
「2億円」の壁。共働きの限界を超えた先で、私はキャッシュ勢に負けた【敗戦記】
「満額で出していただければ、おそらく通せます」
先方の仲介担当者からそう告げられたとき、ぼんやりとした妄想が、急に現実味を帯びてきた。家に帰ってからも、何度も電卓を叩き、返済計画を練り直すと、もう日が暮れていた。
「買付、出そうかな・・」
決意を固めて、眠りについた翌日、スマホが震えた。先方仲介からの着信。嫌な予感がする。
「大変申し訳ありません。先に指値で申し込んでいた現金のお客様が、満額まで買い上げてこられまして……。そちらの方に決まってしまいました」
キャッシュ客に、住宅ローン審査の承認待ちを抱える私が、勝てるはずもなかった。
電話を切った瞬間、胸に広がったのは、悔しさと──そして、どこか肩の荷が下りたような、ホッとした感情だった。
あの部屋を本当に買ってしまってよかったのだろうか。 月々40万円超の支払いに、自分たちは押しつぶされずにやっていけただろうか。
夕食を食べながら、妻に顛末を報告すると、彼女はオイシックスのカツ煮を頬張りながら、こう言ってくれた。
「まあ、高層階は地震のときエレベーターが止まったら大変だし、ちょうどよかったよ」
その優しさに救われながら、足元で所狭しとハイハイを繰り返す0歳の我が子を見つめていた。
今の住まいに、大きな不満があるわけではない。
2020年に結婚し、しばらくは中野で賃貸暮らし。2022年に思い切って購入した現在の中央区内陸のマンション(2LDK)は、建物自体の作りもしっかりしていて、落ち着いた街の雰囲気も気に入っている。
人気の中央区といっても、湾岸エリアのようなタワマン街ではなく内陸部なので、相場の乱高下も相対的にはそれほど激しくない。実需として腰を据えて暮らすには良い場所だ。心からそう思う。
けれど、2025年に子どもが生まれてから、暮らしの解像度が少しずつ変わっていった。
我が家は、リビングインの間取りだ。
夜、寝静まった寝室からトイレに行くとき、ドアの開閉音や足音で赤子を起こしてしまわないよう、抜き足差し足でそーっと廊下へ出る。
今はまだ赤ん坊だからなんとかなっているが、あと数年もすれば自分の足で走り回り、オモチャや荷物があふれ返るだろう。
「近い将来、手狭になる….」
今の家に愛着があるからこそ、その予感は、徐々にはっきりとした輪郭を持ち始めていた。
徒歩5分、無駄のない大規模、そして予期せぬ眺望
そんな中で見つけてしまったのが、「あの部屋」だった。
現在の自宅から徒歩5分ほど。生活圏も保育園の検討エリアもほとんど変える必要がない。大規模マンションでありながら、使われもしない華美な共用施設はなく、質実剛健で好印象。間取りは綺麗な70平米台/3LDK。
ネックは「敷地内駐車場に空きがないこと」だったが、近隣の駐車場はありそうで、じっくり待てばそのうち空きは出るだろう。
高層階には興味がなかったが、実際に見てみると、想像以上に気持ちが良い。ベランダに出て、流れる秋の雲を眺めながら、ボーッとしている自分を思い浮かべてみると、「悪くないではないか・・」という思いが湧き上がってきた。それなりにリノベーションされているのも好印象だった。
月45万円のリアルな重み
問題は、資金シミュレーションだ。 物件価格は2.1億円台、諸費用を含めると総額で約2.2億円を超える。
現在の売却益を充てたとしても、残る借入額は約1.6億円。
昨今の金利上昇局面において、1.6億円を引くのは生半可な覚悟ではない。ある程度期間を伸ばしたとしても、管理費や修繕積立金などのランニングコストを合わせれば、毎月の支払いは40万円を優に超える。それそも銀行の審査、通るのか?
相場自体はピーク時に比べれば少し落ち着きを見せているとはいえ、不動産価格ばかりは自分たちでコントロールできるものではない。売るのもピークより下がるだろうが、買うのも下がる。そう割り切ってはいても、なかなか痺れる金額ではある。
「2億円超え」こそが、最も熾烈な激戦区だった?
共働きパワーカップルが、フルレバレッジをかけて組めるペアローンの上限はおおむね1.5億円程度と言われている。 だからこそ、「2億円を大幅に超えるような物件は動きが鈍くなり、競争相手も減るのではないか」という読みがどこかにあった。日々プロとして相場に向き合っていても、4,000万円〜1億円までの物件は変わらず活況だが、1億を大きく超えると鈍くなる。それが現実・・のはずだった。
しかし、あの部屋に関しては、別だった。
70平米台の3LDKで2億円台、坪単価に直せば900万円台。
この予算があれば、都内広域に目を向けても、多くの選択肢はある。しかし、「都心内陸・良質な大規模・好間取り」という三拍子が揃った良質な物件には、2億円を超えていても人が群がるのだろう。
そこには、フルローンで息を呑みながら挑む我々のような実需層だけでなく、事業売却や資産家の買い替えといった「億単位の現金を即座に動かせるキャッシュ勢」が参戦してくる。我々のような、日経平均が数%上がった、下がった、月収がX万円上がったなどと、一喜一憂している層とは、違った論理で動く人々。都心2億台以上の世界観となると、彼らと戦わなければならないのだ。
すべての「家購入検討者」にリスペクトを
自分自身、一度は家の購入を果たし、普段から不動産のビジネスに携わっている身だ。 相場の見通しも、ローンの組み方も、契約の実務も知っている。
それでも──我が家の家購入、住み替えは、やっぱり痺れる。
論理、感情、金利、給与、学区、通勤・・・。 年齢を重ねれば重ねるほど、天秤に乗せなければならない変数が雪だるま式に増えていく。
自分の都合と気分だけで、身軽に部屋を決めて引っ越していた20代の軽やかさが、懐かしくなることもある。 けれど、40代の大人の男として、家族の生活と未来を背負って家を選ぶなら、この迷いやプレッシャーは避けては通れない道なのだ。
毎日スーモにかじりつき、返済額シミュレーターと睨み合い、内見のたびに一喜一憂し、時に敗れて呆然とする。 いまこの瞬間も、どこかでそんな途方もないプレッシャーと戦っているすべての家購入検討者に、改めてからリスペクトを送りたい。
リビングでは、今日も、0歳児が所狭しとハイハイをしている。この子が二本の足で立ち上がり、部屋中を走り回るようになるのも、時間の問題だろう。
家族全員がゆったり笑って暮らせる場所は、地球上のどこにあるのか?!
痛烈な敗戦の痛みを抱えつつ、我が家の住み替えの旅は、ここからまた仕切り直しである。