
ラルフ・ローレンは、なぜ息子を社長にしなかったのか?|ブルゴーニュの家族経営と「継承」を考える
ブルゴーニュではまだワインの仕込みが続いているが、フランスには少しずつ、華やかな文化の季節が戻ってくる。
長いヴァカンスが終わり、劇場や展覧会、コンサートの新しいシーズンが始まる。そしてファッションの世界も動き出す。
パリ・コレクションからひと足先に、ニューヨークでは新しいコレクションのお披露目が始まる。9月9日、ラルフ・ローレンは2027年春のコレクションを発表する。
なぜ、ブルゴーニュのワインを書いている私が、今、ラルフ・ローレンについて書こうと思ったのか。
この夏、いくつものドメーヌで収穫を訪問しながら、私はずっと「家族経営」について考えていたからだ。
男性のエレガンスを追い求めて
ラルフ・ローレンは1939年、ニューヨークのブロンクスで、東欧から移住したユダヤ系の家庭に生まれた。本名はラルフ・リフシッツ。4人きょうだいの末っ子だった。
彼の才能は、何もないところから突然生まれたわけではない。
父フランクは芸術家だった。壁画などを描き、芸術の仕事がない時には家屋の塗装をして家族を養った。幼いラルフは、色を選び、線を引き、自分の手でものを生み出す父の姿を見ながら育った。
一方、少年ラルフが強く惹かれたのは、映画の中に登場する男性たちだった。
フレッド・アステアやケーリー・グラント。美しく仕立てられたスーツを着ながら、決して堅苦しくない。服だけではなく、立ち居振る舞いや生き方まで含めてエレガントだった。
ラルフ・ローレンが追い求めたもののひとつは、「男性は、どうすればエレガントでいられるのか」という問いだったのではないだろうか。
それは単に高価な服を着ることではない。
仕立てのよいジャケット、シャツ、ネクタイ。スポーツを楽しむこと。美しい家で暮らすこと。車を愛し、自然の中で過ごすこと。
彼にとってエレガンスとは、服装ではなく、生き方そのものだった。

やがて、その憧れを自分自身の手で形にしていく
1967年、ニューヨークでネクタイの販売から事業を始めた。当時主流だった細いネクタイとは違う、幅広く大胆なネクタイだった。
そこからメンズ、レディース、子ども服、香水、インテリアへと世界を広げていく。
私にとっても、ラルフ・ローレンはどこか懐かしいブランドだ。
かつてクルーとして世界を飛んでいた頃、旅先でラルフ・ローレンのポロシャツをお土産によく買った。胸に小さなポロプレイヤーの刺繍が入った、あのポロシャツである。
当時はブランドの経営について考えたことなどなかった。ただ、アメリカらしい明るさと品のよさがあり、誰かへのお土産に選びやすかったことを覚えている。
けれども今、改めて見ると、ラルフ・ローレンが作ったものは服だけではなかったことがわかる。
ポロ競技、乗馬、アメリカ東海岸の邸宅、アイビーリーグ、西部の大自然、クラシックカー。
一着の服の向こうに、その人の暮らしまで見えてくる。
それは、少年時代のラルフが遠くから憧れていた世界でもあった。
父から受け取った創造する力と、母から受け取った家族への思い。その上に、自分自身の夢を重ねて、彼はひとつの世界をつくった。
ラルフ・ローレンが60年近くかけて築いたのは、服という商品以上に、「こういう人生を生きてみたい」と人に思わせる世界だったのだと思う。

なぜ、息子をCEOにしなかったのか
ラルフ・ローレンは現在87歳。今も取締役会長(Executive Chairman)兼最高クリエイティブ責任者(Chief Creative Officer)として、ブランドのクリエーションに関わっている。
しかし、この巨大企業を日々経営しているのは、ローレン一族ではない。
CEOのパトリス・ルーヴェは、2017年に外部から迎えられたフランス出身のプロ経営者である。2026年度の年間報酬は、株式報酬などを含め約1,113万ドル。ラルフ・ローレンは、それだけの対価を払ってでも、巨大企業の経営を一流のプロフェッショナルに任せる道を選んだ。
ラルフには、会社で長年働く息子デヴィッドがいる。現在は最高ブランディング・イノベーション責任者(Chief Branding & Innovation Officer)であり、取締役会の副会長(Vice Chairman)でもある。
それでも父親は、CEOの椅子を息子に渡さなかった。
自分がゼロから築き、自分の名前までついている会社である。それでも経営はプロに任せる。
一方で、クリエーションは手放さない。息子もブランドの未来に深く関わる。そしてローレン一族は会社の重要な議決権を持ち続けている。
つまり、
経営は、プロに任せる。
クリエーションは、家族が守る。
そして最後の決定権も、家族に残す。
私は、この勇気あるラルフの決断に"ブラボー"と言いたい。
家族の会社だから、息子を社長にする。それが必ずしも、家族の会社を守る最善の方法とは限らない。
経営能力は外から借りることができる。しかし、長い年月をかけて築いた美意識まで外部に渡してしまえば、名前だけが残った、別の会社になってしまうかもしれない。
ラルフ・ローレンは、そこを間違えなかった。

エルメスにも似た考え方がある
フランスを代表するメゾン、エルメスも興味深い。
形はラルフ・ローレンとは違い、現在も創業家が経営の中心にいる。しかし、上場企業でありながら創業家が長期的に会社の方向を決められる仕組みを持ち、一方で多くの外部のプロフェッショナルの力を使っている。
「家族の会社だから、すべて家族でやる」わけではない。
必要な能力は外から入れる。しかし、メゾンの文化、美意識、そして最後に方向を決める力は手放さない。
何を外に任せ、何を絶対に手放さないのか。
家族企業が長く続くためには、この境界線が大切なのだと思う。
そして私は、ブルゴーニュのことを考えた。
小さな会社が、大きな資産を持つ
ブルゴーニュには今も、小さな家族経営のドメーヌが数多く残っている。
世界中に名前を知られる生産者であっても、実際には家族と数人の従業員で動いていることも珍しくない。
ところが、ブルゴーニュには特殊な事情がある。
会社は小さくても、所有する資産は小さくない。
その資産とは、畑である。
プルミエ・クリュやグラン・クリュをはじめ、一部の優れた畑の価格は、この数十年で大きく上昇した。
祖父や曾祖父の時代から所有してきたわずかな土地が、いつの間にか家族経営の規模とは釣り合わないほど大きな資産になっていることがある。
そこに相続がやってくる。
子どもが二人、三人いれば、それぞれに権利がある。一人はドメーヌで働き、もう一人はまったく別の仕事をしているかもしれない。
誰が畑を受け取るのか。ほかの兄弟姉妹との公平をどう保つのか。相続に必要な資金をどう用意するのか。
そして、そのために畑を手放すことにならないか。
ブルゴーニュでは、
畑を分散させず、どう次の世代へ渡すのか。
という大きな問題がある。
だからこそ、法律、税務、財務、土地所有の仕組みについては、専門家の力を借りるのは賢明だ。
家族だけですべてを抱えることが、家族経営を守ることではない。

パヴロ家で見た三世代
この夏、私はサヴィニー・レ・ボーヌのドメーヌ ジャン・マルク & ユーグ・パヴロの収穫を訪れた。
80歳になったジャン・マルクが、今も畑にいる。
その息子たちがいる。
そして、その次の世代もドメーヌに関わり始めている。
三世代が同じ畑に立つ。
私はそこに、ブルゴーニュの家族経営の美しさを感じた。
そして考えてみれば、これはラルフ・ローレンにも通じる。
87歳になった今も、彼はChief Creative Officerとしてクリエーションの現場から離れていない。
巨大企業の経営はプロに任せても、自分にしかできない仕事は続けている。
ブルゴーニュも同じだ。
オーナー自身が畑に出る。
経営を任せても、現場からは離れない
世界的に有名なドメーヌでも、朝、畑へ行けば、当主が長靴を履いて働いている。
剪定をする。芽をかく。病気が出ていないかを見る。雨のあとには土を見て、収穫が近づけばブドウを食べる。
ブルゴーニュでは、オーナーであることと、畑で働くことが離れていない。
同じ畑を何十年も見続けることでしか得られないものがある。
どの畑に霜の被害が出やすいか。
暑い夏、どの区画が苦しむか。
どのブドウが早く熟すのか。
今日収穫するのか、あと三日待つのか。
こうしたことは、帳簿には書かれていない。
外部のコンサルタントから買うこともできない。
毎年同じ畑に立ち、成功と失敗を繰り返しながら、身体の中に蓄積されていく。
父親が見てきた畑を、息子が見る。
息子が見てきた畑を、やがてその子どもが見る。
畑には、家族の記憶が積み重なっていく。
それがワインになる。

経営は外から借りられる。しかし、畑の記憶は借りられない
だからブルゴーニュの家族経営も、すべてを家族だけでやる必要はないと思う。
経理も、財務も、法律も、相続も、専門家の知恵を借りればいい。販売や輸出にも外部の力を使えばいい。必要なら、経営そのものをプロに手伝ってもらってもいい。
それによって畑を守れるのであれば、むしろそうすべきだ。
しかし、外へ渡してはいけないものがある。
家族が現場に立つこと。
そこで何を感じ、何を造るのかを決めること。
そして、その未来を決める権利を家族が持つこと。
ラルフ・ローレンにとって、それはクリエーションである。
ブルゴーニュにとって、それは畑である。
経営は外から借りることができる。
しかし、クリエーションやアート、長い年月をかけて培われた技術やビジョンは、簡単には借りられない。
そして、それを守るためには、最後の決定権が家族になければならない。
そこまで外へ渡してしまえば、名前だけが残っていても、いつかそれは、ただの会社になってしまう。
87歳になった今もクリエーションの現場に立つ。
ブルゴーニュでは、80歳のジャン・マルク・パヴロが畑に立つ。
規模も、作っているものも、まったく違う。
しかし二人とも、経営者である前に、自分たちが何をやるべきかを知っている人なのだと思う。
経営は外から借りられる。
しかし、現場で積み重ねられた記憶は借りることができない。
そこに、長く続いていく家族経営の強さがあるのではないだろうか。