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Photo byseinohou

第2篇「毒効」

    誰も知らない私の物語。
    ひけらかすつもりはないけど、のたうち回って生きてきたこの3年間の記録。


    2024年、生活保護受給者になったこともあり、自分の健康を見つめ直す。

    自律神経の乱れと、幼少期からの不眠症、元々あった躁鬱もあり、2月頃からメンタルクリニックへ通院を始めた。

    私は、10年ほど前にもメンタルクリニックに通っていた時期がある。

    当時、母親にがんが見つかった頃。体調が悪い中友人と遊びに行き、飲みたくもない酒を無理に飲んで寝れなくなり、朝方、私は突然パニック発作を起こしてしまったのだ。

    心療内科へかけこみ、鎮静剤の注射を打ってもらった。

    それから1年以上は通院し、自分の体を使い人体実験するかの如く、様々な精神薬を服用しながら様子を見る、という暮らしをしていた。

    そんな毎日。メンタルクリニックは、ただ薬をもらいに行く所、という認識が当たり前になっていた。

    完全に薬漬けになっていたのだ。

    そして当時は、約一年間闘病生活を共に過ごした母親が亡くなり、完全に自暴自棄になっていた。

    心底、毎日どうでも良かった。

    目覚めてから焼酎をビールで割って、精神薬を飲んでいた。

    そしてある日私は、薬の副作用により錯乱し、わけがわからなくなってしまう。

    現実と夢の区別がつかなくなってしまったのだ。

    それにより、犯罪まがいなことをしながら徘徊し、その後自殺未遂をする。

    そのことが私の中で大きな衝撃ときっかけになり、私は私を取り戻すべく、通院を辞め、独断で断薬を決意した。

    そして離脱症状にのたうち回る日々を送ることになる。

    断薬してから最初の3ヵ月間は、今までの人生では味わったことがない、強烈な地獄の日々を味わった。

    シャンぴりという、特有の症状。
    頭や体に電気が走るようなビリビリ感や金属音のような耳鳴り(シャンシャン)を伴う幻覚のような幻聴のような症状。

    それが24時間、5秒に1度、毎日、毎時間ずっと、寝る時も起こる。

    そして水中に潜った時のような鼓膜の違和感。

    その他にも、予期不安や、抑うつ、焦燥感、不眠。

    完全に症状が抜けるまで1年以上はかかったと思う。

    その地獄を知っていた。

    だから、メンタルクリニックには行きたくなかったのだ。

    行きたくなかったが、私の事を客観的に知っていた恋人も勧めてきた。
    それに、薬は常用せず、頓服用の睡眠薬くらいなら飲みたいと思ったのだ。

    そして久しぶりにメンタルクリニックへ行ってしまう。

    主治医へ、以前の経験から薬への不信感を抱いていると話すと「当時より今は薬が新しくなっていますので、錯乱するような強烈な副作用はありませんよ」

    と、言ったのだ。

    そしてなんと、私は、その言葉を信じてみることにしたのだった。

    私が阿保なのである。

    そしてこれがまた、地獄の日々への入り口になった。


    診断されたのは双極性障害。

    元々、浮き沈みが激しい性格ではあったが、生活習慣を整えることで、社会生活が送れるまでにはバランスを維持できていた。

    仕事をしていたことが大きかったのである。

    だが、怪我をしたことで仕事ができなくなり、生活が乱れ大きくバランスを崩していた。自律神経の乱れも重なっていた。

    今までの様々な不運や精神的なダメージが蓄積されていたのだろう。心身共に疲弊していたし、酷い抑鬱状態と不眠が続いていたのだ。

    とりあえず、しばらく向精神薬を服用することにした。

    気分を上げる薬と、下げる薬。
    バイオリズムの波のふり幅をできるだけ中央に持ってくる為の薬。
    まるでコンプレッサーみたいな考え方だ。

    それと、パニック発作用の頓服と、睡眠薬。

    何度か薬の種類を変えながら試し、結局2ヶ月ほど服用した。


    が、しばらく服用していて、やはり、体がおかしい。

    私の様子がおかしい。

    客観的に自分を見た。
    私のおかしさについて。
    おかしな言動を自己分析。
    私の思考回路が間違っているのか。
    私が精神的に不安定だからなのか。
    つまり躁鬱の症状なのか。

    など。

    だが事態は単純シンプルだった。

    私は精神薬を飲んでいて、副作用に悩まされている。

    そう、ただそれだけのことだった。

    私は元来、まともなのだ。

    ようやくそこで再び気づいた。

    私は愚かにもまた繰り返している、と。

    途端に、先生の言う事が全て商売繁盛の戯言にしか聞こえなくなった。

    そう、当時とまんま、同じ。

    友人や彼女と会っている時、当時の自分は時に自分ではなくなっていた。

    精神薬は性格も変えてしまうのである。

    そんなことも忘れていた。

    今では、当時の言動やスケジュールをあまり思い出せない。どんな自分で人と接していたのか、どんな精神状態だったのか。殆ど思い出せない。

    そう、副作用の一つ、健忘である。

    これはもはや、自分ではない。客観視してわかった。

    そう、あの時、と同じだからだ。


    それにより私は再び独断で断薬を決意した。

    そして当たり前だが、断薬により離脱症状が出始める。

    私は再び、離脱症状と対峙する決意をした。

    まだ数ヶ月しか常用服用していないから、きっと以前より症状は軽いだろうと甘く見ていた。

    しかし、この今回の離脱症状は、かつてを上回る地獄そのものだった。

    それは言い表すことが難しいほどの、心の痛み。

    淋しさと悲しさ、その全てを凝縮させた、物凄く密度の濃い孤独。

    私は毎晩、居ても立ってもいられなくなり、涙が止まらなくなり、焦燥感と虚しさに襲われるたびに、取り憑かれたように散歩をしていた。
    泣きながら無心でひたすらずっと歩いた。

    わけもなく心に満ちる虚無。強制的に押し寄せてくる、恐怖を覚えるほどの寂しさ、寂寥を感じたことがあるだろうか。

    強烈な喪失感と虚無感。

    発狂してしまうほどの空虚感。

    悲しくて悲しくて仕方がない。
    この世界のどこにも居場所がなく、心の救いを見出せない。

    押し寄せる孤独感。

    やはり言葉では言い表せない。
    とにかく地獄としか言いようがない。

    更にはパニック発作も併発していた。

    彼女といる時、私は様子がおかしくなり、パニック発作や予期不安に襲われ、突然彼女の部屋を飛び出し、周辺を歩き回ったりした。

    精神的な負担がかかると動機がした。
    気が動転してまともに会話ができない時もあった。

    当時、担当のケースワーカーが新人に変わり、甲斐性のない彼と相性がとても悪く、高圧的な態度にとても苦しめられた。

    彼とは担当が変わるまで約1年半、ずっと衝突し、その度に苦しめられた。

    結局、今回も離脱症状が完全に体から抜けたと感じるまで、1年以上かかった。

    そして、今回の一連のこの経験は、私のその後の暮らしに確実に悪影響を与えた。

    2024年夏ごろ、断薬はしていたが、双極性障害の薬の影響で、とても気分がアッパーになっていた。

    アッパー思考がノリに乗って、突然の引っ越しを決意したのだ。


    18年ほど前。

    30歳くらいの私は、神奈川県横浜市で一人暮らしをしていた。
    ある日の昼過ぎごろ、アパートでテレビを見ていると、突然「パツッ」という音がしてテレビの画面が落ちた。

    電気代が払えず、家の電気が止まったのだ。

    シーンと静まる部屋。
    突然のことでしばらくぼーっとしていた。

    そして次の瞬間に思った。

    「あぁ、もう実家帰ろう」

    そして、翌週には埼玉県北部にある実家に戻った。

    私の長かった自分探しの旅は、それで終わりにしたのである。

    実家に帰ってから約18年間。その間に様々な事があった。

    帰郷した半年後に祖母が糖尿病と合併症、癌により83歳で他界。
    翌年に母親の病気が見つかり、余命約1年間、闘病を共にし、翌々年癌により57歳と言う若さで他界。
    視力も聴力もない重度の身体障碍者だった祖父の面倒などに追われるが、翌々年に祖父も肺炎で他界。拷問のような人生は96歳で幕を閉じた。

    その間、飼い猫2匹の死。

    今思えば、あの時、突然の帰郷へ思い立ったのは、虫の知らせだったのかと思うほど、帰郷後に立て続けに家族が亡くなった。

    そして、甲斐性なしの父と兄との3人暮らしが始まるが、

    自暴自棄、パニック障害、うつ病、精神薬との闘いの日々。

    さらには兄との軋轢。

    全員無職。全員意欲もなく酒ばかり飲んで暮らす日々。
    電気、ガスが止まり、私は犯罪にも手を染めた。

    だが、暇つぶしで始めた生配信で元嫁と出会い、勢いで家を出て就職、結婚までしたが、元嫁の不倫きっかけで4年で離婚。

    その後、東京に住んでいる女性と配信で出会い、すぐに交際。埼玉県北部と東京の中距離恋愛が始まる。その彼女とは7年半付き合うことになる。

    18年の間、引っ越しも4回した。


    2024年、生活保護受給者となった今、自分の人生を見つめ直していた。

    私は、彼女との未来を考えていた。

    私の人生はどうなるのだろう。

    私は自分の人生をどうしたいのだろう。

    このままこの地で、再び仕事をし、彼女と中距離恋愛をしながら暮らしていくつもりか。

    当時、夫と離婚をし娘と2人で生活保護で生活していた彼女も、仕事を始め自立していた。

    私がこの埼玉県北部のこの土地で再び定職に就いたら、恐らく彼女とは今まで以上に疎遠になるだろう。

    生活保護制度には心から感謝している。

    私はこんな状態でも、暮らせていけるのだ。

    生かしてもらえているのだ。

    私は、やはり私の人生を今一度、ここで考えなければいけない。

    それは、この時間をくれた宇宙への恩返しでもあるのだ。

    私は今の暮らしに感謝しながら、これからの未来を考え直す機会をもらえたのである。

    それは毎日襲われる地獄のような離脱症状に苦しみながらも出した結論。

    東京へ。彼女の近くへ引っ越そう。

    50歳間近の私が決めた、私という人間の、人生に対する一つの回答だった。

    むしろ、生活保護の今じゃなければできない。
    今しかないのだ。

    そう思った。

    東京で仕事を決めよう。

    そして引っ越す。


    しかし、私には心配事があった。


    障害者となった父親の事である。








     
     
    生活保護3年。東京23区最南端在住。無職。離婚歴あり。独身。恋人なし。子供なし。身寄りなし。趣味、特技なし。概日リズムなし。 唯一の取り柄はかわいいこと。 そんな、今年50歳になった男の日常を綴った日記のような、独白っぽい、エッセイです。

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