
「誰でも書ける」の次に起きた、AI丸出し小説のランキング入り。Web小説はいま、何を競う場所になっているのだろう。これから私たちは、何を目指して書けばいいのだろう|書籍化ログ
いまXでは、AIからそのまま出力したと思われるWeb小説がランキングに入っていることを話題にするポストを、たびたび見かけます。
実際に読んだ人の報告によると、マークダウン記号がそのまま残っていたり、まだ登場していない人物の名前が出てきたり、辻褄が合っていなかったりするそうです。
読む人が読めば眉を顰めるほど粗い。
それでも作品として公開され、しかもランキングに入るほど読まれている。
「ここまで雑でも読まれるのか」
「こんなに間違いだらけなのに評価されるのか」
AIで書いたことよりも、むしろ瑕疵だらけでも読まれるという事実の方に衝撃を受けている人の方が多いように見えます。
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
こういう現象を見るたび、Web小説という市場の特殊性が、いよいよ先鋭化してきたと感じます。
●文章が上手くても、Web小説では勝てない
私たちは小説を読んでもらいたいと思うと、つい「文章力」「文章術」「表現力」といったところに打開策を探します。
文章を読むことにも書くことにも慣れていて、読書が好きな人ほど、そう考えやすいのだと思います。
自分より巧い文章を読む。
語彙の豊かさに圧倒される。
情景描写の美しさを見て、「自分にはこんな文章は書けない」と落ち込む。
noteでも、そんな話をよく見かけます。
もちろん、小説を書くという意味では、その努力は何ひとつ無駄ではありません。文章が上達すれば表現できることは増えますし、複雑な感情や場面も、より精密に描けるようになります。
ただ、「Web小説で読まれたい」という目標に対しては、文章力はすでに競技の中心ではありません。
ここを同じものとして扱うと、かなり苦しくなります。
従来、小説を書く力として評価されてきたのは、文章表現、語彙、比喩、描写、人物造形、構成、テーマ性といったものです。
ところがWeb小説では、文章に明らかな粗さがあっても、読者が欲しいものを正確に返せる作品が読まれます。
この事実を並べると、Web小説で起きている変化はかなり明快です。
●Web小説は「文章の競技」から「欲望の設計レース」へ
私は、Web小説がいま「文章の競技」ではなく「欲望の設計レース」に近づいていると感じています。
読者が求めているものは、文章そのものではなく、その文章を通して得られる感情です。
だから、欲しい感情さえ得られればそれを運んでくる文章はそこそこでも構わない。
欲しい感情へ早く、正確に辿り着けるなら、文章の粗さや細かな矛盾は大きな障害にはなりません。
反対に、どれほど文章が美しくても、読者が待っている感情に届くまで時間がかかれば、その美しさそのものがストレスになります。
つまり、Web小説では文章の完成度よりも、感情報酬の設計精度の方が高く評価されているのです。
AIから出したままの文章がランキングに入る現象は、その構造をかなり分かりやすく見せています。
文章を味わうことより、その先にある感情へ早く着くことが優先される。
美しく長い道より、多少凸凹でも安直な道の方が選ばれているという感じです。
●「読まれる作品」と「大切にされる作品」
そして、ここまで来ると一つはっきりします。
「小説」と一口に言っても、もはや、どこで書くのか、どこで評価されたいのかによって、目指す競技がまるで違うということです。
無修正のAI文章がランキングに入る光景は、その違いを極端な形で可視化しました。
評価される場所が変われば、求められる強さも変わる。
Web小説でいま起きていることは、その違いがはっきり見えるようになったということなのでしょう。
ただ、ここで私は思うのです。
「読まれる」と「大切にされる」は、同じなのでしょうか。
書籍が高級品になりつつある今、そこに人が書く意味が宿っているような気がしています。
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