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元院長のブログ 1

    第1集 (#はじめに・#1〜#40)

    第2集(#41〜#80)
    第3集(#81〜#120)
    第4集(#121〜#160)
    第5集(#161〜#200)
    第6集(#201〜#240)
    第7集(#241〜#280)
    第8集(#281〜#320)
    第9集(#321〜)一部準備中

    # はじめに

    2019年4月から2023年3月までの4年間、埼玉県にある病院で「院長ブログ」を書きました。正しく言うと、最後のブログ1篇は院長を辞めた直後の2023年4月に追加で書きました。総数は500篇を超えます。しかし、病院の経営者が変わったため現在は読むことができません。原稿は手元にありますので、それを40篇ずつ13回に分けてアップしようと思います。
    コロナ前夜からコロナが最盛期を迎え、徐々に落ち着いていった時期に当たります。個人的には貴重な経験でしたが、他の方にとってもその期間の記録は何かの役に立つかもしれません。病院経営の劇的な変化(倒産、民事再生)もありました。医療や医学のあり方、ときに教育一般についても意見を述べました。
    今回、当時の原稿をアップしようと思った契機が最近(2026/10/12)ありました。ある新聞に「AI検索の判例 実は架空 書籍に引用し絶版回収」という記事を見つけたのです。AIが作り出した架空の判例をそのまま信じて引用し、自説に有利な使い方をしたことが露呈したため、本は絶版、そして回収となったとのことです。この「AIが架空の論文を創作する」ことは、私のブログの最後に書いたことでした。こうしたことがあるということは、やはり記録に残しておいた方がよいのではないか、と考えた次第です。
    今回の再掲にあたっては、一部の字句は変更し、固有名詞の一部を匿名化します。様々な事情を鑑みて関係者のご迷惑にならないよう配慮いたします。2026/10/13 

    #1 2019/4/9 参議院議員と歓談

    昨日、埼玉県選出の古川俊治参議院議員と歓談してきました。さいたま市岩槻区出身の古川議員は、慶應大学医学部卒業の外科医ですが、法学部も卒業し司法試験に合格した「医と法」の両刀使いです。内視鏡外科の黎明期に知り合い、高校の後輩ということもあって25年来の付き合いをさせてもらっています。この4月私がさいたま市に転居したことからご挨拶に伺いました。埼玉県の地域医療のあり方、病院経営の課題など幅広く意見交換をしてきました。最後は握手してお互いの健闘を誓い合いました。 [目次に戻る] 

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    #2 2019/4/10 同級生と再会

    昨日、ナーシングホームの池辺施設長が週1回の内科外来診療に来られました。「池辺施設長」というお名前は私が4月に赴任したときから聞いていたのですが、実際に会ってびっくりです。45年前の昭和48年、同じ大学を卒業した同級生の池辺健二君ではないですか! 池辺先生は昭和62年から30年間、内科常勤医としてここに勤められ、2年前からナーシングホームの施設長になっているとのことでした。長年にわたりこの地域の医療に多大な貢献をされたことに感謝の気持ちを伝え、同じ地域で働くことの喜びを分かち合いました。そして二人で手を組んで行こうと誓い合いました。 [目次に戻る] 

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    #3 2019/4/11 感謝状

    一昨日、茨城県保健福祉部の木庭 愛部長から県知事名の感謝状をいただきました。茨城県の地域医療・がん対策・医療教育担当顧問としての活動を認めていただいたようです。私としては、むしろ多くのことを教えてもらい、感謝するのはこちらのほうだというのが正直なところです。茨城県で培った経験を埼玉県でもぜひ生かしたいと考えています。 [目次に戻る] 

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    #4 2019/4/12 内視鏡外科の旧友

    昨日、毎週木曜日に手術・診療支援をしてくださっている内視鏡外科の第一人者 多賀谷信美先生と手術室でお会いしました(写真左から3人目)。多賀谷先生が栃木県の獨協医科大学病院本院におられたころ、私は10km離れた自治医大本院の外科におり、内視鏡外科の興隆期に交友を深めました。特に印象に残るのは、自治医大の手術室で副腎や食道、胃の腹腔鏡手術を指導していただいたことです。その20年後に、さいたまでお会いできるとは! 菅又副院長兼外科部長(2人目)、若手のホープ箱崎医師(4人目)と一緒に記念写真におさまりました。 [目次に戻る] 

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    #5 2019/4/15 子どもたちの声

    院長室と同じ廊下の10m手前に「にこにこほいくしつ」があります。私の部屋のドアは常に少し開けています。すると保育室から元気な声が聞こえてきます。ときに大きな泣き声が聞こえます。子どもたちの声は、たとえ泣き声であっても、私にとって元気の源です。命の限りを知り、命の続きを思うからです。 [目次に戻る] 

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    #6 2019/4/16 センター開院30周年記念

    昨日、自治医科大学さいたま医療センター開院30周年記念祝賀会がパレスホテル大宮で開かれ、西永院長代行と一緒に参加してきました。
    当院は自治医科大学さいたま医療センターとの密な連携が要になりますので、多くの関係者とお話をしてきました。
    百村伸一自治医科大学さいたま医療センター長とは、お互いの連携を深め合うことで意見の一致をみました。また、この地域の医療を進めていくためには、医師会の先生がたとの連携も重要です。幸い、松本雅彦大宮医師会長と松本吉郎日本医師会常任理事(前大宮医師会長)に協力をお願いしたところ、暖かいお言葉をいただきました。清水勇人さいたま市市長とも親しくお話をさせていただくことができました。当院の現状をお伝えするとともに、さいたま市内の病院経営の問題についてもご説明しました。清水市長からは市内の病院を守る強い意思をお聞きし心強く思いました。他には、高久文麿地域医療振興協会会長、桃木茂大宮医師会副会長、佐田尚宏自治医科大学附属病院院長、川上正舒自治医科大学さいたま医療センター前センター長、力山敏樹自治医科大学さいたま医療センター一般消化器外科教授、遠山信幸同外科教授、野田弘志同外科准教授、宮倉安幸同外科准教授、田中亨同病理部教授、尾本きよか同臨床検査部教授、星永進埼玉県立循環器呼吸器センター病院長、伊藤博深谷赤十字病院院長など多くのかたがたと親しく懇談させていただきました。 [目次に戻る] 

    #7 2019/4/17 地域医療連携部

    昨日、自治医科大学(自治医大)附属さいたま医療センターの地域医療連携部を訪ね、当院との連携について話し合ってきました。
    さいたま医療センターは2014年に地域がん診療連携拠点病院、2016年に救命救急センターの指定を受け、超急性期病院および高度機能病院としてますます発展し、地域の「最後の砦」となっています。私たちの病院からも多くの患者さんをお願いしています。一方では、超高齢化の影響で様々な合併症を持ったお年寄りのがんや救急疾患が増え、自治医大だけではとても対応しきれなくなっています。一定期間の治療を受けたあとは私たちの病院が引き受けていってあげないと、自治医大としては本来の機能が発揮できなくなってしまうということです。
    私たちもただ引き受けるのではなく、適切な治療、看護、栄養、リハビリテーションを駆使し、ソーシャルワーカーの力も借りて、元々のお住まいに戻してあげるのが大切だと思います。たとえそれが叶わなくても、そうした努力をすることがやはり大切なのだと思います。当院ではそれが行われていることも説明してきました。 [目次に戻る] 

    #8 2019/4/18 雪の朝

    私が埼玉に赴任して間もなく茨城の恩人S先生が亡くなられました。長年お世話になった先生です。最期を看取り、深く頭を下げてお見送りをしなければならなかったのに、それができず申し訳なく思いました。
    先日、奥様から大きな絵が送られてきました。S先生がずっと大切にしていた絵だとお手紙にありました。自分が死んだら永井に贈るよう生前話されていたとのことです。
    なぜ私に、と思いつつ箱から出したとたん、息を呑みました。
    鈍色の暗い空のもと、湖畔に広がる泥田の上に積もる雪。そこに枯れた蓮の茎がいくつも折れて群れています。静寂と冬の冷気が濃縮した風景画です。作者は大正から昭和にかけて活躍した日本画家。タイトルは「雪の朝」。
    なぜ私に遺品として贈られたのでしょうか。
    新しい病院に来て常に血がのぼる毎日を過ごしている私に、「永井さん、少し頭を冷やしませんか」といつもの穏やかな笑顔で語りかけてくださっているように思えました。
    そもそも先生はなぜこの絵が好きだったのでしょうか。
    寒々とした冬景色を眺めているうち、気づきました。この絵のポイントは白い雪ではあるのですが、実は、枯れて折れた蓮の群なのだと。冷たい水や泥の中にあるのは蓮根。蓮根は冬であっても底で静かに生き続けているのです。死んだかにみえる朝の冷たい殺伐とした景色のなかで息づく命。そう、命だと。朝から昼へ、冬から春へ、そんなメッセージを感じとりました。
    S先生、ありがとうございます。 [目次に戻る] 

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    #9 2019/4/19 易きに流れているか

    大阪の日本外科学会に参加しています。新しい知識を得て診療に繋げたいとの思いからです。
    最近、外科を志す若い先生が減ったと言われています。今回の学会でもこのことが話題になっています。「若い人は厳しい外科を避け『易(やす)き』に流れる」と嘆く向きもあります。
    私は違うと思います。時代はずいぶん変わりました。が、若い人が『易き』に流れるとは少しも思いません。外科に限らず、どの診療科でも同じだろうと思います。医師に限った話でもありません。医療を志す人たちが『易き』に流れているとは思えません。さいたま記念病院の現場を見ても分かります。皆、一生懸命尽くしています。
    外科医が減ったと嘆く大学の外科の教授たちは外科の魅力をどれほど発信しているのでしょうか。私が調べた某大学では、医学生で外科の教科書を持っている者はほとんどいないという驚くべき事実があります。講義は臓器別になり、多くの大学では、例えば消化器の講義では消化器内科と消化器外科が担当して終わり、というスタイルにいつの頃からかなってしまいました。外科学講義というものがないのです。
    私が以前勤めていた大学では、外科の歴史、手術学、外科侵襲学、外科感染症学、創傷治癒学、移植免疫学など外科の基礎となる分野の講義を必修カリキュラムに入れました。もちろん外科の教科書は必携です。
    解剖はどこの大学でも医学部入学まもなく行いますが、私の提案でその大学では、一通りの臨床を勉強したあとの4〜5年生でもう一度解剖を行いました(必修)。解剖の前に全身CTを撮り、放射線診断医のレポートをつけてもらい解剖の参考としました。解剖は、外科系診療科による臨床解剖です。ご遺体の尊厳を損なわないように注意を払いながら、例えば脳の解剖では、脳神経外科医が解剖室にマイクロスコープを運び入れて脳下垂体切除、脳血管吻合などを学生に見せ、行わせるのです。心臓外科、呼吸器外科、泌尿器科、婦人科、整形外科も参加しました。いずれも各診療科の代表的な手術を見せ、やらせるのです。消化器外科では肝切除、膵頭十二指腸切除などを行わせました。消化器外科に興味を持った学生には(選択必修BSLの枠で)、ブタを使った実験で胃切除、腸切除を試させました。学生は術後、毎晩様子を見に動物舎を訪れ、食事摂取が進まないと心配し、1週間後に心臓停止薬の塩化カリウムを打つときは涙を流していました。学生たちは、心停止を確認してから開腹し、手術結果を観察したあと、丁寧にブタのお腹を閉じ、静かに、深く、長く、黙祷を捧げました。
    こうした外科教育をしないで、外科医が減った、若い人は『易き』に流れる、と嘆く人たちを私は理解できません。 [目次に戻る] 

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    #10 2019/4/22 埼玉県庁

    先日、所用で埼玉県庁を訪れました。
    45年前、医師国家試験に合格し、医師免許証は本籍地で受け取るとのことで、埼玉県庁に取りに行って以来です。
    記憶はかなり薄れていましたが、今回、県庁前の独特の道路の曲がりを見て、昔を思い出しました。建物の記憶も少し残っていました。
    一方、担当部署に赴いて医師免許証をもらったときの記憶は、今でも鮮やかに覚えています。なぜなら、その免許証は比較的小さな封筒に入っていて、そこから取り出したところ、しっかりと2つ折りになっていたからです。一瞬、驚きました。でも文句を言わず、丁重に受け取りました。
    県庁の人が折ったのではなく、おそらく厚生省(現 厚生労働省)の担当者がそのような形で埼玉県庁に送ったのだと諦めました。でも、医師となった意気込みが少し折れたことは確かです。
    以後、埼玉県との縁はなく、東京、群馬、栃木、茨城と県外で勤務を続けました。その都度、この医師免許証は各病院に提出してきました。2つ折りの跡がくっきり残る免許証を提出するたびに、埼玉県庁で受け取ったときの驚きが蘇ってきたものでした。
    今年4月、さいたま市の病院に赴任し、久しぶりに医師免許証を出して見ました。2つ折りの跡をあらためて見ました。感慨というものは最早ありませんでした。
    もう半世紀近く前のことです。
    私の医籍登録の日付は11月7日です。1968-1969年に吹き荒れた大学紛争の影響でカリキュラムが半年延びたため、9月に卒業し秋の医師国家試験を受けたからです。当時、医師国家試験は春と秋の年2回行われていました。しかしその時代はとっくに終わりました。すべての思い出は遠い過去のものとなりました。
    長い人生の涯に故郷にもどって来たのだ、との思いだけが込み上げてきます。 [目次に戻る] 

    #11 2019/4/23 セカンドオピニオン外来

    セカンドオピニオン外来を開設しました。ほかの病院にかかっている患者さんやご家族に対して助言をおこなう外来です。
    セカンドオピニオンと言えば、大学病院やがん専門病院などの超急性期・高度機能・専門病院の医師がおこなうのが一般的です。当院のようなところがそれにふさわしいのか疑問に思われるかたも多いと思います。
    少し説明したいと思います。
    現在は超高齢化の時代となり、お年寄りの患者さんが非常に多くなりました。お年寄りはひとつの病気だけで病院にかかるわけでは必ずしもありません。脳梗塞や心筋梗塞の既往があり、肺にも障害があり、歩行や日常生活に不便を感じていることが少なくありません。そうしたお年寄りに胃がんがみつかったとします。残念ながら早期がんではなく、ある程度進行しているようだと言われました。さてどうしようか、ということになります。
    胃がんの治療については日本胃癌学会から診療ガイドラインが出されています。通常はそれに基づいて治療方針が決まります。早期胃がんであれば内視鏡で取りましょう。遠くへの転移がない場合は手術です。手術にはいろいろな方法があります。胃がんの部位などによってどのような手術が選ばれるか細かく書かれています。こうしたガイドラインに基づく診療は全国に広がっているので、治療法や手術方針をあらためて別の病院で相談する必要はあまりないと言えます。もちろん、1人の医師、1つの病院だけでは心配だと思えば、別の医師、別の病院でと思うのもわかります。
    一方、90歳、認知症がある、腎機能が悪い、心筋梗塞の既往がある、高血圧の薬を飲んでいる、そして進行胃がんが見つかった、ガイドラインだと治療はリンパ節郭清を伴う胃全摘術、という場合、どうでしょうか。こうした場合、「手術後の5年生存率は〇〇%、術後合併症の危険は〇〇%、手術死亡率は〇〇%です。手術をする・しないはご本人とご家族で決めてください」という言い方をされることが多いように思います。
    実は、5年生存率を除けばこの〇〇%というのはかなりいい加減なもので、きちんとしたデータに基づくものではありません。上記の90歳の患者さんに当てはまるデータなどあるはずがありません。また、このような難しいことを本人・家族に決めさせるというのはちょっと不親切だな、という気がします。
    当院でのセカンドオピニオンの場合、胃がんや併存症の評価のほかに、この年齢のかたの余命は一般にどのくらいか、がんを治療しなかったときはどの程度生きられるか、栄養状態はどうか、普段の生活はどうか、胃がんの症状はどこまで出ているのか、ご自分の病気をどう理解されているか、認知能力はどの程度落ちているのか、不安はお持ちなのか、以前の職業は何だったのか、どのような人生経験をたどってきたのか、どのような死生観をお持ちなのか・お持ちだったのか、住所はどこか、独居なのか誰かと同居されているのか、家族構成はどうなのか、キーパースンは誰か、そのかたの生活はどうなのか、家族の交通手段は何だろうか、などを考えていきます。医師だけでなく、看護師、薬剤師、栄養士、リハビリ専門職、ソーシャルワーカーからの意見も聞いてトータルに考えたいと思っています。
    家族の一員となって考えていきたいと思うのです。 [目次に戻る] 

    #12 2019/4/25 倒産〜再生の一歩

    昨日、当院とナーシングホームは管財人のもとで再生を図ることになりました。
    私は4月に赴任して以来、理事長たちの不誠実な実態に大きな疑問を持っておりました。それがすっきりした形で解決されたことを喜んでおります。
    当院もナーシングホームも地域にとって重要な施設でありますし、そこで働く職員の能力の高さ、心の素晴らしさは何ものにも代えがたいものがあります。
    再生とはリボーン rebornです。
    生まれ変わった姿をぜひお見せしたいと思います。 [目次に戻る] 

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    2019/4/11発売の週刊誌によって、同じ法人の東京のセンター施設(「セレブ病院」)の破綻とスキャンダルが報道されました。併せて私の病院の内情も暴露されました。そのため経営が行き詰まり、2019/4/24東京地裁から民事再生を命じられました。いわゆる倒産(再建型)です。この記事で「ファクタリング」とは何かを初めて知りました。医学・医療の世界だけしか生きてこなかった人間にとって衝撃でした。不動産が借金の担保になることは知っていました。動産を担保にする仕組みもあり、それがファクタリングです。しかし診療報酬までがファクタリングの対象になることを医療人のどれほどが知っているでしょうか。法的には問題ないとのことですが、公的な事業である医療を支える病院の存続に関わる診療報酬を担保にできる制度には疑問を持たざるを得ません。
    下の記事をじっくりお読みください(一部加工)。
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    #13 2019/4/26 がんフォーラム〜がんと生きる〜

    この10数年、がん体験者とのお付き合いを続けてきました。
    医師として新しいがん情報を提供することもありますが、お付き合いをしてきた主な理由は、体験者から様々な意見をいただき、多くのことを教えていただくからです。
    5月26日(日)午後1時から、つくば国際会議場で「がんフォーラムつくば『がんと生きる〜こころとからだ 私らしく〜』」にパネリストとして参加します。外科医として関わってきた自分の思いとともに、がんを体験された多くのかたがたから学んだことをお伝えしたいと思います。
    ほかのパネリストは、関根郁夫筑波大学教授、志賀俊彦茨城がん体験談スピーカーバンク代表、天池真寿美日立総合病院がん相談支援室長です。コーディネーターは町永俊雄氏(福祉ジャーナリスト)、主催はNHK厚生文化事業団・NHKエンタプライズ・読売新聞社です。
    事前申し込みが必要ですが、興味のあるかたは参加してみませんか。
    詳細はhttps://www.npwo.or.jp/info/13229をご覧ください。(大型連休中は院長ブログをお休みします) [目次に戻る] 

    #14 2019/5/7 大型連休

    大型連休中、多くの人が病院で働いていました。
    私は2日間だけ病院の様子を見に来ました。救急患者が順番を待っていました。救急車も止まっていました。リハビリは休日にもかかわらず続けられていました。事務職も、ソーシャルワーカーもいました。病棟では看護師がいつもの慌ただしさで勤務についていました。職員の皆さん、ありがとうございました。当直対応をしてくださった常勤・非常勤の先生がたにも深謝いたします。とくに嬉しかったのは、にこにこ保育室が開いていて、元気な子どもの声が聞こえたことでした。 [目次に戻る] 

    #15 2019/5/8 医の道

    昨日、所用で大宮医師会を訪れました。
    玄関を入った正面の壁に扁額が掲げられていました。
    右から左に「開心貫醫道」。
    「心を開き医の道を貫く」と読めます。署名は「太郎」。印から武見太郎氏の書だと分かります。
    武見氏は1957〜1982年の四半世紀、日本医師会長を務めました。日本医師会が底力を持っていた時代です。武見氏の在任期間は私の父親が埼玉県の飯能地区で医師会活動をしていた時期と重なります。世間付き合いがいまひとつだった父親が地区の医師会長になったのは武見氏の何らかの影響があったのかもしれません。
    剛腕のイメージがある武見太郎氏ですが、「医の道」について重要な提言をしています。1980年ごろ、医業のプロフェッション性を論じ、国家や他人からの干渉・強制を受けないという意味で「プロフェッショナル・フリーダム」を唱えました。いま使われる「プロフェッショナル・オートノミー」の原点です。
    注目すべきは、「〜からの自由」(消極的自由)であれば単なるエゴイズムの烙印を押されてしまう、むしろ「〜への自由」(積極的自由)という自己の理性による人類の進歩と社会の安定を図っていく、それがプロフェッショナル・フリーダムだ、というのが武見氏の考え方でした。
    「自己の理性による人類の進歩と社会の安定を図る」。
    医の原点というべきものです。
    医療人すべてがこのような考えであってほしい、と私は思います。 [目次に戻る] 

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    #16 2019/5/9 先進的な医療と地道な医療

    前任の病院との約束で、埼玉に引っ越してからも週1回茨城の県立病院の診療を手伝っています。昨日がそうでした。
    地域がんセンターと救急センターとを併せもつ県立の総合病院ですので、高度先進・超急性期医療を必要とする患者さんをたくさん診る必要があります。今の埼玉の病院の患者さんたちとは診療内容がずいぶん異なります。
    どちらの病院での診療が大変か、と問われれば、どちらも同じだろうと思います。ひょっとすると、埼玉の病院のほうがむずかしいのかもしれないと思うこともあります。私自身が地道な医療に慣れていないことが一因ではありますが、地道な医療こそ意外とむずかしい、と言うこともできます。
    日々の診療のなかで、ひとつひとつ勉強していきたいと思います。 [目次に戻る] 

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    茨城の県立病院。右手にヘリポートが見えます。

    #17 2019/5/10 症例カンファレンス

    私は多くの病院で診療にたずさわってきました。
    どこの病院でも、特定の患者さんに対してさまざまな職種が診療方針を話し合っていました。チーム医療とも、多職種連携とも呼ばれるものです。急性期医療や在宅診療の現場で、多職種連携が行われている様子を実際に見てきました。
    しかし、この病院に赴任して、その多職種連携のイメージが激変しました。例えば、90歳女性の心不全。救急搬送された救命センターで一命をとりとめ、後方病院の当院に転院。しかし、食事は進まず、ほぼ寝たきり。認知症もある。さてどうするか。心不全の治療には何が良いか。看護の立場から見て現状はどうか。食事はどうしたら良いか。誤嚥しないか。リハビリは何をしたら良いか。キーパースンはどこにいるのか、何と言っているのか。少し栄養を上げよう。こんど嚥下機能をみよう。もっとリハビリを導入しよう。なんとか元の家に帰そう。こんど家族と話そう。
    寝たきりに近い超高齢者(それ以外の患者さんも全員!)に対してこれほど熱心に、しかも多人数で、各職種が丁々発止とやり合う現場を私は見たことがありません。決して形式に流れず、たとい認知症が進んでいても、そのかたのベストは何かを、常に真摯に考え、わがごとのように寄り添い、堂々と議論する様子に胸を打たれました。
    写真は、医師3名、看護師2名、栄養士・リハビリ療法士・医療ソーシャルワーカー各1名が議論している風景です。 [目次に戻る] 

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    #18 2019/5/13 ふれあい看護体験

    毎年5月12日は看護の日です。今年、当院ではその前日に高校生対象の「ふれあい看護体験」が看護師10数名によって催されました。高校生20名余りが参加してくれました。5-6年前から行われているとのことですが、私は初めて見学させてもらいました。
    高齢者擬似体験、手術室看護、車椅子介助、ストレッチャー搬送、血圧測定、ベッド介助、嚥下訓練、インスリン注射など盛りだくさんの内容でした。参加者は数名ずつに分かれ、各ブースを回っていました。皆、熱心に説明を聞き、初めての看護体験に新鮮な驚きと喜びを感じているようでした。
    高校生の楽しそうな顔と真剣な様子に魅入られました。看護師たちの熱心さにも心を打たれました。 [目次に戻る] 

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    高齢者体験
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    手術介助
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    車椅子介助
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    ストレッチャー搬送
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    発声嚥下訓練
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    インスリン注射

    #19 2019/5/14 お散歩コース

    先週、大津市の保育園児の痛ましい交通事故が報道されました。
    当院の保育室に注意をお願いしたところ、お散歩ルートを教えてくれました。
    土曜日の午後、私も歩いてみました。
    よく晴れた日でした。
    病院の駐車場の外側、小学校側の小径(車は絶対通れません)を東南に進むと、すぐ総合公園に出ます。広い緑の公園で、用水路東縁の西側に長く伸びています。草原で子どもが網を使って虫取りに興じていました。次にフィールドアスレチックが現れました。小学生がターザンで遊んでいました。その先には、広くて浅い池があります。小さな子どもが2人、お父さんに見守られながら裸で水浴びをしていました。そこからの澄んだ水は小川となってゆるやかに流れていきます。小橋を渡って東に抜け、しばらく南に歩きます。やがて左に折れて用水路にかかる橋を渡ると、公園に出ます。砂場があり、小山の斜面に滑り台がありました。園児たちはそこで遊んだあと、緑地に戻り、病院に向かって帰っていくのだと思います。
    雨で緑地帯の小径がぬかるんでいるときだけ、用水路東縁に接する舗装の道を使うということでした。この道は車が通ります。ただし、総合公園を利用する人しか車で入って来ません。公園の入り口までの約150mでした。平日昼間であれば、まず車は通りません。一安心です。 [目次に戻る] 

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    #20 2019/5/15 大矢教授

    先日、獨協医科大学埼玉医療センター外科の大矢雅敏教授を訪ねてきました。
    大矢教授は大学の後輩で、大腸外科の専門家として国際的に知られています。当院は大矢教授の医局から外科医を派遣していただいていますので、御礼と御挨拶を兼ねて伺いました。
    獨協医科大学埼玉医療センターは人口密集地帯にあり、患者が殺到しているとのことでした。当然、手術もものすごくたくさんあります。難しい手術をこなさなければならないのが大学病院の使命です。
    大矢教授は昔から豪放さと繊細さとを合わせ持っていました。この日も、豪快に笑いながらも、医局員の性格を踏まえて細かな指導をしていることを熱く語っていました。
    当院では、菅又副院長兼外科部長が中心となって若手外科医の教育にあたっています。若手の外科修練の場であると同時に、地域の外科臨床を支えていることを大矢教授は高く評価され、当院の外科を引き続き支援するという心強い言葉をいただきました。その期待に沿えるよう私も当院の外科および病院全体の体制を整備していこうと思います。 [目次に戻る] 

    #21 2019/5/16 ナーシングホーム

    先日、さいたま市保健所で所用をすませたあと、急に思いついて、系列のナーシングホームに行ってみました。同じ医療法人の経営する施設ですのでもっと早く訪れるべきでしたが、この1ヵ月色々な事情で失礼してしまいました。
    急な来訪にも関わらず、小林事務部長と佐藤看護部長が温かく迎えてくださいました。池辺施設長はさいたま記念病院での診療支援のため不在でした。皆川先生が代診をされていました。
    この施設は、家庭復帰を目指す介護老人保健施設(老健)ではありますが、短期入所療養介護(ショートステイ)や通所リハビリテーション(デイケア)、訪問リハビリテーション(訪リハ)にもきめ細かく対応しています。
    建物の中は木材や木目調の素材を多用して、暖かい雰囲気が醸し出されていました。
    ちょうどカラオケの時間で、大勢の人の熱気に圧倒されてしまいました。看護師やリハビリ療法士、介護スタッフの方々の笑顔も素敵でした。
    療養室は個室が多いのですが、4人部屋であっても隣同士は家具で、向かい同士は格子の障子で境され、和の風情たっぷりの間取りでした。
    東北自動車道-首都高と東京外環道との十字路である高架橋のほぼ真下に位置する施設ですが、訪ねてみてびっくりです。静かな森に囲まれているのです。
    広いウッドデッキが木立に面して設けられていました。ここに腰掛けてコーヒーを飲むのですよ、との説明を受けました。
    限られた時間でしたので、15分ほどで失礼しました。
    病院までの道を聞いて帰路につきました。東北自動車道の脇の真っ直ぐな、信号のない一般道をひたすら北に向かって走り、インター前の交差点の少し手前で左に折れるとすぐ病院近くに出ました。わずか15分ほどでした。
    これなら、ウッドデッキでコーヒーが飲めるぞ、と思いました。 [目次に戻る] 

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    #22 2019/5/17 老人ホーム

    当院の200m西に老人ホームがあります。介護老人福祉施設(特養)を中心に様々な介護サービスが提供されています。
    特徴的なのは、特養にもかかわらず常勤の医師がいらっしゃることです。また、さいたま市の事業委託を受けて、見沼区東部圏域の地域包括支援センター(シニアサポートセンター)が入っていることです。さらに、小規模多機能型居宅介護事業所(小多機)もあると聞きました。
    そうした興味から、先日、当院の医療ソーシャルワーカーと一緒に老人ホームを訪ねてきました。
    まず施設長にお会いし、金井裕子先生をご紹介いただきました。
    金井先生は、神経内科専門医の資格を持っており、神経難病の患者さんも多数診ておられるとのことでした。
    色々お話を伺いましたが、印象的だったのは胃瘻についてのお考えでした。
    認知症の高齢者への内視鏡的胃瘻造設(PEG)の濫用に対して批判があり、胃瘻は作らないという施設が多くなった、しかし、神経難病のかたは知的能力が十分にあり、胃瘻さえあれば栄養の心配がなく生きていける、というものでした。胃瘻の濫用、それへの批判。私も聞いたことがあります。何事もそうですが、ひとつの考えに縛られるのではなく、一人一人に寄り添っていけば、自ずとすべきこと、すべきでないこと、が明らかになるように思います。
    当院からの情報として、4月に整形外科医が赴任してきて積極的に診療を行っていること、そのほかの診療科においてもご期待に応えられるよう努力していることをお伝えしました。
    懇談のあと、部屋や設備を見せていただきました。いろいろ充実していましたが、特に浴室が広く、車椅子ごと入れる大きな浴槽は興味深いものでした。「今度入ってみたい」と思わずつぶやいてしまいました。
    シニアサポートセンターと小多機については、後日またゆっくり見学させていただくことにしました。 [目次に戻る] 

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    #23 2019/5/20 ローマ風呂

    前回、敬寿園七里ホームを訪ねたとき、車椅子に乗ったまま入れる大きな浴槽を見て、「今度入ってみたい」とつぶやいたことを書きました。
    つぶやきにはわけがあります。
    36年も前ですから、私が30代半ばの頃です。公立の老人専門病院に勤めていました(病理の研究部門)。あるとき、私自身が非A非B型肝炎(今は主にC型肝炎のことを言いますが、私の場合は薬剤性肝炎だったとのちに判明)に罹患し、同じ病院に特別に入院させてもらいました。肝機能が悪いといっても、軽い黄疸ぐらいしか自覚症状がなかったので、「入院しながら仕事(研究)もできるかも」と考えたのです。これが良からぬ考えだったことは、やがて分かりました。
    しばらくして肝機能が少し落ち着き、入浴を許可してもらいました。その病棟には、ローマ風呂のような大きな浴槽と広い洗い場があるのを知っていました。
    裸になり浴室に足を踏み入れた途端、固まりました。ナースステーション側がガラス張りで丸見えだったのです。カーテンも、仕切りも、ヤツデの葉っぱも、何もありません。女性看護師がカルテ記録をしながら視線を時々こちらに向けます。
    考えてみれば、高齢者の浴室での転倒、浴槽内での溺水は珍しくありません。老人専門病院ならやむを得ないと瞬時に判断しました。堂々と振る舞うしかないと居直りました。
    後年、この場面を思いおこすたびに、あとからでもよいから「あれはひどいよ」となぜ言わなかったのか、忸怩たる思いがしました。
    ともかく時代は変わりました。よい方向に変わりました。プライバシーが守られるようになりました。
    「ああ、この風呂なら入ってみたい。」
    このつぶやき、わかるでしょ!? [目次に戻る] 

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    映画「テルマエ・ロマエ」のロケ地、水戸市七ツ洞公園で堂々と。7年前の初夏に撮影。

    #24 2019/5/21 電車通勤

    私は外科医として、がんや多くの外科疾患に関わってきました。
    経験を重ねるうちに思ったのは、外科治療も良いけれど、一番肝心なのは疾病の予防だろうということです。
    がんや脳心臓血管障害の予防の要は、運動と食事、禁煙、節酒であると信じるに至りました。
    いまの病院では特定健診やがん検診に関わることが多くなりました。
    20歳代、30歳代でも肥満や高血圧、耐糖能異常、脂質異常が多いのには驚かされます。日本人間ドック学会健診情報管理指導士の資格を生かして生活習慣の改善に向けたアドバイスをしています。そのアドバイスをしながら思うのは、自分自身が手本を示さなければいけないということです。
    ということで、機会さえあれば、電車通勤をすることにしました。ともかく歩くのです。
    最寄り駅から病院までは約2km。普通に歩くと25分、早足だと20分で着きます。駅東の南北に走る交通量の多い幹線道路沿いに歩くのが一般的だろうと思います。それだとあまり面白くありません。
    私はできるだけ車の通らない道をたどる楽しいコースを見つけました。
    鷲学山 大圓寺という由緒あるお寺を抜ける道です。そのあとは竹林を横に見ながら進みます。最後は、団地の人たちの生活を垣間みながら歩いていきます。
    道路沿いの花を楽しむこともできます。 [目次に戻る] 

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    #25 2019/5/22 大雨

    昨日昼過ぎ、埼玉県南部に大雨洪水警報が出ました。
    当院も大雨に見舞われました。
    駐車場の低い場所では、膝下まで冠水しました。
    早めに車の退避を促すアナウンスが出て、皆様のご協力をいただきましたので、幸い被害はなかったようです。数年前に同様の冠水で車の被害が多数出たそうですが、その教訓が生かされたと感じました。
    当院を利用していただいている皆様にはご迷惑をおかけしました。
    車の移動を手際よく誘導してくれた多くの職員に感謝いたします。当院関係の車の臨時駐車場を快く提供してくださいました周辺の方々に厚く御礼申し上げます。 [目次に戻る] 

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    院長室の窓から。左:一昨日、右:昨日、時刻はともに午後1時半ごろ。

    #26 2019/5/23 白い巨塔

    昨日から5夜連続で、また新しい「白い巨塔」(テレビ朝日)が始まりました。
    山崎豊子原作の映画化・ドラマ化はいくつもありました。私の記憶に残る財前五郎は大映映画の田宮二郎とフジテレビの唐沢寿明です。
    所詮フィクションですから、深い意味を感じる必要はないと思います。
    とは言え、外科医の物語です。興味はあります。
    私自身が医師になってから、大学外科の教職についてから、という点では唐沢主演が印象に残ります。金と権力、欲望の物語だからではありません
    「失敗しません」のドクターXに限らず、最近の医療ドラマは荒唐無稽すぎて見る気がしません。しかし唐沢主演のドラマは、私の知る医療現場をかなり忠実に再現していました。手術のことではなく、それ以外のシーンです。がんの告知、告知直後の患者の動揺と拒絶言動、死の受容、看護記録の重要性、大学病院における終末期ケアの惨めさ、急変時の阿鼻叫喚、財前死後の病理解剖、などが真に迫っていました。現場の実録が叶わないため、真に迫るドラマシーンは医学教育に使える素材でした。実際、医学生や看護学生への講義に活用させてもらいました。病理学の真髄を語る大河内教授の姿も学生に伝えました。今回のドラマにこうした場面がどこまで描かれるのか、描かれないのか。5夜では無理かな、という気もします。
    それにしても、原作の消化器外科のトピックスが、映画化・ドラマ化に伴ってこうも変わるのかと思うと、外科の節操無さを感じます。特に今回は、私が40年間、心血を注いだ膵臓外科がテーマになっています。正直、白けます。 [目次に戻る] 

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    #27 2019/5/24 美しい花

    今週初めまで、美しい花が院内各部署を飾っていました。
    当院の職員が自宅の庭から持ってきたとのことです。
    御本人に「牡丹ですか」と聞いたところ、「芍薬(シャクヤク)です」と言われてしまいました。
    花好きの自分にはちょっとショックでした。
    「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言い回しを知っていても、牡丹と芍薬の違いも知らなかったとは。
    しかも、漢方で芍薬と言えば、「こむら返り」に対するあの薬(芍薬甘草湯)。そんなのはどうでもよいのです。
    美しさは分かります。しかも、花は美しいに決まっています。
    花であればよいのです。でも・・・
    次の花は?と聞くと、
    「▽▽▽」。
    うわー!
    皆さん、お楽しみに。 [目次に戻る] 

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    #28 2019/5/28 白い巨塔を視聴して

    5夜連続のテレビドラマ「白い巨塔」最終回をみました。がん専門医ががんで死ぬ。昔も今も無理な設定ではありません。主人公の死がもたらす悲しみも、一般の患者の場合と何ら変わりません。一方、1960年代の医療を2019年の現代に合わせたために、いくつかの無理を感じました。「白い巨塔」の映像化は、主人公の疾患が胃がん→食道がん→肺がんとなり、今回、かなり珍しい疾患(予期せぬ合併疾患としての肝血管内リンパ腫)と病態(最終死因としてのトルソー症候群)になっていました。しかも、画像や症状は本当にそれでよいのか疑問に思いました。さらに、がん以外の病態の診断法としてPET(ペット)の利用を強調しすぎるのも如何かと思いました。結局、裁判の争点は、現代医学的な問題というよりは、単純な偽証やカルテ改ざんでした。昔ながらの話であると感じると同時に、医学界がいつまでもこのような体質だと思われてしまうことに危惧を感じました。
    所詮はフィクション、エンターテインメントだと思えばよいのかもしれませんが。 [目次に戻る] 

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    #29 2019/5/28 がんと生きる

    日曜日午後、つくば市でフォーラム「がんと生きる」が開かれ、パネリストの1人として参加してきました。会場には450名余のかたが聴講に来られていました。
    茨城県が全国に先駆けて提案した「参療」をテーマにしていました。「参療」とは、県民(市民・国民)自らが主体的に医療に参加することを意味します。医師の立場から私も意見を述べさせてもらいましたが、医師の言葉よりもがん体験者やがん相談支援者の話のほうが胸に迫りました。
    がん体験者でなければ分からないこと、がん患者と真摯に対応する者にしか気づかないこと、その話の数々でした。がん診療に限らず、医療は全員参加で作り上げるものだという思いを一層強くしました。 [目次に戻る] 

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    読売新聞オンラインhttps://www.yomiuri.co.jp/local/ibaraki/news/20190526-OYTNT50074/。左から町永俊雄コーディネーター、筆者、関根郁夫筑波大学附属病院腫瘍内科科長、志賀俊彦茨城がん体験者スピーカーバンク代表、常盤朝子住宅型有料老人ホーム グランヒルズ阿見施設長・看護師・がん体験者、天池真寿美日立総合病院がん相談支援室長。

    #30 2019/5/29 救急病院連絡会

    昨夜、市の救急需要対策救急病院連絡会に出席しました。
    茨城県では「救急医療体制整備検討会」が県全体の救急医療を議論する場としてあり、これにはよく出ていました。今回は市に特化した会議です。「需要対策」という用語は私にとって初めてです。「需要対策」があれば「供給対策」はどうなのか、などと考えて参加しました。
    メンバーは市内の救急病院28施設から成っています。出席者は、院長・副院長もいましたが、救急センターや救急部の責任者も多く、一部は事務職、市消防局のかたでした。ざっと見て私が最年長でした。
    赴任してまもなくですので、市内の救急の状況を勉強する目的がありました。
    議事の詳細は省きますが、茨城県にいたときと内容はかなりちがっていました。
    考えてみれば当たり前のことです。この市は、直径およそ20kmのほぼ円形の平らな土地で、人口130万以上の大都会です。茨城のような僻地はありません。数10km離れた病院への搬送などもありません。
    大学病院が1つ、救命救急センターが2つあります。民間病院も多くの救急搬送を受け入れています。昨年の搬送総件数は6万件余り、茨城県全体の6割に相当します。すごい数だというのが正直な感想です。
    常勤医10数名の私の病院への救急搬送は昨年343件あったことが膨大な資料の中にありました。茨城県では要請件数のうちどれほど受け入れたか(応需率)が話題になるのですが、その話は全く出ませんでした。応需率のデータは資料を細かく見て、読み取ることができました。単純な数字が出ているのではなく、別々の資料をもとに足し算と割り算をして出しました。当院は49%でした。
    4月から当院の平日昼間の内科救急当番を交代でしています。私の当番で今まで7件の問い合わせがあり、5件受けました。お断りの2件はいずれも意識障害+脳梗塞疑いでした。当院にMRがなく脳神経の専門家もいないため他をあたってもらいました。さて、これがよかったのかどうか、色々考えています。 [目次に戻る] 

    #31 2019/5/30 地域包括ケア勉強会

    昨夜、見沼区の地域包括ケア勉強会に参加しました。
    医療・看護・介護・福祉など現場の関係者70余名が一堂に会しての熱気あふれる勉強会でした。私は当院の医療ソーシャルワーカーに誘われて(むしろ、来なさいと命じられて)の参加でした。行ってみたら当院の理学療法士が幹事として長年参加しているのを知りました。
    好事例の講演のあと、実際の症例に基づくグループディスカッションに入りました。どうしたらいいの、と考え込む症例ばかりでした。私はこの分野に疎く、グループ内では議論などできるわけがありません。「ちょっと聞いてもよいですか?」。小さい声での初歩的な質問ばかりでした。様々な職種のかたの自信溢れる適切な発言に感心しながら聞き入っていました。
    経験の差は、外科の現場で散々味わってきました。そうであれば、これから勉強し、経験を積むだけだ、と腹をくくりました。
    要するに、当たり前のことを当たり前にやっていくほかない、ということです。 [目次に戻る] 

    #32 2019/5/31 大腸がんフォーラム

    昨夜、東埼玉大腸がんフォーラムに参加しました(場所:獨協医大埼玉医療センター)。2つの講演を聞きました。吉川総合病院内科の小島一人先生が民間病院での大腸がん化学療法の現状について、東京大学腫瘍外科教授の石原総一郎先生が直腸がんの最新治療について話されました。
    40年近く前、自分の専門領域を大腸外科にするか胆膵外科にするか散々迷ったことがあります。結局、後者を選びましたが、大腸には未練がありました。25年前、腹腔鏡手術が大腸領域に及んだとき、胆道系で一歩先を行っていたことを生かし、大腸の腹腔鏡手術に関わるようになりました。その10年後には大腸内視鏡外科は大腸外科医が独自の道を切り開いていくことになり、私は離れました。
    そんな過去の軌跡を思い起こしながら講演を聞いていました。
    がん治療薬は免疫チェックポイント阻害薬の登場でまた一歩進みました。手術はロボットが定着してきました。しかし、がんの治療はどうあるべきか、という点では、昔も今もそう大差はないということも分かり、なぜか安堵もしました。
    それにしても、最近の日本での大腸がんの急増は驚くべきものがあります。女性について言えば、がん死亡のトップは大腸がんです。男性は第3位ですが、もう数年で胃がんを抜いて第2位になります。
    日本人の遺伝子がこの数十年で変わったとは思えません。喫煙率も下がっています。となれば、生活習慣、なかでも食生活の変化が原因だと言わざるを得ません。具体的には、食事での脂肪・肉類の増加と、食物繊維・野菜果物の減少です。また、運動不足も大腸がん、特に結腸がんのリスクを上げます。
    大腸がんの治療の進歩は目覚ましいものがあります。それでも、がん死亡は抑えられないどころか増えているのです。予防にもっと目を向けるべきだと思います。もちろん、早期発見・早期治療のための検診も忘れてはいけません。 [目次に戻る] 

    #33 2019/6/1 紫陽花

    今日から6月。
    病院の周りで紫陽花(アジサイ)が誇らしげに咲き始めました。色々な種類の紫陽花が植わっています。
    病院の植え込みは誰がいつ作ったのか知りませんが、多くの草花や花木があります。ローズマリーを見つけたときは、思わず触れて香りを楽しみました。植えた人の思いを感じます。
    この病院に赴任して2ヵ月。たくさんのことを知り、体験し、学ばせてもらいました。
    医療の現場には、医療を志したときの原点があると私は固く信じています
    その原点を持ち続ける人を大切にしたいと思います。
    木犀(モクセイ)の大きな力強い姿を見ると、秋も楽しみです。
    花は、いつどこにあっても、美しいものです。 [目次に戻る] 

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    #34 2019/6/3 優しいまなざし 小児科小林登教授

    茨城の恩人S先生から贈られた絵のことを4月18日に書きました。
    作者の名は敢えて出しませんでした。そもそも不勉強で存じ上げないお名前でした。戦前・戦後に活躍した茨城県出身の日本画家だとウィキペディアにありました。それ以上、詮索しませんでした。名前は関係ない、絵がよければよい。割り切りました。
    ところが、絵を毎日眺めているうち、この画家をもっと知りたいという思いが抑えられなくなりました。
    5月末、水戸界隈の古本屋で画集や資料を買い求めました。その中に、茨城県天心記念五浦美術館で開かれた回顧展の図録(2010年)がありました。
    表紙を開くと、主催者の挨拶の次に、長男のかたが寄稿されていました。長男のお名前は私が医学生のころ感銘を受けた小児科の教授と同じでした。同姓同名だなと一瞬だけ思い、すぐに本文を読み始めました。
    子どものころに見た父親の様子を淡々と綴っています。
    「当時の父というと、黙々と絵を書いている姿しか記憶にありません。」
    そのあと、尾瀬沼のスケッチ旅行の話、宮沢賢治の童話を絵にした話、戦後に霞ヶ浦岸辺で制作活動を続けた話など、心に染み入るエピソードが続きます。そして両開きのページが終わる直前、「当時、私は医学部学生で」が飛び込んできました。
    まさか。
    急いでページをくくると、「私は医学(小児科)の道を進み」とありました。
    まちがいありません。
    あの小林登(のぼる)先生です。そのお父様が日本画家・小林巣居人(そうきょじん)だったのです。
    文章の終盤近く次の一文がありました。
    「小児科医として父の子ども時代の話を聞くと、自然の中で飛びまわり、昆虫や蛙に夢中になり、小学校の成績はよくない変わった子どもだったようです。今の様な時代なら、発達障害というレッテルを貼られたかもしれません。しかし、それだからこそ、土や水、花や虫、魚や蛙といった自然を追う絵描きになれたと思うのです。(中略)子どもの未来に必要なのは、親、あるいは周りの大人の優しいまなざしであると小児科医として思っています。」
    45年ぶりの小林語録です。あの優しいまなざしで語りかけてくださいました。 [目次に戻る] 

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    #35 2019/6/4 NHKスペシャルは衝撃でした

    6月2日(日)夜のNHKスペシャルは衝撃でした。
    スイスでは一定の手続きをして厳格な審査で認められれば、安楽死ができるというのです。多系統萎縮症という難病を患った日本人女性がスイスで安楽死するまでを密着取材した番組でした。一方、同じ病気でも生き続けることを選んでいる別の日本人女性も取材していました。
    いずれの患者さんもご家族も、テレビカメラの前に素顔を出して取材に応じていました。
    何よりも衝撃だったのは、スイスでの死の直前から直後までがビデオに実写されていたことです。
    この番組に対しては放映直後から様々なコメントがネット上に寄せられています。スイスの医師が準備した致死量の点滴を患者自身がクレンメ解放でスタートさせたから、安楽死ではなく自殺幇助だという意見もありました。
    避けてきたテーマが一気に議論の俎上に乗った感がします。
    何よりも映像の凄さを感じました。子供(未成年者)に与える影響はどうなのか。あの実写はなくてもよかったのではないか。放映の前にもう少し議論を深めておいたほうがよかったのではないか。これを利用できる体力も金もない人はどう思うだろうか。そもそも自死を認める「苦痛」の基準とは何だろうか。広く自死を促すことにならないだろうか。色々考えてしまいました。
    もう1つ注目したのは、スイスの医師が「スイスに住んでいればこれほど早く安楽死を選択しなかっただろう」と述べていたことです。
    社会としてもっと前にやるべきことがあるということを示唆していると思いました。一方で、死に値する苦痛の基準は絶対的なものではない、ということを図らずも言っているようにも思えるのです。 [目次に戻る] 

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    #36 2019/6/5 がんから学ぶ

    「がんから学ぶ」という講演を昨年秋に茨城県のある大学で担当しました。公開講座で、聴衆は看護学部の学生と一般市民100名ほどでした。
    今までに関わった患者さんのことを話しました。お元気であれば本人から、亡くなっていれば家族から予め許可をいただきました。患者は何を考え、治療をなぜ受けたのか、なぜ受けなかったのか、その後どうなったのか、自分は何を考え、今どう思っているのか、を話しました。
    7人のがん患者さんを取り上げました。その1人がKさんでした。進行膵癌でリンパ節転移が多数ありました。手術前夜に「膵がんは何をしても助からないと本に書いてある。明日の手術は受けない。」と強く主張されました。「今までに経験した膵がんとは感じが違う。手術で切除してみる価値がある」。自信があったわけではありません。でも、本当にそう思って説得しました。受け入れてくれました。7時間10分の手術でした。術後は順調に回復し、抗がん剤も使わないのに(当時の抗がん剤は使って使わなくてもほとんど同じ)3年、5年、7年と再発がありませんでした。10年過ぎたとき英語論文にして報告しました。がん巣へのリンパ球浸潤が目立っていましたので、これが関係しているのではないかという海外からのコメントがありました。
    講演を間近に控えた昨年9月、敬老の日に直接会ってインタビューをしました。術後の28年間を語ってくださいました。生きながらえた残りの人生を、社会のため、次の世代のために、様々な奉仕活動に関わってきたことを話されました。
    そのKさんがインタビューの7ヵ月後、私の講演の半年後、突然、脳出血で倒れました。
    それでも奇跡的に回復し、リハビリ施設に転院しました。孫と一緒に杖なしで廊下を歩けるようになったとの知らせがご家族から届きました。北関東にあるその施設を訪ね、Kさんに会って来ようと思い、土曜日の午後、新幹線に乗りました。乗って席に着いた直後、ご家族から「急変した」との連絡を受けました。訪問先を変更し、移送された病院で、昏睡状態のKさんにお会いしました。担当医の説明をご家族と一緒に聞き、無言のKさんを再び見舞って帰路につきました。
    医師としての自分と、ひとりの人間としての自分とが入れ替わりながら、沈思のなかで30年間を回想しています。 [目次に戻る] 

    #37 2019/6/7 薔薇の絵

    当院外来のイートインコーナーに薔薇の絵を飾らせてもらいました。
    敬愛する山本庸夫(つねお)画伯の作品です。
    山本画伯は自治医大創設(1972年)の頃から大学の美術部員の指導にあたってこられました。12-16年前、私が美術部顧問をしていた関係で、画伯とはよく飲み、夜通し語り合いました。個展に招かれれば気に入った絵を購入しました。私は特に画伯の薔薇の絵が好きでした。
    画伯の絵の多くは埼玉の義母のマンションを飾っていました。義母がとても気に入ってくれたからです。一部は、その後の異動先の茨城の部屋に飾りました。義母が亡くなってそのマンションを処分し、私も茨城から埼玉に引っ越して来ました。画伯の絵は今すべて、さいたま市の私のマンションにあります。ところが家は狭く、飾るスペースがありません。ほとんどが押入れで眠っています。
    病院の花のことをブログで何度か書きました。
    そうだ、私も病院に花を飾ろう。
    そこで画伯にお出ましを願ったわけです。
    ときどき絵を替えてみます。楽しみにしてください。 [目次に戻る] 

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    #38 2019/6/10 子ども大学

    先週末、いばらき子ども大学の開校式があり、そのあとの特別授業を担当しました。授業の1回目ということで、茨城県内の各キャンパス合同で行われました。600名余の小学4-6年生が茨城大学の講堂に集まりました。
    いばらき子ども大学はNPO法人が中心となって6年前から毎年開いています。12月ごろまで、県内7ヵ所のキャンパスに分かれておよそ毎月1回様々な「大学なみ」の授業が行われます。今年の開校式では、中学2年生の女子生徒が卒業生として後輩にメッセージを送りました。その卒業生にとって子ども大学で最も興味深かった授業は、株式の売買だったそうです。そこから社会学に目覚め、将来は外交官になりたいと話していました。きれいな発音の英語を交えての挨拶でした。
    私の特別授業は「病気の『ひみつ』」。人体の解剖学と生理学から始まり、病理学・臨床医学へと進み、最後は予防医学でまとめるという欲張った内容でした。
    いくつかの疾患を取り上げ、多くの病気は喫煙、過飲酒、偏食、塩分過剰摂取、野菜不足、運動不足、肥満などの食生活・生活習慣がリスクになることを伝えました。子どもの時からバランスの良い食事を摂り、減塩(薄味)に慣れることが大切だと言いました。
    医学用語は言い換えをせず、漢字もそのまま使いました(全ての漢字にふりがなを付けました)。そんな難しい言葉や内容を小学生が理解できるか、と心配される大人も多くいました。しかし、子どもの学習能力は底知れないと思っています。
    それが証拠に、質問が時間内で終わらず、授業終了後も次から次へと続きました。
    Q:「白血病は白血球のがんということですが、赤血球のがんはあるのですか?」
    (私の回答(A):白血病よりは少ないですが、あります。真性多血症と言うんだよ。)
    Q:「肺炎球菌は厚い莢膜(きょうまく)があるから退治しにくいのだと思いますが、どうしてワクチンが効くのですか。」
    (A:すごいね、莢膜を知っているんだ。肺炎球菌ワクチンは、莢膜に対して抗体を作るようにするから効くんだ。年をとると肺炎球菌への免疫が落ちてくるので、肺炎球菌ワクチンを打っておいたほうがいいんだよ)
    Q:「アルツハイマー病の脳は萎縮するとのことですが、脳が萎縮すると死ぬことになるのですか。」
    (A:脳の萎縮そのもので亡くなることはあまりないけど、アルツハイマー病のかたはとっさの判断や行動ができないことが多いので事故に遭ったり、転んで骨折して寝たきりになったり、誤嚥といって食べ物や唾液が肺に入って肺炎をきたしたりして、亡くなることが多いのではないかな)
    Q:「アルツハイマー病ではアミロイドβが溜まるから認知症になるということでしたが、寝ている間にアミロイドβが洗い流されるって本当ですか。」
    (A:よく知っているね。最近言われている説だよね。Gリンパ系と言って寝ている間に脳の細胞の周りが緩んで脳脊髄液が流れ込んできて、アミロイドβなどの汚れを洗い流すって言われるようになってきたんだ。本当かどうかまだ証明はされていないけど、かなり有力らしいよ。寝たあと頭がスッキリするよね。それも眠っている間に脳が掃除されるからかも知れないね。睡眠は十分にとろう)
    いずれにしても、後生畏るべし。
    印象に残ったことをもう1つ。
    質問の長い列に並んでいた女の子がたった一言「私のお母さんは乳がんで亡くなりました」と伝えて去って行きました。混雑に紛れてそれ以上詳しいことは聞けませんでした。
    不思議な体験でした。 [目次に戻る] 

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    #39 2019/6/11 3人の運命

    現在、私が担当する入院患者はこの病院にいません。
    「院長は患者を無理に担当することはない。」
    かつての病院で言われました。
    「できれば手術はやらないで欲しい。」
    こうまで言われました。
    「なぜ」と聞くと、「何かあったら病院として困るから」とのこと。
    ありがたい忠告だと思い、一層の注意を払って手術に入りました。
    前の病院で関わった全麻手術は、院長としての8年間に1036例、名誉院長としての4年間に341 例でした。自分が術者になることはほとんどなく、後輩の外科医を指導しました。
    私への紹介で手術になる場合であっても、ほぼ同様の役割分担でした。
    「術者は若い先生にしてもらい、私が指導します。私には若い人を育てる義務があります。研修医が術者でも指導医が助手を務めれば、逆の場合と成績は変わらないという論証があります。私の経験でもそうです。むしろ、若い人が術者になると、寝ずの診療をしてくれるので、何かあったときの成績は良いという感じすらあります。私はいずれ死にます。手術のできる外科医を残さねばならないのです。そうでないと患者さんが困るはずです。ぜひご理解ください。その代わり、結果の全ては、指導する私にあります。」
    現在、手術はしていません。全て任せています。したがって、こうした話はもうありません。しかし、何らかの形で関わりたいと思っています。心配であればメッセージを伝えるようにしています。
    今、遠く離れた3人の運命を見守っています。神奈川、栃木、茨城・・・。精一杯生き抜いてほしい。
    そう願うばかりです。 [目次に戻る] 

    #40 2019/6/12 回復期リハビリテーション病棟

    私は今まで急性期病院を中心に勤めてきました。本格的なリハビリテーション診療を詳細にみるのは当院が初めてです。
    多くのリハビリ療法士(セラピスト)が活躍しています。訓練室に行くと、歩行補助具や装具がならび、その名前にも目新しいものが多くあります。
    回復期病棟を訪れるのも初めてでした。院長回診でうかがうと、患者さんの半分ほどは訓練のためベッドにいません。それでもカルテで、疾患名や住所、転院転科の経緯、現在の状況、今後の方針などを読んで概要をつかみます。
    カンファレンスを毎日開いているというので、先日、見学しました。
    最初に気づいたのは、セラピストからスラスラ出てくる用語になかなかついていけなかったことです。「きでんかいじょ」を聞いたときは全く理解できませんでした。「起臀介助」の文字を見て分かりました。
    新しいことは、興味をそそられます。基本を勉強しようとする気になります。ネットで「回復期リハビリテーション病棟のあり方 指針」(一般社団法人 回復期リハビリテーション病棟協会、2017年)を見つけました。
    読むと、入院前から退院までのプロセス、多職種協働のポイント、実施計画の作成、患者と家族の理解度と意向の確認、栄養状態の把握と向上、在宅・地域への復帰支援、退院後のフォローアップなどの「あり方」が具体的に書かれていました。これを読んで、「用語や業務の違いはあっても、この『あり方』は急性期診療あるいは手術でも何ら変わりない」と感じました。
    全ての診療に共通する当たり前のことです。
    医療の現場で最も問題になるのは、当たり前のことが当たり前にできない、ことなのかもしれません。もちろん、私にもできないことが多々あります。そこで悩むのです。 [目次に戻る] 

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