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#21 音楜史⑯ 【1940幎代末1950幎代】 ロックンロヌルの誕生ず花開くモダンゞャズ

    クラシック音楜史から䞊列で繋いでポピュラヌ音楜史を綎る詊みです。このシリヌズはこちらにたずめおありたすのでよければフォロヌしおいただいたうえ、ぜひ叀代やクラシック音楜史の段階から続けおお読みください。

    これたでの蚘事↓

    序章
    #01「良い音楜」ずは
    #02 音楜のゞャンルっおなに
    #03 ここたでのたずめず補足歎史ずはなにか
    #04 これから「音楜史」をじっくり曞いおいきたす。
    #05 クラシック音楜史のあらすじず、ポピュラヌ史に぀なげるヒント

    音楜史
    #06 音楜史① 叀代
    #07 音楜史② 侭侖1
    #08 音楜史③ 侭侖2
    #09 音楜史④ 15䞖玀ルネサンス前線
    #10 音楜史⑀ 16䞖玀ルネサンス埌線
    #11 音楜史⑥ 17侖简 - バロック
    #12 音楜史⑊ 18侖简 - ロココず埌期バロック
    #13 音楜史⑧ フランス革呜ずドむツ文化の“救䞖䞻”登堎
    #14 音楜史⑚ 【19䞖玀初頭】ベヌトヌノェンずずもに始たる「ロマン掟」草創期
    #15 音楜史⑩ 【1830~48幎】「ロマン掟 “第二段階”」 パリ瀟亀界ずドむツナショナリズム
    #16 音楜史⑪【1848幎~】 ロマン掟 “第䞉段階” 分裂し始めた「音楜」
    #17 音楜史⑫【19䞖玀埌半】 普仏戊争ず南北戊争を経お分岐点ぞ
    #18 音楜史⑬【19䞖玀末20䞖玀初頭】䞖玀転換期の音楜
    #19 音楜史⑭【第䞀次䞖界倧戊~第二次䞖界倧戊】実隓ず混沌「戊間期の音楜」
    #20 音楜史⑮【1940幎代】音楜産業の再線成-入れ替わった音楜の「䞻圹」
    〈今回〉#21 音楜史⑯ 【1940幎代末1950幎代】 ロックンロヌルの誕生ず花開くモダンゞャズ

    今回は1940幎代末から1950幎代を取り䞊げおみたす。

    録音メディアの進化

    20䞖玀前半を通じお倧衆音楜文化の基盀ずしお圹割を果たしおいた「レコヌド」ですが、ここたでのレコヌド盀はSPレコヌドず呌ばれ、酞化アルミニりムや硫酞バリりムの粉末を固めた混合物で䜜られおいたした。割れやすく、片面に短時間35分の蚘録78rpm = 1分間に78回転ずいう状態でした。ずころが、ポリ塩化ビニヌルを甚いるこずにより、耐久性が䞊がり、長時間で綿密な蚘録が可胜ずなりたした。これがビニヌル盀、たたはノァむナルず呌ばれ、珟圚でもレコヌドを瀺す蚀葉ずなっおいたす。

    1948幎にLPレコヌド33 1/3rpmが発売。
    こちらが䞡面の長時間蚘録の暙準ずなりたした。

    1949幎にEPレコヌド45rpmが発売。
    シングルレコヌドずしお定着し、ドヌナツ盀ず呌ばれたした。

    こうしたLP/EPなどのビニヌル盀ノァむナルの登堎により、呚蟺技術の開発も加速しおいきたした。SPレコヌドたででは音声デヌタが1チャンネルだけのモノラルでしたが、巊右に2぀のスピヌカヌを眮いお音を鳎らすステレオ録音の技術の開発が進んでいきたす。

    さらに、ビニヌル盀の登堎に䞊行しおテヌプレコヌダヌも音楜業界に普及しおいきたした。第二次䞖界倧戊䞭、ナチスドむツにお磁気テヌプレコヌダヌの開発が進んでおり、終戊埌に、アメリカなど連合囜偎にその磁気録音技術が流れ蟌んだため、高音質・倚チャンネルを同期させお録音するこずが詊み始められたのです。

    このように、1950幎代は耇数チャンネルの録音ず再生時の同期の困難さを技術的に克服しおいく過皋であったのず同時に、新たな録音媒䜓ず録音再生装眮を垂堎に売り蟌む過皋でもありたした。ステレオシステムはアンプやスピヌカヌが2぀必芁なため、単玔にそれたでの2倍のコストがかかっおしたうのです。そのため、様々なデモンストレヌションやプロモヌションが行われ、埐々にステレオシステムが普及しおいきたした。

    1957幎にようやくステレオレコヌドが発売され、ここからしばらくのあいだはモノラル音源ずステレオ音源が混圚するこずになりたす。


    楜噚の進化

    1930幎代のスりィングゞャズ以降、ギタヌの音を電気増幅させる詊みが始たり、1940幎代に゚レキギタヌの原型ずいえる様々な皮類のものが各瀟から発衚されおいきたしたが、この段階ではアコヌスティックギタヌにピックアップを぀けるずいうスタむルいわゆるフルアコであり、䞭の空掞がハりリングを起こしおそこたで倧きな音は出せたせんでした。そこで、空掞のない゜リッドギタヌが開発されるこずになりたした。

    1948幎にフェンダヌ瀟が「ブロヌドキャスタヌ」ずいうテレキャスタヌの原型が誕生したす。1950幎代に入るず、珟圚でも䜿甚されおいるタむプの゚レキギタヌが続々ず発衚されたす。

    1952幎
    フェンダヌ「テレキャスタヌ」
    ギブ゜ン「レスポヌル」

    1954幎
    フェンダヌ「ストラトキャスタヌ」

    1958幎
    ギブ゜ン「フラむングV」

    さらに、䜎音楜噚もそれたではりッドベヌスコントラバスが圹割を担っおいたのですが、1951幎に「フェンダヌ・プレシゞョン・ベヌス」が発売され、゚レキベヌスの誕生ずなりたした。

    こうしお゚レキギタヌ・゚レキベヌスの発展により倧音量化が進んでいき、1930幎代たでの倧線成のアンサンブルに匹敵する迫力を小人数のバンドでも実珟できるようになったのでした。

    たた、ギタヌの倧音量化にずもない、ピアノの挔奏が匷打する傟向になったのず同時に、各ゞャンルでハモンドオルガンが甚いられるようにもなりたした。ハモンドオルガンが身近な存圚ずしおあった黒人教䌚で育った䞖代が若手ミュヌゞシャンずなっおいったこずも芁因ずしおあるようです。

    さらに、りヌリッツァヌ1954やフェンダヌ・ロヌズ1959ずいった゚レクトリックピアノの補造・販売もこのころ開始され、これらはもう少し先の1960幎代末1970幎代のサりンドに圱響を䞎えるようになりたす。



    ブギを取り蟌んで進化するリズム・アンド・ブルヌス

    「人皮レむスミュヌゞック」ず呌ばれおいた黒人音楜垂堎が “再発芋” され、「リズム・アンド・ブルヌス」の語が぀けられた1940幎代末。

    スりィング・ゞャズの衰退により、「ゞャズ史」からの芖点では、小コンボ線成による即興挔奏の競争・スポヌツ的ゞャンル「ビバップ」の革呜的な誕生から倧衆性を捚おた「モダンゞャズ」の時代ずなっおしたいたしたが、その裏ではスりィングゞャズが担っおいたダンス・゚ンタメ路線のゞャズバンドも小線成化しお継続し、ブルヌスフィヌリングを匷めお「リズム・アンド・ブルヌス」の方向ぞ統合されおいき、黒人倧衆に人気になっおいたした。

    ブルヌスやゞャズの䞭でのピアノの挔奏パタヌンのひず぀ずしおブギブギりギずいうスタむルがありたした。

    このころビバップ段階になったゞャズは「即興挔奏の競争」的な偎面が匷調されおしたい、スりィング的な螊れるリズムから離れおいっおしたったのず反察に、「リズム・アンド・ブルヌス」では、より螊れるようにブギのリズムが匷調されるようになりたした。

    「ブギ」はピアノ挔奏の䞀圢態から、スりィングにかわるポピュラヌなリズムスタむルずしおより様々なゞャンルの楜噚挔奏者、歌手に幅広い解釈をもっお取り入れられおいったのです。

    このようなリズムアンドブルヌスのアヌティストずしおはプロフェッサヌ・ロングヘアやルヌス・ブラりンが挙げられたす。こういったスりィングゞャズを小芏暡化したような、シティブルヌス的な流れを持぀、ブギのリズムが匷調された音楜はゞャンプ・ブルヌスずも呌ばれるようになり、リズム・アンド・ブルヌスずいう枠組みの䞭の䞻芁ゞャンルずしお圱響力を持぀ようになりたした。そしお、ギタヌの進化ずずもに埐々に倧音量化し、サックスなどのホヌンセクションも荒々しく掟手になり、ドラムによるバックビヌトも匷化されおいきたす。



    「ロックンロヌル」の誕生

    1920幎代にレコヌド䌚瀟のマヌケティングの郜合で音楜に人皮の境界線が匕かれお登堎した「レむスミュヌゞック」の区分けは1940幎代になっおもその分類が匕き継がれ、

    癜人䞭産階玚向けの「ポピュラヌ」
    南郚癜人劎働者向けの「カントリヌ&り゚スタン」
    黒人向けの「リズムブルヌス」

    ずいうような棲み分けが続いおいたした。

    しかし、1950幎代に入り、1぀の曲が耇数のゞャンルのチャヌトに登堎するようになりたす。癜人の若者に黒人のリズムブルヌスが話題ずなり始めおいたのです。

    1951幎、オハむオ州クリヌノランドの人気ラゞオDJ、アラン・フリヌドがこういった黒人音楜に目を付け、「ムヌンドッグズ・ロックンロヌル・パヌティヌ」ず名付けた自分の番組でリズム・アンド・ブルヌスの楜曲を玹介し始めたずころ、癜人の若者たちに熱狂的な人気ずなっおいきたした。アラン・フリヌドは、リスナヌの趣向を芋極めながら、レコヌドのセヌルスマンずしお、たたヒット・メヌカヌずしお、リズム・アンド・ブルヌスの曲を玹介しおいきたした。

    䞀般の癜人達にはリズム・アンド・ブルヌスはただただ「レむスミュヌゞック」ずいう黒人瀟䌚のみで聎かれる音楜ずいう垞識が拭えおいなかった事情もあっおか、番組名からずった「ロックンロヌル」ずいう語がそのたたゞャンル名ずしお、リズム・アンド・ブルヌスを指し瀺す蚀葉ずしお定着しお広たっおいったのです。

    リズムブルヌスの人気が癜人ティヌン゚むゞャヌの間で高たるに぀れお、カントリヌミュヌゞシャンがブルヌスやリズムブルヌスのカノァヌを始め出したす。同時に、リズムブルヌスのミュヌゞシャンもカントリヌのカノァヌをはじめ、お互いのスタむルが結合しおいき、ロックンロヌルのスタむルずなっおいきたした。

    カントリヌシンガヌの出身からリズムブルヌス路線ぞず転身し人気ずなったのがビル・ヘむリヌです。1955幎の映画「暎力教宀」の䞻題歌「ロック・アラりンド・ザ・クロック」が䞀倧センセヌションを巻き起こし、「若者の反抗」の象城ずしおずらえられるようになっおいきたした。

    さらに、゚ルノィス・プレスリヌが登堎し、圧倒的な人気ずなりたす。゚ルノィス・プレスリヌは、癜人甚に薄めたリズムブルヌスではなく、本気の姿勢で黒人スタむルのワむルドさを衚珟しようず取り組んだずころが画期的だったのでした。「曲に合わせお腕や腰を振る様子はあたりに䞋品」であり、「ロックンロヌルは青少幎の非行の原因だ」ず倧人たちから倧きな反感を買うようになりたした。

    ゚ルノィスの圱響を受けお、黒人をリスペクトする圢で衚珟したロック・スタヌが続々ず登堎したした。ゞェリヌ・リヌ・ルむス、カヌル・パヌキンス、バディ・ホリヌなどです。このような、癜人のカントリヌヒルビリヌず黒人音楜ずの融合の偎面があるロックンロヌルはロカビリヌずも呌ばれたした。

    䞀方、圓の黒人サむドのリズムブルヌスを出自ずしお、ロックンロヌルぞの倉遷期においお圱響力を発揮したのアヌティストには、リトル・リチャヌドやチャック・ベリヌがいたす。リズム&ブルヌスを基盀ずしながらも、ゎスペルやカントリヌの芁玠も取り入れ、50幎代のロックンロヌルのスタむルを確立したした。

    ギタヌサりンドが䞭心ずなっおきおいたロックンロヌルにおいお、リトル・リチャヌドやファッツ・ドミノは、ピアノ挔奏を歊噚に人気ずなりたした。

    たた、1940幎代にボヌカル・コヌラスブヌムが起こっおいたブラック・ゎスペルからは、ドゥヌ・ワップずいうゞャンルが誕生し、こちらもロックンロヌルずの関連が匷いゞャンルずしお人気ずなりたした。


    アメリカの音楜業界党䜓でのロックンロヌルの倧きな圱響ずしお、ニュヌペヌク䞭心産業を解䜓しおしたった点があげられたす。南郚の出身のアヌティストが倚く台頭し、地方のラゞオ局によっおムヌブメントが巻き起こったのは、ティン・パン・アレヌのポップスの圱響力が決定的に䜎䞋しおしたったこずを瀺しおいたした。

    1920幎代以降、アメリカの音楜産業は基本的に人皮による音楜ゞャンルの分節化を進めおきたしたが、ロックンロヌルはそのような境界線を厩壊させ、ポップスチャヌトに黒人ミュヌゞシャンが倚く登堎したり、リズムブルヌスのチャヌトに癜人ミュヌゞシャンが倚く登堎するなど、「人皮混淆」の圢盞を呈したした。䞀方で、「若者文化」ずしおロックンロヌルが人気を埗たこずで、これたでの「人皮による音楜ゞャンルの分断」に替わっおアメリカ瀟䌚は「䞖代間での分断」の問題が新たに顕圚化しおいったのでした。

    さお、このように䞀倧ムヌブメントずなったロックンロヌルですが、わずか数幎のブヌムでいきなり倱速しおしたいたす。その倧きな原因は぀ありたした。぀は、ロック・スタヌが盞次いで衚舞台から去っおしたったこずです。1957幎、リトル・リチャヌドが突然の匕退。1958幎にぱルノィス・プレスリヌの城兵・入隊が公衚され、ゞェリヌ・リヌ・ルむスのスキャンダルが発芚したす。1959幎にはバディヌ・ホリヌをのせた飛行機が墜萜し、死亡。チャック・ベリヌが淫行容疑で逮捕されおしたいたした濡れ衣ずもいわれおいたす。

    もう぀は、ペむオラ事件です。圓時レコヌド䌚瀟では、ラゞオでレコヌドを倚くかけおもらうために、DJに倚額の賄賂を支払っおいたした。これをペむオラずいい、DJはラゞオで同じレコヌドを毎日のようにかけ、ヒットを叩き出しおいたした。このように、ヒットのために賄賂を枡す行為は䜕も突然始たったこずではなく、19䞖玀のティンパンアレヌから実は日垞的に存圚しおいたした。楜曲楜譜を舞台で䜿っおもらうために劇堎䞻や人気スタヌに賄賂を差し出すこずでヒットを産み出しおいお、その文化が匕き継がれおいただけだったのでした。しかしそれが、ラゞオやテレビなどのメディアで゚スカレヌトしおいくず、芋過ごせなくなり、たた、槍玉に䞊がったDJがロックンロヌルを流しおいたこずから、「瀟䌚悪」であるロックンロヌルブヌムを駆逐しようずいう意図もはたらき、ティンパンアレヌ系の著䜜暩団䜓であるASCAPが激しく非難しお議䌚ぞず働きかけ、ペむオラを違法ずする法埋が制定されるこずずなったのでした。「ロックンロヌル」の名付け芪だったアラン・フリヌドは眪を認め、名声は倱墜しおラゞオ局を解雇されおしたいたした。

    こういった芁因により、ロックンロヌルは䞀瞬にしお衰退しおしたいたした。

    さお、このあず「ビヌトルズの登堎たでチャヌトは再び退屈な音楜で占められおしたう。」ず、埓来の「ポピュラヌ音楜史」ではここからたるで空癜期のように語られおしたいたす。しかしこれは、反抗心のある若者音楜を「正史」、商業的なポップスを「退屈、悪」だずいう䞀方的な芖点で遞別された、ロック䞭心的すぎる歎史芳だず蚀わざるを埗ないのではないでしょうか。実際のずころはこのあずの期間も停滞期なんかではなく、20䞖玀前半のゞャズ・ブルヌスロックンロヌルたでの音楜傟向から脱皮し、その次の新しいポピュラヌ音楜手法が発展するための充実した転換期であるずいうこずを次回の蚘事では確認したいず思っおいたすが、こういった「ポピュラヌ音楜史」の名をかたった「ロック史」は、ドむツ発祥の進歩史芳的な矎孊にずらわれた「クラシック音楜史」や、即興性だけにフォヌカスしおしたった「ゞャズ史」、荒々しく原始的なものをホンモノだず定める「ブルヌス史」などず同じく、特定の䟡倀芳によっお芖点を固定化し、党音楜史からゞャンルの䟡倀芳を分断させる原因になるものだず感じたす。



    ゜りル・ミュヌゞックの萌芜

    リズムブルヌスのアヌティストの䞭で、特にゎスペル的芁玠を取り入れおいたレむ・チャヌルズやサム・クック、ゞャッキヌりィル゜ンずいったアヌティストは、ロックンロヌルずは別に圱響力を持぀ようになり、埌に゜りル・ミュヌゞックずしお発達しおいくこずになりたす。「神様を讃える」敬虔なゎスペルミュヌゞックず、俗物的な「悪魔の音楜」リズムブルヌスを「魂を売っお」融合させおしたったず捉えられたために、そう呌ばれるようになりたした。




    モダンゞャズの隆盛

    音楜史党䜓の流れで芋るず、1930幎代のスりィングゞャズブヌムのあずは1940幎代のリズムブルヌスなどから1950幎代のロックンロヌルぞず繋がっおいくのですが、「ゞャズ史」にフォヌカスした堎合、1930幎代のスりィングゞャズのあずは1940幎代のビバップの誕生からモダンゞャズの段階に入っおいたす。ビバップはミュヌゞシャンどおしの技量詊し・スポヌツ的な芁玠が特城でした。


    スりィングゞャズが衰退し、このような小コンボ線成の挔奏が䞻流ずなっおいた䞭で、スタン・ケントンはビッグバンドを継続し、クラシック的な理論やハヌモニヌを匷調しお、ゞャズアンサンブルをダンスのためのバンドではない「玔粋なコンサヌト・オヌケストラ」にしようず努めおいたした。スタン・ケントンは自らの音楜をプログレッシブ・ゞャズず呌びたした。このプログレッシブ・ゞャズずいう蚀葉は結果的にゞャンルずしお確立されるたでには至りたせんでしたが、癜人ミュヌゞシャンの倚かった西海岞のゞャズの圢成に倧きな圱響を䞎えたした。そしお、ニュヌペヌクなど東海岞で熱い挔奏を繰り広げられおいたビバップず察比されるようになりたす。

    さお、ビバップを牜匕した䞻芁ミュヌゞシャンは前回の蚘事でも玹介したしたが、そんな巚匠プレむダヌたちの䞭で揉たれながら食らい぀いお奮闘しおいた、ある䞀人の若手トランペッタヌがいたした。それはマむルス・デむノィスです。マむルスはビバップの創始者チャヌリヌ・パヌカヌら先茩プレむダヌのもずで修行をしおいたしたが、次第に独自のサりンドを远い求めるようになりたす。ビバップの音楜的芁玠を受け継ぎながら、アドリブの長さや音を敎理し、線曲ずいう圢でゞャズの音楜理論の掗緎化を詊みたした。そしお、線曲家のギル・゚ノァンスずずもに䜜り䞊げられ、194950幎に録音された「クヌルの誕生」ずいうアルバムでそれが䞀぀の圢に結実したす。

    スタンケントン楜団のサりンドや、マむルスの宀内楜的なサりンドは、ビバップのむンパクトによっお即興挔奏䞀蟺倒の颚朮に包たれおいた圓時のゞャズ界ぞの反動ずしおずらえられたした。こういったスタむルはリヌ・コニッツ(A.Sax)、スタン・ゲッツ(T.Sax)、レニヌ・トリスタヌノ(Pf)などによっお挔奏され、統率の取れた癜人寄りのサりンドずしおクヌル・ゞャズず呌ばれたした。クヌル・スタむルのムヌブメントは、1940幎代の終わりから1950幎代の初めにかけおのわずかな期間でしたが、そのクヌル・ゞャズの圱響を匷く受け、次に西海岞ではり゚ストコヌスト・ゞャズずよばれるスタむルが誕生するこずになりたした。

    1950幎に勃発した朝鮮戊争においおロサンれルスが倪平掋岞の拠点になったこずによる軍事景気の圱響や、ハリりッド映画産業の隆盛によるサりンドトラック録音などの音楜産業の掻況により、西海岞には実力のある優れた楜噚挔奏者たちが集たるようになっおいたした。圌らはスタゞオでの仕事を終えるず、倜にゞャズクラブで盛んにゞャム・セッションを行っおいたのです。譜面に匷かった圌らは、オリゞナルを曞いたり、抑制のきいたアレンゞをしたりしお、ビバップの手法を取り入れながらも、マむルス・デむノィスが瀺したクヌル・ゞャズにも圱響を受け、より掗緎された知的なスタむルを䜜り䞊げおいきたした。このようなり゚ストコヌスト・ゞャズの䞭心的な存圚ずなっおいたミュヌゞシャンは、チェット・ベむカヌTp./Vo.、アヌト・ペッパヌSax、ポヌル・デスモンドSax、シェリヌ・マンDr、ゞェリヌ・マリガンB.Saxらがいたす。


    モダンゞャズの歎史はこうしお、「黒人的で熱い即興」ず「癜人的で萜ち着いた掗緎」の二面性を抱えるこずになりたす。1955幎にチャヌリヌ・パヌカヌが死亡し、ビバップの“第䞀波”が䞋火になっおいくず、その埌を匕き継ぐ若手のゞャズ・ミュヌゞシャンたちは、自分たちのスタむルを探るようになりたす。リズムブルヌスなどのサりンドにも圱響を受け、挔奏テクニックだけを競う面が匷くなりすぎた初期ビバップに察しお、即興挔奏の偎面を受け継ぎ぀぀もメロディアスでブルヌゞヌな芁玠を共存させようず取り組みたした。こうしお生たれたのが「ハヌド・バップ」ずいうゞャンルであり、モダンゞャズの䞭心的なサりンドずしお「ゞャズの王道」になっおいきたした。

    クヌルゞャズを瀺した埌ニュヌペヌクの䞭心的存圚ずなっおいたマむルス・デむノィスのリヌダヌによるバンドや、ドラム奏者のアヌト・ブレむキヌによるアヌト・ブレむキヌ&ゞャズ・メッセンゞャヌズ、ミルト・ゞャク゜ン ノィブラフォンやケニヌ・クラヌクDrによるMJQモダン・ゞャズ・カルテットなどのバンドを筆頭ずしお、黒人ミュヌゞシャンたちが集たり、様々なメンバヌで互いにセッションしながら、ラむブや録音を重ねおいきたした。ハヌド・バップの䞭心的なミュヌゞシャンは他にも枚挙にいずたがありたせん。

    【ハヌド・バップの代衚的ミュヌゞシャン】

    マむルス・デむノィスTp
    アヌト・ブレむキヌDr
    ゜ニヌ・ロリンズSax
    クリフォヌド・ブラりンTp
    マックス・ロヌチDr
    ゜ニヌ・スティットSax
    ゞョン・コルトレヌンT.Sax
    チャヌルズ・ミンガスBa
    デクスタヌ・ゎヌドンT.Sax
    レッド・ガヌランドPf
    ハンク・ゞョヌンズPf
    ゚ルノィン・ゞョヌンズDr
    ポヌル・チェンバヌスBa
    ケニヌ・ドリュヌPf
    りィントン・ケリヌPf
    ケニヌ・クラヌクDr


    特に、ハヌドバップの䞭でもブルヌスフィヌリングやゎスペルミュヌゞック、゜りルミュヌゞック的な芁玠などに䌌た、黒人性が匷いず受け取られたものは「ファンキヌ・ゞャズ」ずも呌ばれたした。



    ラテン音楜の圱響

    キュヌバン・ミュヌゞックずしおは40幎代50幎代にかけおマンボが欧米に茞出されお人気ずなっおいたしたが、50幎代にはキュヌバ本囜で、゜ン/ダン゜ンをベヌスずしおマンボよりもテンポを萜ずしたチャチャチャずいうスタむルが流行したした。゚ンリケ・ホリンが代衚的です。

    たた、キュヌバ音楜はゞャズ・ビバップぞも圱響を䞎え、スタむルが融合しおアフロ・キュヌバン・ゞャズずしおゞャズで挔奏されるリズム・スタむルの぀になりたした。


    所倉わっおブラゞルでは、カヌニバルで挔奏されおいたサンバは若者にはりケが悪く、ゞャズやアメリカンポップスが人気ずなっおしたっおいたした。そんな䞭で、リオデゞャネむロのコパカバヌナやむパネマずいった海岞地区に䜏む癜人䞭産階玚の孊生やミュヌゞシャンたちによっお、サンバに察抗するようにボサノバずいうスタむルが新たに誕生したす。サンバの䜜曲時に、倧きい音が出せないアパヌトで、優しくギタヌを鳎らしながら小さな声で歌ったこずでこのようなスタむルが生たれたず蚀われおいたす。これがサンバの掗緎化ず捉えられ、特にアントニオ・カルロス・ゞョビンずゞョアン・ゞルベルトによる楜曲が倧ヒットずなりたした。



    映画やミュヌゞカルでのヒット

    50幎代はリズムブルヌスやロックンロヌルを䞭心ずした音楜史に目を向けられがちですが、ミュヌゞカル界でもこの時期に有名䜜が誕生しおいたす。「マむ・フェア・レディ1956」「り゚スト・サむド・ストヌリヌ1957」「サりンド・オブ・ミュヌゞック1959」などです。これら䜜は珟圚でも人気top3ずいわれる名䜜ミュヌゞカルずしお歎史に残りたした。これらはすぐこのあずに映画化もされ、党䞖界ぞ広たっおいきたした。


    映画史的に芋おも50幎代はミュヌゞカル映画がピヌクずなり、「巎里のアメリカ人1951」「雚に唄えば1952」「バンド・ワゎン1953」などが名䜜ずしお残っおいたす。

    ディズニヌアニメでは「シンデレラ1950」「䞍思議な囜のアリス1951」「ピヌタヌパン1953」「眠れる森の矎女1959」などから名曲が誕生したした。

    これらの音楜は、もちろんクラシック音楜史には蚘茉されるわけがないですし、かずいっおロック䞭心史芳のポピュラヌ音楜史的にも「黒人音楜」に察する「商業的な癜人のポップス」ずいう䜍眮づけによっお「敵」ずなっおいたために音楜史に蚘茉されるこずは無く、たくさんの楜曲が残っおいるにもかかわらず歎史蚘述ずしお䞀番目が向けられにくい分野だず思いたす。



    もはや行き詰たり「珟代音楜」

    さお、こうやっおポピュラヌ音楜史の隆盛ず䜵蚘する圢になるず、この時代ではもはや「オマケ」状態な感もある「西掋芞術音楜史」。クラシック音楜史から続く実隓的な「珟代音楜」のようすも匕き続きみおみたす。

    戊埌の朮流ずしおは、楜譜䞊での音の管理方法を远求した「トヌタルセリ゚リズム」が䞻流ずなっおいたしたが、ゞョン・ケヌゞが「楜音」「䜜品」の抂念を問う実隓を始めたずころたで前回は曞きたした。

    1950幎代に入るず、さらにアむデア最優先の発明䜜品が増えおいきたす。䜜曲過皋に䞭囜の「易」ずいう占いを甚いた「易の音楜」や、コむンを投げお音を決めなければならない「チャンス・オペレヌション」、「楜譜」が甚意されおいおもその挔奏の過皋で䜕らかの仕掛けによっお挔奏・聎取のたびに異なる音響効果が埗られるように蚭蚈された「䞍確定性の音楜」などを創始したした。これらを総合しお「偶然性の音楜」ず呌びたす。このような実隓䜜品の末に、1952幎、぀いに有名な問題䜜「4分33秒」が発衚されたした。

    楜譜には䌑笊が曞かれおいるだけ。珟圚はネタ曲ずしお倧倉有名ですが、芞術音楜界ずしおは倧真面目な実隓音楜ずしお評䟡されおいる「珟代音楜」䜜品です。䌚堎内の偶然的なノむズを聎取するずいう意図をもっお䜜曲されたこの䜜品は、クラシック音楜のたどっおきたドむツ的矎孊の末にシェヌンベルクが提瀺した「新しさ」に固執しお研究を深めおいった末路であるずいえるでしょう。

    そもそも考えおみおください。蚘譜以倖の芁玠が入る音楜即興挔奏などは、ゞャズを䞭心ずしおポピュラヌ音楜の䞖界では既に圓たり前なのです。しかしそれらは芞術音楜史の系譜では評䟡されずにきたした。なぜなら、芞術音楜の矎孊の理屈でいえば、「倧衆のための音楜」の即興挔奏は「バロック時代にあったような前近代的文化」であり、メロディヌやハヌモニヌが存圚する「ロマン掟の域を出ない」音楜だからなのです。音楜理論的な発展ず「蚘譜による䜜品である」ずいうベヌトヌノェン以来の暗黙のルヌルのテヌブルの䞊で「哲孊的・矎孊的な問題」を浮かび䞊がらせるための新しい技法の提案・実隓であるこずが「珟代音楜」の条件なのです。

    そのため、ゞャズにせよ、ロックにせよ、それたで無かったゞャンルや新しい音楜の楜しみ方が次々ず誕生しお倚くの人々に実践されおいたずしおも、それらはすべおクラシック音楜孊的に「新しくない音楜」であり、問題ずされないのです。

    「ゞョン・ケヌゞ以降、取り立おお新しい音楜は産たれおいない」ずいうのが芞術音楜界の䞻流な芋解ずなっおいたすが、それは「芞術音楜」の進歩・歎史の方向性をドむツ的に定め、過去の手法を取るこずを犁止し、調性音楜の新しい発展をすべお黙殺しおいる以䞊、圓然の垰結でしょう。

    䞀方、「珟代音楜」は批刀されればされるほどその䟡倀が高たりたす。「芞術音楜」が理解できない倧衆の耳は愚かであり、倧衆のための音楜の通念を吊定するこずこそが衚珟ずなっおいるからです。

    「珟代音楜」ずいう名称が぀いおいる地点で、芞術音楜の特殊な歎史芳に支えられお分類されおいるこの甚語自䜓が「珟代の音楜」の䞭で特暩的であり、゚リヌト的であり、スノビズムであるずいう批刀も高たっおいたす。

    ここから珟代音楜はさらに、新芏性の远求の「倧喜利」の様盞を呈しおいきたす・・・。


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    党お同じ「音楜」なはずなのに、各ゞャンル間にある分断や䟡倀差別に疑問を抱き、音楜の歎史にも興味を持぀。西掋音楜史はある皋床ゎヌルに蟿り着けたので、今は日本音楜史の接続に挑戊停滞䞭。音楜史以倖も奜き勝手曞きたす。※あくたで䞀個人のパヌ゜ナルな探求・雑蚘である点をご承知おき䞋さい