
行動と思考を続ける理由
みなさんこんにちは、ブラキンです。
前回の記事では、バイク旅のあとに関東へ移動し、神奈川で生活し、その後沖縄に来るまでの流れを書きました。
今回は、その行動の背景にあったものについて書いていこうと思います。
ここ数ヶ月、自分は移動したり、ソフトを作ったり、働き方や生活環境を変えたりしてきました。
一見するとバラバラな行動に見えるかもしれません。
でも後から振り返ると、それらはすべて「圧倒的自立と自由」という自分の思想の軸につながっていたように思います。
圧倒的自立と自由
私にとって、圧倒的自立と自由とは、綺麗なスローガンではありません。自分がちゃんと生きている感じを得るための、最低条件です。
しばらく内省していて気づいたのですが、僕の脳みそは主権と裁量が自分の中に感じられるときにしか幸せを感じられないようです。
ただ自由なだけでは責任が発生せず、自分で人生をコントロールしている感覚が薄い。
一方で自立していても、自由が強く制限されていれば、自分の人生を生きている感覚が弱くなります。
だから、自立したうえで自由であること。自由でありながら、自分の責任で選んでいること。
その両方が揃ったときに、自分の中で人生の主権を感じられ、幸福を感じられるのだと思います。
なぜ移動していたのか
いろいろな場所に移動していたのは、単に旅をしたかったからだけではありません。
もちろん、自分がいたい場所に自由に行くという意味もあります。
でもそれ以上に、場所を変えることで、自分がどんな環境で機能するのかを見ていたのだと思います。
どんな生活だと頭が動くのか。どんな人間関係だと自然でいられるのか。逆に、どんな環境だと自分が鈍っていくのか。
移動は、逃避でも観光でもなく、自分の生活条件を確かめる実験に近かったのだと思います。
それに日本人なのに日本のことを全然知らないのは嫌ですしね。
なぜソフトを作っていたのか
関東でソフト開発をしていた理由は、自立の部分に関わっています。
私にとってソフト開発は、単にスキルを身につけるためのものではありません。自分の中に、問題を定義し、解決し、形にする再現性を作るための行為です。
これからの時代、ものによってはスキルそのものが技術に置き換えられていく可能性があります。
その中で人間側に残る重要な能力は、問題をどう切るか、何に責任を持つか、どこに価値を見出すか、そしてそれをどう形にするかだと思っています。(この考えについては、AIと付き合う人間の態度としてまた深掘りしたいですね笑)
だから私は、特定のスキルだけではなく、問題定義と問題解決の再現性を自分の中に作りたい。
ソフト開発は、問題定義と解決の連続で都合がとても良かったです。開発をしながら、創作は実は何を作るかより何を作らないかの方が重要なのではないかということに気づきました。
なぜ沖縄に来たのか
しばらく開発をしていると、友人から沖縄で水上バイクを運転しながら接客する仕事を一緒にしないかと誘われました。
その時点でソフト開発もある程度進んでおり、機械学習用に沖縄でデータセットの作成がしたいという気持ちがありました。
それに、将来の自立と自由のために行っているソフト開発が、今の自由を阻害しすぎるのは矛盾している。それが許容されるなら、会社員のままでよかった。
そう思ったので、仕事とソフト開発を両立できる形までなんとか持っていき、現在は沖縄で働きながらソフト開発も続けています。
まとめ
ここまで長々と書きましたが、要するに自分の要求水準が高く、すぐに乾くから、乾かないように必死こいて考えて行動して、自分は自立していて自由だと言い張っているだけなのかもしれません。
そして自分の行動を振り返ると、自分の行動は自分で選択しているのではなく、自分に与えられた前提条件に基づいて無意識が選び、それを自分が選択したと錯覚しているだけなのかもしれませんね。
今回の記事をチャッピーに投げて添削を頼むと、かなり書き換えられてしまいましたが、そのまま投稿しようと思います。
あるあるですが、中途半端に壊れると修理するより一から書き直した方がいいってやつですね。
今回はもう、部分的に修正して出そうと思いますが笑