
仙厳園で待っていたのは懺悔だった|きみは桜島を見たか?じぃじたちの修学旅行 鹿児島 完結編6️⃣
半世紀前、画家志望のYくんとの2人旅で訪れた鹿児島。
なけなしの金をはたいての貧乏旅行。
終着駅の西鹿児島を目指すも、堅くきつい椅子席に耐え切れず、二度も途中下車した気儘な若い日。
あんた、今どこにいるんだい?
俺は、昔の仲間と今もこうして楽しく旅を続けている。
手がかりは、『磯庭園(いそていえん)』ということば。
そして、1枚の色褪せたスナップ写真の残像。
まもなく、その場所に辿り着く。
どうだい、昔の仲間はいいぞ!
悔しかったら出てきて一緒に旅をしないか?
この旅の1️⃣~5️⃣までの記事はこちら
❖ 仙厳園
早目に到着するもゲートが開いていない。
またしても、嫌な予感が、、、
パンフ印刷の8時30分開園が間違いで9時開園であることがわかった。
30分じっと待つことに。
50年前のわたしなら苛立っていただろうけど、今なら、こんな無駄な時間こそが旅の贅沢だと知っている。
かつての自分に足りなかったのは、この
『空白』を楽しむ心の余裕
なのだ。

入園すると、Tくんがつぶやいた。
「反射炉だけは見たかったんだけどな。」
真意の程はわからないが、職人の職人たる矜持が吐かせたのであろう。
どこまでもクリエイティヴでものづくりが好きなのだ。
しかし、50年前のわたしは反射炉にはとんと反応しなかったはずである。
昨夜、天文館でみせたTくんの『正義』はここでも健在だ。
土産売店を横目にしながら進んでいく。

これが正門か!
まったく訪れた記憶がない。


庭園に入る。
広大な敷地に植栽や岩などが配置された日本庭園である。

往時の島津家の人々の心を癒し、国内外の要人を招いては円滑に事が進むよう潤滑油のような役割を果たしていたのであろうが、それにしても広い。
こうして歩いていても、50年前の記憶がまったく蘇って来ない。
こんな感じだった。
この眺めから私の脳がわずかに反応した。
かすかに、かつての記憶が少し蘇ってきたのだ。

ここに来た記憶が、、、ようやく
戻ってきた。

そして、屋敷の右側に回り込み海側を臨んだ。
ここだ。

ここで半世紀前にスナップ写真に収まったに違いない!

しばし、立ち止まった。
あの日、8月の暑い陽射しを浴びてわたしたち若者は何を語ったのだろうか?
人生とは?
世界とは?芸術とは?
文学とは?
などと語ったのだろうか?
画家志望のYくんは既に自分の目指す道を歩んでいたのに、無軌道で経験も未熟、隙間だらけの脳味噌なのに、わたしはわかったフリをして、したり顔で語ったのではなかったのか?
電撃が走り、50年前に引き戻された。

わたしは引っ込み思案を絵に描いたような男だった。
仲間には恵まれたけど、内に籠ってばかりいて、自分から心を開いて打ち明けられる仲間も多くはなかった。
Yくんは、ほかの優しい仲間とは一線を画する、ストイックに絵を描く事に夢中になっている男だった。
年齢の割には熟成しきったかの様な精神性で高い理想を抱き、我が道を突き進んでいた。
内弁慶のわたしと芸術論をかわすYくんとの間には、大した共通項があるわけでもなく、何でも語り合えて熱き友情で結ばれる間柄ではなかったのだ。
そして、わたしはごくありふれた普通の若者だった。
髪を伸ばし、ギターを抱えて流行りのフォークソングを歌ったり聴いたりしていた。
片や、風貌は同じように長髪でジーンズ姿だけど、芸術論や神について語る、インテリジェンス溢れる硬派のYくん。
話が噛みあうわけがない。
長い道中、何を語り合ったのか?
フォークやロックの話などはまったく相手にされない。
野球の話だけ、ミスター長嶋茂雄が育った千葉県出身だったこともあり盛り上がったと記憶している。
道中こんなことがあった。
E:「今日はどこに泊ろうか?」
Y:「心配要らない。いざとなれば、どこにでも泊まれるよ。」
てな具合で、一時降車した神戸では、なかなか宿泊先が見つからず、なんとYくんの発案で連れ込み宿、いまでいうラブホテルとはほど遠い、街の暗がりにある紫色のライトが点いた宿に男2人で泊まったのである。
わたしは人生初のこうした場所への入体験。
それがなんと男同士だったのだ。
室内も薄暗く、いかにもいかがわしい紫と赤色のカクテル光線が回っていた。気持ち悪さが先行したが、一晩雨風をしのげてふとんがあればその時は十分だったのだ。
なにせ貧乏旅行だ、文句は言ってられない。
こんな感じで、Yくんは肝が座っていたのだ。
あとのやりとりは鮮明ではないが、想定するとこんな感じだ。
「どうして絵を描くのかな?」
と尋ねたとする。
Y:「描きたいものがあるから。歌いたい時に歌う、それと一緒だよ。パッションなんだよ、パッション。」
さらにこんな現実的なことを訊いたとする。
「学校出たらどうすんのさ?」
Y:「風の吹くまま気に向くまま、明日の天気と一緒。元気百倍リポビタンD」
こんな返しが来たのではないかと思う。
兎に角、早口で答え、二の句を継げる隙を与えてくれなかった。
取り合ってくれない。
いや、まったく相手にされてないのだ。
正直に言おう。
当時の私を突き動かしていたのは、純粋な旅情などではなかった。
隣に座るYくんへの、焼け付くような嫉妬だったのだ。
キャンバスに迷いなく筆を走らせる彼に比べ、私はギターを抱えて流行歌を口ずさむだけの、空っぽな存在だった。
彼という『本物』の隣にいることで、自分も何者かになれたような錯覚に浸りたかっただけなのだ。
その優越感と劣等感の混ざり合った泥臭い動機が、私を鹿児島へ、そしてあのいかがわしい連れ込み宿へと運んだ。
50年経ってようやく、あの紫色のカクテル光線の中にいた『空っぽな自分』を、私は直視できるようになった。
。。。。。
旅を続けて、辿り着いたのがこの場所だった。
50年経って、ようやくわかった。
旅とは、新しい景色を見ることではない。
かつて絶景すら無視するほど自分に夢中だった、あの痛々しいほど未熟な自分を迎えに行き、そっと抱きしめてやることなのだ。
桜島は変わっていない。
変わったのは、ようやくこの山を『見ることができる』ようになった私の心の方だった。
屋敷にあがった。
どこも初めての印象が強い。
これだけ歴史の扉を開いた場所に一体わたしは50年前なにしに来ていたのか?


に島津家が贈った
薩摩焼の巨大な壺のレプリカ
こんな素晴らしい壺も初めて見る思いだ。
これもまた、あの頃の私なら素通りしただろうが、今はじっくり鑑賞することが出来る。
50年前の未成熟な自分に怒りがじわじわと込み上げてくる。
若さとは、美しきものにも鈍感で怠惰なもの
だ、と落胆した。
しかし、その鈍感さという鎧を着ていなければ、あの頃の私は未来という重圧に押し潰されていたのかもしれない。


屋敷内から桜島を臨む。
池まで配置され格別の眺め。
一幅の書画とも言うべき絶景だ。
ここに立った要人たちの溜息まじりの感嘆の声が聞こえてきた。

「うわー、素晴らしい!」
そして、暫く佇んでいたことだろう。
本題そっちのけでこの借景の素晴らしさや庭園の美しさに熱中し、本題はものの5分ですんなり合意に漕ぎつけたのでないだろうか。
ここに招かれた要人の様子が手に取るように伝わってきた。
50年前、こんな贅沢を味わっていなかったのだ。
なんて勿体ないことをしたのだろうと更に腹立たしく、怒りがこみ上げてきた。


ここが交渉事が行われた場所だ。
和の部屋で洋の『おもてなし』を受ければ、外交もさぞや円滑に運んだことだろう。
だがしかし、ここでふと思った。
見れば見るほど、かつての自分には絶望するほど情けない若者像しか浮かんで来ないが、50年経った今はこの豪華さにも負けない友情という絆があるのだ。
夕べの天文館での歓談の様子を思い浮かべていた。
面白さという点では、この豪華さに間違いなく勝っている
のだ。

和洋折衷。


薩摩切子の売店を覗く。


桜島をバックにしての薩摩切子。
とっても贅沢な配置である。



切子も当時は見ていない。
今はこうして余裕を持って鑑賞できるが、当時もし目にしていたらどんな反応をしただろうか?
50年前のわたしに訊いてみたい。

看板を見て、Oくんの発案で立ち寄った。

『ぢゃんぼ餅』というネーミングがとても気になる。


6本を5人で仲良く楽しませてもらう。
「いやーうまいね!」
口に含むなり、皆声にだした。
いい大人が皆で肩寄せ合い、分け合って地元の名物をいただく。
半世紀たってのこの分け合う友情は、実に味わい深い。
50年前の貧乏旅行では口に出来なかったのだ。
はたから見れば、微笑ましい光景と映るが、
小さな幸せ、大きな口福
なのだ。
かつては未熟だったからこそ、今のこの景色が輝くのだ。
❖ 尚古集成館



初めて知った。
ここは、石造建築物としては日本最古の部類で、近代化事業を推進した場所なのだ。
当然のようにここにも立ち寄った記憶がまったくない。


赤糸威大鎧



すっかり時間も忘れて見学していたら、冷静なOくんから声が掛かった。「そろそろ出ましょう。
出発予定時刻過ぎてますよ。」
かつては見向きもしなかった古い大砲や機械を、今はこうして愛おしく眺めている。
50年という時間は、私に『歴史という時間の重み』を愛でる余裕を与えてくれたのだ。
駐車場には足早に全員が揃った。
これにて旅行程は全て終了。
フライト時間に間に合うよう鹿児島空港へ向け出発だ。
週末まで鹿児島に残るNくんとは、空港で次の再会を誓い、ひとりひとりと名残を惜しんで別れた。
永遠の別れでもないのに、
何故かこうしたシチュエーションでの別れというのは感傷的になるものだ。
。。。。。
Y くんと同じく所在不明の1枚のスナップ写真だが、脳裏にはその残像が色褪せながらも残っている。

この旅の第一目的は、友との友好を深めることだ。
そして、
過去を尋ねる巡礼
でもあるのだ。

あらためて、雄大な姿を仰ぎ見る。
桜島はあの時と変わらないままだが、自分たちが変わったことで、それは優しく微笑み、私たちを50年前に誘ってくれた。
そして、言いたい。
Yくんよ、
私は一端のサラリーマンになってすっかり世間にも慣れ、結婚して家族も増え、勤め上げることができたけど、きみはあのストイックさからしたら、今もきっと、結婚もせず定職にもつかないで絵を描き続けているに違いない。
意に反して、定職につき結婚し家族が増えていたら万々歳だけど、それはきみらしくない。
どこかで野垂れ死にしている方がきみらしい。
でも、きっと今もどこかでキャンパスに向かい、一心不乱に桜島を描いていると信じたい。
もし、仙厳園で筆を走らすきみを見掛けたら、こう声をかけたい。
「バカヤロー、
あんたが目指した芸術とやらについて朝まで語ろうじゃないか!」
。。。。。
帰り際パラパラと雨がちらつく鹿児島空港。
霧島連山が遠くに霞んで見える。
さらば鹿児島!
50年前の空っぽな自分を抱きしめた今、ようやく私は新しい一歩を踏み出せるのだ。

きみは桜島を見たか?
完
🔷編集後記
今回の鹿児島の旅、2泊3日という短い時間ではあったが中身がぎっしり詰まったとても内容の濃い旅となった。
名所旧跡もそれぞれ時代背景や歴史的な学びも出来たし、天文館の夜の宴席では鹿児島ならではの新鮮な海の幸をたっぷり堪能し、レア物の焼酎を皆んなで味わうというオマケまでついた。
最大の目的であった桜島。
全日天候にも恵まれ雄大なその勇姿を眺望の良い場所から、そして移動中のクルマの窓からもたっぷり拝ませて頂いた。
予定した場所には全て漏れなく訪問する事が出来、個人的には元部下とも知覧で再会が果たせた。
欲を言えばきりがないが、行程については申し分なかったのではないだろうか。
ところで、いくらもお金使ってないんじゃないかと勝手に思い込んでいたのですが、ここはしっかりと精算しておきます。
総額細かなものまで一切合切入れて 91,301円
そして、この9万円は、過去の自分を救うための投資として安かったのか、高かったのかというと、これも間違いなく、とてつもなく安い投資であったと声を大にして言いたいと思います。
9万円でこれだけの旅が出来た以上に、50年前の自分と仲直りできたことが、この旅の最大の収穫だった。
長い長い記事に最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
「きみは桜島を見たか?じぃじたちの修学旅行 鹿児島編」は全6記事となります。
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