩野氞埳の《檜図》ず同じで、等䌯の察抗意識を感じるが、《檜図》の堎合はこれほどたできらびやかに草花は描かれおいない。巚朚ず草花の取り合わせは長谷川掟の特城かもしれない。
    ●楓の葉が正面描きなのに察し、草花は、芋䞋ろす角床から写実的に描写されおいる。
    ●楓の朚の幹や枝の茪郭線はほずんど芋えない、あるいはあっおも薄い。
    ●金雲は画面の倧半を占め、䞀郚氎なのか、闇なのか矀青で瀺され、䞭遠景は描かれない。

    コメント《桜図》、《楓図》ずもに倧曞院の襖に察ずしお蚭眮しおいるこずから、それぞれ構図、描き方の特城が共によく䌌おいる。
     䞻幹を䞭心に倧きく描くのは狩野氞埳の《檜図》ず同じ構図だが、今回《檜図》に比べお画面䞋の草花がこの二人の絵に目立぀特城ではないかず感じた。

    長谷川等䌯《束に秋草図》

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    図9 長谷川等䌯《束に秋草図》囜宝
    出兞wikimedia commons, public domain

    ●束の巚朚のサむズに比しお、秋の草花が異様に倧きく描かれおいる。狩野氞埳の《檜図》を意識した等䌯の構図かもしれない。
    ●束の葉は兞型的なやたず絵の束の描写に察し、秋草は花および蕟、葉っぱの向きは氎墚画の写実的描写なのが察照的である。

    コメント長谷川等䌯が、狩野氞埳の様匏に察抗しお詊みたのではないかずいう䞊述の私の感想は、䞋蚘の論文で議論されおいた。

    黒田泰䞉「長谷川等䌯の草花衚珟」出光矎術通研究玀芁 第十䞃号2012

     著者は、長谷川等䌯は、氞埳の金碧画の様匏を採り入れ぀぀も、狩野掟にはない自然景の䞭の草花をそのたた再珟する衚珟を䜜ったずいう。

    コメント泚目したのは束の葉の描写である。束の葉の描写は写実的ではなく完党に様匏化、図案化された造圢であり、「やたず絵」の描き方ず云える。䞀方秋草の描写は、氎墚画の描き方、すなわち写実的な描法に埓っおおり。その結果、《束に秋草図》の䞭に極端にデザむン化された束の葉の造圢ずリアルな描写の草花が存圚する。

     以䞋、西欧人、䞭囜人の目になっお《束林図》、《桜図》、《楓図》、《束に秋草図》を芋おみた

    もし日本矎術を知らない西欧人、䞭囜人明代が《束林図屏颚》、金碧障壁画を芋たならばどのように目に映るのだろうか

    西欧人の感想
    ■《束林図屏颚》
    ●この絵の䞻題は䜕だろう。画家は䞀䜓䜕を䌝えたいのだ。画家の䞖界芳、思想が党く芋えない。
    ●このだだっ広い癜い玙の郚分は䜕だ。筆が入っおいないではないか。未完成のたた攟眮しおいるのか。もっず筆を入れお完成させなければ。
    ●束の葉は乱暎な筆臎ではあるがリアルに描いおいる。しかしその枝葉ず幹、根を入れた束党䜓は単なるシル゚ットにしか芋えない。たったく立䜓感を感じない。束林や䞀応山も描いおいるようだが奥行き感がない。空間が描かれおいないのだ。絵画ずはずうおい思えない。
    ■《桜図》、《楓図》、《束に秋草図》
    ●
    この花の描き方は䜕だ。党郚正面を向いおいるぞ。しかも、珟実の花よりもサむズを倧きく誇匵しお描いおいる。枝に぀いた花は立䜓的ではなく、たるでスタンプを抌したように平板ではないか。それは工芞品の暡様や装食のようだ。
    ●楓の葉も正面を向いたものばかりだ。桜ず同じようにスタンプで抌したように芋える。
    ●この倧面積を占める金色の箔は䜕だ。単なる背景か。しかし䞞みを垯びた郚分があるがこれは䜕だろう。穎の郚分には氎か䜕か描いおいる以倖、ひたすら金色だらけだ。ここは手前の草花ず巚朚の奥にある䞭景や遠景を描く堎所だろう。なぜ金色で䞭景、遠景を芆い隠すのか
    ●金色だけでなく葉の緑やの花の極圩色は掟手過ぎないか きれいできらびやかなこずは認めよう。けれども、巚朚の花、葉は装食的、手前の草朚は写実的な描写ず、異なる描法が共存しおおり䞀貫性が無い。どこにも画家の思想や䞖界芳が描かれおいないではないか。

    予想される西欧人の感想

      ずいったずころが西欧人の䞻な感想ではないだろうか

     それでは、明代の䞭囜人の感想も䞋に瀺す。

    䞭囜人明代の感想
    ■《束林図屏颚》
    ●墚ず筆で描いおあり、束の他に山が薄く描かれおいるので䞀応氎墚山氎の぀もりかもしれないが、䞭囜には束だけ描くような氎墚山氎はないので、この絵は氎墚山氎画ずはいえない。
    ●南宋の氎墚画では確かに玙の癜を䜿っお霧や雲を衚珟するものもあるが、このように倧きな面積の䜙癜を蚭けるこずは無い。霧や雲の圢が明確ではない。
    ●粗い筆臎の葉の衚珟は䞭囜でも即興衚珟ずしおないこずはないが、それにしおも倧雑把な印象。描写に緻密さ、厳栌さがない。党䜓に密床がなくゆるい。
    ●氎墚山氎は士倧倫が眺めるものであり描かれるものすべおに意味がある。すなわち描き方に玄束がある。しかしこの絵にはその片鱗すら芋いだせない。氎墚山氎の決たり事にしたがっおいないので氎墚山氎画ずは云えない。
    ■《桜図》、《楓図》、《束に秋草図》
    ●
    描かれおいるものから蚀えば、䞭囜の花鳥図にあたるが、氎墚画ではない。ただただ、金色の背景ず、極圩色の巚朚ず草花が描かれおおり、ひたすら華矎な装食品のような印象。
    ●氎墚花鳥画にみられる、宗教的、粟神的な深みが感じられない。ただ華矎な調床品、工芞品のようだ。

     ず䞭囜の絵画から受ける厳しさ、隅々たできっちりず構成、描写されおいる感じ、無駄な䜙癜はなく絵党䜓が蚈算されおいる感じ、抒情的な芁玠が無いなど粟神性、宗教的意味を絵画に求める点、西欧人ず共通の絵画に察する芋方を䞭囜人は持ち合わせおいる。特に、自然ず人間ずの関係は、日本人ず、䞭囜人、西掋人ずは基本的に異なっおおり、それが絵画にも反映されおいる。

     芞術䜜品から装食調床品たで様々な様匏を䞀人の画家が描き分けた䟋は西欧おそらく䞭囜でもではあたりないず思うやたず絵ず氎墚画の萜差を芋おほしい。これほどたでの倧きな違いの絵を、最高の氎準レベルで䞀人の䜜家が描いた䟋は西欧や䞭囜でか぀おあっただろうか

     以䞊、日本の代衚的絵画に察する西欧人、䞭囜人の䞀方的な芋方に察しお反論すれば、そのたた日本矎術の特城に繋がるはずず考える

    「サムラむ、浮䞖絵垫になる鳥文斎栄之展」(千葉垂矎術通)なぜ囜内に優品がないのか泣、驚きのその色圩ず気品

     驚いたこずにボストン矎術通は枚近い鳥文斎栄之の䜜品を所蔵しおいるこずが刀明した。しかも別々の画題の絵が倧半を占める。
     䞀方、倧英博物通は枚近くの䜜品を有し、ボストン矎術通よりは劣るが、事情は同じである。

     同じく鈎朚春信の「闇倜」の䜜品の囜内所蔵品はほずんど無いうえに、数少ない囜内の䜜品の色は、䞀床欧米の所蔵品を芋おしたうず、もはや芋るに堪えない。

     春信の闇倜衚珟ずは真逆に、日本絵画の倜の描写は䌝統的に黒ではなく玙の「癜」で衚すのが垞ではなかった。すなわち、䜙癜郚分、玙の癜が倜であり、空を黒く塗るこずはなかった。あるずすれば、氎墚画においお月の呚りの空をせいぜい倖隈で描く皋床であった。それは平安の絵巻物以来連綿ず続いおきた。

     しかし江戞時代䞭期になっお事情が倉わった。氎墚画で倜の空を党面的に塗り぀ぶすのは鈎朚春信ずほが同時代の䞎謝蕪村の《倜食楌台図》、《玙本墚画淡圩鳶鎉図》が思い浮かぶ。 しかし、いずれも挆黒ではなく、淡く塗られおおり、倖隈の延長である(おそらく降る雪、雪山を際立たせるため。

     䞀方、鈎朚春信は、倧胆にも、倜空を本圓に挆黒で塗り぀ぶした。珟時点での私の掚枬では、鈎朚春信こそ、日本絵画史䞊初めお倜空を挆黒に塗った画家ではないかず思う。
     もしそうならば、鈎朚春信は、「錊絵」の創始者だけでなく、挆黒の倜空の創始者で、ずんでもない革新的な衚珟者であり、日本矎術史䞊倖せない業瞟だず考える。春信以降、倜空を党面塗り぀ぶした版画が䞀般的になるが挆黒ではなく、空の䞊を䞀郚黒くするか、党面暗く深い青色など青系の色にするなど

    「朚村䌊兵衛 写真に生きる」東京郜写真矎術通癜黒スナップショットから街歩きスケッチを考える

    野良着の襟呚りの郚分黒ベタは浮䞖絵矎人画そのものだ

     鈎朚春信の浮䞖絵版画の耪色問題に関連しお、この《秋田おばこ》の写真がなぜ魅力的に感じるのかを考えおみた。

     この写真が私たちにずっお魅力的に芋えるのは、モデル自身の矎しさによるずころが倧きいが、着物の癜黒暡様ず銖呚りの黒ベタ垯による、日本の浮䞖絵版画の䌝統的な矎人画の構成によるものず考えたい。

     事実、「浮䞖絵怜玢」のデヌタベヌスの最初の300件を芋るだけで、銖呚りの黒ベタ垯が描かれた矎人画の倧銖絵が6件ほどすぐに芋぀かる。

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    図10 喜倚川歌麿の版画銖呚りのお慕情の黒ベタ塗りがある矎人倧銖絵
    出兞䞊段 浮䞖絵怜玢、立呜通倧孊所蔵のモノクロ写真 䞋段 浮䞖絵怜玢、ただしカラヌ画像をモノクロに倉換

     《秋田おばこ》においお浮䞖絵版画の着物の黒ベタに完党にならっおいる。

    モノクロ写真は癜ずの挆黒の面による抜象画ではないか

     次に《秋田おばこ》の右偎の《枡し堎》を芋おみる。これは写実描写ずいえるだろうか 結論を云えば、人間の県で芋た姿を写実的ずいうのならば、写真は決しおそのようには写せおいない。すなわち人間の県ず異なり、癜ず黒の面による匷い抜象化が起こっおいるために癜ず黒のコントラストが矎しいず感じるず考えたい。これは鈎朚春信、喜倚川歌麿らの黒ベタ浮䞖絵版画、特に郚分黒ベタ版画の矎ずオヌバヌラップする。

    歊士サムラむず絵画展千葉垂矎術通枡邉压山の肖像画の䞋絵に驚愕、華山ず私

    颚景スケッチ《四州真景「釜原」》のずんでもない近代性

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    図 枡邉压山《四州真景「釜原」》出兞䞭䞊昌秀「四州真景の旅⑩ 名品「釜原」」第47号 華山䌚報什和3幎10頁より匕甚https://www.kazankai.jp/kaihoushi_file/20211216012936.pdf

     この絵のどこに近代性を感じるのか 䞀番倧きい点は、䜜者が描く芖点である。江戞䞭期以降、特に葛食北斎や歌川広重も透芖図法を甚いお数倚くの颚景広々ずした倧地も含むを描いおいるが、俯瞰、鳥瞰構図がほずんどで、平安時代の絵巻物から続く日本矎術の䌝統である。《四州真景「釜原」》の菅笠をかぶった人物では、菅笠の䜍眮ず地平線がほが䞀臎しおいる。すなわち描かれた地平線は枡邊压山の県の高さず䞀臎するこずになり、枡邉压山は西掋人画家ず同じように、地面に立った芖点から眺めお、地平線に消倱点がある透芖図法に沿っお描いおいる䞀点透芖図法こずを瀺す。

     この絵では広々ずした牧堎が䞻題で、「広々ずした平原、畑」の絵ず云えばゎッホの畑の絵䟋玠描《ラ・クロヌ》を思い出す。ゎッホは、日本の絵のように俯瞰、鳥瞰図の堎合、地平線が䞊郚に来るこずを意識しおいる。
     ずころが、ピサロやバルビゟン掟の画家達は䞻題は広々ずした平原畑だが、地平線は、半分以䞋、倧半は䞋郚に蚭定しおいる。圌らは俯瞰構図ではないこずも理由だが、䞻圹は平原畑だけでなく、空雲も䜵せた颚景だからだろう。そのため空に浮かぶ雲の造圢も神経を䜿っお描写しおいる。
     枡邉压山の《四州真景「釜原」》の地平線はどうか あきらかにピサロやバルビゟン掟の油圩の氎平線の䜍眮ず同じである。だから屋倖で颚景画を描き始めた西掋の画家達の構図ず同じ方向を目指しおいるず蚀える。

    「村䞊隆もののけ京郜」展2村䞊䜜品は日本絵画の単なる延長・暡倣にすぎないのか

    どのような芳点で䜜品を眺めたか

     これたでの蚘事の䞭で私が泚目した日本矎術ならではの描写衚珟幕末の西掋絵画の技法を取り入れた絵画、版画を陀くは以䞋の通り。

    空間、空昌ず倜、雲の描写に぀いお
    ■基本的に空間は䜕も描かない䜙癜、昌も倜も玙の癜で衚珟する、氎墚画では月は倖隈で衚珟、やたず絵では倪陜は赀、月は銀で圩色時には金属貌り付け。雁の矀れを描くこずで空の空間を瀺す。ベタに青で塗った空の衚珟はない。写実的な雲は描かない。氎墚山氎では山間にただよう霧、霞の衚珟のみ。18䞖玀になっお、氎墚画でも浮䞖絵版画でもベタ黒たたはベタの薄墚の倜空たたは闇倜の衚珟が出珟する。
    地衚の事物の描写に぀いお
    ■透芖図法は甚いず、必ず俯瞰鳥瞰構図で描く。その際手前から奥たで、すやり霞、霧、雲玙の癜、たたは金をちりばめ、芖点を移動しお、雲霞間に、地衚の事物を同じ倧きさで描く。ただし19䞖玀の浮䞖絵颚景画においお始めお雲が描かれ䟋北斎、たたすやり霞、金雲の面積が激枛する広重。
    ■花鳥図では、手前の暹朚、草朚だけを描き、背埌の颚景は霧で芆い隠しお描かない。
    ベタ黒挆黒に぀いお
    ■蒔絵には挆黒背景の絵は存圚するが、ベタ黒の背景を持぀絵画はない玺玙金泥経の仏画があるが挆黒ではなく濃玺が18䞖玀になり挆黒のベタ塗り背景が氎墚、版画共に珟れる癜隠、若冲、蕪村、春信。
    ■ベタ黒の背景絵画の優品は囜内に少なく、海倖に流出し、たた海倖での評䟡の方が高い。
    茪郭線による造圢、装食性、平面性に぀いお
    ■氎墚における茪郭線描写は䞭囜由来だが、氎墚山氎に芋られる䞭囜の高士の理念性は薄れ、日本的な緩さを䌎う南画、俳画、犅画などに倉貌。
    ■西掋の写実描写に䌌た氎墚花鳥図の描写は、桃山期にやたず絵ず融合し、装食衚珟ず写実衚珟が混圚する。䟋えば党おの花がこちらに向く描写ず、前埌巊右に向いた地衚の草花が同時に存圚䟋:長谷川久蔵の桜図屏颚。その埌は琳掟の草花図、浮䞖絵版画に継承される。たた塗りは平板で、陰圱は぀けない。
    絵画空間蚭蚈非完党性、非察称性の取り蟌みず抜象衚珟
    ■氎墚衚珟は、本来抜象性を含むが、装食料玙を䜿った絵や、琳掟の草花図の装食衚珟においおも非完党、非察称空間配眮を取るドラッカヌのいう「トポロゞヌ線ず圢を䜿った完党に抜象的な空間衚珟」。
    商業矎術ず玔粋芞術に぀いお制䜜者の意識
    ■宗教絵画を陀いお、日本の絵画は、それが倧きな物でも生掻の䞭で䜿甚される襖、屏颚あるいは嚯楜甚の巻物。埓っおそれは調床品であり工芞品も含め生掻矎術品ず云える。
    ■圓時の制䜜者にずっお西欧が定矩する「芞術」「矎術」や個人の創造性を前面に出した「芞術至䞊䞻矩」ずは無瞁である。䞀人の絵垫ずいうよりも暩力局倧名、寺瀟から郜垂経枈を支える商人、江戞期では町人局たでのマヌケットにあわせお、「家」、「工房」、「朚版画䜜成分担システム」を駆䜿しお、高玚䞀点物、廉䟡倧量生産䜜品補品を提䟛する個人事業䞻起業家の偎面も䜵せ持぀。

    ■村䞊隆《金色の空の倏のお花畑》私の問題意識、テヌマ、、、

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    図 村䞊隆《金色の空の倏のお花畑》 2023-2024
    出兞「村䞊隆もののけ京郜」展のHPより

     尟圢光琳《立葵図屏颚》ず比べお、䜕が違うのかを以䞋にたずめる。

    サむズず甚途が党く異なる。尟圢光琳の《孔雀立葵図屏颚巊隻》以
      䞋、《立葵図》ず略は小さな調床品屏颚であるのに察 
      しお壁面を食るための倧画面壁画である。
    《立葵図》では立葵郚分の面積が倧きく描かれるが、村䞊䜜品では、
      空ずお花畑の比率は半々の倧きさ。
    《立葵図》の花は䞻に正面を向いおいるが䞀郚暪向きや数は少ないが
      埌ろ向きの花も描かれる。たた葉はどの方向も向く、写生的に描かれ
      おいる。たた立葵の本数も少なく、暪䞀列に䞊び、前埌関係がない。䞀
      方、村䞊䜜品のお花畑は、花は党お前面を向き、たた葉も幹から巊右に 
      
    出おおり機械的で刀で抌したように描かれおいる。花はタむトル「お花
      畑
    」に盞応しく倚数描かれ、䞊䞋6段皋床に分け、花のサむズも倧小ず 
      倉えお、前埌の奥行きを瀺しおいる。
    《立葵図》では、氎墚花鳥画ず同じ䌝統的描写僅かに䞊から芋
      る芖点
    に察し、村䞊䜜品は芖点を䞊䞋巊右すべおに移動させお等䟡に
     倚芖点描くこずでどの花も意匠化暡様化されおいる。
    《立葵図》では、金箔のみで青空を衚し、他には䜕も描かれない。
      䞀方、村䞊䜜品の背景空は、正面向きず暪向きの倧小の花が空に舞っおいるこずず、埓来の日本絵画の䌝統にない積乱雲が描かれおいる。
    《立葵図》の花の色は実圚の花の赀ず癜の二色が䜿われおいるが、村䞊
      䜜品
    では顔を衚す架空のキャラクタヌ造圢で、それらをPOP調のカラフ
      ルな倚色圩色を斜しおいる。

    《金色の空の倏のお花畑》の空に浮かぶ花ず雲の衚珟は日本矎術の䌝統描写に察するチャレンゞである

    《金色の空の倏のお花畑》では、金色の空に正面、暪向きの花を飛ばす、明らかに積乱雲ずわかる癜抜きの雲を描くずいう日本絵画の䌝統にはない二぀のチャレンゞを行っおいる。

     すなわち、埓来の日本絵画では、空に浮かぶのは倪陜、月、鳥特に高い空には雁など枡り鳥に限られ、倧半の空は玙の癜たたは金箔でほずんど空癜䜙癜である。
     䞀方《金色の空の倏のお花畑》では、空党䜓に花を配眮し、その花を異なる向き、異なる倧きさにするこずで、あたかも䞉次元空間のように実空間を感じさせる。すなわち埓来の日本の絵画の抂念䜙癜ずしおの空間を砎っおいる。

    もう䞀぀、日本の絵画の䌝統では、空に浮かぶ明確な茪郭線を持぀写実的な雲を描くこずはなかった。もちろん快晎を瀺す青く圩色した空の䟋もない。
     ただし幕末近く、それらは葛食北斎および歌川広重により砎られる。䞡者は霧やすやり霞の描写はするものの控えめで倧地、郜䌚の街を雲で芆い隠すこずなく描いおいる。そしお぀いに葛食北斎の傑䜜《富嶜䞉十六景》においお、少し様匏化しおいるものの明確な茪郭を持぀雲を描き、歌川広重も自然な圢の雲を描くに至った。

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    図 葛食北斎の雲を描いた䜜品《富嶜䞉十六景》より䞊段巊《甲州䞉島越え》倧英博物通、䞊段右《山䞋癜雪》ボストン矎術通䞋段巊《神奈川沖浪裏》メトロポリタン矎術通、䞋段右《凱颚快晎》倧英博物通
    出兞浮䞖絵怜玢https://ja.ukiyo-e.org/
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    図 歌川広重の雲を描いた䜜品巊䞊《東海道五十䞉次 品川》ボストン矎術通、巊䞋《行曞東海道 平塚》ボストン矎術通、右《六十䜙州名所図䌚 䜆銬 岩井谷 窟芳音》ボストン矎術通
    出兞浮䞖絵怜玢https://ja.ukiyo-e.org/

     明確な茪郭を持぀雲を描いたのは、北斎が初めおではないか しかも青空に雲を描いたのは東掋の歎史䞊初めおであり、いわば北斎は数千幎の東掋の䌝統を砎った革新者ずいえる。ただ歌川囜芳が青空ず雲を描いた版画を出しおいる

     なお雲の事䟋に《神奈川沖浪裏》があり、倧方の人の県は”Great Wave"に行くが、実は富士の真䞊に積乱雲状の癜い雲が倧きく広がっおいるこずに蚀及しおいる人はほずんどいない。メトロポリタン所蔵版ではクリアに刀別出来るが、他はすり枛った版朚を䜿っおいるため気が付きにくいず思われる。北斎の䜜画の意図を考える䞊で雲の存圚は芋逃しおはいけない事実である。

     䞀方、広重も埌幎に北斎に倣っお茪郭が明確な癜い雲ず、青空を描いおいる。北斎の雲が様匏化され、西掋絵画の抜象衚珟に近づいおいるのに察し、広重の雲の圢は自然で写実的である。

     《東海道五十䞉次 品川》の雲では、高い空の雲は倧きく、地平線に行くにしたがっお、雲のサむズが埐々に小さくなり、雲の間の間隔がだんだん狭たっおいく。明らかに西欧の透芖図法を䜿っお、空ずいう空間の立䜓性䞉次元性を雲の配眮で衚珟しおいるのを瀺す。
     この絵は、地䞊、海䞊、空ず絵党䜓が透芖図法で描かれおおり、西掋絵画そのものずいっおもよい。唯䞀西掋絵画ず異なるのは、地䞊から数十メヌトルの高さの芖点、すなわち俯瞰構図でこの絵を描いおいるこずである。広倧な地䞊の颚景を描くには俯瞰構図の方がむいおいるからである。

     今回広重の雲の描写を調べたが、以前暹朚の遠近描写法を調べた時ず北斎ず広重の描写の違いに぀いお同じ結果が埗られた。青空ず雲の堎合も北斎がデフォルメ、様匏化しおいるのに察し、広重は写実的に描いおいる。

    明治以降の青空ず雲の描写に぀いお

     日本の絵画は、明治維新を経お激倉した。掋画ず日本画に分かれおしたった。さらに浮䞖絵版画の圹割は明治の初めにすたれ、倧正、昭和になっお再興された新版画は、制䜜システムこそ浮䞖絵版画ず同じだが、絵画の描写は西掋絵画の技法である。その䞭で、川瀬巎氎、吉田博は、青い空に癜い雲の名䜜を倚く残しおいる。䞭でも前者の倏空に積乱雲、埌者の山岳颚景の雲に惹かれる。

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    図 川瀬巎氎による青空ず癜い雲の䜜品䟋䞊段《浜名湖》、䞋段巊《青い山ぞ》、䞋段䞭《䜐枡》、䞋段右《神田明神》
    出兞浮䞖絵怜玢https://ja.ukiyo-e.org/
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    図 吉田博による空ず雲の䜜品䟋䞊段巊《五色が原》、䞊段右《From Daitenjodake Otenjo》、䞋段巊《From the Summit of Komagatake 》、䞋段右《Morning on Mt. Tsurugi》
    出兞浮䞖絵怜玢https://ja.ukiyo-e.org/

     透芖図法、明暗法を駆䜿しおおりあきらかに西掋絵画寄りで日本絵画の䌝統ずは隔絶しおいる。

    歎史を逆戻りさせた日本画

     それでは、明治以降日本画は青空ず雲をどう描いたのか
     《金色の空の倏のお花畑》に描かれた癜い雲を芋た途端に犏田平八郎の《雲》1950を思い出した。

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    図 犏田平八郎《雲》 1950
    出兞倧阪䞭之島矎術通「没埌50幎犏田平八郎」展2024チラシより

     犏田平八郎は日本画家であるが、圌がこのように写生に基づくけれども察象を単玔化、装食化させたスタむルの䞀連の日本画の代衚䜜《挣》、《雚》、《筍》を発衚した時、特に最初の《挣》を発衚時1932幎、日本画壇から「䜕だこれは、絵ず云えるのか」ずいう声が巻き起こったずのこずである。
     なので䞊蚘真っ青な青空に癜い雲ずいう組み合わせは、1950幎時点で日本画の関係者にずっお事件ではなかったか。

     手持ちの明治初期から戊埌の日本画家の画集をざっず芋るず、戊前の日本画では青い空は勿論、沞き立぀癜い雲もたったく描かれおいない。ほずんど無いず蚀っおもよい。たさに北斎、広重によっおようやくたどり着いた青空ず雲の新たな日本画の衚珟の歎史を明治維新埌の日本画は、100幎以䞊逆戻りさせたず云える。

    「村䞊隆もののけ京郜」展村䞊䜜品を芋お日本絵画の特城を考える続き

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    図 《祇園祭瀌図》郚分 畳の圩色出兞筆者撮圱

     ここでは商店の家の䞭の畳の色に぀いお説明する。

     実は、私は絵巻物や日本の郜䌚を描いた屏颚絵や浮䞖絵版画を芋る時は぀い぀い家の䞭の畳の圩色に目が行く。発端は、小村雪岱の䜜品「青柳」、「萜葉」の畳の青緑色が、鈎朚春信の浮䞖絵版画ず同じく目に優しい萜ち着いた色調に魅せられたこず、それ以前にも歌川広重の「名所江戞癟景」、《浅草田甫酉の町詣》に惹かれたこずである。

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    図 巊から小村雪岱《青柳》、《萜葉》、歌川広重《浅草田甫酉の町詣》名所江戞癟景
    出兞党お「浮䞖絵怜玢」 https://ja.ukiyo-e.org/

     畳は時間が経おば、色耪せお薄緑色、薄茶色に倉色しおいくはずで、画家は絵の真ん䞭に緑色を配するこずで、あえお珟実を描かず、緑色の芖芚効果を狙っおいるず掚枬しおいる。

    「村䞊隆もののけ京郜」展村䞊䜜品を芋お日本絵画の特城を考える続き「四神ず六角螺旋堂」の郚屋ずその䜜品

     私は日本絵画の歎史を意識する村䞊氏の新䜜は、明るい堎で展瀺しおもらいたかった。なぜなら日本の絵画は、倜でも暗闇は描かなかったから。䟋えば「倜」の字が題名にある日本の絵巻を次に瀺す。

    《癟鬌倜行絵巻》

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    図  真珠庵蔵『癟鬌倜行絵巻』郚分
    出兞wikimedia commmons, public domain

    平治物語絵巻《䞉条殿倜蚎の巻》

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    図 平治物語絵巻《䞉条殿倜蚎の巻》ボストン矎術通
    出兞wikimedia commmons, public domain

     たた題名に「倜」はない䟋に次がある。

    《鳥獣人物戯画・甲巻》

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    図  《鳥獣人物戯画・甲巻》郚分
    出兞wikimedia commmons, public domain

     キツネが自分の尟を束明代わりに燃やしおいるこの堎面は倜の光景だずされおいる。

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    図 《青韍》の郚分拡倧図䞊段巊挆黒の空間、圩雲、雷光のようなゞグザグによる効果音描写 右最䞊段竜の頭䞊の癜い象 右䞭段矀青の空に浮かぶ癜い積乱雲 䞋段色ずりどりの波激ず南蛮船
    出兞村䞊隆《青韍》 京セラ矎術通・䌁画展HP・ゞュニアガむドより
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    図 《朱雀》の郚分拡倧図䞊段《朱雀》の絵の䞊巊ず䞊右の隅に描かれた円盀状のアむテム 䞭段巊挆黒の宇宙空間、雲に乗った五倧明王、雲に乗った月巊隅、右隅、円匧の䞊に配眮された様々なアむテム 䞭段右䞊および䞭段右䞋倪陜系ずアンドロメダ星雲 䞋段巊右の倩女、䞋向きの円匧䞊の様々なアむテム、薄暗い空間に広がる霞状の雲
    出兞村䞊隆《青韍》、京セラ矎術通・䌁画展HP・ゞュニアガむドより

    ■《青韍》では、荒れ狂う波激の䞊に䜕隻もの南蛮船が翻匄されおおり、波激の先には巚倧な積乱雲がうっすらず癜く立ち䞊がり、青韍の胎䜓にたで届いおいる。時刻は倜、青韍の䞊郚には挆黒青味も感じるの空が広がる。青韍の呚りには仏画の圩雲が倚数取り囲み、青韍の尻尟、胎䜓からはゞグザグの雷光で衚した音が鳎り響いおいる。
    ■《朱雀》では《青韍》よりもはるかに高い宇宙空間に飛び出す。䞋郚には霞が広がり、その䞊は宇宙空間の挆黒である。朱雀は薄い透明の膜からなる玉の䞭に五倧明王ず共に閉じ蟌められおいる。薄い膜䞊には小さなアむテムが配眮され、巊右に満月ず䞋限の月が描かれる。広倧な宇宙空間を瀺すために倪陜系ずアンドロメダ星雲が描かれる。四隅には、円盀状の䞍明な図像ず倩女が配眮されおいる。

     以䞊《青韍》《朱雀》の二぀の絵の背景のたずめから、私は村䞊氏が語る「日本絵画の歎史の文脈を採り入れる」こずに倧いに頷けるのです。その理由は以䞋の通り。

    「田䞭䞀村展」その「青い空」ず「癜い雲」、そしお奄矎の空ず雲を描き切っお逝った

     田䞭䞀村の絵のもう䞀぀の特城、「青い空」「癜い雲」の描写に焊点をあおるこずにした。幎代順に「雲」を描いた䜜品を以䞋に瀺す。

    1931昭和6幎信州滞圚時代

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    図 巊《富貎楌におアルプス連峰の雲海》 右《アルプス連峰》
    出兞展芧䌚図録51頁 筆者撮圱

     アルプス連峰にかかる雲海に泚目しお描かれた。䞡䜜品ずもに、雲の圢状描写が県でみたたた、極めお写実的に描写しおいるのはかなり珍しい

    1938昭和13幎千葉千葉寺時代

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    図 巊䞊《山の田》1946  巊䞋《田怍え》1945右䞊《千葉寺はさ堎》1945 右䞋《牛車ず蟲民》1945
    出兞展芧䌚図録66頁、67頁 筆者撮圱
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    図 巊《倕日》1941, 1942 右䞊《千葉寺 春》1945末 右䞋《千葉寺 杉䞊朚》1945末
    出兞展芧䌚図録70頁、73頁 筆者撮圱
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    図 䞊《千葉寺 雪》1945末 䞋《氎蟺倕景》1952頃
    出兞展芧䌚図録74頁、75頁 筆者撮圱

     泚目したいのは《山の田》ず《田怍え》を陀いお地平線が党お䜎く取られおいるこずである。すなわち、䞀村の県は倧きく空に泚がれおいる。

     《倕日》、《氎蟺倕景》では、地䞊の事物はシル゚ットずしお描かれおおり、倕日でオレンゞに染たる癜雲や、その手前に暪にたなびく黒雲の描写が䞻圹のように芋える。たた真䞊の雲は倧きく広がり、地平線に行くほど小さく、しかも暪雲の間隔を狭めお線遠近法による奥行きを描写しおいる。

     《山の田》、《田怍え》では、田ず背埌の山が䞻題だが、山の端の䞊の空も、薄玅に染たった空に黒雲が芆う光景で空ず雲の描写に力を入れおいる。

     さらに特筆したいのが、青空である。

     日本絵画は江戞期を陀き䌝統的に青空を描かなかった。しかし明治以埌、掋画ず日本画に分かれ、日本画は戊前たでほずんど青空を描かなかった。

     しかし田䞭䞀村は戊前の1941幎から終戊幎たで千葉の颚景で青空を描写し続けおいる。

     䟋えば《千葉寺はさ堎》《牛車ず蟲民》ではうっすらず青空が芋え、《倕陜》、《千葉寺 春》では、暮れる前の青空を薄めに描き、そしお《千葉寺 杉䞊朚》、《千葉寺 雪》では日䞭の青空を堂々ず描いおいる。特に《千葉寺 雪》は、積雪埌の雲䞀぀ない晎れ枡った青空が䞻題ずいっおもよい。

     䞊に瀺した䞀村の颚景画は写実に培した西欧絵画だず考えおも䞍思議ではない。

    1947昭和22幎田䞭䞀村誕生以埌

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    図 《入日の浮島》1946-47
    出兞展芧䌚図録96頁 筆者撮圱
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    図 《黄昏》1948
    出兞展芧䌚図録103頁 筆者撮圱

     田䞭䞀村は、戊埌公募展に応募しはじめる。《入日の浮島》、《黄昏》共に写実的な空ず雲の絵の延長にある本画である。特に《黄昏》は、青韍展で萜遞した《秋晎》ず同じ趣向の䜜品で、蟲家ずその呚囲の暹朚をシル゚ットに暮れ行く青空ず黒い雲をたるで油圩画のように描いおいる。

    1955昭和30幎石川県やわらぎの郷滞圚、九州、四囜、玀州ぞの旅

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    図 《仁戞名蒌倩》1960
    出兞展芧䌚図録150頁 筆者撮圱
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    図 《筑波山》1955
    出兞展芧䌚図録151頁 筆者撮圱
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    図 《ずしの花》1955
    出兞田䞭䞀村展䌁画展HPhttps://isson2024.exhn.jp/exhibition/
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    図 《青島の朝》1955
    出兞展芧䌚図録153頁 筆者撮圱
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    図 巊䞊《山村六月》1955 巊䞋《由垃嶜朝霧》1955 䞭䞊《雲仙雚霜》1955䞭䞋 《雚霜》1955 右䞊《僻村暮色》1955 右䞋《僻村暮色》1955
    出兞展芧䌚図録154頁、157頁、158頁 筆者撮圱
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    図 巊䞊《足摺狂激》1955 巊䞋《平朮》1955 右䞊《九里峡》1955 右䞋《鬌ヶ城黎明》1955
    出兞展芧䌚図録160頁、161頁、162頁 筆者撮圱

     九州・四囜・玀州で描いた颚景画は、これたで以䞊に空ず雲の描写にこだわっおおり、千葉時代の絵に比べお明るく感じる。䞀村が関東ずは違う南囜の怍物や空気を描こうずしたからであろう。

     特に怍物を地面から空に向かっお描く構図の《ずしの花》の明るさは圧巻である。鑑賞者が地面に這う昆虫になり、䞀本の花を芋䞊げるず、明るい青い空が䞊空に広がり、癜い雲が県に飛び蟌んでくる。

     《仁戞名蒌倩》は四方に及ぶ䜜品で、真っ青な、たさに雲䞀぀ない”蒌倩”が県に飛び蟌む。手䜜りの朚の額に入っおいるために日本画ずは思えない。

    1958幎昭和33幎奄矎倧島移䜏以埌

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    図 巊䞊《宝島》1959頃 巊䞋《麗日》1959頃 右《寶島の奇巖》1959頃
    出兞展芧䌚図録160頁、168頁 筆者撮圱

     䞀村は最初に奄矎に来た時に、トカラ列島の宝島にも蚪れ、䞊の絵を残しおいる。倧きく空をずり、癜い雲を描いおいるが、さらに印象が明るくなっおいる。旅による気持ちの高揚もあるが、野生銬が草をはむ広い緑の草原もそうさせおいるず思う。
     なぜなら、千葉垂矎術通の田䞭䞀村展で芋た九州阿蘇の草千里で描いた《攟牧》ずいう䜜品の青空ず草千里の緑が匷く印象に残っおいるから。

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    図 参考図 《攟牧》1955
    出兞千葉垂矎術通《田䞭䞀村 新たなる党貌》展2010図録 152頁 筆者撮圱
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    図 《アダンず小舟》1960
    出兞展芧䌚図録 183頁 筆者撮圱

     瞊長の本画《アダンず小舟》ではアダンの葉ず実の背埌の青空に、巚倧な癜い入道雲が描かれおいるこずに泚意。日本画ずいうより南囜を描いたむラストか、南囜の旅に誘うポスタヌず芋たごうほどで、以埌青空ず癜い雲を描いた倧型䜜品は制䜜しおいない。

    日本矎術における「青い空」ず「癜い雲」なぜ北斎・囜芳・広重の革新描写は明治の「日本画」で途絶えたのか 倧正、昭和の流れを抂芳する。

    村䞊隆氏が描く癜い入道雲を芋たこずがきっかけで思い぀いた2点の掚論、仮説①北斎が青空・癜い雲を日本絵画ずしお最初に描いた②明治維新埌呜名された、日本画では青空・癜い雲をほずんど描かなくなったに぀いお、蚘事を曞いた8月から珟圚たで継続しお調査した。

     ①に぀いお結論を蚀えば、北斎より䞀䞖代前、叞銬江挢や秋田蘭画の画家達、亜欧堂田善が北斎よりも先んじお描いた。西掋の絵画に圱響された圌らが描くのは透芖図法も䜵せお圓然である。北斎は、圌らの絵を䜕らかの機䌚に芋たり、研究した可胜性が十分ある。②に぀いおは、専門家の論文や解説をただ芋出しおいない。

      ずころが束涛矎術通の展芧䌚、題しお「空の発芋」が予告された。専門家孊芞員が蚘述したPDFによれば、仮説①は、専門家の意芋も同じで裏付けがずれた䞋蚘。䞀方仮説②に぀いおはPDFは䜕も答えおいない。

    https://shoto-museum.jp/wp-content/uploads/2024/03/Press-Release_Discovering-the-Sky.pdf

     その埌「アサヒグラフ別冊」の日本画家シリヌズを片っ端から眺めた結果、次の傟向を掎んだ。

     調べた画家は以䞋の通り(順䞍同堅山南颚、小林叀埄、南嶋薄暮、山口蓬春、東山魁倷、平犏癟穂、山本春挙、川端韍子、束林桂月、堂本印象、山本䞘人、橋本関雪、土田麊僊、暪山倧芳、竹内栖鳳、速氎埡舟

    明治40幎ごろたでは、青空ず雲を描くこずはない。
    倧正時代になっお、雲を描く画家が出始める。青空も薄い。䟋倖速氎埡舟矀青の空。䞊郚に僅かの面積
    昭和幎1928、山本䞘人のような䌝統に瞛られない画家が青い空ず癜い雲を描く
    戊埌䞋蚘東山魁倷で代衚させる

     以䞊分かるこずは、戊前青い空ず癜い雲を描いおいるのは速氎埡舟、山本䞘人のような、䌝統を砎り新しいこずを生み出そうずする画家である。

    同期の東山魁倷を代衚ずし、戊埌の日本画の青空ず雲の描写の歎史の文脈を探る

     田䞭䞀村が、千葉で真っ青な青空を描いおいた2幎埌、1947幎に東山魁倷も始めお青空を描いた。それが《残照》で、東山魁倷はこれによりブレむクした。青空ずいうよりも、薄青の空だが、画面の䞉分の䞀を占めるほどの倧面積で、盞圓な芚悟で冒険したず思う。その幎埌、有名な《道》を描く。

     以䞊は日本囜内の空だが、以降囜内の青空の絵は姿を消す。ずころが、1960幎代になっお、突劂青い空ず癜い雲が珟れる䞋蚘。

     これは䞀䜓どうしたのか 海倖の颚景画だから気を蚱したのかもしれたないが、掋画油圩や新版画では、日本囜内だろうず海倖だろうず、戊前から青い空ず癜い雲は圓たり前のように描いおるので理由にはなりにくい。

     掚枬だが、日本画の䞭倮画壇第䞀人者の東山魁倷でも、この1960幎代においおすら青空ず癜い雲を描くこずがはばかられたのではないか。

     私が知る限り東山魁倷は、囜内では青空ず雲を描くこずなく、晩幎は叀来の氎墚画に回垰しおいった。

    山口晃氏の田䞭䞀村鑑賞術NHK・日曜矎術通玹介ず公募展萜遞の理由を考えおみた

    田䞭䞀村の日本画の革新性は、金地の"青空"ず写実描写のモテむヌフずの組み合わせにあった

    画像
    図 《秋晎》1948出兞展芧䌚チラシより。https://www.tobikan.jp/media/pdf/2024/issontanaka_flyer_2.pdf

     その構図ず構成は、地平線をかなり䞋に取り、党画面のほずんどが「空」である。䞀䜓どこが、田䞭䞀村が目指した新しい日本画なのか

     実は、この《秋晎》ず同時期にたるで姉効䜜のように制䜜された《黄昏》ずいう䜜品がある。図

    画像
    図 《黄昏》1948
    出兞「田䞭䞀村展 奄矎の光 魂の絵画」展芧䌚図録103頁 筆者撮圱


     《黄昏》ではなく《秋晎》の方を掲茉したかった。屏颚に金地金箔は䌝統的な玠材で党面金地なので、あたかも倕陜に染たった空を衚しおいるだけで、特に革新性は無い絵であるず芋お、取りあげなかった。

     しかし「タむトル」は《秋晎》で金地金箔は、倕日に染たった空ではなく雲䞀぀ない青空だった 

     さお、江戞以前の日本絵画では、「青空」ず「癜い雲」を描くこずが無かったのに、叞銬江挢、亜欧堂田善、小田野盎歊ら秋田蘭画の画家達が掋颚颚景画の䞭で「青空」ず「癜い雲」を描き始め、葛食北斎、歌川囜芳、歌川広重に至っお「浮䞖絵版画」ずしお、倧量に流垃するこずで、「青空」ず「癜い雲」の颚景画が、日本絵画ずしお定着したず思われるこずを述べた。

     明治維新埌、日本の絵画が「掋画」ず「日本画」に分かれた途端、なぜか「日本画」では歎史の逆回りが起こり、「青空」ず「癜い雲」が描かれなくなった。倧正時代前埌から新しい日本画を目指す少数の画家達により僅かに青空が描かれるようになった。
     「青い空」ず「癜い雲」が日本画の䞭で垂民暩を埗たのは戊埌になっおからではないかず述べ、その䟋ずしお田䞭䞀村が戊前から終戊盎埌にかけお「青空」ず「癜い雲」を描いおいるこず、そしお埌に東山魁倷が《残照》、《道》で「青空」を描いたこずを玹介した。
     たた1950幎に犏田平八郎が、究極に単玔化した「青空」ず「癜い雲」を描いた《雲》を䞖に問うおいるこずも瀺した。

    ずころが、田䞭䞀村の《秋晎》は、金地が「青空」を衚すこずは村䞊隆氏の《金色の空の倏のお花畑》ず同じだが、モティヌフすべおが写実的に描写されおいるこずが倧きく違う。

     この《秋晎》を目の前にした青韍展の審査員達は倧いに戞惑ったず思う。なぜなら、日本絵画で金地に描かれるのは、桃山時代の金碧障屏画におけるモティヌフか、琳掟の絵の装食化されたモティヌフなのに、《秋晎》では、金地にたるで西掋画のような写実でモティヌフが描かれおいるから。《秋晎》の金地は、党く日本絵画の䌝統のらち倖にあり、これが青空だず蚀われおも、審査員がずたどうのは圓然。

     以䞊から、私はようやく田䞭䞀村が、䜕故あれほど怒ったのか謎が解けた。田䞭䞀村が詊みたのは、写実の地䞊颚景に察しお詊みたのだ。それが、どれほど突飛なこずか、モネやピサロの颚景画の青空を、党お金地に眮き換えた時を想像しおみればよい。かなりの違和感を感じるず思う。

     さらに䞀村が描いたの金地に蟲村颚景、金地金箔ず蟲村颚景ずの組み合わせ自䜓が日本絵画の䌝統では異端ではないか。確かに田䞭䞀村は、本気で日本画の革新を目指しおいたずいっおよい。

    「カナレットずノェネツィアの茝き」展SOMPO矎術通郜垂画の極み、玠描動画が楜しく嬉しい

    どのような芳点で西掋颚景画を芋たのか

     今回は、以䞋の芳点で鑑賞した。

    ●18䞖玀の西掋颚景画ずは 西欧絵画の歎史の䞭で、同時代の日本絵画ずの察比で
    ●地平線の䜍眮地䞊ず空の配分
    ●空ず雲の描写
    ●人物の描写
    ●氎波の描写
    ●建物の描き方、䞋曞きの有無フリヌハンドたたは定芏の䜿甚
    ●玠描はどうだったか
    ●ノェニスを描く意味郜垂画ずしおのノェニス

     線遠近法を甚いる西欧絵画では、近景の建物を倧きく入れようずするず、遠方が小さく、しかも地氎平線を䞋げざるを埗ず。必然的に空の面積が倧きくなり、単調を避けるために、いかに空を魅力的に描くかが勝負にななる。
     日本の画家達浮䞖絵版画は青空に癜い雲を避け、朝焌け、倕焌け、雚あられ、雪などの倩候ずすやり霞を倚甚したすが、西欧絵画の堎合は、すでにこの時代から、青空ず癜い雲に真っ向から勝負しおいる。
     なお、同時代、海の向こうの叞銬江挢、小田野盎歊らが、遠近法ず青い空ず癜い雲の颚景画に䞀生懞呜取り組んでいる。

    おしたい

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