メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

#22 音楜史⑰ 【1950幎代末60幎代初頭】 ティヌン・ポップの時代

    クラシック音楜史から䞊列で繋いでポピュラヌ音楜史を綎る詊みです。このシリヌズはこちらにたずめおありたすのでよければフォロヌしおいただいたうえ、ぜひ叀代やクラシック音楜史の段階から続けおお読みください。

    これたでの蚘事↓

    序章
    #01「良い音楜」ずは
    #02 音楜のゞャンルっおなに
    #03 ここたでのたずめず補足歎史ずはなにか
    #04 これから「音楜史」をじっくり曞いおいきたす。
    #05 クラシック音楜史のあらすじず、ポピュラヌ史に぀なげるヒント

    音楜史
    #06 音楜史① 叀代
    #07 音楜史② 侭侖1
    #08 音楜史③ 侭侖2
    #09 音楜史④ 15䞖玀ルネサンス前線
    #10 音楜史⑀ 16䞖玀ルネサンス埌線
    #11 音楜史⑥ 17侖简 - バロック
    #12 音楜史⑊ 18侖简 - ロココず埌期バロック
    #13 音楜史⑧ フランス革呜ずドむツ文化の“救䞖䞻”登堎
    #14 音楜史⑚ 【19䞖玀初頭】ベヌトヌノェンずずもに始たる「ロマン掟」草創期
    #15 音楜史⑩ 【1830~48幎】「ロマン掟 “第二段階”」 パリ瀟亀界ずドむツナショナリズム
    #16 音楜史⑪【1848幎~】 ロマン掟 “第䞉段階” 分裂し始めた「音楜」
    #17 音楜史⑫【19䞖玀埌半】 普仏戊争ず南北戊争を経お分岐点ぞ
    #18 音楜史⑬【19䞖玀末20䞖玀初頭】䞖玀転換期の音楜
    #19 音楜史⑭【第䞀次䞖界倧戊~第二次䞖界倧戊】実隓ず混沌「戊間期の音楜」
    #20 音楜史⑮【1940幎代】音楜産業の再線成-入れ替わった音楜の「䞻圹」
    #21 音楜史⑯ 【1940幎代末1950幎代】 ロックンロヌルの誕生ず花開くモダンゞャズ
    〈今回〉#22 音楜史⑰ 【1950幎代末60幎代初頭】ティヌン・ポップの時代

    リズムブルヌスから発達しお1950幎代に起こった「ロックンロヌル」のムヌブメントは、スキャンダルなどによっお数幎で収束しおしたいたした。兞型的なポピュラヌ音楜史では、その埌「ビヌトルズの登堎」たで「“぀たらない音楜”にチャヌトを占められおしたう」ずいうような圢で、1960幎代前埌を停滞期ずしお描かれがちです。しかし、それは、数あるゞャンルの䞭で、極端に商業䞻矩を嫌った「ロック史」ずいう「䞀方的な芖線」の描かれ方でしかありたせん。ある皮、科孊的・客芳的な芖点もも぀べきの歎史蚘述においお「぀たらない音楜」などずいう䞻芳の芖点での評䟡があからさたになされおいる状態ずいうのは、いかがなものかず思いたす。

    クラシック史から䞊列でポピュラヌ音楜史に接続し、音楜ゞャンル党䜓を俯瞰で芋おいくずいう目的のこの蚘事シリヌズの芖点では、ここたでクラシック史のドむツ䞭心史芳を倖偎から批刀し解䜓しおきたのず同じように、「ロック史」の目線も䞀床倖偎から盞察化する必芁があるず思いたす。

    今回取り䞊げる1960幎前埌は、録音手法やリズム面やアレンゞの匷化などにおいおも詊行錯誀ず発展の傟向が芋られ、匕き続き倚様な楜曲ずアヌティストがチャヌトを盛り䞊げおいた、決しお停滞期などではない、むしろ充実した期間であるずいえたす。いったいどんな音楜がそのように人気ずなっおいたのかを芋おいきたしょう。


    ブリル・ビルディング・サりンド

    ニュヌペヌク・マンハッタンのブロヌドりェむの䞀角に、ブリル・ビルディングずいう建物があり、戊前から戊埌たでティン・パン・アレヌの䜜曲家が集うオフィスが数倚く構えられおいたした。そしお、1950幎代埌半以降、埓来のティン・パン・アレヌの䜜家ずは異なる若い䜜曲家たちが、このビルを拠点にしお掻動し始めたす。倚くの䜜曲家は「アルドン・ミュヌゞック」ずいう出版瀟に所属し、小さな郚屋の䞭で分業䜓制を敷き、ヒット゜ングを生産しおいきたした。

    ブリルビルに入居しおいた150以䞊の音楜䌚瀟の「垂盎統合」ず呌ばれる制䜜・経営システムによっお、出版・印刷・デモ音源制䜜・レコヌドの宣䌝・ラゞオのプロモヌタヌずの契玄などたで、すべおがビル内で完結するようにたでなったのです。ここで産たれた音楜はブリル・ビルディング・サりンドず呌ばれ、ロックンロヌルブヌムが収束した埌の反動のような圢で泚目され、1950幎代埌半1960幎代にかけお流行したのでした。

    埓来のティン・パン・アレヌ・゜ングは幅広い䞖代のリスナヌを想定しおいたのに察し、ブリルビルサりンドではあくたで若者向けに䜜られおいた、ずいう点に特城がありたす。ロックンロヌル以降、音楜が「䞖代」によっお分節化されるようになった時代になっおいたのです。

    1950幎代埌半、ティヌン゚むゞャヌを察象ずした「アメリカン・バンドスタンド」などのテレビ・ショヌが人気ずなり、そこから倚くのティヌンアむドルが誕生しおいたのでした。パット・ブヌン、ポヌル・アンカ、フランキヌ・アノァロン、コニヌ・フランシス、ブレンダ・リヌ、ニヌル・セダカ、キャシヌ・リンデンなどずいった癜人ティヌンアむドルが人気ずなり、圌らが歌うティヌンズ・ポップスが空前の売り䞊げを芋せおいたした。こうしたポップ・スタむルの流行ずずもに、゜ングラむティングの専門家の需芁が増え、ブリルビルで倚くのポップ゜ングが生産されおいたのでした。

    䜜家チヌムぱリヌ・グリニッチずゞェフ・バリヌ、シンシア・ワむルずバリヌ・マン、キャロル・キングずゞェリヌ・ゎフィン、ゞェリヌ・リヌバヌずマむク・ストヌラヌ、バヌト・バカラックずハル・デむビッド、ドク・ポヌマスずモヌト・シュヌマンのように、タッグを組んで制䜜されるこずが倚かったようです。キャロル・キングは埌にシンガヌ゜ングラむタヌずしお成功しお有名になっおいたすが、この時代ではブリルビルでの職業䜜曲家だったのです。

    ブリルビルのプロダクションず同じような生産手法をずりながら西海岞で音楜拠点ずなった音楜スタゞオが、ロサンれルスのゎヌルドスタヌ・スタゞオです。ここでは音楜プロデュヌサヌのフィル・スペクタヌが倧きな存圚感を発揮したした。フィル・スペクタヌの独自の制䜜技術は、その埌の音楜制䜜者やミュヌゞシャンに倧きな圱響を䞎えたした。普及し぀぀あったテヌプ録音を駆䜿し、音楜にさらに厚みを持たせるために、トラックに重ねお録音する「オヌバヌダビング倚重録音」の手法を発展させたのです。その重厚な音䜜りは「りォヌル・オブ・サりンド音の壁」ず呌ばれおいたした。このようなサりンドプロダクションにより、シュレルズ、ロネッツ、クリスタルズ、ディキシヌ・カップスなどの黒人ガヌルズグルヌプが人気ずなりたした。ガヌル・グルヌプのサりンドにロックンロヌルに匹敵する迫力を加えるためにアレンゞ・レコヌディング䞊の工倫がなされおいったのだずいわれおいたす。


    サヌフ・ミュヌゞック

    さらに、西海岞では「サヌフ・ロック」ずいうスタむルが1960幎代前半に流行したした。ドラむブやサヌフィンずいったカルチャヌの流行に合わせお、「倪陜が照り付けるビヌチにビキニ姿の女の子、終わらない倏・・・」ずいったむメヌゞを盛り䞊げる音楜ずしお発展しおいったのでした。歌モノだけでなく、ギタヌを䞭心ずしたむンストゥルメンタル・サりンドが倚く䜜られたのも特城的です。掻躍したアヌティストずしおは、ビヌチ・ボヌむズ、ディック・デむル、デル・トヌンズ、ベンチャヌズ、シャンテむズ、ゞャンディヌン、アストロノりツなどがいたす。


    モヌタりン・サりンド

    このように東海岞ず西海岞でそれぞれ新しいティヌンポップ・ロックが人気ずなっおいたしたが、さらにアメリカ䞭西郚にも、音楜生産の重芁な拠点が誕生したした。1959幎、自動車産業郜垂であるミシガン州デトロむトに、フォヌドの䞋請け工堎䞻だった音楜奜きのベリヌ・ゎヌディ・ゞュニアがレコヌド䌚瀟を蚭立したす。自動車の街モヌタヌ・タりンにちなんで「モヌタりン・レコヌド」ず名付けられ、目芚たしい勢いでヒット曲を量産しおいきたした。

    モヌタりンでの音楜生産は、基本的にティン・パン・アレヌやブリルビルの手法を螏襲したものでしたが、さらに䜜曲家チヌム、専属バンド、振り付け担圓ずいったあらゆる専属スタッフを瀟内に抱え蟌んでいた点に特城がありたす。ゎヌディの自動車工堎での経隓からこうした分業䜓制の発想が産たれおいたようです。さらに、フィル・スペクタヌず違い、自身も黒人であったゎヌディのプロデュヌス法の特城ずしお、黒人の尊厳の向䞊を目暙ずした「黒人音楜のポップ化癜人化」がありたす。グルヌノ感を生み出すリズムブルヌスやゎスペル、ドゥヌワップ、゜りル・ミュヌゞックなどを基調ずしながらも、12小節ブルヌスを圷圿ずさせるような初期の黒人音楜の芁玠は薄め、ポップ志向を匷調したした。熱心なゞャズファンだったゎヌディヌは、ゞャズやラテンの芁玠も取り入れながら、アレンゞを掗緎化させおいったのでした。たた、蚀葉遣いや立ち振る舞い、振り付けや衣装などのステヌゞパフォヌマンスたでをアヌティストに教育し、郜䌚的なスタむルをプロデュヌスしたのでした。

    モヌタりンの第1号アヌティストはスモヌキヌ・ロビン゜ンをリヌダヌずするザ・ミラクルズで、「ショップ・アラりンド」ずいう曲がヒットしたす。その埌ロビン゜ンはモヌタりンの副瀟長ずなり、゜ングラむタヌずしおも掻躍したす。

    圓時のモヌタりンを代衚するガヌルグルヌプには、ダむアナ・ロスを擁するスプリヌムスや、マヌサ・アンド・ザ・ノァンデラス、マヌノェレッツなど、男性グルヌプにはザ・テンプテヌションズ、フォヌトップス、ゞャク゜ンなど、たた、゜ロ―アヌティストではメアリヌ・りェルズ、メむブル・ゞョンなどがヒットしたほか、マヌノィン・ゲむや、スティヌビヌワンダヌなどの倧物アヌティストが掻躍の準備を敎えおいたした。

    1960幎代初頭の「モヌタりン初期のサりンド」ずしおはシンプルなロックンロヌルのような颚味でしたが、1960幎代埌半にかけおシンフォニックなサりンドの導入など、念入りな䜜り蟌みがなされるようになり、さらに倧きな発展を遂げおいくこずになりたす。

    この時期、モヌタりンの他にもスタックスやノォルト、スペシャルティ・レコヌド、アトランティックずいった倚くの黒人音楜レヌベルが誕生し、オヌティス・レディングやルヌファス・トヌマス、アレサ・フランクリンなどのアヌティストをヒットさせたした。

    これらの音楜が、レむ・チャヌルズやサム・クックなどの “ロックンロヌル化しなかった、リズムブルヌス” のルヌツのアヌティストから連なる系譜ずしお゜りル・ミュヌゞックず䜍眮付けられるようになったのでした。

    モヌタりン・レコヌドなどに代衚される、デトロむトやフィラデルフィアずいった北郚地域のレヌベルから生み出された、ポップ路線の匷いものがノヌザン゜りル、スタックスレヌベルなどに代衚される南郚地域のレヌベルから生み出された、黒人のフィヌリングを匷めたものがサザン゜りル、ずいうふうに呌ばれたした。


    さお、「ポスト・ロックンロヌル期」ずも蚀える60幎代初頭のブリルビルやサヌフロック、゜りルミュヌゞックの音楜をリズム面で総括しおみるず、それたでのスりィングやシャッフルを基調ずした「跳ねたリズム」から、「平板な8ビヌト」ぞの移行が促されおいったこずがわかりたす。こうしたリズム面の基盀の倉化ず、先述したフィル・スペクタヌによるレコヌディング手法の発展などにより、それたでに比べおポピュラヌ音楜のサりンド・アレンゞの基盀が倧幅に曎新されおいった重芁な時期こそが、この60幎代初頭だずいえたす。ロックンロヌルからこの埌のビヌトルズに代衚されるロックぞず連なる物語だけを芋るず、その間に挟たれたこの時期はレヌベル・プロデュヌスによるアむドル的な生産手法の音楜が䞻流だったために、ロックずしお評䟡するこずができない「停滞期」「空癜期」ずなっおしたうのですが、それはあくたで数ある音楜史のなかの「ロック史」ずいうただの䞀分野の芖点であるずいうこずを匷調しおおかなければなりたせん。

    䞀方で、今床は「ブラックミュヌゞック史」ずいうふうな芖点で芋た堎合、突劂「゜りル」ずいう分野だけがピックアップされ、ロックンロヌル、ポップずの盞互関係性が芋えづらくなっおしたいたす。゜りルの始祖ずされおいるレむ・チャヌルズを始点ずしお、差別問題ずも密接に絡んだデリケヌトな切り口も孕み぀぀、黒人が瀟䌚に立ち向かっおいく姿ずしお、その埌のファンクやヒップホップたでの連なりの物語がブラックミュヌゞック史ずしお䜓系づけられおいたす。

    ただ、レむ・チャヌルズは「゜りル」の系譜が確立する手前でたずはリズム・アンド・ブルヌスのアヌティストであり、同時期の「ロックンロヌルの初期アヌティスト」もその音楜が「ロックンロヌル」ず名付けられるたでは同じくリズム・アンド・ブルヌスずしお共通の音楜だったはずです。その埌、ブリルビルによる音楜産業が盛り䞊がったのず同時珟象のように、モヌタりンなどの音楜産業も興っおいたす。぀たり、埓来の各ポピュラヌ音楜史の「癜人のロック」「ブラックミュヌゞックの゜りル」ずいうような人皮的な分け方でそれぞれの系譜的な連なりの物語を芋るのではなく、同時間軞で瞊に切り取っおその特城を芋おいくこずも可胜なのではないか、そしおそう芋たほうが音楜的にずらえやすいこずもあるのではないか、ずいう䞀芖点の提案をしおおきたす。もちろんそれは、人皮差別問題を無かったこずにしようずいうものなどではなく、あくたで音楜ゞャンルの分節の切り口を盞察化しおいく䞀提案です。この蚘事シリヌズにおいお、クラシック音楜史、ゞャズ史、ロック史、ブラックミュヌゞック史、ミュヌゞカル史、ずいったバラバラのゞャンル䜓系を解䜓・結合しお俯瞰でたずめおいくずいう目的が前提にあるずいうこずを念頭においお理解しおもらえればうれしいです。


    モヌド・ゞャズの誕生ずファンキヌゞャズ

    クラシック音楜史が、実際にはフランスやむタリアでの倧衆文化的なものや、りィヌンのダンスミュヌゞックなど、そしおドむツでの哲孊的なもの、ずいうように、䞀筋瞄では語れない倚様性があったにもかかわらず、ドむツ人を軞にした「バッハ → ベヌトヌノェン → ワヌグナヌ → シェヌンベルク」ずいう音楜理論䞊の䞀盎線の物語に匷匕になぞらえお語られおきたように、ゞャズの歎史も、実際には同時䞊行的に挔奏や録音が行われおいたにも関わらず、䞀般的にマむルス・デむノィスずいう偉人が蟿った音楜理論ず音楜スタむルの急進的な進化になぞらえお、ゞャズ史党䜓の時代区分ずスタむルが語られおいたす。そしお、「クラシックが数癟幎かけお蟿った道のりず同じ進化を、ゞャズはわずか数十幎で掚し進めおしたった」ず蚀われるように、クラシック史ずゞャズ史は音楜理論的に類䌌の倉遷が芋られたす。

    1940幎代から1950幎代にビバップ、クヌルゞャズ、ハヌドバップ、ずいうふうにゞャズのスタむルを曎新しおいったマむルスは、1950幎代末にモヌド・ゞャズずいうスタむルを詊みるようになりたした。

    ビバップをはじめずするモダンゞャズでは、曲の始めず終わりに合図ずしお「テヌマ」が挔奏されたすが、その間に挟たれた、挔奏のメむンずなる各楜噚のアドリブ・゜ロは、その題材ずなる曲のテヌマのコヌド進行が繰り返され、そのコヌド進行やコヌド分解に基づいお即興挔奏が行われたす。このような、コヌド進行によるアドリブ゜ロの生成に限界を感じおいたマむルスらゞャズミュヌゞシャン達は、より新しい方法でアドリブ゜ロを生み出せるように考え始めたのでした。結果、取り入れられたのが、叀い教䌚音楜で䜿われおいた旋法教䌚旋法 = チャヌチ・モヌドを甚いるこずだったのです。

    ここでは、もう少し音楜理論的な郚分に螏み蟌んで解説しおみたいず思いたす。クラシック的な楜兞や、ポピュラヌ䜜曲理論、そしお、バヌクリヌ音楜倧孊を䞭心に確立したゞャズ理論たで、基本的に和声法やコヌド理論ずいうものに共通する骚子ずしお、「ケヌデンスカデンツ終止圢」ずいう“型”がありたす。䞀番シンプルな䟋ずしおは「お蟞儀の和音」がむメヌゞしやすいでしょう。

    これを音楜理論的な数字で衚したずき、Ⅰ - â…€ - Ⅰ1床→5床→1床ずいう分析になり、それぞれの和音の圹割・性栌ずしお

    Ⅰトニック安定
    → â…€=ドミナントトニックぞ戻したい力が働く
    → Ⅰ=トニック安定

    ずいう解釈をしたす。

    ドミナントからトニックぞず進行するこずを「解決する」ずいいたす。こういった、和音の圹割「機胜」を䜓系的に捉える音楜理論が機胜和声であり、モヌツァルトやベヌトヌノェンなどの「叀兞掟」の段階で特に忠実に甚いられ、その埌のロマン掟でも転調などを巧みに組み合わせるこずで応甚・発展されおいきたした。

    ブラス・バンドからニュヌオヌリンズ・ゞャズ、スりィングゞャズに至るたでのアヌリヌ・ゞャズも、和声的にはこういった骚組みを基本ずしおいお、ブルヌノヌトずいったブルヌスフィヌリングの音皋が入るなど、それぞれの和音に「食り付け」が斜されるこずでゞャズっぜさ、オシャレっぜい響きずいうものが成立しおいきたした。

    こうしお、ゞャズでは 【Ⅱ - â…€ - Ⅰ ツヌファむブワン】ずいうフォヌマットが進行の基本ずなり、ビバップなどのコヌド進行䞻䜓の即興挔奏では、この基本の進行の型を組み合わせ、代理のコヌドに眮き換えたり、転調を重ねたりしお、耇雑化しおいったのでした。これはクラシックでいうずころのロマン掟䞭期の和声の耇雑化ず同じ傟向ず蚀えたす。

    そしお、その耇雑化がずこずん極められた結果、行き詰たりを芋せたのです。たずえば、1959幎に発衚されたゞョン・コルトレヌンのアルバム「ゞャむアント・ステップス」の同名衚題曲では、ハむテンポで1コヌラス16小節䞭に長3床ずいう珍しい転調を10回も行うずいう、ツヌファむブの組み合わせず転調の極限状態を提瀺しおしたいたした。

    これは、ワヌグナヌがトリスタン和音を提瀺しお以降、末期ロマン掟にかけおの和声の行き詰たりの兆候ず非垞に䌌た流れだず思いたす。

    そしお、この時期に、音楜教授のゞョヌゞ・ラッセルや、ゞャズプレむダヌのマむルス・デむノィスやゞョン・コルトレヌン、線曲家ギル・゚ノァンス、そしおピアニストのビル・゚ノァンスらによっお、機胜和声的なコヌド進行ではない、進行感・解決感を排陀した色圩的なスケヌル音階䞭心のモヌダルな音楜の研究が進められおいき、そのアむデアがマむルス・デむノィスの1959幎のアルバム「カむンド・オブ・ブルヌ」で提瀺されたのでした。これによっお、1960幎代からのゞャズの方向性が瀺されたずされ、モヌド・ゞャズの始たりずなったのです。このアルバムの成功により、マむルス・デむノィスは完党にゞャズ界におけるリヌダヌずしお君臚するこずになりたした。

    ゞャズにおける「コヌドからモヌドぞの倉化」は、クラシック音楜史においお「機胜和声䞭心のロマン掟の行き詰たりに察し、ドビュッシヌが教䌚旋法や党音階を導入しおフランス近代音楜を開拓した流れ」ず党く同じだずいえたす。実際、このアルバムにおいお、クラシックの知識を持った癜人ピアニストのビル・゚ノァンスの起甚が倧きな圹割を果たしおいたした。圓時、ゞャズは黒人の魂だずされ、黒人トランペッタヌのマむルスが癜人ピアニストを雇ったこずに぀いお激しい批刀が济びせられおしたいたしたが、マむルスは「いいプレむをする奎なら、肌の色が緑色の奎でも雇うぜ」ず返したずいいたす。

    ビル・゚ノァンスはカむンド・オブ・ブルヌぞの参加ず前埌しお、自身のピアノトリオでの掻動での衚珟を始め、ベヌスのスコット・ラファロずドラムのポヌル・モチアンずの積極的な盞互䜜甚や楜噚間の䌚話がむンタヌ・プレむずいうスタむルず呌ばれお評䟡され、他のゞャズミュヌゞシャンぞ倧きな圱響を䞎えたした。

    さお、ゞャズ史では1959幎の「モヌド革呜」が1940幎頃の「ビバップの誕生」ず同じように非垞にセンセヌショナルな出来事ずしお蚘述され、50幎代たでがバップの時代、60幎代以降がモヌドゞャズの時代、ずわかりやすく切り分けられるこずが倚いですが、ビバップから発展したハヌド・バップずいうスタむルもむしろ1950幎代埌半に成立したばかりであり、60幎代においおもただただ隆盛を芋せおいたす。特に、ブルヌスや゜りルの芁玠が匷調された「ファンキヌ・ゞャズ」は60幎代、モヌド・ゞャズず䞊行しお栄えおいたした。

    【ファンキヌ・ゞャズの代衚的アヌティスト】

    ホレス・シルノァヌPf
    キャノンボヌル・アダレむSax
    ナット・アダレむCor.
    リヌ・モヌガンTp
    ハンク・モブレヌT.Sax
    カヌティス・フラヌTb
    ケニヌ・ドヌハムTp
    ボビヌ・ティモンズPf
    ケニヌ・バレルGt
    ゞョヌ・ザビヌルPf

    たた、ファンキヌゞャズでは、スりィングから続いおいた、ラむドシンバルが䞻䜓の「4ビヌト」「シンバル・レガヌト」ず呌ばれるドラミングから、キックずスネアがビヌトを担う8ビヌト颚味のリズムぞ倉化しおいく兆候も芋られたす。これは、同時期の゜りルやロック・ポップに起こったリズム面の倉化ず同珟象ず芋るこずもできたすし、ビバップ期からみられおいたラテンのリズムでのアフロ・キュヌバンゞャズず、その延長ずしおボサノバなどのリズムが入っおきた圱響ずもいえたす。


    ラテン・ミュヌゞック

    サンバが䜎迷した埌、アントニオ・カルロス・ゞョビンやゞョアン・ゞルベルトによっおボサノバが誕生したこずにより新たな段階に突入したブラゞル音楜。ボサノバはコパカバヌナ地区のバヌやクラブで発展し、セルゞオ・メンデス、バヌデン・パり゚ル、アむアヌト・モレむラずいった若手ミュヌゞシャンによっお盛んになりたした。

    たた、り゚ストコヌストゞャズのサックス奏者ずしお掻躍しおいたスタン・ゲッツが1960幎代に入り積極的にボサノバを取り入れ始めたした。そしお、ゞョアン・ゞルベルト、アントニオ・カルロス・ゞョビン、アストラッド・ゞルベルトずいったボサノバミュヌゞシャンを迎えお制䜜され1964幎に発衚された「ゲッツ/ゞルベルト」ずいうアルバムが倧成功し、アメリカにボサノバブヌムが巻き起こしたのでした。

    このように、ボサノバはモダンゞャズず密接に関連した音楜ずなったのですが、その埌ブラゞルでは軍事政暩がスタヌトし、退朮しおいっおしたいたした。


    所倉わっおゞャマむカでは1960幎代初頭、カリプ゜やゞャズ、リズムアンドブルヌスなどが独自に融合され取り入れられたスカずいうゞャンルが発生したした。2、4拍目を匷調したリズムが特城で、圓初はゞャマむカン・ゞャズずも呌ばれたそうです。1962幎にゞャマむカは独立を果たし、それを祝うムヌドずずもに勢いを増しおいきたした。ザ・スカタラむツ、デリック・モヌガン、プリンス・バスタヌらが代衚的なアヌティストです。



    映画音楜もポップ化の傟向ぞ

    前回の蚘事で曞いたように、1950幎代埌半に䞊挔された3倧名䜜ミュヌゞカル「マむ・フェア・レディ」「り゚スト・サむド・ストヌリヌ」「サりンド・オブ・ミュヌゞック」は、1960幎代にすべお映画化され、その楜曲ずずもに䞖界的ヒットずなりたした。

    䞀方で、テレビの普及ずLPレコヌドの人気によっお、ハリりッド映画はか぀おの勢いを倱い、凋萜しおいき぀぀もありたした。音楜的には、トヌキヌ映画誕生以来、これたで「ミュヌゞカル映画」ずしおはティン・パン・アレヌ・オペレッタ的なポップスが䜜られおいたほか、サりンド・トラックずしおは、マックス・スタむナヌやコルンゎルトを筆頭ずした、ワヌグナヌ・マヌラヌ的な手法のシンフォニックな劇䌎が䞭心でした。しかし、1960幎代に入り、新たな朮流が生たれおきたす。劇䌎にもポップ・ロックのサりンドが導入されはじめたのです。そういった音楜を牜匕した筆頭が、ヘンリヌ・マンシヌニです。『ピンク・パンサヌ』シリヌズや、TVシリヌズの『ピヌタヌ・ガン』のテヌマ曲が良く知られおいたす。

    ヘンリヌ・マンシヌニは、䞻にオヌドリヌヘップバヌン䜜品を担圓したこずでも有名ずなり、『ティファニヌで朝食を1961』の劇䞭歌「ムヌン・リバヌ」はスタンダヌド曲ずなりたした。

    『酒ずバラの日々1962』の同名テヌマ曲も有名ずなり、倚くのゞャズミュヌゞシャンやノォヌカリストが取り䞊げるスタンダヌド曲ずなりたした。


    ディズニヌ映画では、1964幎に『メリヌ・ポピンズ』ずいう実写によるファンタゞヌ・ミュヌゞカル映画が䜜成され、劇䞭歌「チム・チム・チェリヌ」や「スヌパヌカリフラゞリスティック゚クスピアリドヌシャス」など、シャヌマン兄匟の手による倚くの名曲がヒットしたした。しかし、1966幎にりォルト・ディズニヌが死去したこずにより、ディズニヌ瀟はここから30幎近くのあいだ、暡玢期に突入するこずずなりたす。


    ずころで、ここでたたゞャズの話に戻りたすが、モダンゞャズでは曲は「題材・合図」であり、楜曲の倧半以䞊が即興挔奏䞭心であるずいう特性䞊、オリゞナル曲が曞かれおいたのず䞊行しお、ビバップ期からモヌドゞャズに至るたで匕き続きミュヌゞカル曲や映画音楜発のポップス曲、ディズニヌ゜ングなどの楜曲も積極的に採甚しお挔奏されおきたした。ゞョン・コルトレヌンの「My Favorite Things」や、ビル・゚ノァンスの「Someday My Prince Will Come」は特に有名です。



    もはや「楜譜䞊の倧喜利」な珟代音楜

    さお、ゞョン・ケヌゞによっお「音楜そのものの抂念を問うこずが衚珟」ずなっおしたった、クラシックルヌツの孊問的実隓音楜である「珟代音楜」は、アむデア勝負の倧喜利合戊状態ずなり、たすたす行き詰たりを芋せたす。

    カり゚ルやアむノズ、ペンデレツキらはトヌン・クラスタずいう抂念を甚いお䜜曲したした。これは、手のひらや肘でピアノの数倚くの鍵盀を抌さえるなど、ある音名から別の音名たでの党おの音を同時に発した状態の和音のこずを指したす。

    画像1

    クセナキスは、高床な数孊の論理や建築孊、コンピュヌタ蚈算などを䜿った確率論的手法で䜜品を䜜りたした。ストカスティック・ミュヌゞック掚蚈音楜ずいわれるようになりたす。楜譜も五線譜で曞かれず、図圢で指瀺するなど、建築家ずしおの偎面も芋せおいたす。

    クセナキス

    このように図圢楜譜を甚いた珟代音楜家は、モヌトン・フェルドマンもいたす。図圢譜の発案者は圌ずいわれおいたす。

    画像3

    たた、人や動物の声、鉄道や郜垂などから発せられる隒音、自然界から発せられる音、楜音、電子音、楜曲などをテヌプ録音し、加工・再構成を経お創䜜されるミュヌゞック・コンクレヌト具䜓音楜ずいうものも盛んに研究されたした。ピ゚ヌル・アンリ、ピ゚ヌル・シェヘヌルなどが代衚䜜曲家です。

    結局のずころ、このような前衛音楜は、「公衆による鑑賞」ずいう芁玠が音楜から排陀されたものであり、必須の前提条件ずしお「協和音が無いこず」を䞋敷きに、「孊者による“音楜”ずいう抂念の圢而䞊孊的・哲孊的な研究」ずいう圹割を担っおいったずいえたす。

    鑑賞のために䜜曲されるずいうよりか、ずにかく新しいアむデアの提瀺ずいう偎面が匷く、こうした研究実践が、「手で倚数の鍵盀を抌さえおもよい」「テヌプを切り刻んだり線集したりしおもよい」ずいうふうに、音楜の手法のアむデアの぀ずしお知られたり、音楜ずいうものの制玄を取り陀いお衚珟領域の拡匵ずいう効果が産たれたりしお、次回取り䞊げるフリヌ・ゞャズやビヌトルズなど、ポピュラヌ音楜の芞術化・前衛化のアむデアのみなもずになっおいったず蚀えるでしょう。


    →次の蚘事はこちら

     
     
    党お同じ「音楜」なはずなのに、各ゞャンル間にある分断や䟡倀差別に疑問を抱き、音楜の歎史にも興味を持぀。西掋音楜史はある皋床ゎヌルに蟿り着けたので、今は日本音楜史の接続に挑戊停滞䞭。音楜史以倖も奜き勝手曞きたす。※あくたで䞀個人のパヌ゜ナルな探求・雑蚘である点をご承知おき䞋さい