
『100日後に別れる僕と彼』とのおわかれ
※論文っぽい書き方は力尽きましたので、真面目な考察を期待される方は論考①と②を、読みやすいのがお好きな方は対話篇と許しという溶接をどうぞです。シリーズについてはマガジンをどうぞ。
「れいさんは馬鹿が嫌いなだけでしょ」
『100日後に別れる僕と彼』について友達に愚痴っていたら(まだ整理できてないんですね私)、そう言われました。
そんなひどい……。
いえ、一般論としては認めますよ。展開の都合で急に無能になる敵味方とか、思わせぶりに長々喋ったあげく真相を口にする前に撃たれるスパイとかは、お話として好きではないです。
この作品でも、「正しい情報を共有し、根拠に基づいて判断できるようにする」ということの重要性を認識していない手癖なのは「馬鹿」とまとめられるかもしれません。EBPMではないですけど。
佑馬の嘘は邪悪であると同時に、馬鹿でもあります。
片桐とか志穂とかに正直に事情を打ち明けて復縁という私情のほうにも協力を求めたほうが、まだしも成功率が上がるはずですから。
彼女たちは―無茶だと止めない限りは―協力することは確信できます。理想のゲイカップルが報道されることは彼女たちにとって必要であり、その私情は(作中での評価と違って)正当なのですから。樹が久保田を殴ったことも、作中で自省している「勝手に代行したこと」ではなく、「佑馬に言わなかったこと」が馬鹿だと思います。
言えば同情されたから、ではありません。佑馬が久保田をよい上司だと思い続けてしまうから、です。
情報共有は恋愛とか人間として見るとか大袈裟な話ではなく、普通に必要なことです。で、悲しいですが、志穂もすべきことをできていません。
社長に悪意はないと正しく認識してるんですから、やめてと普通に言えばいいじゃないですか。
言うべきことを言えずに最後に爆発するというのは、脚本術としてはありふれたものですが、それこそ「展開の都合」です。尚美に相談していたわけですから、尚美が単純なアサーティブコミュニケーションを教えればそれで済んだと思うのですけど……。
「人間として見てほしければ、まず人間として見る」ではないですよ。
「人間として見てほしければ、率直に言う」それだけです。悪意のあるセクハラ加害者や、樹のようなBL読者を雑に棒で殴る男を「人間として見」たところで意味がないです。あ、社長は言うまでもないですし、山田も恋愛技術としてだけでも好きな人のセクハラには怒りましょうよと言われて当然なのでお馬鹿さんです。
これらはハンロンの剃刀に則れば、作者が「賢い」解決策を思いつかなかっただけで、あるいは「賢い」ふるまいをしつつなお物語を推進させる方法を思いつかずシナリオの都合で「馬鹿」をさせるしかなかっただけで、意図して行った邪悪なことではない、「馬鹿が嫌い」なのは厳しすぎる、と言われるかもしれません。
……けど、ですね。
佑馬の「馬鹿」の責任が、志穂の「どれだけ罵倒されても構いません」に落ちてくること。
樹が自己責任を顧みずBL読者を非難した責任が、志穂の「長谷川さんに向き合っていなかった」に落ちてくること。
社長の「馬鹿」の責任が、志穂の「許します」で終わること。
それはやっぱり、ハンロンの剃刀だけでは説明ができないと思うのです。
必要ないはずの負債が生まれたのは「馬鹿」だからだと言えても、必要ないはずの負債を担わされるのが女性であることは「馬鹿」だからで説明できませんから。
馬鹿が嫌いなだけなら、この作品を忘れてしまえばよいことです。彼女が私に言ったのもそういう意味でしょう。
「賢い」処方箋だとは思います。
ただ、馬鹿で説明がつくことの裏に、そして性的志向におけるマイノリティの人間扱いという美しさの陰に、それだけでは説明のつかないねばついたものがある。そうじゃないでしょうか?
……と、整理して言いかえせればよかったのですけど、そううまくは言えませんでした。
ええ、私は馬鹿が嫌いです。でもそれ以上に差別が嫌いなんです。
分かってもらえます?(公表の許可はもらっています。)