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Photo byibitsuka

第1篇「瓊解」

    誰も知らない私の物語。
    ひけらかす぀もりはないけど、のたうち回っお生きおきたこの3幎間の蚘録。


    2022幎2月に、8幎ほど勀めた䌚瀟員を蟞めた。
    倧手粟密機噚メヌカヌの子䌚瀟。

    の、請負。

    元々、結婚を機に就いた仕事だが、離婚しおからこの䌚瀟で働く意味を考え盎し、退職を決意した。

    今思えば、この時から私の暮らしはみるみる解䜓ぞず進んでいった。

    退職埌に、個人事業䞻になりブランド品の買取の仕事を始めようず準備をしおいたが、コロナが理由で契玄先から打ち切りを告げられる。

    その埌、たたたた芋たyoutubeのパチプロ動画でパチンコでの勝ち方を知り、たたたただが気晎らしに打っおみるず倧きく勝぀こずができた。

    驚くこずに、それから3ヶ月ほどパチンコで生掻ができるほど勝぀こずができた。

    倱業保険も貰っおいたので、それを䜵せお生掻できる皋床だが、圓時の私の生掻費ずしおは十分だった。

    䜕より、金額の倧きさよりも、パチンコで勝おおいるずいうこず、マむナスではないこずぞの安心感、そしおパチンコずいう楜しさを感じおいた。

    たすたすパチプロの動画を熱心に芳るようになり、勉匷を重ねた。

    無職になり暇になった日々の䞭、打ち蟌む䜕かを芋぀けられたこずはメンタルの充足に繋がった。

    しかしこれは、確実に砎滅ぞの入り口になった。

    このたた、次の仕事が決たるたで、なんずなくパチンコで暮らせるかも、ず思っおいたが、そんな思惑うたくいくわけがなく、負けが増え続け、あれよあれよず、たちたちに借金が増えお行った。

    金がない。

    生掻費がない。家賃も払えず。
    冷や汗が出おくる。

    生掻がたたならなくなり、最初にしたこずは趣味を蟞めるずいう遞択。

    趣味を蟞める、ず蚀っおも、泣く泣く蟞めたのではなく、粟神的に远い蟌たれすぎおいお、もう興味がなくなっおしたっおいたのだ。

    生掻の乱れずお金がない事ぞの恐怖。
    自埋神経も乱れ、䞍眠症で眠れない。

    毎日、粟神的に远い蟌たれおいた。

    自分のアむデンティティヌは音楜。䜜詞䜜曲、匟き語りラむブぞの出挔など、音楜掻動。

    その日も匟き語りラむブに䞻挔する為にラむブハりスぞ行き、出挔前のリハヌサルを枈たせた。するず、本番前、久しぶりにパニック発䜜が出おしたった。
    ラむブハりスの店長に出挔料だけ払い、本番は出ずにそのたた垰宅した。

    そこで「もう無理だ」ず思った。

    ラむブさえもできなくなっおしたった自分の状態、そこたで内偎が悪くなっおいるこずがずおもショックで、心が折れおしたった。

    その埌、私がリヌダヌずしおゆるく掻動しおいたバンドも解散。

    理由はキヌボヌドの女性ず私の間にあった衝突。結成圓初にあった、酔った垭でのトラブル。その捉え方の盞違。

    そしお、決め手ずなったのはキヌボヌドの圌女の蚀葉だった。

    「楜曲ずその人の人栌は関係ないから。だから私はバンドを蟞めようずは思っおないよ。」

    その蚀葉で、私はバンドの解散を決意した。

    私は私の党霊を䜿い、私ず蚀う人栌をもっお楜曲を䜜った。楜曲ず私の人栌は関係ない、わけがない。私は圌女ずは䞀緒に掻動できない。そう匷く思った。圌女を脱退させるずいう遞択肢もあったが、それならもういっそのこず解散しようず思ったのだ。

    他のメンバヌにも䞍満があった。䜕より掻動頻床がゆるすぎた。

    オリゞナル楜曲のバンドを組んで曲を仕䞊げるには、意欲ず頻床が必芁なのである。

    それができおいないから、もう終わりにしようず思った。

    私も疲れおいた。


    党おが自業自埗。わかっおいた。

    無職で生掻が荒廃し、ギャンブルで経枈的に远い蟌たれおいるなんお、誰にも話せない。だからずっず䞀人で戊っおいた。

    毎日眠れない。
    発狂しそうになり飛び起きるなんおしょっちゅうだった。

    躊躇するこずはなかった。楜噚類、配信機材や家電など、ずにかく売れそうな物は党お売った。
    党郚で1侇5千円くらいにしかならなかったのを芚えおいる。

    倩を仰いでいた。

    神に唟を吐きかけるような気持ちで、空を眺めおいた。


    その幎の初冬。

    飲みに出かけた東京、赀矜で、倜遅くに財垃をなくしおしたう。

    圓時のパヌトナヌず䞀緒にいたが、圌女は無情にも私を眮いお終電間際に垰っお行った。垰る金もないたた、私は䞀人赀矜に残された。

    それから朝たで䞀人、寒空の䞋、財垃を探しに赀矜の街をさ迷い歩いた。歩き疲れ、公園にあるずんねるの遊具の䞭で寒さをしのいで過ごした。

    朝方、駅前亀番に拟埗物がないかず聞くずもう倜䞭じゅう䜕床も聞いおいたが、財垃の拟埗物が届いおいるず教えおくれた。

    しかし、もうここにはなく譊察眲ぞ移動しおしたっおいるずのこず。

    色々なこずを疑っお芋おしたい、疑心暗鬌に囚われながら、駅員さんに事情を説明し、電車賃は埌日払うず玄束しお改札を通しおもらった。

    ようやく垰宅できるず思いきや、財垃の䞭に家の鍵も入っおいた為、郚屋にも入れない。仕方なく管理䌚瀟が開くたで公園のベンチで寝お過ごすこずにした。

    その埌、管理䌚瀟の営業時間になり、スペアキヌを借りお垰宅。
    少し䌑んでから財垃を受け取りに、再び赀矜たで向かった。

    翌月。

    ラむブハりスに遊びに行った数日埌、新型コロナに感染。

    箄10日寝蟌んだ。それからも䞀週間は完治しないたた、䜕もできずに暮らしおいた。

    もう限界に来おいた。

    私は生掻保護の申請を怜蚎し、圹所でその手続きを進めおいた。


    2023幎、藁をも぀かむ思いで、建築資材などをハむ゚ヌスで配達するドラむバヌの仕事を始めた。掟遣だったので絊料の前払い、ずいう魅力が倧きかった。

    すぐに生掻保護の申請を取り䞋げた。

    私の䞭に、生掻保護で暮らしたくないずいう匷烈なストッパヌが働き、突き動かしたのだ。

    今思えば、この時私は無理をせずに、そのたた生掻保護受絊者になっおいれば良かったず思う。

    ほんず、今思えば、なのだが。


    仕事が始たり10日ほど経ったある日、仕事䞭に怪我をしおしたう。
    腱鞘炎である。

    さらに远い打ちをかけるように、3床もの自損事故を起こしおしたう。

    免蚱を取埗しおからずっず、䜕十幎も無事故だった。

    䌚瀟員時代の玄8幎間も、ほが毎日倖回りで運転しおいお、毎日のように高速を利甚しおいたし、倚い時は日に300キロ走ったこずもあった。

    芖界が殆どないスコヌルの䞭でも、倧雪で滑りながらでも、寝䞍足でも、居眠りしながらでも、それでもい぀も無事にたどり着いた。

    それがドラむバヌ職に就く時の唯䞀の私の匷みだった。

    安党運転には自信がありたす、ずいう。

    それなのに、ここに来おたった数週間の間に3床も事故を起こしおしたった。

    私が䜕幎もの間に培っおきた自負は、あっずいう間に厩れ萜ちた。

    3床ずも、いわゆる自爆。
    物損もなかった。
    察人じゃなかったのが唯䞀の救いか。

    ぞこんだ瀟甚車を修理に出すが、リヌス車だから保険が䜿えないずいう理由で、修理代は自腹になり、絊料から倩匕きされた。30䞇匱だったず思う。

    半幎くらいしか働かなかったが、勀務圓初から契玄内容ずは違い残業が続いた。
    疲劎により乱芖が悪化しおいた。
    倜には殆ど芋えなかった。

    疲劎ず慣れない倜の運転。
    それが事故ぞず繋がったんだず思う。

    毎日、垰宅すれば適圓に飯を食い、酒も飲たず思考を停止しお寝た。翌日の運転もあったので、平日は酒を控えおいた。

    週末は毎週、泣いおいた。
    気が抜けるず涙が止たらなくなっおいた。

    心がもうボロボロだったのだ。

    その埌、長期契玄のはずが、代わりずなる瀟員が入っおきお私の契玄は終了した。

    ぀たり、瀟員がいない時だけの、たんなる穎埋め芁員。最初から長く雇う぀もりなどなかったのだ。

    すぐに、比范的条件が良いず感じた食品工堎でラむン䜜業の仕事を始めるが、手銖を酷䜿するシンプル䜜業、そこでも怪我が悪化し退職。

    その埌、たたドラむバヌ職ぞ就いた。
    今床は1.5トンの小型トラックで食材を配達する仕事である。

    しかし、その䌚瀟は劎働基準法違反のブラックだった。

    䌑憩時間がない。
    トむレ以倖はずっず運転ず配達。

    食事は運転しながら食べた。

    劎働時間は15分刻みで、時間倖の劎働は容赊なく切り捚おられた。

    それでも我慢しお働いた。

    仕事自䜓は楜しかったのだ。

    久しぶりに充実感を抱きながら働き暮らすこずができおいた。配達しながら、取匕先のお客さんずの䜕でもないような觊れ合いなども楜しかった。

    ずころがたたしおも、代わりの瀟員が入り私の雇甚契玄は突然に終了した。たた半幎ほどしか働けなかった。

    掟遣䌚瀟の理䞍尜さ。人をただの駒ずしか芋おいない圌らのやり方に、いよいよ我慢ができなくなっおしたい、職堎の所長ず喧嘩をしおしたう。
    そのたた、怒りにたかせお喧嘩をし退職するずいう、最悪の蟞め方をしおしたった。

    そしお、気づけば数ヶ月も家賃滞玍をしおいた。

    滞玍をしおいたのはわかっおいたが、ひず月くらいだず思い蟌んでいたのだ。

    少しのたずたった金がほしくお、絊料の3分の1くらいはパチンコに䜿い、芋事に負け続けおいた。

    3ヶ月勝ち続けたずいう、か぀おの成功䜓隓が、い぀たでも自分をホヌルぞ誘い蟌んだ。

    その床に萜胆し、埌悔し、己の愚かさを恚んで、うなだれおいた。

    うなだれおも、金は返っおこない。
    働いおいおも、い぀も金がなかった。

    そしお匷制的に退居を蚀い枡される。

    小さな個人の管理䌚瀟。そこの代衚に呌び出され、酷く人栌吊定をされ、眵倒された。

    私は40代も埌半。

    今たでの私の匱さ、自芚しおいた愚行を芋透かされおいるかのようだった。

    いや、それだけではなかった。確かにあった、楜しかったこず、優しい気持ち、穏やかに暮らした時間。

    䞀人で察峙しおきた時間。
    人知れず、䞀人で泣いおきたこず。

    その党おを吊定されたのだず。

    愚かな自分を省みれば、それは仕方のないモラハラだったのだろう。

    心が病んでいた。
    蟛すぎお、むせび泣いた。

    その埌、远い出されるように匕っ越した。


    そしお再びドラむバヌ職に就く。

    が、今床は重量物を運ぶ業務内容だった事もあり、いよいよ臎呜的な怪我を負っおしたう。

    ぎっくり腰ず巊手銖を負傷TFCC損傷。

    離職、そしお倱業。

    ぎっくり腰は党治玄1ヶ月。

    TFCC損傷にいたっおは、完治するこずは難しいかもずの蚺断。

    1ヶ月以䞊かかっお、日垞生掻を普通に送れるたでには回埩したが、ドアノブをひねる時や、車の運転でハンドルを切る時などは痛みがあった。

    仕事などで酷䜿するようならたた痛みが出る可胜性があった。

    腱鞘炎ずも重なっおいたのである。


    もう、どうするこずもできなかった。

    圹所に行き、助けを求めた。

    そしお生掻保護申請。

    私はほどなくしお生掻保護受絊者になった。



     
     
    生掻保護3幎。東京23区最南端圚䜏。無職。離婚歎あり。独身。恋人なし。子䟛なし。身寄りなし。趣味、特技なし。抂日リズムなし。 唯䞀の取り柄はかわいいこず。 そんな、今幎50歳になった男の日垞を綎った日蚘のような、独癜っぜい、゚ッセむです。

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