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AI時代の創作メモ|「わかりません」とキレる人。いつから理解力の責任を作者が負わなければならなくなったのだろう(#創作論 #Web小説 #note #エッセイ #文章術 #マインドセット #書籍化 #生成AI #画像生成AI)

    こんにちは。こんばんは。
    普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

    一昔前、本は、一度読んで意味が分からなければ、もう一度読むものでした。
    もう一度読んでもわからなければ、わかるまで読む。他の本で調べる。別の資料で索引する。
    それでもわからなければ、誰かに聞く。

    そういうものでした。

    ここで、「誰かに聞く」が最後にあるのは、少なくともその当時までは、「分からない」という出来事が起きた時、まず疑われるのは「自分の理解力」の方だったからです。

    少なくとも数十年前までは、分からないことは恥ずかしいことだったのです。

    ところが今は、その物差しがずいぶん変わりました。

    分からないものを差し出すと、「説明不足」「不親切」と言われる。

    昔の方がよかったと言いたいわけではありません。

    ただ、「理解できない」という出来事の責任が、受け手から作り手へ移ってきたように感じるのです。

    考えてみれば、それも当然なのかもしれません。

    ショート動画やストーリーは「流れてきた」「落ちてきた」と言いながら見るものになりました。
    自分から探しに行かなくても、次から次へと何かがやってきます。

    しかも今は、情報もエンタメも足りないどころか、多すぎる。
    分からないものの前で立ち止まらなくても、指を一本動かせば、もっと分かりやすいものが出てきます。

    そうなると、意味もまた「自分で取りに行くもの」ではなく、「向こうから分かる形でやってくるもの」になっていくのかもしれません。

    最近のアニメで、以前なら映像や表情から読み取らせていたことまで台詞で説明する場面が増えたこと。
    文章でも、比喩や暗示、行間から意味を拾わせるより、何を意味しているのかを直接書く方が好まれること。

    これらも、同じところにつながっているように思えます。

    だから私は、広く読まれたい文章において「わかりやすさ」や「読みやすさ」が大きな力を持つのは当然だと思っています。

    読む人に意味を探させなくていい。
    迷わせない。
    一度で伝わる。
    今の情報環境では、とても強い要素です。

    では、意味が向こうからやってくるのが当たり前の世界で、自分から意味を取りに行く人はどうなるでしょうか。

    意味が分かりやすく差し出されるものだけを選ぶ人にとって、「分からないもの」はそこで終わります。

    説明が足りない。
    何を言いたいのか分からない。
    不親切だ。

    そう判断したら、もっと分かりやすいものへ移ればいい。
    それで困ることもありません。
    次にはちゃんと、考えなくても意味の分かるものが待っているからです。

    でも、その「不親切」と言われて置いていかれたものを、なぜか拾ってしまう人もいます。

    一度では分からなかった文章を、もう一度読む。
    説明されなかった人物の気持ちを拾う。
    答えの書かれていない要素から、構造を炙り出す。

    誰かが「分からなかった」で閉じたところから、その人の思考だけが先へ進んでいく。

    両者には、かなり大きな差ができるのではないかと思うのです。

    分かりやすく意味を差し出してくれるものしか受け取らない人は、すでに誰かが意味にしてくれたものだけを受け取ることになります。

    一方で、自分から意味を取りに行く人は、まだ意味になっていないところまで考えることができる。

    この違いは、単に「難しい作品も楽しめる」というだけではありません。
    もっと大きなところに効いてきます。

    たとえば、「問い」はどこから生まれるのでしょう。
    答えを受け取っているだけでは、問いは生まれません。

    目の前にある説明と、自分が見ているものの間に何かが噛み合わない。
    みんなは当然のように受け入れているけれど、「本当にそうなんだろうか」と引っかかる。

    その説明からこぼれているものを見つける。

    そこではじめて、「なぜ?」が生まれます。

    物語も、たぶん同じです。

    目の前に差し出された意味をそのまま受け取るだけなら、そこから先にあるものを想像する必要はありません。

    でも、苦しみや悲しみ、喜びの先に意味を見出せたなら。

    物語はそこから始まります。

    問いも物語も、すでに与えられている意味の中にはありません。
    まだ意味になっていない部分を、自分で見つけるところから始まります。

    それって、普段私たちが日常的にやっていることですよね?

    小説を書く人も、noteを書く人も、何もないところから言葉を出しているわけではありません。

    世界を見て、そこから何かを見つけています。
    みんなが知っている出来事から、自分だけの問いを見つける。
    ありふれた感情の中から、一つの物語を見つける。
    別々の場所にあった知識をつないで、一つの考えにする。

    それを何度も繰り返している。

    だとすると、情報を受動的に受け取ることが当たり前になるほど、今まで書く人が当たり前にやってきた「意味を取りに行く」という行為の価値は、むしろ大きくなるのかもしれません。

    そして、もう一つ面白いことがあります。

    深いところまで考えられる人は、浅いところまで戻ってくることができます。
    高校生なら、小学生に合わせて足し算を説明することができます。
    でも、小学生が高校生に合わせて微分積分を説明することはできません。

    これは、小学生の方が劣っているという話ではありません。
    単純に、自分がまだ持っていない構造を、分解して説明することはできないという話です。

    文章も同じではないでしょうか。

    意味が向こうからやってくる時代だからこそ、自分から意味を取りに行けること。
    それはこれから、書く人にとってかなり大きな強みになっていく気がしています。


    あとがき:
    noteで「男性だと思っていました。」と言われることが多い私ですが、自分では自覚がありません。別に嫌な気もしませんし、むしろ文章だけ性転換しているようで楽しいと感じます。おそらくそのせいでしょう。以前「クソリプ生体図鑑」で紹介した通りのサンプルですか⁉と思うようなコメントをもらったことがあり、こういう人はどんな記事を書いているのだろうと興味がわき、その人を見に行ったことがあったのです。ところが、当の本人はコメント欄を閉じていて、しかもその理由をざっくり要約すると「頭の悪いやつとは会話したくない」というもの。さらに読んでいくと「自分は女には絶対に近寄らない。コメントも絶対にしない。なぜなら女はバカでヒステリックで論理が通じないから(※超訳)」と、偏見を誇るように書いていて、私は「……。」となりました。えーと……そのアンテナ、仕事してないみたいですよ?

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    カランコロン

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    書籍化作家で、マーケター歴20年。 なのに中身はだいぶ繊細気質。 創作の裏側や、読まれる仕組み、時々ちょっと人生の話。 うまく言えない感情を、言葉にしていく場所です。

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