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晩夏の蝉、ドロップス缶缶

    東から吹く風が、僕の左頬を撫でます。
    藤の葉はよく茂り、空さえも見せません。
    それでも僕は知っています。
    今日がとてもよく晴れた日だということを。

    蝉が鳴いています。
    休暇の始まる少し前に、岸辺という先輩と蝉の羽化を見たのです。
    幼少の時分、散々に見たものですが、僕の出が澁谷だと知るなり、ずいっと近寄って来て、というのはもうずいぶんと前──桜がまだ散りもしないで枝を賑わせていた頃のことでしたが。
    「夏になったら、いいもん見してやる。」とおっしゃったわけです。
    だいたい、わかってはいましたがね。
    ちょっとばかし、記憶のあるうちに、残しておこうと思うのです。

    「お前、蝉の一生がわかるか?」
    「七年七日でしょう。」
    「なぜ、そう思うんだい?」

    僕はちょっと、困りました。
    子どもの頃に読んだ本に書いてあった、としか言えませんでした。
    すると先輩は、げらげら笑ったのです。
    僕の髪をもみくちゃにしてしまうと、「今だって子どもだろう。」と言いながら、今もみくちゃにした髪を撫で付けて、すっかり元の通りにして帽子をかぶせてくれました。
    でも、先輩のお話は止まりせん。
    気づけば部屋には先輩と僕との二人だけです。
    思いました。
    あ、逃げたな、と。
    ですが、僕にはもう逃げ道はありません。
    どういうわけか僕は先輩の膝に座っていましたから、にっちもさっちもいかないのです。
    でもまあ、いいのです。
    小難しい話は、退屈しのぎには贅沢過ぎるほどですから。

    「だがな、俺は果たしてそれは本当だろうかと思うんだ。」
    先輩は蝉とは無関係の本を中指でぴんっと撥ねました。
    「本に書いてあることを、世界中の人間が鵜呑みにしちまったら、どうだ。」
    はっとしました。
    僕は本ばかり読んできましたから。
    あんぐり開けたままになっている口に、先輩はドロップを放り込んでくれました。
    すももの味だったそうです。
    甘くて、酸っぱいことしかわかりませんでしたが、僕はこれが気に入って、以来他の室員の目を盗んでは先輩にドロップをもらいに行ったものです。
    赤いブリキ。
    今は僕の枕の下です。
    休みの間の分を、先輩は置いていったのです。

    とまあ、蝉が命を燃やしておられるというのに僕ときたらドロップだの、新しいお話だのにうつつを抜かして、一体なにをしているのでしょうね。

    なんてことを外で書いているわけです。
    懲りもせず、僕は裏庭に出るのです。

    寄宿舎の裏庭の土はいつも湿っています。
    乾いたところを見たことがありません。

    それにしても、今日の景色は面白い。

    藤の蔓はよく伸びて、まだ蒼々している芒すすきの葉と手を繋いでいるのです。
    春にはなめらかに見えた幹は、どういうわけか、混凝土コンクリイトの如く色褪せて、ごちごちと堅っ苦しくなっています。
    そこを真っ黒な蟻なぞがぞろぞろと昇っては、とぼとぼと降りてきて、土は踏まずにまた上へ上へと昇っていきます。
    日がな一日眺めておりますと、さすがに飽きてくるので、縁台に身を横たえます。
    時には朝っぱらから午睡ひるねをしてしまうのです。

    さっきも眠ってしまって、ふいっと夢に岸辺先輩が出て来たものですから、また蝉の話を書いてしまいました。

    八月二十六日
    天気 晴

    晩飯のあと、先生の持って来てくださった西瓜をいただく。
    なんでも幕張で買って来たのだそうだ。
    大変に美味しかった。
    しかし今晩はもう幾度、蛾を見たことであろう。
    蛾の方も、そろそろ僕を見飽きたのではなかろうかね。



    上原朔也の日記帳が発見された。

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    二十一歳の朔也は実家の女中、みおちゃんが遊びにきたから張り切っている。

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    さて、レゲボンのライブが始まったようです。

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    「殴り殴られ詩人酒場」本編まとめマガジンはこちらです。

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    これは恋愛小説。
    シリーズ内で最もご好評いただきました。

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    【エッセイ】
    ちょうど一年前に書いたもの。
    なんだっけ、これ。
    耳が変になった時の話だっけ?

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    ゆきお様・解説
    ドロップスのブリキ缶、その意味とは。
    先輩はなぜ、ドロップスを残していった?

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

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