
塩味は、しおそのもの。
スワヒリ語味覚シリーズ、今回は「塩味」です。
甘味=糖分の存在証明・苦味=有害っぽい物質の存在証明、なのに対し、塩味=塩の存在証明、とすると、ほかと違って、存在するモノの名前じたいが味覚の名前になっています。スワヒリ語ではどうでしょう?
シングルタスク、シンプルワード
スワヒリ語では chumvi で、名詞の「塩」とおなじです。
日本語でも「塩」味ですし、「しょっぱい」もしおっぽいでしょうから、つくりは共通します。英語でも salty で、甘味や苦味と比べても、味をもたらすモノが単一だからではないでしょうか。
※辞典を引くと、しょっぱいは「しおはゆい」の変化かとされています。どちらにしても「しょ」の部分は塩です。
いえ、甘味だって(人工甘味料などをのぞけば)モノは「糖分」かもしれませんけれど、蔗糖や果糖として単離されることは塩より少ないと思います。特に、味覚に関することばが生まれたであろう古い時代には、「砂糖」を目にすることはほとんどなかったのではないでしょうか。
いっぽう塩は「サラリー」がローマ兵に給与として支給されたサラリウムに由来するとも言われるように、古代から塩そのものとして流通しています。

専門職……と、おもいきや
昔からモノとして認識され、生存に不可欠でもある塩(塩味)ですが、それなのに、というか、だからこそ、というか、比喩としての意味はあまり思い当たりません。
tamu は甘いと同時に「おいしい」でしたし、kaliは辛いより前に「きびしい」でしたけど、 chumvi は塩・塩味という意味だけです。
日本語でも、「あまい」「からい」「にがい」といった味が豊かなイメージをともなうのと違い、「塩味」は味そのものではないでしょうか。中国語で塩味をあらわす「鹹(簡体字では咸)」も、ぱっと調べたかぎりでは「塩味」の意味だけで、比喩的用法はみあたりませんでした。
と思ったのですが、日本語の「しょっぱい」には、「つまらない」の意味があります。朝日新聞の記事によると、プロレスから相撲に、さらに一般に広がっていったとされています。(ただ、負けて土俵にころがると塩がつくからという説はちょっと違うような気もします。勝ってもしょっぱい勝ちかた、はありえますし、しょっぱい試合は勝者敗者いずれもの責任なのではないでしょうか。)
『日本国語大辞典 第二版』によると、江戸時代の作品『東海道中膝栗毛』でさえ「アノ酒屋のかかあは、しょっぱいやつよ」と、「けちくさい」の意味で使われています。おもえば英語の salty も「とげとげしい」ニュアンスをもちます。
じゅうようなおしごと!
いっぽうで、タンザニアでも多くの人が信じているキリスト教には、「地の塩」という言い回しがあります。とうぜん、地上の世界にとって不可欠な人、を意味します。敵に塩を送るとか、いい塩梅とか、サラリーとかのように、ほかの用例でも貴重さ・大切さをあらわしています。
イスラム教でもキリスト教徒は啓典の民とされていますし、少なくともタンザニアではまったく普通にまじりあっていますから、「あなたは chumvi だ」と言ったら、けちくさいやつではなく、聖書などを思い浮かべ「大切な人だ」ととらえられるはずです。
塩が生物に不可欠であることをかんがみれば、これらの用法のほうが自然にも思えます。

この差は、どうしてでしょう。
ひとつ思いつくのは、近代技術で塩が大量生産されるようになった、という事実です。さきほどの新聞記事でも、以前は塩は貴重だったが現在は本場所で一日に40キロも消費される、と書かれていました。江戸時代でも、平和なこともあって塩田などが開発されたそうですから、「敵に塩を送る」戦国時代などよりは豊富にあったと予想しても不自然ではありません(東海道中膝栗毛は江戸後期ですし)。
そういえば、「塩対応」とも言いますけど、これもあたらしい言葉です。
歴史的には塩そのもので、比喩として使う場合でもいい意味だった。近現代の塩の一般化によって、限定的に悪い意味で使われるようになった。
salty の初出とか、いろいろ確認すべき部分は多いでしょうけど、仮説としてはありでしょうか?
……スワヒリ語や中国語は悪口の語彙はほかにあるので塩を使うまでもなかった、とか。ちなみにスワヒリ語でけちくさい(人)は mchoyo と言います。むちょーよという響きはかわいいかもですが、意味はかわいくありません。うぇうぇむちょーよ!
"Mama huyo wa duka la pombe ni mchoyo kabisa"
「からい」
と、ここまで書いてきて、「塩辛い」という言いかたを思い出しました。塩味が濃いことを、「からい」と表現しています。
「からい」は、五味ではなく痛覚なのでした。そう思えば、塩味そのものはともかくも、塩味が濃いことは、口や舌に刺激をあたえるので、「からい」と表現することは的確なのかもしれません。
いっぽうで、「からい」を、中国語では辣と麻に分けていました。
英語でも、前回は hot ひとことにまとめてしまいましたけど、考えてみれば spicy も刺激です。からくないスパイスもあるので、正確に重なるわけではありませんが、コショウやジンジャーがきいていたら「からい」です。
スワヒリ語は、コショウを pilipili mtama 、つまり「雑穀のようなトウガラシ」と表現するところからすると、 hot と spicy を区別していない気がします。コショウをたっぷりふりかけたステーキは、( tamu であると同時に) kali と表現されるのではないでしょうか。聞いてみたことはないですけど。
ですが日本語の「からい」は、辣と麻・ hot と spicy に加えて、鹹/ salty/ chumvi つまり塩味が過剰である感覚まで担っているようです。
「辛口の日本酒」に至っては、刺激かどうかも怪しいところです。アルコールの刺激じたいは甘口の日本酒にもあるので。
なかなか守備範囲が広いことばですね。

※甘党に対する辛党も合わせて考えると、お酒の場合の「辛口」は「甘くない」意味? 英語だと「スイートベルモット」に対して「ドライベルモット」です。
おまとめ
少々「からい」に脱線しましたけど、「塩味」に戻りますと。
塩味、 chumvi, salty と、いずれもモノの名前そのものが味覚。中国語はモノと感覚が違いますけど、それでもやっぱり鹹はほぼ味覚専用で、他の言語と同様あまり比喩には使われません。「喜怒哀楽」のように人生の四種類の体験をあらわす四字熟語「酸甜苦辣」は、すっぱい・あまい・にがい・からいで、しょっぱいは含まれません。
生きていくうえで不可欠だからこそ、装飾には流れない。タンザニアのシンプルな焼肉にも必ず塩はかかっていますし、日本語の「薄味」は基本的に塩が薄いことです。
甘さや辛さは「控えめ」ではあっても、「薄い」とはあまり言いません。五味とは言いますけど、そのなかでも一段ちがった、基本のきを担っているのではないでしょうか。
「味付け」海苔は甘かったりうまみがあったりしますけど、塩が焼き海苔より多いことだけは確実です。
そう考えてみると、 tamu や kali とちがって chumvi が名詞イコール形容詞であることも、むしろかっこよく思えてきます。まさに地の塩?
……でも大量生産されるとしょっぱいとか言われてしまうのでした。いい塩梅がたいせつです!
スワヒリ語味覚シリーズは以下です。