
「これからも、死なずに生きます」神様と約束【ADHDと感謝①】
玉砂利を踏む音。
冷たくて澄んだ空気。
そして、木々の隙間から差す冬の光。
1月2日。
僕は、実家のある三重県に帰省し、伊勢神宮を参拝していました。
多くの人が行き交う参道を歩きながら、ふと、自分の足元を見つめました。 右足を出して、左足を出す。 ただそれだけのことが、今の僕にはとても幸せなことに思えます。
なぜなら、ほんの1週間前まで、僕はこの景色を二度と見られないかもしれないと思っていたからです。
先日の記事でもお伝えした通り、僕はクリスマスイブの前日、12月23日に脳梗塞で倒れました。 職場で突然体が動かなくなり、そのまま緊急入院。
「ああ、人生って本当に突然終わるんだな」
病院の天井を見上げながら、そんなことを呆然と考えていました。
でも、僕は運が良かった。 処置が早く、幸いにも後遺症を最小限に抑えることができ、検査もスムーズに進み、27日には退院することができました。 そしてこうして、年末年始を故郷の三重で迎え、伊勢神宮の神様の前に立つことができたのです。
手を合わせ、目を閉じた時。 いつもなら「今年はこんなビジネスを成功させたい」「もっと面白いことをしたい」と、欲張りな願い事をしていたかもしれません。
でも、この日、僕の口から自然とこぼれたのは、全く違う言葉でした。
「生かしてくれて、ありがとうございます」
「これからも、死なずに生きます」
それだけでした。
ADHDの僕は、これまで常に「刺激」を求めて生きてきました。 新しいアイデア、ワクワクするイベント、新しい人との出会い。 脳が退屈を嫌うから、常にドーパミンが出るような「非日常」を探し回っていました。
逆に言えば、「変わらない日常」や「当たり前のこと」を、どこか退屈なものとして軽んじていたのかもしれません。
でも、死に直面して、その価値観はひっくり返りました。
実家で食べる、突きたてのお餅の温かさ。 久しぶりに会った地元の友達と、なんてことない話で笑い合える時間。 家族とカーペットの上でいっしょに過ごす食後の時間。 そして、自分の足で地面を踏みしめて歩けること。
かつての僕が「当たり前すぎてスルーしていたこと」のすべてが、キラキラと輝いて見えました。 特殊な刺激なんてなくていい。 この「普通の幸せ」が続くことが、どれほど得難い奇跡の上に成り立っているのか。 脳梗塞という手痛い強制停止を食らって、深く気づくことができました。
今年最初のシリーズのテーマは、「感謝」です。
僕らADHDは、未来のことや新しい刺激には敏感ですが、足元にある「支え」や「愛情」にはどうしても鈍感になりがちです。 でも、一人では決して生きられないのです。 今回の入院でも、共に働く同僚や彼女の献身的な支え、お医者さんや看護師さん、病院で働く多くの方を含めた周りの人たちの助けがなければ、僕はここに立っていませんでした。
だからこそ、この新シリーズでは「ADHDと感謝」について書いていこうと思います。 自分一人で効率的に生きるライフハックではなく、大切な誰かと生きていくための、心の持ち方について。
伊勢の神様に誓った「生きる」という約束。 今回のことで思い知りました。 僕は、僕一人の力だけでは、生きることすらできないのだと。薬が無ければ、今の医療体制が無ければ、命を落としていたでしょう。
たくさんの人に助けられ、支えられて、今の僕の命はあります。 だからこそ、「生きる約束」を守るということは、「僕を生かしてくれている人たちを大切にすること」と同義なのです。
そのための第一歩として、僕はこれから、周りの人たちへ「感謝」をちゃんと伝えていきたいと思います。 一人で歯を食いしばるのではなく、感謝で人と繋がりながら、生きていくために。
PS
今年も僕が開発した「凸凹ADHDシステム」で、少しでもADHDの方のお役に立てればと思っています。このツールは、自分を許し、愛するためのツールです。自分のADHDの特性をより深く理解することを助けます。
👉 ADHDの人は、自分が自分の「最高の理解者」になることが、人生を豊かにする一番の近道です。
まずは自分のADHDの特徴を把握するのに、このシステムを使ってください。 質問に答えていくだけで、あなただけの「才能の取扱説明書」が手に入ります。
【ADHDと感謝シリーズ】
①「これからも、死なずに生きます」神様と約束
②「もし今日、人生が終わっていたら?」 神様からの質問
③「絶対幸せにする」という誓いなんて信じない。
④僕は「花火」、彼女は「暖炉」
⑤「感謝」は「愛」そのもの。