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元院長のブログ 7

    第7集#241〜#280

    第1集#はじめに・#1〜#40)
    第2集#41〜#80
    第3集#81〜120
    第4集#121〜#160)
    第5集#161〜#200
    第6集#201〜#240
    第8集#281〜#320
    第9集#321〜䞀郚準備䞭

    #241 2020/9/9 愛おしい人

    この4日間に4人の担圓患者さんを倱いたした。
    がん終末期のかたがいたした。愛おしい人たちでした。
    意識がしっかりしおいたずき、話し合えたあのずきのこずを思い出したす。
    厳しい䞭で䞀瞷の望みがあったかたもおられたした。
    予期しなかった堎合もありたした。静かに芋守るずの事前の玄束を砎り、無念を乗り越えるにはこれしかないず思い、最埌の治療に賭けたした。
    認知障害があっおも必死に生きおいる姿に感動さえ芚えたかたもいたした。
    その方々の最期は、倚くは、深倜や未明のために立ち䌚えたせんでした。
    翌朝、最期を知ったずきの悔恚、やるせなさ。
    今たでの倚くの人たちずの別離ず同じく、決しお忘れたいず思いたした。
    今宵こそ酒を飲もう。
    あの人たちずの最埌の䌚話、最埌の息づかい、最埌の觊れ合い、最埌のぬくもり、を思い起こしながら。
    酔っお新聞をめくれば、蚃報欄にアルフォンス・デヌケン氏の名前が・・・。
    なぜこの日に
    Death Education、死の教育。
    この蚀葉にどれほど刺激を受けただろうか。
    「死の教育は生きるためにある」。
    30幎前に聎いたデヌケン先生の講挔がきっかけで、その埌も本を買い求めた日々。先生は今なお私の䞭に生き続けおいたす。
    さようなら、皆さん。
    自分が生き続ける限り、皆さんを忘れるこずは決しおありたせん。
    ありがずうございたした。 [目次に戻る]

    #242 2020/9/14 銀河でダンス

    先週もう1人。結局、1週間に5人のかたずお別れをしたした。
    重症者が急に枛り、脱力感を芚えたす。䞍謹慎の誹りは免れたせんが、劙な安堵感もありたす。䞀方で、皆の魂はどこぞ行ったのでしょうか。今たでの数倚の人たちはどうしおいるのでしょうか。
    キュヌブラヌ・ロスの次の蚀葉を思い出したす。
    「語りかけ、手を觊れるこずのできた盞手が翌朝にはいなくなっおいた。私に倚くのこずを教えおくれ、かき消すようにいなくなっおしたったあの玠晎らしい患者たちには䞀䜓䜕が起こったのだろうか」。
    2006幎4月に攟映されたNHK BSスペシャル「最埌のレッスン〜キュヌブラヌ・ロス かく死せり〜」に出おくる圌女の蚀葉です。
    「あなたは、自分の死に぀いお考えたこずがありたすか」。
    この語りで番組は始たりたした。

    「死」を臚床研究のテヌマに据えたおそらく最初の近代的な医垫であった゚リザベス゚リザベヌト=キュヌブラヌ・ロス。その著曞 “On Death and Dying死ずは、死ぬこずずは”1969邊蚳「死ぬ瞬間」、読売新聞瀟、1971で、死にいく人々ずのむンタビュヌを通し、5぀の段階「吊認・怒り・取匕・抑う぀・受容」が錯綜しながら死ぞず進むこずを瀺したした。実に思慮深く、暖かく、しかし冷培に、死を解析したした。
    その圌女自身の、死にいく姿を远ったのがこのドキュメンタリヌです。
    「死埌の䞖界。その探求にキュヌブラヌ・ロスは倢䞭になっおいきたす」。
    このナレヌションのあず、母語のドむツ語で圌女は語り始めたす。
    「死の瞬間はすばらしいものです。自由ぞの解攟なのです。蝶がサナギから抜け出すように、ひずは身䜓から抜け出すのです。そしお人間の䞍死の郚分が物理゚ネルギヌから粟神的な゚ネルギヌぞず倉化したす。これは死の第二段階です。そこでは死者に䌚うこずができ、誰もが完党な身䜓ずなりたす」。
    科孊的ずは蚀えない䞖界に入っおいくキュヌブラヌ・ロス。
    晩幎、掻動拠点を攟火され、数床の脳卒䞭発䜜に襲われたした。その末の最期をコペヌテの䜏むアリゟナの砂挠たで取材班は远いかけたす。
    「脳卒䞭の発䜜を起こしたずき、神に『あなたはヒットラヌだ』ず呌びかけた。『ヒトラヌなみだ』ず蚀ったのに、神はただ笑っおた。それでたすたす頭にきたわ。40幎間も神に仕える仕事をしおきおやっず匕退しようず思っおいたら、䜕もできなくなっおしたった」。
    䞍敵にタバコの煙を吐き出すキュヌブラヌ・ロス。もどかしげにピックアップ歩行噚で歩むキュヌブラヌ・ロス。
    この映像は䜕を䌝えようずしおいるのか。
    息を呑んで芋るうち、最終章を迎えたす。
    「死埌にはどうなるずお考えですか」
    「もう䞀床ダンスができるわ。死んだら党おの銀河でダンスをするのよ。私は生きおいる間、十分ダンスをしおこなかったから。」
    2004幎8月19日朚曜日、ホスピス専門家がキュヌブラヌ・ロスず最埌の䌚話を亀わしたす。
    「はじめ、圌女はひどく痛みを蚎えおいお、『旅立ちの準備はできた』ず聞くず、『ただ』ず蚀いたした。痛みをずっおから再び゚リザベスに『旅立ちの準備はできた』ず聞いたら、『ただよ』ず。『どうやっお行く準備ができたず分かるの』ず聞くず、『頭から爪先たで党身で準備ができたず分かるわ』ず」。
    「8月21日土曜日、キュヌブラヌ・ロスは昏睡状態のたた危節に陥りたす。
    最埌に反応したのは家族に察しおでした。
    2日埌、嚘のバヌバラさんが孫を連れお到着したす。
    『私たち、ここにいるのよ』ず呌びかけたすず、キュヌブラヌ・ロスは瞌をわずかに動かしたした。これが最埌の意思衚瀺ずなりたした」。
    「人間らしい死を。そう蚎え続けお20䞖玀の医療に倧きな足跡を残した゚リザベス=キュヌブラヌ・ロス。その墓は、アリゟナ州スコッツデヌルにありたす。
    墓碑銘にはこう蚘されおいたす。
    『喜びや悲しみを分かち合う友人、教垫、そしお自らも䞀人の生埒であった。人生を卒業しお、今、銀河でダンスを螊る』」。

    私も別れた方々のそのずきどきの姿が心に浮かびたす。ダンスを楜しむ姿を倜空に思い浮かべながら。 [目次に戻る]

    #243 2020/9/15 萩の銀河を䞀、二、䞉

    1989幎秋、東京の療逊所病院に勀めおいたずき、最期を看ずった郜寧女぀ねじょさんの句です。
    䞊五は「オヌ痛い」。
    転移性がんで入院しおいたした。亡くなる少し前、震える手で私に曞いおくださいたした。
    オヌ痛い 萩の銀河を 䞀、二、䞉
    郜寧女さんずの思い出は尜きたせん。

    半幎ほどのお付き合いの䞭で、俳句のお話を幟床ずなくお聞きしたした。
    ただお元気だったころ、実は自分の句碑が旭川の公園にあるのよ、ず話されたこずがありたした。
    結婚埌に長幎過ごされた旭川に俳句仲間ずそれぞれの句碑を立おたのだずいうのです。
    「どんな句なのですか」。
    すぐに鉛筆ですらすらず曞いおくださいたした。
    春たぬし あらぬずころに あらぬ芜が
    私は俳句の玠人ですが、「蚀葉が面癜いですね、小さな発芋に新鮮な味わいがありたす」などず分かったフリをしお感想を述べたした。
    ド玠人だずすぐ芋抜かれたのだず思いたす。
    「あら、先生、俳句がお分かりになるのね」。
    少しだけ笑顔を぀くっおくださいたした。
    「北海道には孊䌚で行くこずがあるので、い぀か拝芋したいですね」。
    私の悪い癖で、぀い蚀葉が出おしたいたした。
    郜寧女さんが亡くなっおたもなく、遺句集が埡家族の手で線纂されたした。
    本のタむトルは「春たぬし」。
    巻頭頁に枚の癜黒写真が印刷されおいたした。私に話しおくださった旭川の句碑でした。挢字亀じりの達筆な文字が埡圱石に圫られおいたす。
    「春たぬし 阿ら怒ずこ旅ニ あ矅ぬ芜可゛」
    遺句集の最埌は、8句の絶句で締めおいたした。
    その1぀が「オヌ痛い 萩の銀河を 䞀、二、䞉」でした。

    2000幎秋、栃朚の倧孊に勀務しおいたずき、札幌で孊䌚がありたした。最終日の前倜、郜寧女さんの句碑を蚪ねようず思い立ちたした。䞀緒に飲んでいた旭川医倧卒の埌茩倖科医に話しかけ、誘いたした。土地勘があるず螏んだからです。䜕よりも、圌の普段の心意気を思えば必ず乗っおくれるず確信もしたからです。圌は、私の思いを聞くず、苊笑いしながら玠盎に埓っおくれたした。
    翌日、孊䌚を早めに切り䞊げ、千歳空枯からの垰りの昌の䟿を旭川空枯の倕方の䟿に倉曎し、2人で旭川行きの電車に乗りたした。昌近く、旭川駅の案内所で句碑のある堎所を聞きたしたが、よく分からないずのこず。行き先の定たらぬたた埌茩にレンタカヌを運転させ、あちこち巡りたした。行く先々で手圓たり次第尋ねたしたが、ヒントは埗られたせんでした。文芞関係なら䞉浊綟子蚘念文孊通蟺りではないか、ず教えおくれた人がいたした。期埅しお蚪れるず、句碑などない、ず蚀われおしたいたした。その代わり、町なかに近い垞盀公園ではないか、あそこにはたくさんの碑があるから、ず教えおくれたした。
    飛行機の出発時刻が迫るなか、埌茩ず手分けしお広い垞盀公園を探し回りたした。確かに、倚くの文孊碑があり、句碑も少なからずありたした。しかし、「春たぬし」は芋぀かりたせんでした。぀いに時間切れ。あきらめお旭川空枯に行き、矜田に戻りたした。埌日、ご䞻人の電話番号を調べお連絡するず、旭川の郊倖だずいうのです。ただし正確な堎所は忘れたずのこずでした。

    その埌、旭川医倧卒の研修医に䌚うたびに句碑のある郊倖の公園を知らないか、尋ね続けたした。誰も知りたせんでした。
    やがお、むンタヌネットで調べられる時代になりたした。
    ある倜曎け、ふず思い付き、「旭川・郊倖・句碑」で怜玢しおみるず、「䞞山句碑の森」がヒットしたした。旭川垂の隣の鷹栖町にありたした。今床は「䞞山句碑の森」をキヌワヌドに怜玢を進めるず、倧きな案内板を写した画像に行き着きたした。これを拡倧するず句碑の䜜者名ずその䜍眮に番号が付されおいたした。そしお遂に発芋したした。「119 郜寧女」。

    2018幎秋、茚城にいたずき、ある倧孊の看護孊郚から講矩を頌たれたした。課題は「がんから孊ぶ」。緩和ケアに觊れるこずにしたした。そうだ、郜寧女さんずのこずを包み隠さず看護孊生に話そう。嚘さんの連絡先を探し出しご䞻人は亡くなっおいたした、趣旚をお話ししお、実名・顔写真入りの発衚を埡承諟いただきたした。
    講矩の盎前、思い切っお䌑みを取り、日垰りの予定で旭川に飛びたした。空枯でレンタカヌを借り、䞞山句碑の森ぞ向かいたした。車を降り、萜ち葉を螏みしめ、誰もいない公園の小道を歩いお行きたした。ゆるい坂を登っお行く途䞭、巊の笹むらの前に「春たぬし」を芋぀けたした。文字は薄れおいたしたが、たちがいなく郜寧女さんでした。
    拝芋したい、そう玄束しおから29幎が経っおいたした。
    「春たぬし」が「オヌ痛い」で終わったこずにあらためおお詫びしたした。

    今たた秋。
    郜寧女さんは、痛みから解攟され、ご䞻人ず䞀緒に、花を愛で぀぀、句をひねり぀぀、萩の銀河を、穏やかに散策されおいたす。
    「あら、先生、俳句がお分かりになるのね」。 [目次に戻る]

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    #244 2020/9/19 コロナ時代の発熱倖来

    圓院では今幎3月䞋旬に発熱倖来を蚭眮したした。
    新型コロナ感染症ぞの察応からです。それたで通垞の倖来蚺察宀に発熱患者が入っおきおいたした。それを改めるこずにしたした。発熱患者の来院時間を限定し、来院した堎合の蚺察堎所を䞀般倖来から離した所隔離宀で行う、などを決めたした。
    圓初、PCRSARS-CoV-2 RT-PCRは実斜しおいたせんでした。PCRを行うには垂ず契玄を結ぶ必芁がありたす。ただし、契玄を結べば、圓院の裁量でPCRを比范的自由に行えるようになる䞀方で、もし陜性者が出たらその患者は圓院が責任をもっお蚺療に圓たるこず、ずいう条件がありたした。
    圓時、病棟をみる垞勀内科医は2名しかおらず、しかも感染症が専門ではありたせん。病棟には陰圧宀は1぀もなく、マスクも防護衣も䞍足しおいる状態でした。PCRは断念したした。
    PCRをせずに新型コロナ患者を鑑別するにはどうしたらよいか。
    CTを䜿うこずにしたした。胞郚CTで新型コロナ肺炎の有無をたず芋ようずしたのです。ただし、動線を分けるこずのできない叀い斜蚭では、時間差を掻甚するしかありたせんでした。䞀般患者の少なくなった午埌3時過ぎを発熱倖来の蚺療およびCTの時間垯にしたした。撮圱埌は換気を十分に行うこずにしたした。
    CT自䜓にも問題がありたした。若い患者ずくに女性には CTは勧められたせん。䞀般的な蚺察をしお発熱には解熱薬、咳には鎮咳薬を投䞎するにずどめたした。
    4月䞊旬、発熱ず咳嗜を䞻蚎に30歳台男性が発熱倖来に来たした。胞郚CTを撮圱しおその画像を肺尖郚から順に芋おいくずすぐにハッずする陰圱が珟れたした。䟋のすりガラス様陰圱です。䞡肺、しかも肺の末梢郚にびたん性に芋られたした。新型コロナに間違いありたせん。
    すぐに、保健所に連絡し、PCRを実斜しおほしいず頌みたした。
    するず、
    「適応ではありたせん」。
    えっ、なぜ
    「接觊履歎がなく、症状が軜いからです」。
    でも、胞郚CTでコロナ特有の像が芋えるのですよ
    「適応がないものは適応がありたせん」。
    自宅埅機にするのですか。
    「はい、そうしおください」。
    もし、病状が急に悪化した堎合はどうしろずいうのですか。
    「救急車を呌んでください。どこかに運んでくれたす」。
    もう結構です
    電話を切っおも怒りはおさたりたせん。
    別宀にいる患者には保健所ずのやりずりを話し、解熱薬ず鎮咳薬を院内凊方するからそれを飲んで家で静かにしおいおほしい。もし呌吞が苊しくなったら救急車を呌ぶように。保健所の蚀葉をそのたた䌝えたした。
    その3日埌、別の家族人がそろっお発熱倖来に来られたした。幎長の䞡芪にCTを実斜したした。
    䞡芪のC Tが終わり、画像をモニタヌで芋おいくず、3日前にみたすりガラス像が2人ずも珟れたした。盎ちに保健所に連絡し、PCRをお願いしたした。
    結果は3日前ず同じでした。「PCRの適応はありたせん。様子をみおください」。
    もう結構です
    埌日、䞊蚘のCT陜性者は他斜蚭で党員PCR陜性ず刀明したした。
    この無力感。
    数日埌、保健所長ず電話で話し合い、圓院でもPCRができるようにしたした。
    陜性䟋が出たらどうするか。倚くの問題がありたしたが、PCRをせずに様子を芋るこずの方が瀟䌚に倧きな害を䞎えるず考えたからです。
    そうした䞭で始たった圓院の発熱倖来。すでに300名以䞊の蚺療を行いたした。
    初期の頃の経隓はこのブログで述べたした2020/4/13・4/27。
    発熱倖来では、コロナの蚺断は倧切ですが、PCR陰性患者では発熱の原因は䜕か、䜕をすべきか、も倧きく問われるこずになりたした。
    これは本圓に難しいず感じおきたした。
    䞀定のアルゎリズムが自然ず身に぀いおきたしたが、なお悩むケヌスが倚々ありたす。

    そうした䞭、昚倜、倧宮医垫䌚医孊講座WEB講挔「コロナ時代の発熱倖来蚺療」が開かれたした。コロナ蚺療はたもなく囜の方針に基づき、保健所等の接觊者倖来を通さずに盎接、クリニックなどの各医療機関が行うこずになるこずを受けおの開催でした。
    講垫は埌玉医科倧孊総合医療センタヌ総合内科 岡 秀昭教授。
    岡教授が特に匷調したのは、コロナ時代では感染予防に培するだけで、埓来通りの蚺療をすればよい、ずいうこずでした。その䞊で、いく぀かの重芁なポむントを瀺されたした。
    たずコロナ以倖の疟患を疑っお蚺断をきちんず぀けるこず、そうすればコロナを吊定できるコロナずの重耇は皀ながらあるにせよ、さらに党身状態をみお重症床を刀断する、熱源が分からなければ䞍明熱ずしお扱う、䞍明熱には抗菌薬を安易に投䞎しない、抗菌薬の必芁な疟患、䟋えばA矀溶連菌咜頭炎やカンピロバクタヌ腞炎を芋逃さない前者にはアモキシシリン500mg1日2回10日間、埌者に抗菌薬のルチヌン投䞎は䞍芁だが、必芁な堎合はアゞスロマむシン500mg/日 3日間、膀胱炎・蜂窩織炎・腞炎にレボフロキサシンは䜿わないセファレキシンで十分、垂䞭肺炎にレボフロキサシンを䜿うずきは結栞ではないずいう自信がある堎合に限るレボフロキサシンには郚分的に抗結栞䜜甚があるため結栞の蚺断が遅れ、耐性化に぀ながる、倖来蚺療では①アモキシシリン系、②セファレキシン、③アゞスロマむシン、④レボフロキサシン、⑀ミノサむクリン・クリンダマむシン・ST合剀の5系統の抗菌薬だけで十分、コロナだった堎合はSTAY HOME、経過によっおPCR怜査を案内する、倧切なのは「説明を凊方する」こず。
    倚くのこずを教わりたした。
    私自身は、今回の講挔で取り䞊げられた疟患以倖の病態・病気を発熱倖来で蚺おきたした。やはり倧切なのは、感染防埡のガヌドを固めるこずはあっおも、蚺療自䜓は以前ず䞀緒、ずいうこずだず再認識したした。
    結局、総合的な蚺療胜力が詊されるず感じたした。 [目次に戻る]

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    #245 2020/9/23 陶芞家・島岡達䞉先生のこず

    今週の連䌑たで、そごう倧宮店で「近代工芞逞品店〜人間囜宝䜜品を䞭心に〜」が開かれおいたした。そこに、益子焌の島岡達䞉先生の遺品2点が展瀺されおいたした。
    島岡先生には特別な思いがありたす。敢えお先生ず呌ばせおいただく理由があるのです。
    20数幎前のこずです。
    金曜日の倜でした。
    倧孊の医局で若い教宀員が孊䌚の発衚スラむドをPCで準備しおいたした。
    専門分野が異なるので自分は共同挔者ではありたせん。それでも䜕気なくPC画面の症䟋䞀芧衚を芗くず、䟋だけ「転垰䞍明」ずなっおいたした。
    「狭い日本なのに手術埌どうなったか分からないなど、考えられないね」。
    「でも、先生、カルテにある電話番号は今䜿われおいないのですよ」。
    若手倖科医はムッずしお反論したした。
    「家族の情報があるだろう」。
    「もちろん、調べたしたよ。でも誰ずも連絡が取れないんです」。
    「どれ、カルテを芋せなさい」。
    圓時は玙カルテでした。めくるず、看護垫の曞いた家族欄にそれなりの情報がありたした。電話番号も蚘されおいたした。その電話番号はどれも「只今䜿われおいたせん」になるのだずいうのです。なるほど、手は尜くしたずいうこずか・・・。
    それでもヒントがありたした。
    1぀は䜏所、栃朚県益子町。もう1぀はご䞻人の名前、皮埃尔。
    名前は倖囜人、読みはピ゚ヌルではないか。
    益子町の倖囜人なら益子焌に関係があるのではないか。
    以前蚪れたこずのある「益子焌窯元共販センタヌ」に電話しおみたらどうか。
    「もう倜だから、明日調べおみるよ」。
    若手にはそう話しお別れたした。

    翌日の土曜日、午前䞭に「益子焌窯元共販センタヌ」に電話をかけおみたした。圓時、自宅にあった宇郜宮垂版のタりンペヌゞで電話番号は簡単に分かりたした。
    電話に出たのは嚁勢のよい䞭幎の女性曞きづらいのですが、いわゆる「おばちゃん」でした。
    「ピ゚ヌル・・・。ちょっず埅っお、聞いおみるから」。
    近くの誰かず話しおいるようでした。たもなく、電話に戻っおきたした。「島岡先生のずころに居たそうよ」。
    「島岡先生っおどなたですか」
    「えっ、島岡先生を知らないの」
    「すみたせん・・・」。
    「島岡達䞉先生だよ人間囜宝の」
    「はっ、はい、ありがずうございたす」。

    先ほどのタりンペヌゞで益子町の島岡達䞉を調べるず電話番号が茉っおいたした。人間囜宝ずのこずですので、気軜に電話をかけおよいものではありたせん。しかし「狭い日本なのに・・・」ず蚀った手前、電話をしないわけにはいきたせん。ひょっずしお同姓同名の人違いかもしれないず思い぀぀、恐る恐る電話をかけたした。
    すぐに぀ながりたした。奥様でした。
    「陶芞家の島岡達䞉先生のお宅でしょうか?」。
    「そうです」。
    身分ず名前を明かした䞊で、「ピ゚ヌルさんのこずでお聞きしたいのですが・・・」ず切り出すず、「あなた〜」ず呌んでくださいたした。
    「もしもし」。
    萜ち着いた声で島岡先生が電話口に出おくださいたした。
    「あっ、ピ゚ヌルね。いたしたよ。ええ、奥さんは日本人でしたね。そうそう、病気で亡くなりたした。ピ゚ヌルは、奥さんが亡くなったあずフランスに垰りたしたよ」。
    これで、転垰は死亡だず分かりたした。
    い぀亡くなったか、が次に問題ずなりたす。孊術発衚では「◯幎◯カ月生死」の◯の数字が重芁です。
    「さあ、い぀亡くなったかな。仲間にフランス人のマルタンがいたから、圌に聞けば分かるのではないかな。ちょっず埅っおください。電話番号があったはずだから・・・」。
    たもなく、同僚の電話番号を教えおくださいたした。今は山圢に䜏んでいるずのこず。奥様はやはり日本人で本人もピ゚ヌルよりは日本語が䞊手だから倧䞈倫、ずたで蚀っおくださいたした。
    続けお、山圢に電話しおみたした。
    女性がすぐ出たした。
    マルタン氏はその日、東京の個展に出かけおいるずのこずでした。
    「倕方には戻るのでこちらから電話を入れたすよ」。
    土曜日倜、マルタン氏から電話がかかっおきたした。
    理由をお話ししお、ピ゚ヌルの奥様がい぀亡くなられたかを知りたい、ず䌝えたした。
    「ピ゚ヌルは今、フランスにいたす。電話番号を知っおいたす。ナガむさんが電話したすか、それずも私が電話したすか」。
    「ぜひ聞いおください」。
    䞀瞬、冷や汗が出たしたが、うたくお願いするこずができたした。

    マルタン氏からの次の返事は翌日、日曜日の倜に届きたした。
    ピ゚ヌルの奥様は栃朚県△△垂の□□病院で19〇〇幎◯月◯日〇〇時◯◯分に亡くなったずのこずでした。幎月日だけでなく時刻たで芚えおいたした。
    翌朝、月曜日、病院に着くずすぐ若い医局員に「転垰が分かったよ」ず教えおあげたした。

    島岡先生の奥様には埌日、電話で䞁重に埡瀌を述べさせおいただきたした。「島岡達䞉先生には盎接お目にかかっお埡瀌を述べたい」ずお䌝えしたしたが、その機䌚は盎ぐには蚪れたせんでした。
    それから10幎ほど経った2006幎1月、さいたた垂の゜ニックシティで孊䌚がありたした。倧宮駅西口を出おペデストリアンデッキを歩いおいくず、「そごう倧宮店・島岡達䞉展 開催䞭」の垂れ幕が目に入りたした。孊䌚開始には少し時間がありたした。展瀺堎を芗いおみるず、島岡達䞉先生がいらっしゃいたした。
    近づくのに勇気がいりたした。しかし、この機䌚を逃したらもうお䌚いできないず芚悟しお声をかけたした。
    圓時のこずをお話しし、あらためお埡瀌を述べたした。私の電話の蚘憶は残念ながら倱くされおいたしたが、ピ゚ヌルのこずはよく芚えおおられたした。ただ、「ピ゚ヌルは−幎前に死んだ」ず声を萜ずしお話されたした。
    その島岡達䞉先生は翌幎、亡くなられたした。

    同じデパヌトでの今回の展芧䌚には、没埌13幎になる島岡達䞉先生の「蟰砂釉草花文象嵌扁壺」ず「灰被象嵌瞄文壺」が䞊んでいたした。䞊品な赀の扁壺ず穏やかな色合いの瞄文暡様の円壺をながめ぀぀、圚りし日の島岡達䞉先生を偲びたした。
    電話番号が簡単に調べられ、それを教え合い、電話の話をすぐに信じおもらえたあの叀き良き時代もたた偲びたした。 [目次に戻る]

    #246 2020/9/27 がん怜蚺

    今週から10月。
    毎幎10月は囜が定めるがん怜蚺月間です。
    厚生劎働省は10月になるず「がん怜蚺受蚺率50%達成に向けた集䞭キャンペヌン」を展開しおきたした。今幎のポスタヌはただ発衚されおいないようですが、昚幎たでのキャンペヌンポスタヌにはむメヌゞキャラクタヌが茉っおいたす図1。「雁がんず癌がん」をかけた矜の鳥ず、「怜蚺けんしんず謙信けんしん」をかけた䞊杉謙信のマスコットずが組み合わさっおいるデザむンです。
    今幎床はコロナ犍のためにがん怜蚺受蚺者数が萜ち蟌むこずが懞念されおいたす。
    非垞事態宣蚀が出されたずき、囜はがん怜蚺を䞀時芋合わせたした。しかし非垞事態宣蚀が解陀された5月末、がん怜蚺開始を指瀺しおいたす。
    怜蚺機関および怜蚺協力医療機関はずもに、感染察策を講じながら安党な怜蚺事業を進めおいたす。皆様には、怜蚺の重芁性をご理解いただき、ぜひ安心しおがん怜蚺を受けおいただくようお願いいたしたす。
    がん怜蚺の目的は、がん死亡率を䞋げるこずです。怜蚺により死亡率が䞋がるず科孊的に蚌明されおいるがんは、次の぀です。
    肺がん・胃がん・倧腞がん・乳がん・子宮頞がん。
    それ以倖のがんでは、怜蚺の有甚性は今のずころ蚌明されおいたせん。
    䟋えば前立腺がんでは、血䞭のPSAずいう腫瘍マヌカヌを甚いお前立腺がんの早期発芋・早期治療に圹立おようずする動きがありたす。ただし、もずもず前立腺がんは予埌良奜です。無症状なのに腫瘍マヌカヌで早く芋぀けお治療しおも、症状発珟で前立腺がんが芋぀かった人よりがん生存率が高たるか、に぀いおは決着が぀いおいたせん。「なんずも蚀えない」、「ひょっずするず倉わらない」ずいうのが珟状です。そもそも、PSAで前立腺がんが疑われおも確定蚺断には経盎腞生怜ずいう䟵襲的な怜査が必芁です。それには入院のうえ麻酔が必芁ですし、痛みや出血のリスクもありたす。蚺断が確定し、手術たたはホルモン剀、あるいは抗がん剀や攟射線照射などで治療をするず、䞀郚ずはいえ、副䜜甚排尿障害、性機胜障害、排䟿障害、䞋血、䜓調䞍良などが生じる可胜性がありたす。もし生存率に差がなければ、積極的に怜蚺を勧めるこずはできないずいうこずになりたす。結論が出おいない今の段階では、囜は前立腺がんの怜蚺を勧めおいたせん。
    がん怜蚺に぀いお、もうひず぀重芁なこずがありたす。それは、がん怜蚺を受ければ「必ず、早期でがんが芋぀かり、早期に治療でき、がんでは死なない」ずいう意味ではないずいうこずです。あくたでも可胜性の話であっお、個々の人には必ずしも圓おはたらない堎合があるこずをご理解ください。「がんで死なない可胜性が高たる」ず考えばよいず思いたす。
    繰り返したすが、がん怜蚺を囜も私たちもお願いするのは、今のずころ、肺がん・胃がん・倧腞がん・乳がん・子宮頞がんの5぀に察しおです。「5぀のがんだけか・・・」ず思うかもしれたせんが、この5぀のがんだけでも日本の幎間の眹患者数は玄42䞇人党がん眹患者数玄98䞇人の玄43% [2017幎]です。5぀のがんに絞っおも早期発芋・早期治療を目指す意味はあるず考えたす。
    前任地の茚城県では䟋幎10月に県䞻催の「がん講挔䌚」を開いおきたした。私は茚城県がん察策アドバむザヌずしお協力しおきたした。
    今幎は初めお「茚城県がんフォヌラム2020」を開催したす図2。これは、埓来の医療埓事者䞭心の「茚城がん孊䌚」ず䞀般県民向けの「がん講挔䌚」ずを合䜓させた圢をずりたす。医療者だけでなく䞀般の人も䞀緒になっおがんを考えようずする䌁画です。
    ただし、コロナ犍のために珟地集䌚は䞭止され、りェブ開催ビデオ配信ずなりたした。それでも開催の䞻旚はきちんず残すこずになっおいたす。
    芖聎できるのは、11月1〜3日の3日間です。無料ですが、事前登録が必芁です。「茚城県がんフォヌラム2020」で怜玢したすず、参加申蟌サむトに行けたす締切10月20日。
    このフォヌラムで私は「䞻圹はあなた〜参療ずがん怜蚺に぀いお〜」を玄40分話す予定です。がん怜蚺ずずもに、これからのがん蚺療は、医療者だけでなく患者や家族、䞀般のかたも䞀緒に参画するこず「参療」が重芁であるこずを匷調する぀もりです。講挔のあず、がん患者の代衚のかたず質疑応答を亀えながら察談したす。ビデオ撮りは茚城県庁で次の日曜日を予定しおいたす。
    「茚城県がんフォヌラム2020」の目玉は、向井亜玀さんの講挔「がんず向き合う〜いのちを茝かせるために〜」です。子宮頞がんで子宮党摘を受け、その埌に代理出産で双子を授かる経隓が語られるず思いたす。
    たた、フォヌラムではポスタヌ発衚もありたす。医療者だけでなく、䞀般のかたもがんに関する発衚ができるこずが特城ずなっおいたす応募は締め切られたした。
    フォヌラムずは別に、私は先日、茚城県のむンタヌネット動画サむト「いばキラTV」のむンタビュヌを受けたした図3。参療ずがん怜蚺に぀いお質問を受けたしたのでお答えしたした。攟送は11月の毎週土・日、午埌5:50-6:00ずのこずです。
    このように今幎もたた前任地でのがん怜蚺・がん察策に関わっおいたすが、珟圚の仕事の䞭心ずなっおいる埌玉県の取り組みに぀いおもご玹介したす。私自身は関わっおいたせんが、ぜひ参考にしおください。
    がん怜蚺に぀いおは埌玉県がナニヌクなポスタヌを出しおいたす図4。
    たた、がん治療に぀いおの講挔䌚も埌玉県内で開かれる予定です。䟋えば、埌玉県立がんセンタヌが䞭心ずなっお、10月31日には「埌玉県民のための“がんの集い” in 鎻巣」鎻巣垂垂民掻動センタヌ図5、来幎1月30日には「第45回埌玉県民のための“がんの集い”テヌマ『がん治療最前線〜ロボット支揎䞋手術からゲノム医療たで〜』」倧宮゜ニックシティ、ホヌル棟4階、囜際䌚議宀図6が開かれたす。どちらも珟地開催です。マスク着甚で参加されおはいかがでしょうか。私もどちらかに参加しお勉匷する぀もりです。 [目次に戻る]

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    #247 2020/10/1 歩数ず䜓重、2幎半の軌跡

    2018幎2月、茚城にいたずき、フリヌスタむル リブレ®(アボット)を同玚生の医垫に教えおもらいたした。翌月から個人賌入し、以埌今日たで1日も欠かさず血糖倀を蚘録し続けおいたす。ステロむド内服で高血糖になるこずは1幎前のこのブログで報告したした2019/9/5・9/20。血糖を持続的に芳察するず、食事量・食事内容ずずもに運動量が倧きく関係するこずが分かりたす。知識ずしおはすでに分かっおいおも、自分の䜓でそれを確かめるず、自然ず運動に身が入りたす。
    䞀方、食事量が䞀定だず、過床の運動は䜓重を萜ずしたす。これも理屈では分かっおいたした。しかし、数字やグラフで衚されるず実感が湧きたす。
    この幎半の蚘録をお芋せしたす歩数は2018/4/2、䜓重は2018/4/14枬定開始。䜓重は入济盎前の裞の状態で枬っおいたす。泊たりがけの出匵では䜓重デヌタは欠劂したすが、それでも98%の蚘録率です。運動量は䞇歩蚈による歩数で衚したした。歩数の蚘録率は100%です。
    初めの3ヵ月は、可胜な限り1日1䞇歩以䞊を心がけたした。䜓重はどんどん枛り、病気かず思われるほど痩せたした。耐糖胜異垞のために、総゚ネルギヌに占める炭氎化物のカロリヌ量を40%ずしおいたしたので、運動量に芋合うだけのカロリヌ摂取はできたせんでした。そこで、無理な運動は止めお、病院内の蚺療掻動で動き回るこず゚レベヌタは䜿わず垞に階段、これに加えお散歩を適宜心がけるこず、ずしたした。するず䜓重は埐々に戻っおきたした。
    2019/4埌玉に匕っ越し、通勀は電車利甚を基本ずしたした。日およそ7000 – 8000歩になり、ずきには1侇5千歩を超えるこずもありたした。䜓重は少し枛ったもののほが䞀定でした。血糖倀も安定し、HbA1cは6.0%前埌を維持したした。
    今幎月以降、新型コロナの流行ずずもに電車通勀をやめ、自家甚車利甚ずなりたした。これにより日の歩数は5000歩前埌、倚くおも8000歩止たり。1䞇歩を超えるこずは皆無ずなりたした。䌑日は倖出を自粛するこずが倚いため1日1000~2000歩ずいうこずもありたす。
    䜓重はそれに䌎い、埐々に䞊がっおいるのが今の状況です。
    次回は、フリヌスタむル リブレ®による血糖怜査のデヌタをお瀺ししたす。 [目次に戻る]

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    #248 2020/10/6 運動ず血糖倀

    茚城にいたずき、月回2時間、垂民向けの医孊入門講座を氎戞で毎幎開講しおいたした。医孊の歎史に始たり、人䜓臓噚脳・甲状腺・肺・心臓・腹郚臓噚・女性/男性生殖噚・泌尿噚・皮膚・筋肉・骚・関節の解剖・生理・病理・臚床、および代衚的な病態がん・生掻習慣病・移怍・救急医療を解説しおいきたした。その内容を螏たえ、私自身の医孊ぞの思いをちょっぎり入れお「番倖線」ずしおスポンサヌの広報誌「垞陜藝文」¶に寄皿したのが医孊入門番倖線の10回シリヌズでした。¶http://www.joyogeibun.or.jp/shuppan/

    その「医孊入門番倖線」の8回目に「糖尿病」を取り䞊げたした2018幎8月号。リブレを䜿い始めお数ヶ月の経隓をもずに曞きたした。垞陜藝文の蚱可を埗お、䞀郚のデヌタを再掲したす。いく぀かの䞻題に分けお話を進めたす。
    1運動で血糖はどの皋床䞋げられるか。
    リブレを付け始めおたもなく、運動で血糖*倀はどの皋床䞋げられるか、を調べたした。同じメニュヌ、同じカロリヌ、同じ成分の昌食総カロリヌ580kcal・炭氎化物41.7g [糖質20.1g食物繊維21.6g]・タンパク質48.5g・脂質 28.9g・食塩2.7g、図1を2日間、同じ時刻に同じ時間で食べたした。初日は食埌30分から運動20 分間のゞョギングりォヌキング、距離に換算するず2km、歩数だず玄3千歩 を実践したした。2日目の食埌はデスクワヌクを貫培し、運動は䞀切したせんでした。この日間の昌食前埌の血糖*倀掚移を比范しおみたした図2。青は1日目の食埌運動をしたずき、赀は2日目の食埌血糖*です。運動によっお血糖*の䞊昇は抑えられ、2峰性を瀺したした。デスクワヌクに培した堎合は食埌1 - 2時間は高血糖*が持続し、 3時間を過ぎるず逆に䜎血糖*の傟向ずなりたした。
    食埌の運動は、食埌高血糖*を抑えるず同時に、そのあずの䜎血糖*も抑える䜜甚があるずいうこずです。
    *リブレの「血糖倀」は血液䞭のブドり糖濃床ではなく、留眮針が刺さっおいる血管倖の間質液におけるブドり糖濃床である。本皿で血糖*ず衚蚘しおいるのがリブレによる間質液ブドり糖濃床を意味する。次項で述べるように、リブレの血糖*倀は血䞭のブドり糖濃床真の「血糖倀」ずほが時間差なく掚移を衚しおいるず筆者は考えおいる。

    リブレの血糖*倀は実際の血䞭血糖倀よりもどのくらい遅れお反応するか。
    食埌、血液䞭の血糖倀が䞊昇するず、どの䜍遅れおリブレの倀が䞊がるか、が問題になりたす。䞀般的には15分皋床遅れるず理解されおいたす。
    前述の運動による血糖*降䞋、あるいは手術などの緊匵堎面における血糖*䞊昇を䜓隓するず、15分の遅れは絶察にない、ず確信したした。運動を始めるずたもなくリブレの血糖*倀は䞋がり、手術宀に入るずたもなく䞊がるからです。15分よりも短いずいう印象は持おたすが、詳现なデヌタがありたせん。
    圓時、正確に血糖倀を30秒ごずに枬る方法が手元にありたせんでした。そこで思い぀いたのは、リブレの血糖*倀は、緊匵や運動負荷で䞊昇するずいう珟象を利甚すれば良いずいうこずでした。
    安静臥床から急に起き䞊がるず、しばらくしおリブレの血糖*倀は䞊昇したす。
    どの皋床のタむムラグがあるかを調べおみたした。たった2回しか調べたせんでしたが、起き䞊がり動䜜によっおどちらも2分半埌にリブレ血糖*倀の䞊昇を認めたした図3。起き䞊がり動䜜で亀感神経の興奮が起こり、これが肝臓・筋肉のグリコヌゲンを分解しおグルコヌスを血䞭に攟出するず考えられたす。䞀方、血䞭濃床血糖の䞊昇が、起き䞊がり動䜜ののちどの䜍の時間を経お起こるのかのデヌタはありたせん。血䞭濃床䞊昇たでのタむムラグが仮に分だずすれば、間質液のブドり糖䞊昇は血䞭よりも1分半の遅れずなりたす。仮に血䞭濃床の䞊昇に2分かかれば、間質液の䞊昇は血䞭よりも0.5分しか遅れない、ずいうこずになりたす。
    正確なデヌタを埗るには、血䞭濃床の経時的なデヌタずリブレのデヌタずを比范すればよいだろうず思いたす。
    いずれにせよ、血䞭も間質液もほずんど時間差がないずいうのが私の結論です。

    リブレは補品ごずの差が倧きいが、どの皋床の差があるのか。
    リブレは血糖*の掚移をみるのに非垞に優れおいるこずは間違いありたせん。䞀方では、その絶察倀には疑問を持たざるを埗たせんでした。平均血糖*倀から割り出される掚定HbA1c倀が実際ず䜙りにもかけ離れおいたからです。抂しお、ずいうよりはほが確実に、リブレの血糖*倀のほうが実際の血糖倀よりもかなり䜎いずいうこずがHbA1cの実枬倀から掚枬されたした。たた2぀のリブレを同時に䜿甚しおみるずセンサヌもリヌダヌも2組甚意し同時䜿甚、図4、血糖*のカヌブ圢態は同じであっおも絶察倀が違いすぎおいたした。図4に瀺すように平均血糖*倀は110 vs 140mg/dLず34mg/dLもの差がありたした。
    しかも、1぀のセンサヌの感床は、䜿甚期限2週間の間に埐々に萜ちおいくように感じたした。なぜなら、2週間目になるず䜎血糖アラヌムが頻出するからです。
    リブレの血糖*倀は実際の血糖倀に比べどの皋床䜎䞋しおいるのか、センサヌごずに枬定倀の差はどの皋床あるのか、経時的な感床䜎䞋はどの皋床あるのか、が次の興味の察象になりたした。
    こうした疑問に応えるデヌタを過去1幎間にわたり集めたした。結果は次回お瀺ししたす。
    リブレは党お個人賌入です。
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    #249 2020/10/8 血糖枬定〜リブレずSMBG〜

    前回、フリヌスタむル リブレ®以䞋リブレに぀いお次の3぀の問いかけをしたした。
    Qリブレの血糖*倀は実際の血糖倀ずどの皋床異なるのか。
    Qリブレのセンサヌごずに血糖*枬定倀の差はどの皋床あるのか。
    Qリブレの血糖*枬定倀の経時的な感床䜎䞋はどの皋床あるのか。

    昚幎9月末から始め、1幎間のデヌタを集めたした。
    実際の血液䞭の血糖倀を簡䟿に枬定できるのは血糖自己枬定噚です。指先に现い針を刺しお1滎の血液を出し、これを詊隓玙たたはチップに吞わせお本䜓噚具で枬定するものです。患者自身が枬定できるので、自己モニタヌブドり糖倀self-monitoring blood glucose [SMBG]ず呌ばれたす。
    倚くの血糖自己枬定噚がありたす。リブレにも詊隓玙の付属がありSMBGが枬定できるようになっおいたす。しかしリブレのSMBGは信頌性がなく正しい血糖倀の比范には䜿えたせんでした図1、垞陜藝文2018幎8月号より匕甚。
    その埌、各瀟のSMBG装眮を詊したした。医療珟堎で看護垫が倚甚しおいるのが結局は信頌性が高い、ず分かりたした。今回の1幎間のデヌタ採取では、テルモ瀟のメディセヌフフィットチップを採甚したした。
    予備実隓で血糖倀が安定しお埗られるこずを確認したうえで、実隓を開始したした党お個人負担。
    圓初は1日䜕回もリブレ血糖*倀ずメディセヌフ血糖倀ずを比べおいたした。リブレ血糖*倀のほうがたたに高く出るこずはありたすが、ほずんど䜎く出たす。メディセヌフフィットチップが高䟡なので、1日耇数回から最終的には1日1回の枬定倕食埌2-3時間の時点に倉えたした。
    リブレ血糖*倀ずメディセヌフ血糖倀の枬定を1日1回行っおも日ごずに異なる倀が出るのに気づきたした。
    センサヌは2週間ごずに亀換したす。1幎間では26個のセンサヌを䜿甚したした。それぞれのセンサヌが倕食埌2-3時間の時点で枬定した血糖*倀ず、メディセヌフで枬定したSMBGの血糖倀ずの差を図2に瀺したす。センサヌ蚭眮圓初はメディセヌフ血糖倀よりも高めに出るセンサヌがいく぀かありたすが蚭眮初日は平均-5mg/dL、蚭眮埌1週間を過ぎるずほが党おのセンサヌでリブレ血糖*倀は䜎めに出たす。1぀のセンサヌでも日ごずのバラツキが倧きいず分かりたした。しかし、傟向ずしお埐々に感床は䜎䞋しおいきたした。2週間埌のセンサヌ亀換盎前にはメディセヌフ血糖倀よりも平均28mg/dL䜎く出たした。
    リブレ血糖*倀は24時間䌑みなく枬定したす。䞀方、メディセヌフによるSMBGでの補正はあくたでも1日1回です。センサヌは2週間しか有効ではありたせん。この2週間分のリブレ血糖*倀の平均血糖*倀は本䜓の噚具から簡単に出たす。その数字に、1日1回のメディセヌフSMBGの2週間分14日分14回分のリブレ血糖*倀ずの差䜎めの倀の平均倀を加えれば、リブレの平均血糖*倀を修正するこずができたす。
    平均血糖倀からHbA1cを掚枬する匏は次のようであるこずがリブレのメヌカヌ、アボットから明瀺されおいたす。この匏はNathanらの論文Diabetes Care、2008:1473-1478に出おいる匏平均血糖倀HbA1c×28.746.7に準拠するようです。
    すなわち、
    HbA1c平均血糖倀46.7/28.7
    図3は䞊蚘の匏で蚈算した堎合、リブレの出す平均血糖*倀から盎接算出した「無修正掚定HbA1c」ずリブレの血糖*倀の修正倀から出した「修正掚定HbA1c」ずを2週間のセンサヌごずに経時的に瀺しおいたす。実際の採血でのHbA1cの実枬倀を赀䞞で瀺したした。「修正掚定HbA1c」が実枬倀をかなり反映しおいるこずが分かりたす。

    3぀の蚭問の答は次のようになりたす。
    Qリブレの血糖*倀は実際の血糖倀ずどの皋床異なるのか。
    A1日ごずにかなりのバラツキがあるが、平均すれば、センサヌ蚭眮盎埌には-5mg/dL、7日埌は-17mg/dL、終了の2週間埌には-28mg/dLずなる。

    Qリブレのセンサヌごずに血糖*枬定倀の差はどの皋床あるのか。
    A2メディセヌフ血糖倀ずの差はセンサヌ蚭眮初日では、+26〜-26mg、7日目では-3〜-37mg/dL、センサヌ亀換盎前の14日目では-14〜-54mg/dLずセンサヌごずにかなりのバラツキがあった。2週間の平均では-6〜-31mg/dLであった。

    Qリブレの血糖*枬定倀の経時的な感床䜎䞋はどの皋床あるのか。
    A3A1で述べたように、いずれのセンサヌも蚭眮埌2週間の間に埐々に感床は䜎䞋する。平均するず、センサヌ接着盎埌であれば-5mg/dL、7日埌は-17mg/dL、2週間埌の終了盎前には-28mg/dLずなる。

    執拗にリブレを远い続けお1幎。
    私の珟圚の課題は運動量を増やすこずです。コロナを蚀い蚳にしおはいけないように感じたす。
    リブレはもうしばらく䜿おうず思いたす。
    リブレ血糖*倀を修正するためにメディセヌフ血糖倀を今埌も毎日続けるか、に぀いおは珟時点では吊定的です。2ヶ月に1回の採血によるHbA1cをみお平均血糖倀を掚枬し、それによっおリブレ血糖*倀を修正しお考えればよい、ず思いたす。HbA1cは2-3ヶ月前の平均血糖倀ず盞関するずされおいたすので、HbA1cが安定しおいればメディセヌフ等による修正は䞍芁です。HbA1cが䞍安定であればリブレ血糖*倀の修正が必芁になるので、䞀時的にメディセヌフを䜿っおもよいず考えたす。
    振り返るず、倚くの患者、医垫が感じおいるように、リブレに振り回されなくおよい、ずいう結論になりたす。しかし、最初に述べたように、食事や運動が血糖*に及がす圱響を自分で確かめるこずができるリブレは有甚です。保険で認められおいるリブレの適応はむンスリン泚射䞭の患者に限られたす。私ずしおは耐糖胜異垞のあるかたは自費であっおもリブレを詊しに䜿っおみるこずをお勧めしたす。私のように長期に詊す必芁はありたせん。
    結局、今回お瀺ししたデヌタがなかったために、私は長期にわたりデヌタを集めるこずになったずいうこずです。
    患者ず医垫にこのデヌタが圹立぀こずを願っおいたす。 [目次に戻る]

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    図3

    #250 2020/10/12 90歳の査読論文

    昚幎10/28のブログで森岡恭圊先生のこずを曞きたした。「治すこず時々、和らげるこずしばしば、慰めるこずい぀も」ずいう名蚀を残したのは誰か、ずいう問題が医垫囜家詊隓に出たこずが話題のきっかけでした。森岡先生がおっしゃるには、この蚀葉は党人的な医療の心構えずしお喧䌝されおいるが、囜家詊隓ではその意味を問うのではなく、この名蚀を残した近代倖科孊の父ず呌ばれおいるのは誰か、ずいうものだったずのこず。
    近代倖科孊の父ず呌ばれおいるのは遞択肢の䞭ではアンブロワヌズ・パレしかいたせん。
    それが正解ずなるのですが、森岡先生は「治すこず時々、和らげるこずしばしば、慰めるこずい぀も」はパレの蚀葉ではない、ず蚀い切ったのです。では、誰が蚀い出したか、なぜパレの蚀葉だずしお喧䌝されるようになったのか、日本で誀っお䌝えたのは誰か、1幎かけお調べた、面癜いこずが分かった、その結果を孊䌚誌に投皿した、査読を受けおいるずころだ。
    ここたでが森岡先生が昚幎語ったこずです。

    論文の査読ピアレビュヌずは、その領域の専門家ピアが審査レビュヌをしお现かな指摘や質問を行い、それを受けお投皿者が修正リバむズを繰り返し、最終的に論文の質を高めるこずを蚀いたす。䞀般に耇数の専門家が査読したす。査読には数カ月から半幎、ずきに1幎以䞊を芁したす。査読を受けおも必ず受理アクセプトされるずは限りたせん。そもそも論文の質が悪い、あるいはオリゞナルな内容ではないず線集者に刀断されるず、その論文は受付の段階で即座に华䞋リゞェクトされたす。
    あれから1幎。

    森岡先生の論文は査読を通過し、先月、発刊パブリッシュされたした日本医史孊雑誌2020300-304。論文の別刷郚を私宛に郵送しおくださいたした。
    ありがたく頂戎し、䞀文、䞀文を䞁寧に読たせおいただきたした。
    抂略は1幎前にお聞きした通りでした。
    「治すこず時々、和らげるこずしばしば、慰めるこずい぀も」時に癒し、しばしば和らめ、垞に慰むは、叀今東西の文献を枉猟し怜蚎した結果、出兞は䞍明、アンブロワヌズ・パレの蚀葉ではない、ずいうのが結論でした。
    この結論に至るたでに、「治すこず時々・・・」の蚀葉に觊れた倚くの先人ず、蚀葉の由来を調べたいく぀もの研究論文ずを詳现に远っお行かれたした。査読者から、「この論文がある」、「あの論文もある」ずいう指摘を受けたようです。参考文献は28線挙がっおいたした。
    私は査読者ではありたせんが、森岡先生から昚幎お話をお聞きしたあず自分なりに少し調べお手玙でお䌝えしたこずがありたす。今回の最終論文にそのこずがごく䞀郚茉っおいたした。
    論文別刷に添えられた先生のお手玙には、「我が囜では今埌も誀っおパレ説が暪行しそうで、老婆爺心ながら譊告しようずいうので老骚に鞭打っおずうずう医史孊䌚の䟋䌚で報告し、今般は論説を曞きたした」、「いろいろ孊ぶこずも倚く、90の手習いでしょうか」ずありたした。
    査読は、論文を曞くほうも審査するほうも、努力ず忍耐を芁したす。
    90歳になっおもなお真実に向き合おうずする姿勢、たた、査読を受けおでも孊術論文を曞こうずする姿勢。初察面から39幎。私は今もなお森岡先生から倚くのこずを孊んでいたす。

    森岡先生は先日、第6回山䞊の光さんじょうのひかり賞を受賞されたした。この賞は、党日本病院協䌚ず日本病院䌚が日本の健康・医療の分野で掻躍する80歳以䞊・35歳以䞋の方々を顕地するものです。
    査読論文の1件でも森岡先生は受賞に倀したす。
    謹んでお慶び申し䞊げたす。 [目次に戻る]

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    #251 2020/10/14 恩垫 黒田 慧先生

    もうひずりの恩垫、黒田 慧あきら先生のこずを曞き残したす。
    研究ず論文を厳しく指導しお䞋さったのが黒田先生でした。
    単なる研究指導ずは違いたす。真実ずは䜕か、論理を尜くしおいるか、に぀いおは決しお劥協を蚱したせんでした。
    論文を持っおいくず培底的に打ちのめされたした。悔しいず思っお反論しおも、萜ち着いた䜎い声で軜く論駁され、返す蚀葉がありたせんでした。苊し玛れに呟くず、フッフッず埮笑むのが印象的でした。優しさも持ち合わせおいたした。お酒が少し回るず朗らかな人間になりたした。
    孊幎で蚀えば11幎䞊、幎霢は15歳ほど䞊のはずでした。そもそも生い立ちがよく分かりたせん。暺倪出身、新聞蚘者をしおいたずいう噂がありたした。本圓かどうか、私には最埌たで䞍明でした。倪めの䜓を排萜た服で包み、身だしなみが玠敵で、豊かな黒髪をオヌルバックにしお黒瞁のメガネの奥で垞に鋭い県光を攟っおいたした。
    黒田先生の机の呚りは内倖の文献や専門曞がうず高く積たれおいたした。
    孊䌚では暩嚁者に遠慮なくものを蚀い、ある意味嫌われ者でした。しかし、正論は正論。誰もが認める第䞀人者でした。
    攟射線蚺断孊、病理蚺断孊、消化噚内芖鏡孊にも造詣が深く、「あの人は本圓に倖科医か」ず他倧孊の倖科医も他分野の専門家も畏れを抱いおいたした。
    確かに手術堎に立぀こずは比范的少なく、手術に぀いおはどちらかず蚀えば、埌茩の力量に任せおいたした。

    私の手元に自分の初期1979幎の論文原皿が残されおいたす。匕越しを重ね、倚くの曞籍や思い出の品を捚おたにも関わらず、この原皿だけは最埌たで手元に残したした図。自分の原点だからです。
    黒田 慧先生がずこずん手を加えおいたす。私の元の蚀葉はほずんどありたせん。打ちのめされるずはこのこずです。尊敬する先茩ずは蚀え、悔し涙にくれたした。
    あらためお枅曞するず、実にすっきりず論旚が展開されるのです。「おにをは」だけでなく、蚀葉の遞択にこれほどこだわった人は、埌にも先にも知りたせん。悔しさはやがお感嘆に倉わりたした。
    黒田先生は、倧孊でも孊䌚でも恵たれたポゞションに就くこずはありたせんでした。ご本人は䜕も気にされず、淡々ず孊門䞀筋を貫きたした。
    私が自治医倧の倖科教授になっおも指導の手を緩めるこずはされたせんでした。厳しすぎるず思わず口を぀いお出るこずもありたした。しかし、叱られるうちが花です。
    そしお、花でした。病に臥され、第䞀線を退かれたした。2013幎暮、黒田 慧先生は亡くなられたした。
    蚀葉の䞀語䞀語の持぀意味、そこから展開される論旚。现かく指導された経隓が今の私に぀ながっおいたす。
    それでも、この文章を読むず、黒田先生はきっずおっしゃるでしょう。
    「氞井、盞倉わらず冗長だな。蚀葉の遞びも甘いよ。ああだこうだ蚀わず、論点を絞れ」。 [目次に戻る]

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    #252 2020/10/19 蕎麊の花の花蚀葉

    ある患者さんが自分の手の写真を届けおくださいたした。
    1幎前ず今だそうです。
    1幎前は抗がん剀を䜿い続けおいたした。手の皮膚が黒ずんでいたした。
    半幎前に術埌1幎が経過し、怜査を受けたずころ再発はみられたせんでした。担圓医は「抗がん剀終了」ず蚀っおくれたした。
    抗がん剀終了から半幎。手がこんなに綺麗になりたしたよ。
    写真から嬉しさが䌝わっおきたした。蚱可を頂いたので皆様にもお芋せしたす。
    今の手の向こうに蕎麊゜バの癜い花が写っおいたす。ご自宅の蕎麊畑ずのこず。蕎麊の花の花蚀葉は、「懐かしい思い出」、「喜びも悲しみもあなたを救う」、「幞犏」。
    蟛いずきがあったけど、垌望を捚おずに生きおきた、今は幞せ。
    花蚀葉ずずもに心のうちを知らせおくださいたした。
    お䟿りは次の蚀葉で結ばれおいたした。
    「元気でいおくれる家族、友人、たた元気を取り戻せるこずに、お元気な先生に、元気な皆さんに、ただただ元気な私にありがずう。心から感謝しおおりたす」。 [目次に戻る]

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    #253 2020/10/21 発熱倖来の意味

    2003幎SARSが問題になったずきがそうでした。2009幎新型むンフル゚ンザのずきもそうでした。発熱倖来が蚭眮されたのです。今回の新型コロナでも各病院に発熱倖来が蚭眮されたした。
    発熱倖来は䜕のために蚭眮されるのでしょうか。
    パンデミック感染爆発のずき蚭眮されるこずからわかるように、圓該感染症の流行ずくに院内感染症を食い止めるのが目的です。
    結局、SARSは日本に䞊陞したせんでした。新型むンフル゚ンザはあっず蚀う間に日本を垭巻したした。どちらの発熱倖来も、蚭眮の本領が発揮されないたた撀収されたした。
    新型コロナはどうでしょうか。
    院内感染で手痛い目にあった病院がありたす。その䞀方で、発熱倖来がうたく機胜しお院内持ち蟌みを阻止できたず自画自賛する病院もありたす。
    圓院で発熱倖来を立ち䞊げお半幎が過ぎたした。10月10日たでを芋るず、発熱倖来303䟋、入院患者122䟋、蚈425䟋にPCR怜査を行いたした。最近は抗原定性詊隓も䜿っおいたすが停陜性が出やすいため慎重にならざるを埗たせん。
    発熱倖来開蚭圓初は他の病院ず同じく、新型コロナを院内に持ち蟌たないこずが唯䞀無二の目的でした。事実、12名のコロナ陜性者を芋぀け、院内持ち蟌みを「阻止」したした。
    しかし、発熱倖来を始めおすぐ気づきたした。
    院内持ち蟌み阻止のための発熱倖来は、病院䞭心の考え方であっお、患者䞭心ではない、ずいうこずを。
    PCR陰性だった堎合、「ならば発熱の原因は䜕なのか」ずいう疑問が患者に生じたす。医療者は「コロナでないなら単なる颚邪でしょう」ず蚀っおしたいたす。しかし「颚邪」以倖が決しお少なくないのです。もっず早くに蚺断すべきだった䟋も倚いのです。
    PCR陰性ず分かっおも発熱が続く患者は通垞の倖来に来おもらいたす。扁桃の腫倧・発赀・膿苔からA矀溶連菌感染症を疑い、抗原怜査で陜性ずなれば盎ちにペニシリン系の抗菌薬を10日分凊方したす。PCRの結果を埗るたでの2日間圓院のPCRは倖泚のため2日埌の朝に結果刀明ず、来院を促しおから実際の蚺療に至るたでの1日間、合わせお3日遅れの蚺断ず治療開始です。A矀溶連菌感染症は、心臓や腎臓に埌遺症を残すこずがありたす。3日も遅れるずいうのはビフォヌコロナでは蚱されなかったはずです。
    PCR陰性か぀発熱持続のために再蚺ずなった70数名を調べたした。倧倚数の玄50名は原因䞍明、すなわち、通垞の颚邪だったのかもしれたせん。䞀方で「ずんでもない」病気も少なからずありたした。
    A矀溶連菌感染症4䟋は前述のようにもっず早期に蚺断すべきだった䟋です。A矀溶連菌の抗原怜査で陰性ず出おも、扁桃の所芋や奜䞭球増倚の怜査所芋から现菌性の急性咜頭炎扁桃炎を考えお抗菌薬を投䞎すべきだった䟋も2䟋ありたした。誀嚥性肺炎・尿路感染症各2䟋は、もう数日早く治療を開始すべきだったず思われたす。急性髄膜炎のように、盎ちに入院させお治療を開始しなければならなかった䟋もありたした。肝膿瘍や倧腞憩宀炎など凊眮や手術を考慮すべき疟患も耇数ありたした。ANCA関連血管炎、特発性門脈血栓症など皀な疟患もありたした。こうした䟋は、PCRのために3日以䞊蚺療開始が遅れたのです。
    こうした苊い経隓を螏たえ、コロナか吊かだけに終始する発熱倖来であっおはならない、ず思うようになりたした。「䜕ずしおも早期に蚺断しおやるぞ」ずいう気抂が生たれたした。初蚺時に、怪しければドラむブスルヌではなく蚺察をしよう、喉ものぞいおみよう、採血もしおみよう。必芁ならCTもしよう。そう埐々に倉わっおいきたした。
    もしこの患者がコロナ陜性だったらず思い぀぀、マスクを䞋ろさせ、息を止めお喉の奥を玠早く芳察する。そのコツを掎むのもプロの技なのかもしれたせん。生掻環境などの問蚺からコロナ以倖を考えたほうがよいず思えば、䞀定の怜査を初蚺時に実斜するようにしたした。最近は、デヌタを集める意味もあり、むンフル゚ンザ抗原怜査も䜵せお行うようにしおいたす。
    PCRの刀定前に喉を芋た患者十数人のうち䜕人かはその埌、コロナ陜性ず分かりたした。幞い、私や傍に仕えた看護垫に新型コロナの感染は発生しおいたせん。
    発熱倖来は片手間にするものではありたせん。
    それなりの理性ず芚悟が求められたす。 [目次に戻る]

    #254 2020/10/23 茚城がんフォヌラム2020〜向井亜玀さんの講挔〜

    11月1日から日間、茚城がんフォヌラム2020が公開されたす9/27のブログ参照。
    第1郚の私の講挔は10月4日にビデオ収録され、その動画を先日レビュヌしたした。玠人の悲しさで自分の講挔の出来はいたひず぀でしたが、やり盎しが効かないためこのたた攟映ずなりたす。
    第郚は向井亜玀さんのお話です。私自身は収録の堎におらず、昚日、茚城県庁のご配慮で事前に向井さんの講挔ビデオを芖聎させおもらいたした。原皿もスラむドもなしの玄1時間の講挔でした。
    ご出身は今のさいたた垂指扇。お父様は耳錻咜喉科を開業されおいたずのこず。たた、ご自身、生物蟲芞孊科に圚籍されおいたずのこず。がんや感染症に぀いお確かな知識をお持ちでした。
    講挔内容は「玠晎らしい」の䞀蚀に尜きたす。
    がんを䜓隓されたずいうだけでなく、その䜓隓を自分のため、呚りのため、あずに続く人たちのため、熱いメッセヌゞを送っおくださっおいたす。
    圌女の蚀葉をメモしたした。
    「36歳のずき赀ちゃんができた。゚コヌで子宮の䞭に䞞い袋が写っおいた。赀ちゃんは芋えない。お医者さんから『膜の䞭に赀ちゃんがいるのですよ、亜玀ちゃんはお母さんになりたした。未来を䜜っおください』。そう蚀われた盎埌に子宮頞がんが芋぀かった」。
    「子宮頞郚をレヌザヌで取ったけど取りきれなかった。赀ちゃんの入っおいるずころを残しおギリギリで切り取っおも取りきれなかった」。
    「鬱う぀になった」、「お腹の䞭がカビだらけになった」、「腎臓を取るこずになった」、「人工血管を入れた」、「S状結腞がんを患った」、「手術は18回受けた」。
    向井亜玀さんはそれでも、垌望を芋぀けおいきたした。
    「衚面の1mmのシミではなく、頑匵っおいる自分の内偎が愛おしい」、「やりたいこずをノヌトに曞こう」、「自分のスクリヌンに倧奜きな人を写す。぀らいずき、倧奜きなむメヌゞを浮かべる。そうすれば倧䞈倫」。最埌は涙を流されたした。
    医垫がどんなに頑匵っおもこうした蚀葉には敵いたせん。
    向井亜玀さんの講挔は、著䜜暩の関係で残念ながら申蟌者以倖は芖聎できたせん。向井さんによれば、コロナの圱響で今幎の講挔はすべおキャンセルになっおいお、唯䞀、茚城県が招いおくれたずのこず。コロナがおさたれば講挔掻動を再開されるず思いたす。今回芖聎できないかたは、ぜひ機䌚をずらえお向井亜玀さんのお話を聞いおみおください。

    远䌞
    茚城県の蚈らいで「茚城がんフォヌラム2020」ぞの参加申蟌*の締め切りが圓初の10月20日から10月30日昌12:00に延長されたした。関心のあるかたはぜひ応募ください。
    *https://s-kantan.jp/pref-ibaraki-u/offer/userLoginDispNon.action?tempSeq=15902&accessFrom=
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    #255 2020/10/26 さいたた囜際芞術祭2020

    さいたた垂の囜際芞術祭は、2020/8/3のブログでお䌝えしたしたように、春の予定が延期されおいたした。
    10/17開幕したした。予玄制でかなり混んでおり、1週間埌にようやくチケットメむンサむト旧倧宮区圹所がずれたした。䞀昚日倕方、鑑賞しおきたした。
    珟代矎術・芞術の評䟡はなかなか難しいずころです。
    䞀緒に出かけた家内はたいぞん厳しい意芋でした。
    党囜で珟代矎術の祭兞がビ゚ンナヌレ2幎ごず、トリ゚ンナヌレ3幎ごずなどずしお開かれおいたす。昚幎、あいちトリ゚ンナヌレ2019「衚珟の䞍自由展」は政治に螏み蟌んだずしお芞術の厳しい䞀面が明らかずなりたした。芞術の本来的な意味が問われたず蚀っおもよいず思いたす。
    さいたた囜際芞術祭は2016幎たで「さいたたトリ゚ンナヌレ」だったそうです。私は昚幎匕っ越しおきたしたので、前回たでの芞術祭は知りたせん。
    私自身、珟代矎術の祭兞を倚く芋おきたわけではありたせんが、クリストの䜜品で目芚め2020/6/3のブログ参照、2016幎秋の「茚城県北芞術祭」で地方の芞術祭に関心を持぀ようになりたした。2018幎秋には新期垂の「氎ず土の芞術祭」に参加したした。同じ新期では越埌劻有地域十日町垂、接南町のトリ゚ンナヌレ「倧地の芞術祭 越埌劻有アヌト」が有名です。芪戚に珟代矎術の実践者がおり、その䜜品鑑賞に富山たで出かけたこずは2019/11/8のブログに曞きたした。こうした自䜓隓を螏たえ、さいたた囜際芞術祭2020を私なりに評䟡したした。いずれ倚くの人から最終的な評䟡が出おくるず思いたす。

    芞術ず医孊ずの比范は䞍適切ずの指摘は十分芚悟のうえで蚀いたすず、私は医孊研究ず同様の評䟡基準を芞術にも持っおいたす。
    第䞀はオリゞナリティ。芋たこずも聞いたこずもない創造性です。時代を超越した衝撃性ず蚀っおもよいかもしれたせん。䞀方、仮に「あり埗る芞術」ずみた堎合はその努力性です。どれほどの時間ず劎力を芁したか、は䞀぀の評䟡点です。䞉番目の芖点は「今」を問う珟圚性です。二番目の努力性も䞉番目の珟圚性も、結局は䞀番目の時代を超越した衝撃性に通じるずいう䞍思議な関係がありたす。
    䞊蚘の私的な評䟡基準をもずに遞ばせおいただくず、今回のさいたた囜際芞術祭メむンサむトの䞀抌しは篠田倪郎氏の「ニセンニゞュりネンyear twenty twenty」です。撮圱しおもよいずのこずで砂山をコンパクトカメラに収めたした写真。
    えっ、䜕がよいの
    现かな砂が絶えず降り萜ち、砂山を圢成しおいたす。
    えっ、この先はどうなるの
    䌚堎は廃舎ずなった旧区圹所。床は剥がれ、断線したケヌブルが散乱しおいたす。その郚屋に降りしきる砂。いずれこの空間は砂で埋め尜くされるはずです。2020幎の先、行く末が芋えお来ないでしょうか。
    創造性・努力性・珟圚性の3぀が揃った䜜品だず読みたした。
    動画*も参考になるかもしれたせん。
    *https://www.youtube.com/watch?v=fws6OgCcmDg
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    #256 2020/10/28 茚城県北芞術祭 Kenpoku Art 2016

    今幎8/3のブログで「前任地の茚城では街角アヌトが盛んでした」ず述べたした。それを決定的にしたのが2016幎秋に開かれた茚城県北芞術祭 Kenpoku Art 2016です。
    海ず山に恵たれた茚城の自然を生かした芞術祭でした。
    䌚堎ず䌚堎ずの間が10kmを越えるこずもありたした。週末を利甚しおの鑑賞でした。土・日で芋られるのは倚くお5-6䜜品、ずきに1日がかりで2䜜品だけずいうこずもありたした。したがっお党おを芋るこずはできたせんでした。それでも満足したした。
    車で巡りたしたのでドラむブを楜しむこずができたした。穏やかな秋の倩気に恵たれたした。快適な小旅行を毎週楜しんでいたした。
    雚に降られたこずもありたす。雚に濡れた䜜品を芳るのも別の味わいがありたした。
    印象に残った䜜品を2぀玹介したす。

    1぀は、倧子町の旧浅川枩泉の地に蚭眮された足湯です。山の颚景に囲たれお盎埄10mの皿圢の足湯が出珟したした。䜜者は建築家の効島和䞖氏です。圌女自身が語る䜜品解説のビデオ*がありたすのでご芧ください。* http://kenpoku-art.blog.jp/archives/7761286.html

    もう1぀は、垞陞倧宮垂の旧家和楜やわら青少幎の家の䜓育通に展瀺された砂の䞖界です。䜜者はザドック・ベンデノィッド氏。「ブラックフィヌルド」ず名付けられた䜜品は、オヌストラリアから取り寄せた现かな砂の䞊に2侇6千個のオブゞェが眮かれおいたした。正面から入るずオブゞェは黒で塗られおいたすが、裏に回るず鮮やかな色圩に倉わりたす。これもビデオ**でみるず雰囲気が分かりたす。
    ** http://kenpoku-art.blog.jp/archives/8015274.html

    今回のさいたた囜際芞術祭2020にも足湯がありたす。前回玹介したしたように砂の䜜品もありたす。でも、茚城県北芞術祭2016は足湯も砂も自然に溶け蟌んでいるのが特城でした。
    今ずなっおは懐かしい思い出です。
    茚城県北芞術祭は、本来トリ゚ンナヌレずしお2019幎に第2回が開かれるこずになっおいたした。残念ながら䞭止ずなりたした。その理由は・・・。
    䟋の芞術ず〇〇の問題が関係しおいたした。
    私が茚城を離れる小さなきっかけでもありたした。
    しかし、䜏めば郜。埌玉にもよいずころがたくさんありたす。さいたた囜際芞術祭2020に賭けた私の期埅もお分かりいただけるず思いたす。 [目次に戻る]

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    #257 2020/10/28 レアンドロ・゚ルリッヒ氏の䜜品

    レアンドロ・゚ルリッヒ氏はアルれンチンの珟代芞術家です。錯芚を利甚した䜜品で有名です。
    金沢21䞖玀矎術通で「スむミング・プヌル」を初めお芋たずき、「やられた」ず思いたした。そのずきは工事の関係でプヌルの底に入るこずができず、䞊から眺めるだけでした。それでも奇抜さず芞術性の高さに感嘆したした。
    数ヶ月埌、プヌルの底に入るためもう䞀床金沢を蚪れたした。
    そのずきの感想は意倖なほど淡癜でした。仕掛けが分かっおいたからかもしれたせん。䞋からの眺めは、䞊からの眺めには及ばないず分かったからかもしれたせん。もちろん、プヌルの底に人がいないずこの䜜品の楜しさは珟れおきたせん。

    この䜓隓からたもなく、東京・六本朚の森矎術通で「レアンドロ・゚ルリッヒ展」が開かれたした。さっそく出かけたした。
    日本初公開の䜜品が倚数展瀺されおいたした。
    海倖で倧きな話題ずなった「建物」もありたした。
    寝転んだ姿を巚倧な鏡に写すず、建物の壁にぶら䞋がったり、宙づりになったように芋えるのです。芳客が䞀緒になっお䜜品を䜜り䞊げる点では「スむミング・プヌル」ず同じです。

    芳客に芋せるだけでなく、芳客が䜜品の䞀郚になる。そしお新たな発芋を楜しむ。この発想は自分の仕事にも生かしたい、ず思いたした。 [目次に戻る]

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    #258 2020/10/30 藀原隆掋氏の䜜品

    昚幎11/8のブログで芪戚の矎術家の䜜品を玹介したした。「芪戚を玹介するのは公私混同」ずの誹りは免れたせんが、正真正銘の本物がたたたた芪戚だったずお考えいただきお蚱しください。
    前回のブログでこう曞きたした。
    「In the Darkness」は期埅以䞊でした。䞭略暗闇の䞭のわずかな光に浮かび䞊がる幜玄の䞖界。人の動きなのか、蚈算された埮颚なのか、1䞇本の现い糞が埮劙に揺れたす。数mmの振れ幅です。糞の途䞭には现かな现工が斜され、䞋から芋䞊げるず無数の星が闇に挂いたす。説明によれば、䜜家が初めおこの矎術通に足を螏み入れたずきにひらめいた䜜品ずのこず。したがっお、この矎術通のためだけの䜜品だずいうこずになりたす。

    この矎術通ずは、富山県入善町の発電所矎術通図1。氎力発電所ずしおの圹目を終えた斜蚭を矎術通にしおいたす。黒郚山塊の氎が激しく流れ萜ちおいた導管は静たり返り、呚りは雑草で芆われおいたした。その導管の巚倧な切り口は展瀺宀の壁の空掞ずなっおいたした。そこに「Somewhere」、すなわち「In the Darkness」ず「Under the Surface」が蚭眮されおいたした。
    ブログでは私の拙い写真をお芋せしたした。実物はこんなものではない、ずいう思いから文章による玹介をしたした。
    カタログの写真も良かったのですが図2巊 In the Darkness・右 Under the Surface、この䜜品の良さを瀺すのは動画だず思いたした。
    䜜家から先日、ビデオ*が送られおきたした。静止画では衚珟できなかった现郚、雰囲気が動画で再珟されおいたした。蚀葉で䌝えられなかった䞖界が衚珟されおいたす。
    *https://www.youtube.com/watch?v=9BjVO7HYIbE

    前回のブログでは「Under the Surface」には觊れたせんでした。この動画でぜひご芧ください。
    昚日、レアンドロ・゚ルリッヒ氏の「スむミンブ・プヌル」を玹介したした。実際にブヌルの底に入ったずきの感想は「淡癜」だったず述べたした。「䞋からの眺めは、䞊からの眺めには及ばない」ずも述べたした。
    しかし、藀原隆掋氏の「Under the Surface」は䞋からの眺めの超越性を衚珟しおいたす。心静かに芋䞊げるず、心の底に觊れるひずずきが生たれたす。発電所矎術通の展瀺は今幎の春に終了したした。
    䜜品はその埌どうなったのでしょうか。
    䜜者に尋ねたずころ、「すべお凊分した」ずのこずでした。
    「あの空間に合わせお制䜜したので、たずえ糞をきれいに保管できたずしおも、他の空間で流甚するこずはない」。
    「矎」ずはこういうものなのでしょう。 [目次に戻る]

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    #259 2020/11/2 ハッピヌ・ハロりィン

    先週末はハロりィンでした。「Trick or treat !」は知識ずしお知っおいおも、時代が違っおいたした。ハロりィンが珟実になるこずは䞀床もありたせんでした。アメリカのお祭りですので、ペヌロッパ志向の私はどうしおも冷やかにみおいたした。枋谷がなぜあれほど隒ぐのか。理解できたせんでした。
    今幎はコロナ犍で昚幎たでの喧隒はないずのこず。あたりきしゃりきのこんこんちき、䜕がめでたかったのか。

    しかし、です。
    先週の初め、私の患者さんからハッピヌ・ハロりィンのカヌドをいただきたした。
    私がモチヌフになっおいたす。私にだけでなく、看護垫にも同様の絵を莈っおいるずのこず。入院䞭にスマヌトフォンで䜜成したずのこず。それを聞いお、ありがたく自分ぞのカヌドを頂戎するこずにしたした。
    ハロりィン圓日の土曜日。倕方5時過ぎ、さいたた垂の東で花火が盛倧に䞊がっおいたした。浊和矎園みそのの花火倧䌚だったようです。
    その瞬間正確に蚀えばその日の午埌から、病院は緊急察応に远われおいたした。察応に圓たった病院の職員、県の担圓者、救急隊員、盞手病院の方々の芋事な仕事ぶりを目の圓たりにしたした。
    倜8時に垰宅し、ようやく私的な祝宎を開きたした。患者さんの快癒を願っお、医療者の劎をねぎらっお、ハッピヌ・ハロりィンず唱えたした。
    矎園花火はYouTubeにアップされおいたす*。写真はそのYouTubeから拝借したした。動画でお楜しみください。
    * https://www.youtube.com/watch?v=HAbidqJRKPo
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    #260 2020/11/4 障害の受容

    日本リハビリテヌション医孊䌚の和文誌「リハビリテヌション医孊」2020幎10月号は「障害受容」を特集しおいたした。
    リハビリテヌション初孊者の私は「障害受容」ずいう蚀葉を聞くこずがありたせんでした。
    特集の巻頭蚀によれば「最近、障害受容ずいう甚語を目にするこずが少なくなりたした」。同特集の䞭で田島明子氏は20幎以䞊前のこずずしお次の゚ピ゜ヌドを玹介しおいたす。
    「あるずき䌚議の䞭で『〇〇さんは障害受容ができおおらず、䞀般就劎にこだわっおいる』ずいう発蚀があり、呚囲も『それは困りたしたね』ず玍埗しおいた。『〇〇さんは、障害があるのに䞀般就劎をしたいず思っおおり、あきらめが悪い』ずいうニュアンスに聞こえた筆者は違和感を芚えた。『障害受容』ずいう蚀葉を䜿い、自分たちの支揎の限界を正圓化しおいるように感じたからである。」

    田島氏は「障害受容」ずいう蚀葉に぀いお最近の䜿甚状況を調べたした2019幎12月〜2020幎2月。13名の䜜業療法士勀務幎数1-19幎、平均9.3幎ぞの調査では「党員が䜿甚しおいない」ずのこずでした。ただし4人は孊生時代や若い頃に䜿っおいたずのこず。それがなぜ䜿わなくなったかの理由を聞くず、「疑問に思うようになった」、「本圓の気持を考えおいないずいう気づきがあった」、「この蚀葉が本圓によいのかずいう議論があった」等の答があったそうです。

    リハビリテヌション医孊の倧埡所・䞊田 敏さずし氏は同特集ぞの特別寄皿「『障害の受容』再論誀解を解き、将来を考える」で、こうした䜿い方悩む患者を前にしお「『障害の受容』ができおいない」ず、受容しないのは患者が悪いかのように非難する態床は抂念の誀甚・悪甚であるず断じおいたす。「障害の受容」は、1980幎の自身の論文を匕甚しお次のように定矩しおいたす。
    「障害の受容ずはあきらめでもなく居盎りでもなく、障害に察する䟡倀芳感の転換であり障害をも぀こずが自己の党䜓ずしおの人間的䟡倀を䜎䞋させるものではないこずの認識ず䜓埗を通じお、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生掻態床に転ずるこずである」。

    特集を䌁画した先厎せんざき章氏は副題―本特集䌁画に蟌めた思いも含めお―の論蚌の最埌に「䞊田が指摘するように、障害受容の抂念を保持し、あるいは抂念を明らかにしようず努力し、臚床や教育の堎で普及、あるいは掗緎されたものにするこずを続ける努力ず、議論する堎ず機䌚、そしお埌進の育成が必芁である」ず結んでいたす。

    私なりに解釈すれば、「障害受容」はネガティブではなくポゞティブに志向するのが本来の意味だずいうこずだず思いたす。私は「足し算の考え方」を勧めたこずがありたす2020/7/1ブログ。これに通じるず思いたした。
    このように「障害の受容」があらためお芋盎されようずしおいたす。しかし、珟圚この蚀葉に抵抗があるのは、田島氏の調査をみおも明らかです。
    䞀方では、「障害受容の埡甚・悪甚」ずされるのず同じ考え方が実は、「意欲がない」・「病識がない」ずいう蚀葉で今も䜿われおいるず、同特集の倚くの論者が指摘しおいたす。
    確かに、「意欲䜎䞋」・「病識䜎䞋」のネガティブな䜿い方なら私もよく聞きたす。
    なお、本特集の䞭で、蚀語聎芚士STの関 啓子氏が自身の心房现動・脳塞栓症・片麻痺・倱語症・高次脳機胜障害を語っおいたす。自身が専門的に研究しおきた病態を自身が患った䜓隓談です。機䌚があればぜひ読んでください。ずくに医療関係者ぞの指摘は䞀読に倀したす。医垫・看護垫・臚床怜査技垫・リハビリテヌションセラピスト・ケアワヌカヌそれぞれに、ずきに厳しく、ずきに優しく語りかけおいたす。
    セラピストには次の4぀を願っおいたす。
    ① 患者の目暙を䞁寧に聞き取る。
    ② 楜しくリハビリテヌションに励む。
    ③ 思い蟌みによる刀断で決め぀けない。
    ④ 成功時には耒める。
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    #261 2020/11/6 秋の庭

    2007幎春に宇郜宮を離れるたで、西ドむツ留孊時代を陀き、私は庭付きの家にずっず䜏んでいたした。匕越しを重ねおも庭付きの家でした。
    庭のない家など考えられない。本気でそう思っおいたした。
    氎戞に匕っ越しおからマンション暮らしになりたした。今のさいたた垂もマンションです。草取りがなくなっお楜だ。これは本音です。
    それでも秋になるず手䜜りの庭が恋しくなりたす。
    最埌の庭ずなった宇郜宮の家では、庭づくりに力を入れたした。

    小さな庭ながら様々な朚を怍えたした。四季を通しお花の楜しめる朚を遞びたした。残念ながら陜圓たりがよくありたせんでした。日陰に匷い花朚を集めたした。アシビ、サツキ、ヒメシャラ、ムクゲ、サザンカ、ツバキ。花は咲かなくおも玅葉の映える朚を、少しでも陜の射す所に怍えたした。ニシキギ、メグスリノキ、むタダモミゞなどです。赀い実の矎しいりメモドキは門の脇に怍えたした。䞋草には日陰に育぀タマリュり、ヘデラ、ハツナキカズラ、ツワブキ、センリョり、トクサを䜿いたした。
    シンボルツリヌは、ケダキずしたした。怍朚屋は「こんな小さな庭にケダキなどずんでもない」ず怒り出したした。「毎幎クレヌンで枝払いをしお盆栜仕立おにすればよい」ず䞻匵し、怍朚屋の玍埗をもらいたした。実際、幎2回、クレヌンで枝を切っおもらいたした。怍朚屋に払うお金に家内は毎回怒っおいたした。
    2段の棚を䜜り盆栜を䞊べたした。藀棚を立お、達磚藀に花を咲かせたした。小庭の䞭倮郚分は那智黒の石を敷き詰め、その䞭に真っ癜な人工アンモナむトの扁平石を眮きたした。庭の隅には、鳥のための逌台、氎济びを眮きたした。レンガを積んで小さな野倖暖炉を䜜りたした。
    1畳ほどのりッドデッキを居間の倖に蚭眮し、電動のオヌニングで雚陀けずしたした。倜になるず庭のラむトアップを楜しみ、雚でもりッドデッキから野倖暖炉の火をじっず眺めるのが奜きでした。
    こうしお出来䞊がった庭を2003幎の秋、ビデオに撮りDVDに1枚だけ焌きたした。ゞャケットずブックレットを手䜜り印刷しおケヌスに付けたした。それが「秋の庭 An Autumn Garden」です。
    動画は玠人の撮圱ですし、圓時のアプリずビデオカメラの性胜からすれば、線集も解像床もこれが粟䞀杯でした。今ずなっおはお恥ずかしい限りです。YouTubeにアップロヌドするず画質はさらに萜ちおしたいたした。それでもよろしければ埡笑芧ください*。
    *https://youtu.be/SyOaRX8K2Js

    やがお宇郜宮に別れを告げたした。
    氎戞に匕っ越すずき、ケダキは根元から䌐採したした。手入れができなければ近所迷惑になるのです。藀棚も撀去。達磚藀に手を合わせ、成仏を祈りたした。倧きくなるホりノキもバッサリ切りたした。氎の流れも埋めたした。ラむトアップも片付けたした。野倖暖炉は、最埌に壊したした。
    荒涌ずした庭に倉わり果おたした。
    それたでの自分に決別する意味がありたした。悔いはありたせんでした。
    今たた秋。酒を飲みながら埀時のビデオで独り懐かしんでいたす。 [目次に戻る]

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    #262 2020/11/9 角川歊蔵野ミュヌゞアム

    東所沢に巚倧な岩ロックのミュヌゞアムが11/6オヌプンしたした。蚭蚈は隈 研吟くた けんご氏、通長は束岡正剛た぀おか せいごう氏です。
    テレビニュヌスを芋おすぐ蚪ねたくなりたした。しかし日曜日しか時間がありたせん。オヌプン3日目の11/8日に行くこずにしたした。コロナ察策で人数制限され、チケットは予玄制です。党通通しの刞は完売、人気のある階や特別展も空きがありたせんでした。入手できたのはマンガ・ラノベ図曞通の午埌2-4時の入堎刞でした。
    挫画やラむトノベルラノベなど滅倚に読みたせん。それでも、時代に぀いお行こうずする気持ちず、䞭を芗いお芋たい奜奇心でネット賌入したした。
    圓日朝、病院に呌び出され、ドタキャンを芚悟したしたが、無事凊眮が終わり、家内ず出かけるこずができたした。
    自宅から西ぞ18km、色づいたケダキ䞊朚の浊所うらずこ街道を車で走るこず40分。倧勢の人が詰め掛けおいたした。ミュヌゞアムの倖芳は確かに異様でした。曲線のない無骚な石の塊のように芋える䞀方で、繊现さを䌎う「䞍均䞀な均衡」を感じたした。
    内郚は、斬新なオブゞェ・展瀺で溢れおいたした。フラッシュや䞉脚を䜿わなければ撮圱は自由、営利目的でなければ掲茉も自由ずのこずでした。
    マンガ・ラノベ図曞通では子䟛や若い人が怅子に座っお熱心に読んでいたした。私のような高霢者はいたせん。本棚に䞊ぶカラフルな本は、背衚玙のタむトルをみおもあたり食指が動きたせん。
    ふず思い立ち、受付の女性に聞いおみたした。
    「医垫を䞻人公にしたラむトノベルはありたすか」
    挫画「ブラック・ゞャック」が念頭にありたした。今、医療ドラマはたくさんありたす。ラむトノベルもそれなりにあるのだろうず思いたした。ざっず芋た限りでは本棚にそれらしいものを芋぀けるこずはできたせんでした。
    受付の女性はコンピュヌタで怜玢しおくれたしたがなかなか芋぀かりたせん。10分ほどしお、「぀ありたした」ず蚀っおメモをくれたした。
    「宮廷医の嚘 e-3-18」。
    「e-3-18」は1぀䞊の階にある本棚の番号ずのこず。
    階段を昇っお探すず、ありたした。
    鮮やかなむラストが衚玙を食っおいる文庫本でした。著者は冬銬 倫ずうた りん。発行は2020幎4月25日。曞き䞋ろしずのこず。垯には「黒衣をたずう、その闇医者はどんな病も治すずいう――。凄腕の闇医者 X 宮廷医の嚘 䞭華医療譚 開幕」などずありたす。フリガナのない玹介文でした。
    本文を読むず、科挙の詊隓が出おきたす。西掋医孊の最新技術に觊れおいたすので時代は枅代か。異民族䟵入の脅嚁ずあるのであるいは明代か。読者局は高校生か、などず思い぀぀ペヌゞをめくっおいくず10数分で30ペヌゞ以䞊読み進んでいたした。実に読みやすい、ドラマのセリフを聞くように読める、だからラむトノベルか、ずいうこずはドラマ化か。
    家内にせっ぀かれ垰宅の時間ずなりたした。残りはアマゟンに泚文しお読むこずずしたした。

    歊蔵野ミュヌゞアムのある東所沢は以前、䞀面の畑ず雑朚林でした。歊蔵野線が開通し、東所沢駅ができおから䜏宅地が広がったようです。そこにモダンで重厚な建物ず新たな「サクラタりン」ができたずいうわけです。
    その新しい街づくりに぀いお、気になったこずを挙げたす。
    駐車堎が少ないため、遠いずころに車を止めざるを埗たせんでした。駐車堎から歩いおミュヌゞアムに向かう道路は狭く、車の通行量は倚いのに歩道が敎備されおいたせん。ミュヌゞアムの裏の小川はドブず化し、異臭が立ち蟌めおいたした。ようやくたどり着くず、階段が巚倧な壁のように立ちはだかっおいたした。膝の悪い家内のために゚レベヌタの䜍眮を聞くずすでに遠く通り過ぎおいたした。ミュヌゞアムそのものには地䞊階1階から䜿える゚レベヌタがないのです。障害者には䞍芪切だず感じたした。偶然かもしれたせんが、矎術通でよくみかける車怅子の芋孊者はいたせんでした。
    ホヌムペヌゞにご意芋欄がありたしたので、䞊蚘の点を指摘し圓日のうちに投皿したした。もちろん、最初に感動の蚀葉を添えたした。
    返事は翌日倜に届きたした。私の指摘内容にほが即しお回答しおあり、「お寄せいただいたご意芋ご感想をふたえたしお、お客様に安心しおご利甚いただけるよう怜蚎しお参りたす」ず超䞁寧に結ばれおいたした。 [目次に戻る]

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    #263 2020/11/11 ミチクサ先生ず倪陜の門

    昚日11/10は様々な出来事がありたした。
    倖来や入院の患者さん達に起こったこずは重芁であっおも詳しくは曞けたせん。臚床の䞍可思議をいろいろ䜓隓し、勉匷になりたした。
    午埌、埌玉県難病医療連絡協議䌚のWEB講挔䌚「難病の灜害察策〜珟状ず課題」を聎講したした。埌半はカンファレンスのため䞭座したしたが、前半だけでも聞き応えがありたした。ずくに保健垫による「ALS患者の灜害時個別支揎蚈画の䜜成事䟋」の発衚は、倚くのこずを孊ばせおいただきたした。京郜のALSの女性2020/7/31ブログにもこうした個別支揎蚈画があったのだろうか。考え蟌んでしたいたした。
    短時間の残業を枈たせ、車で氎戞に向かいたした。倜の䌚合に参加するためです。その道䞭、昚幎春に圓院を倒産に远い蟌んだ前理事長䞀掟の銖謀者が逮捕されたずいうニュヌスが流れたした。振り返れば、倚くの犠牲が払われたした2019/4/25ブログ。それでも今の病院は誠心誠意、医療に尜くしおいたす。それが救いです。
    道䞭のもう1぀のビッグニュヌスは、ファむザヌの新型コロナワクチンが90%の有効性を瀺したずいうものです。専門家は「䞭間報告にすぎない」、「長期にみないず真の有効性・有害事象は䞍明」ず慎重でした。期埅されたすが、冷静に芋守るべきなのでしょう。
    氎戞では、医療の本質に迫る熱い議論を聞きたした。医療の原点はこうあるべきだずいう圓たり前だが圓たり前ではない匷いメッセヌゞを聞きたした。倜は久しぶりにホテルに泊たりたした。
    メヌルをチェックし、新聞に目を通したした。
    日本経枈新聞朝刊の新聞小説「倪陜の門」が最終回でした。翌日からは「ミチクサ先生」が再開されるずいうのです。この䌊集院静氏の連茉小説は文豪の人間臭さを描いおいたした。それが今幎2月20日に突然、連茉䌑止ずなりたした2020/7/30ブログ。䜜者がクモ膜䞋出血を患ったためだったずあずから知りたした。病状の詳しいこずは分かりたせん。連茉再開は䜜者の健康回埩を意味したす。䜕よりも物語の続きが読めたす。嬉しいこずです。
    それにしおも、「ミチクサ先生」䌑茉の翌日からスペむン内戊を描いた「倪陜の門」は䜕ずいうタむミングなのでしょうか。䌊集院氏の病気は突然だったはずです。䌊集院氏の原皿が䜕回分か曞き留めおあったにせよ、壮倧な物語を「ピンチヒッタヌ」ずしお曞き始め、そしお䌊集院氏の回埩を芋定めたうえで筆を眮く。これを曞いた赀神 諒あかがみ りょうずは䜕者か。りィキペディアによれば、珟圚48歳、「日本の小説家、匁護士。䞊智倧孊法科倧孊院教授。法孊博士」。戊囜時代の歎史小説で売り出したようです。それがスペむン内戊の激しい銃撃戊を描き、男女の悲劇を芋せおくれたのです。でも、数えきれないほどの人間が殺される描写は奜きではありたせん。愛すべき女性や青幎が銃匟に倒れ、リックだけが生き残る筋曞きはもう少し䜕ずかならなかったのか。自分ならどう物語を展開しただろうか。ゲルダをあんなに唐突には殺させない。ブランカもあそこでは死なせない。う〜ん、それだず単なるラブストヌリヌか。ならばもう少し長くしおもよかったのではないか。期間限定だったのか。ずりずめのないこずを考えながら眠りに぀きたした。 [目次に戻る]

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    #264 2020/11/18 ダマノススメ

    先日、テレビの旅番組で埌玉県飯胜垂を特集しおいたした。「ダマノススメ」ずいうアニメがヒットし、ハむキングの町ずしお飯胜が泚目されおいるずいうルポでした。私はこのアニメのこずを党く知りたせんでした。りィキペディアによるず、コミック原䜜しろ、監督山本祐介。䞻人公の女子高校生は飯胜垂東町に䜏み、聖望孊園に通っおいるずのこず。倩芧山で登山に目芚め、党囜の山を目指すようになった、ずいうストヌリヌのようです。
    私は飯胜の生たれ、育ちです。倩芧山は小孊校の裏山でした。聖望孊園は実家から1km以内に圓時もありたした。
    時代が党然違いたす。アニメの乙女たちず䞀緒にできるはずもありたせん。しかし「ダマノススメ」の話は私自身の人生を投圱しおいたす。もし飯胜に生たれおいなかったら、良き垫に巡り合わなかったら、人生はかなり倉わっおいたように思いたす。その話をさせおください。

    䜓育や理科の授業でよく倩芧山を歩いおいたした。足を䌞ばしお右手の進久しんきゅう山別名、氎道山、奥の倚峯䞻ずうのす山にも登っおいたした。マラ゜ンは山を走っおいたした。
    小孊3幎から6幎たで担任だった山川誠䞀先生2020/1/7ブログは野倖授業が倧奜きでした。飯胜垂内にずどたらず、奥倚摩の日原にっぱら鍟乳掞ぞの遠足、青梅垂に近い阿須あず䞘陵の䞃囜峠ぞの芳察旅行などを䌁画しおくださいたした。6幎生のずきには卒業蚘念登山ずしお有志を募り、暙高969mの棒ノ嶺がうのみね別名、棒ノ折山 [がうのおれやた] を案内しおくださいたした。
    小孊校を卒業するず私は郜内の䞭孊校に移りたした。山を䜙り知らない郜䌚の同玚生に倩芧山や倚峯䞻山を案内しお埗意になっおいたした2020/4/23ブログ。
    äž­å­Š2幎からは郜内に䞋宿したした。土曜日には実家に戻り、日曜日になるず裏山を歩くこずが倚くなりたした。特に高校生になっおからはその回数が増え、長距離の山歩きになっおいきたした。
    奜きなコヌスは、実家地図*右䞋の赀䞞から1km䜙り北に向かっお䞘陵地垯に入り、宮沢湖の西の端を抜けお高麗峠ぞ、そこから䞋るず高麗川の巟着田に達したす。高麗川を枡っおさらに北に行くず日和田山、物芋山の登山口ぞず続きたす。その先は山をたた䞋り宿谷の滝を経お鎌北湖たで歩きたす。そこからバスに乗っお高麗川駅で䞋車、八高線で東飯胜駅たで戻りたす。元気が残っおいるず同じ道を逆方向に歩き自宅に戻りたす。物芋山から北西の方向に尟根䌝いを歩くず顔振こうぶり峠に行くこずができたす。顔振峠から山を䞋り、吟野駅たで歩いおから電車で飯胜に戻っおきたす。
    *ダマケむオンラむンから合成https://www.yamakei-online.com/yk_map/index.php?latlon=35.90370344547502,139.2944097518921&zoom=14

    圓時はハむキングずいうむメヌゞはありたせんでした。登山でもありたせん。単に山歩きでした。山の䞭で人に䌚うこずは滅倚にありたせん。ひたすら歩いおいたした。いろいろな思いで歩いおいたした。新緑が出始める春の山がずくに奜きでした。思春期の思い出ずも重なっおいたした。
    äž­å­Š3幎から高校2幎にかけお生物郚の仲間ず南アルプスに行くようになりたした。広河原を拠点にしお癜根䞉山北岳・間ノ岳・蟲鳥岳を瞊走したり、別の日には反察の尟根の鳳凰䞉山薬垫岳・芳音岳・地蔵岳に登ったりしおいたした。ずくに鳳凰䞉山は登りやすく䜕床も登りたした。花厗岩の倧きな塊ず仏教的な山の名前が印象的でした。
    倧孊に入った幎の倏は、高校時代の友人ず2人で山梚偎から入り、金峰山・囜垫岳・甲歊信岳・雁坂峠・雲取山を経お秩父の䞉峯口たで1週間かけお瞊走したした。これも登山ずいうよりはワンダヌフォヌゲルワンゲルだったず思いたす。
    医垫になっおから山に登るこずはほずんどなくなりたした。車ドラむブに倉わりたした。
    5幎前、県立病院の院長を定幎退職したずき、埌茩の倖科医たちが私たち倫婊に旅行刞を莈っおくれたした。院長職からようやく解攟された喜びもあっお、ありがたく頂戎したした。
    行き先は山梚に決めたした。䞭孊・高校時代に登った鳳凰䞉山を人生の最埌に眺めおおきたいず思ったからです。䜓力的に登るこずは叶いたせん。せめお眺めたいず思いたした。
    鳳凰䞉山が䞀番よく芋える堎所をグヌグルマップで探したした。ベストポゞションは、北杜垂長坂町の県道612号を北東から南西に向かい、釜無川を枡る盎前の右手にある「釜無川橋ポケットパヌク」ずの結論になりたした。
    12月末、埡甚玍めの翌朝、暗いうちに車で出発したした。午前10時前にポケットパヌクに着きたした。快晎でした。甲斐駒ケ岳の神々しい姿は綺麗に芋えたした。残念ながら鳳凰䞉山にだけわずかな雲がかかり山頂が芋えたせんでした。
    蓌科をドラむブしお倕方もう䞀床ポケットパヌクに寄りたした。今床は鳳凰䞉山の党貌がくっきり芋えたした。巊から薬垫岳、芳音岳、地蔵岳。倩空に聳える地蔵岳のオベリスクもはっきり芋えたした。
    その倜は甲府積翠寺枩泉に泊たりたした。人生に悔いなし。思い残すこずなし。埌茩たちに感謝しながら湯に぀かりたした。

    山に目芚めた「ダマノススメ」の乙女たちは、今埌どのような人生を歩むのでしょうか。
    山歩きは健康によい、忍耐を逊う、䞀歩䞀歩の倧切さを孊ぶ、などず蚀われたす。しかし、若い時はそんなこずはどうでもよい。自分がそうであったように、自然の䞭でひたすら自分ず向き合う。それがよいのだず思いたす。 [目次に戻る]

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    実家裏の山歩き
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    #265 2020/11/21 土曜午埌・䌑日の救急

    ある土曜日、倖来業務が終わった盎埌の昌過ぎ、発熱患者が垂倖からわざわざ来院されたした。圓院の発熱倖来は平日に開いおいたすが、土曜も午埌1時たでなら察応は可胜です。新型コロナりむルスPCR怜査の怜䜓を倖泚できるからです。
    コロナ犍では発熱があるず医療機関ぞの受蚺が限られたす。PCR怜査を実斜しお陰性/陜性の結果を早く出したほうが患者にも蚺療偎にもよいはずです。
    その患者は重床の蕁麻疹じんたしんでした。蕁麻疹の専門は皮膚科です。事実、最初にかかったのは皮膚科のクリニックでした。蕁麻疹ず蚺断されお治療を受けたしたが、皮疹は悪くなる䞀方でした。そこで近くの内科医院に行ったずころ、圓院を玹介されたずいうのです。ただし内科医院からの玹介状の宛先は圓院の皮膚科でした。圓院の皮膚科は平日の2日間に限られおいたす。私は皮膚科の専門家ではありたせん。発熱があるため他のクリニックでは蚺おもらえない、土曜なので公立・公的病院の倖来は開いおいない。だから圓院に玹介された・・・。
    正盎「困ったな」ず思いたした。PCR怜査だけでも実斜しおおこうず思い怜䜓を採取したした。問題は病状です。党身の皮膚に膚疹が出珟し、かゆみを匷く蚎えおいたす。しかも顔面が腫れおいたした。
    専門でないずは蚀え、蕁麻疹の症䟋はそれなりに倚く蚺おいたす。䜕よりも私自身が党身の蕁麻疹で数幎に䞀床苊しめられおいたす。眠れぬ倜を過ごしたこずが䜕床もありたす。したがっお蕁麻疹の勉匷はそれなりにしおきたした。蕁麻疹の教科曞を䜕冊も読んできたした。最新の蕁麻疹蚺療ガむドラむンも手元にありたす。ただ、目の前の患者はかなりの重症でした。特に顔面浮腫が非垞に気になりたした。真っ先に心配したのは喉頭浮腫が起きお窒息に至らないか、ずいうこずでした。圓院の非垞勀の圓盎医1人に週明けたで任せおよい病態ではありたせん。
    しかし、土曜日午埌に、喉頭浮腫が懞念される重節感のある蕁麻疹患者を蚺おくれる斜蚭はあるだろうか。こういう時こそ救急センタヌだろうず思いたした。すぐに電話を入れたした。
    圓番の医垫は私の説明を聞くず次のように蚀いたした。
    「䞀応蚺たすけど、どっちみち垰宅になりたす」。
    喉頭浮腫の懞念も䌝えたした。が、やはり「垰宅になりたす」ずきっぱり蚀われたした。
    「では、呌吞が苊しくなったらどうすればよいのですか」。
    思わず聞いおしたいたした。
    「ああ、そうなったら救急車を呌んでください」。
    「・・・。結構です」。電話を切りたした。垰宅させるのなら私でもできたす。
    自分の知識をフルに䜿っお治療薬を凊方したした。
    「もし苊しくなったら救急車を呌んでください」。
    先ほど聞いた蚀葉をおうむ返ししたした。残念な気持ちでした。
    月曜日朝、PCR陰性の結果を䌝えるために患者の携垯を呌びたした。
    皮膚科垞勀医のいる垂倖の総合病院に入院しおいたした。日曜日に苊しくなったため救急車を呌んだずのこず。その病院の担圓医に私からも埡瀌を述べたした。蚺断は蕁麻疹ではありたせんでした。感染症に䌎う䞭毒疹だずいうのです。勉匷䞍足を恥じたした。
    ずもかく結果オヌラむでした。でも「苊しくなったら救急車」は実にキワドむ話です。か぀お埌玉県では自宅療逊䞭の新型コロナ患者は「苊しくなったら救急車」でしたが、その患者のうち2名は間に合わず、亡くなっおいたす。

    別の話です。ある日曜日でした。金曜日のPCRの結果を少しでも早く䌝えるために病院に行きたした。届いおいたファックスは幞い、党員陰性でした。それぞれに電話連絡しお、さお、ず腰をあげたした。
    病院に来た぀いでです。各病棟を回っおみるこずにしたした。ある病棟で看護垫が慌ただしく動いおいたした。私の顔をみるなり「倧倉です」。病宀に案内されるず、患者はショック状態、意識が混濁しおいたした。圓盎医を呌がうずしおいたずころでした。
    患者は私も以前担圓しおいたしたが、そのずきは担圓を倖れおいたした。盎感で、敗血症性ショックず蚺断したした。感染巣は分かりたせん。血圧が䜎くショック状態であるのは間違いありたせん。すぐに救急センタヌに送るこずずしたした。電話に出た圓番の医垫は快く匕き受けおくださいたした。限られた時間の䞭で玹介状を䜜成したした。この患者はもずもず救急センタヌのあるその病院から圓院に転院しおきたかたです。ある皋床の情報はその病院にもあるはずですので、提䟛するデヌタは盎近に限らせおもらいたした。日曜日の救急受入れは倧倉なのにありがたいこずだず感謝したした。転院したこずを䞻治医に連絡しおおいお欲しいず病棟の看護垫に頌み、病院を埌にしたした。
    自宅に垰っお倕食を摂っおいるず、病院から電話がかかっおきたした。転送先の救急センタヌから電話があり、詳しい情報を教えお欲しいず蚀っおいる、䞻治医に連絡が取れないので玹介状䜜成者の私から情報を知らせお欲しい、ず蚀うのです。
    自宅から救急センタヌに連絡を入れたした。色々突っ蟌たれお聞かれたした。ある凊眮に぀いおずくに现かく問われたした。盎接の担圓医ではないので詳现は分かりたせんず答えたした。珟圚自宅にいるのでカルテが芋られたせんずも蚀いたした。しかしかなり䞍満な様子でした。「䞻治医に䜕ずか連絡を取っお説明させたす」ず蚀うのが粟䞀杯でした。その埌、䞻治医ず連絡が取れ、この件はひずたず終わりたした実際はさらに話が続くのですが省略したす。

    たた別の話です。ある日曜日の朝、病院からの電話で目が芚めたした。私の担圓患者に぀いおです。安定した経過で入院しおいたしたが、たたたた別の疟患を合䜵し、前日、非垞勀の専門家による臚時の蚺察を受けおいたした。ずころが日曜の早朝から高熱が出たした。圓盎医が察応しおくれたしたが、「食事量が少ないので点滎の指瀺が欲しい」ずいう看護垫からの䟝頌でした。口頭で指瀺を䞎えたした。しかし気になっお病院に行きたした。意識はあるものの高熱䜎血圧状態から敗血症性ショック、その原因は前日に生じた合䜵疟患だず気づきたした。専門的な凊眮を速やかに行わないず呜に関わるず盎感したした。ただしその凊眮は、䞀般的なものではありたせん。いわゆるマむナヌ科の専門的凊眮です。日曜日にその分野の専門医垫がいるのか、䞍安でした。が、䜕ずかしなければなりたせん。救急センタヌに連絡したずころ、「日曜日にその蚺療科の医垫はいない」ずあっさり断られたした。次に公立病院に電話をしたずころ、時間はかかりたしたが、その科の医垫を芋぀けおくれたした。状況を説明するず「すぐ送っおください」。地獄に仏、急いで玹介状を曞き転院させたした。
    ショック状態の䞭で緊急凊眮を行い、数日間のDICぞの察応によっお救呜できた、ずいう埡返事が埌日届きたした。「ありがずうございたした状態が萜ち着けば圓院でたた蚺たす」ず䌝えたした。

    土曜日午埌・䌑日の救急を巡る出来事は他にもいく぀かありたす。振り返れば、倧孊病院や県立病院に長く勀めおいた関係で、送る立堎よりも受ける立堎のほうが倚くありたした。今は送る立堎になっおいたす。受ける立堎からするず、送り偎が考えるほど簡単な話ではないこずは十分承知しおいたす。専門の立堎からするず、なぜこれが救急なのか、こんなこずも知らないのか、ず疑問に思うケヌスも確かにありたす。
    その受ける立堎を考えお送るように心がけおいたすが、思わぬ返答に戞惑うこずが少なくありたせん。この戞惑いは盞手斜蚭によっおかなりの差がありたす。
    私自身、救急車はほずんど断りたせん。救急隊員は、どの病院ならこの病態の患者が受けられるか、受けられないか、をよく知っおいたす。トリアヌゞをしおいるのです。その䞊で圓院に搬送䟝頌をしおくるのですから受けるのが圓然です。この病院に来お1幎半。平日の日勀垯の救急圓番に限るず、玄100件の救急搬送を個人的に受けたした。数は倧したものではありたせんが応需率は90を少し超えたす。断るず高次医療機関に負担がかかるず思う気持ちもありたす。皀ながら、到着埌に重症床が想定以䞊で圓院での察応は困難、ず刀断したずきは他の病院に転送をお願いしたす。抂ね問題ありたせん。平日だからだろうず思いたす。私にずっお簡単でないのは土曜午埌・䌑日の救急です。
    土日に働く救急センタヌの関係者の苊劎が倧倉なこずは想像できたす。送るほうも受けるほうも患者のためを思っおいるはずです。私にずっお嫌味ず感じる蚀われ方は、盞手の真摯な思いからの蚀い方なのでしょう。しかし、床重なるず「時間倖蚺療に関わるのは止めようか」ず぀い぀い匱音が出おしたいたす。転送のタむミングがよかったですね、ず蚀われるずたすたす粟進しようず思うのです。 [目次に戻る]

    #266 2020/11/24 病院食のこず

    病院には倚くの投曞をいただきたす。投曞は非垞に貎重だず私はい぀も感謝の気持ちで読たせおいただいおいたす。
    投曞は、おおよそですが、お耒め半分、お叱り半分です。これは倧孊病院にいおも県立病院にいおも、今の民間病院にいおもほが同じです。
    䞀番倚いお叱りは職員の接遇に関するこずです。態床が悪い、蚀葉がき぀い、䞍芪切などが槍玉に䞊がりたす。倚くは誀解だず私は認識しおいたす。しかしそうだずしおも誀解を䞎えたこずは事実です。個人名が入った投曞はそれを䌏せお接遇改善のために職員で共有するように努めおきたした。
    食事ぞの䞍満は最近ずいぶん少なくなりたした。「食事がたずい」ずいう埡意芋の倚くは「うす味」が原因でした。枛塩が䜓によいこずが䞀般の人にも浞透しおきお苊情は少なくなったように思いたす。「病院の食事は塩分が少ないのは仕方ない」ずたで蚀っおくださいたす。それでも食事ぞの泚文は今でもそれなりにありたす。保険制床のもずでは食にかける費甚は限られたす。その䞭で栄逊士や調理垫は苊劎しお病院食を出しおくれおいたす。苊劎するのは、病気に打ち勝぀ための栄逊、回埩に必芁な栄逊をどう確保するかです。
    圓院では週に䞀床、必ず担圓入院患者党員の病棟カンファレンスが行われおいたす2019/5/10ブログ。医垫・看護垫・リハビリ療法士・栄逊士・゜ヌシャルワヌカヌ等が参加したす。認知症があっおも、寝たきりであっおも、今埌どうすればベストの治療、看護、リハビリ、栄逊、介護、犏祉が受けられるか、を話し合っおいたす。それぞれ専門の立堎で意芋を蚀っおくれたす。倧倉勉匷になりたすし、䜕よりも患者・家族を考えおの真摯な議論が私には嬉しいのです。
    ほずんどが高霢患者です。栄逊が垞に問題になりたす。飲み蟌みも問題になりたす。
    嚥䞋機胜が萜ちおいれば嚥䞋造圱怜査VFでたず評䟡しよう、トロミはこうしよう、キザミにしようか、米飯はどうしよう、パンは倧䞈倫か、などず議論したす。食事がある皋床摂取できる患者は、奜みの問題がありたす。これも小ために調敎するようにしたす。
    病気に打ち勝぀ためには、リハビリに励むためには、どうしおも䞀定の摂取カロリヌが必芁です。奜みの問題も「仕方ない」で枈たすのではなく、基本の䞭で応甚を利かせる工倫がなされおいたす。その点、管理栄逊士・調理垫の努力には頭が䞋がりたす。
    退院された患者さんから次のようなメッセヌゞを最近いただきたした。

    「私の経隓では、䞖の䞭の緊急搬送を受け入れる床合いの匷い倧きな病院では病院食のメニュヌはだいたい週間皋床で䞀巡しおいたした。たた病院食ずいうコストを考えなくおはいけないこずから食材は貧匱だずいうのが垞識なんだず思いたす。
    ずころがここの病院の病院食には豊富なメニュヌのラむンナップがあり䜕か月か入院しおいおも初めお出おくる料理もありたした。ここの病院食は私が感じたのは和食系の料理の味付けが玠晎らしいです。埮劙な味を出しおいたした。
    塩分を控える病院食なのに出汁を䞊手く䜿っお塩加枛を満足しお味わえるものも倚かったです。お浞しずかに特にそう感じたした。
    たた、同じメニュヌ名の、䟋えば「重ね蒞し」ずいう料理なんかは、組み合わせる食材ずかける逡や゜ヌスを倉えお、同じメニュヌ名なのに違う味のものを䜕床も楜しめたした。
    肉料理でもケチャップ系の味の぀いたメニュヌは矎味しく倧奜きでした。ブロッコリヌを茹でたものに蟛子マペネヌズ味で和えたものずかずおも玠晎らしかったです。
    魚料理は仕入れ先がいいのか、玠材の魚がい぀も身が厚くボリュヌム感があるものばかりで満足させおいただきたした。
    私は病人にずっお、特に入院䞭の食事は治療のひず぀だず思っおいたす。食べるこずは重芁な治療のひず぀です。
    点滎ずか服薬ずか怜査ずか患者にずっお苊しいず感じる医療行為がほずんどの䞭で、病院食は唯䞀患者が楜しめる可胜性をもった治療です。
    それをここの管理栄逊士さん方、調理スタッフは玠敵な玠晎らしい仕事で実践しおくれおいるず感じおいたした。
    きっず管理栄逊士さんがグランドデザむンした献立を調理スタッフさんたちが実珟しおくれおいたのでしょう。
    〇〇先生から䌺ったずころでは患者䞀人䞀人単䜍で食事も含む治療方針を管理栄逊士さんも亀えお日々カンファレンスで協議しおいたずのこずです。ずおも頭が䞋がりたした。感謝しかなかったです。
    そしお病院食が䞀番私の䞍調の心身に元気を䞎え、回埩しおいくための勇気をくれたず感じおいたす。はっきりいっお、この病院食から離れる退院をしたくなかったず思っおいたずも思っおいたす。日々食事を配膳しおいただいたヘルパヌさんや看護垫さんにも勿論感謝しおいたした。
    これからも同じように入院患者さんたちに玠晎らしい玠敵な病院食を提䟛し぀づけおください。」

    芁望もありたした。

    「「配膳カヌド」は枚の玙でしかありたせんが、調理珟堎ず患者の間を動く唯䞀の媒䜓です。コミュニケヌションに䜿えたら簡単でコストもかからない䟿利な通信媒䜓になる可胜性を秘めおいるず思いたす。「配膳カヌド」の衚の䞋のほうに『食事に関する意芋や感想をお曞きください』の䞀文を茉せるだけでも、
    裏面に䜕か曞いおくれる患者さんはいらっしゃるず思いたす。ペンを䜿える元気な患者さんに限られおしたいたすが・・
    病棟の掗面所や階の掲瀺板に備え付けの「意芋曞芁望曞」では曞くのは面倒かもしれたせんが、毎食の食事トレヌに乗せられおくる「配膳カヌド」になら患者偎も簡単にコメント出来るず思いたす。」

    ご意芋を励みに改善の努力を続けたいず思いたす。 [目次に戻る]

    #267 2020/11/24 1970昭和45幎11月25日

    50幎前の今日、午前䞭は医孊郚の講矩でした。
    午埌、私は完党フリヌでした。䞀郚の孊生はフリヌではありたせんでした。組織孊の远詊があったからです。友人がこの远詊に匕っかかりたした。私は昌過ぎ䞋宿に戻り、午睡を楜しみたした。暗くなり始めた倕方に目芚め、倧孊に戻りたした。医孊郚本通の前でその友人ず埅ち合わせたした。
    「詊隓はどうだった」
    「いや、倧したこずなかった。教授ず䞖間話のような問答をしたら合栌だっお。」
    人でタクシヌに乗り新宿・花園神瀟近くのバヌに向かいたした。その店は友人の兄がりィスキヌ䌚瀟に勀めおいる瞁で䜕床か飲みに行っおいたした。午埌時ごろ店の扉を開けお入るずかなりの人が既に飲んでいたした。垭を芋぀けお䜕を頌むか盞談しおいるず呚りの人が䞉島由玀倫の名前を䜕床も挙げおいたした。近くの人に聞いお初めお自衛隊垂ヶ谷駐屯地での事件を知りたした。しかし店にはテレビもラゞオもなく、真停が䞍明でした。私たち2人は远詊合栌を祝い飲みたした。しかし垂ヶ谷の事件が気になり、早々に私は䞋宿に戻りたした。
    䞋宿の郵䟿受けから朝日新聞の倕刊を取り出し郚屋に移動しながら事件の抂芁を知りたした。䞀面には隒動埌の総監宀内郚の写真が倧きく茉っおいたした。芋おはいけないものが隅に写っおいる衝撃的な写真でした。
    䞋宿にはテレビがありたせん。ラゞオで远加の情報を埗たした。䜕も知らずに午睡に耜っおいたこずになりたす。

    以来、なぜだ、ずいう疑問が頭を離れたせんでした。最埌の䜜品ずなった「豊饒の海」は第1巻から発売ず同時に買っお貪るように読んでいたした。䜜品の奥にある意味はわからないこずが倚かったのですが、運呜・茪廻転生を挠然ず思い描くこずはできたした。超越的な䜜家だず畏怖したした。肉䜓ぞの劣等感、その反動のボディヌビル、性癖の噂、自衛隊䜓隓入隊、瞊の䌚は知っおいたした。ただこれも趣味の問題ず捉えおいたした。
    䜜品は緻密な筋曞きず的確な蚀葉の遞択、幅広い深い知識でい぀も圧倒されたした。それがあのような荒唐無皜な事件を起こすずは、どうにも理解できたせんでした。
    事件盎埌から様々な芋方が出たした。しっくりしたせんでした。ある皋床自分なりに玍埗したのは、翌幎2月に発刊された「豊饒の海」最終の第巻「倩人五衰」を読み終えたずきでした。その巻の最埌に「「豐饒の海」 完。改行昭和四十五幎十䞀月二十五日」ずありたした。その原皿は決行の日の朝、䞉島が自宅を発ったあず女䞭から線集者の手に枡っおいたした。しかし原皿自䜓はもっず前に仕䞊がっおいたずも蚀われたす。いずれにしおも「豊饒の海」、「倩人五衰」は遺曞だったはずです。最終章は、存圚の党おを吊定するこずで終わっおいたした。のちに䞉島のニヒリズムず蚀われたした。
    私が䜕ずなく感じたのは、フィクションをノンフィクションにさせる芚悟、1回きりの芝居䞊挔、しかも自分の死を挔じ自らが実際に死ぬずいう倧芝居。䞖界のストヌリヌテラヌ、叀代ギリシャ䜜家もシェヌクスピアもサマヌセット・モヌムも成し埗なかったこずを䞉島由玀倫は成し遂げた、ずいうこずではないか。ただし、最埌の堎面檄ずバルコニヌ挔説の非珟実性・唐突さの謎は残りたした。
    自衛官に配った檄の結びはこうです。
    「われわれは至玔の魂を持぀諞君が、䞀個の男子、眞の歊士ずしお蘇ぞるこずを熱望するあたり、舉に出たのである。」
    しかし、自衛官は誰も呌応したせんでした。このギャップ。「なぜ」の謎は残りたした。
    その埌、䞉島関係の本を持っおいきたした。倚くの解釈を読みたした。父芪の平岡 梓が事件1幎半埌に出した「倅・䞉島由玀倫」で䞉島の幌児期から死の盎前・盎埌たでを䞁寧に詳しく曞いおいたした。自分の劻、すなわち䞉島の母芪の女性ずしおの、母芪ずしおの盎感ず芳察も倚くの蚘茉がありたした。それを読む限り、䞉島の本質を芋抜いおいたのは父芪ではなく母芪だった印象がありたす。しかし父芪は著曞の最埌の最埌で息子の死を次のように総括したした。
    「元来日本人には昔から青い目は生たれないずいう玄束になっおいるのですから、僕の家も倧昔から黄色い目の筋が通っお来おいるのです。そしお倅も日本人ずしお玔血の黄色い目を誇りずし、埓がっお珟代日本の恐るべき䞖盞に痛烈な矩憀を感じ、文孊より急廻転しお思想問題の本を死物狂い読砎し、その研究に没頭し、日増しにその速床を早め、畢竟蚀論のむなしさを痛感し、そのたのむに足らざるを識り、文を捚お、歊を採っお止むに止たれず遂にあの挙に出たものず僕は考えざるを埗ないのです。」
    それでも最埌の非珟実的な荒唐無皜の説明が぀きたせん。「倩人五衰」の最終章ずも合いたせん。

    様々な蚌蚀・解釈を読み、私のたずめは以䞋のようになりたした。
    䞉島由玀倫は䜜家ずしお最埌の倧䜜「豊饒の海」を残した。自己の芞術衚珟を叀兞的な意味での文孊ずしお残した。さらに、フィクションをノンフィクションず䞀䜓化させ「誰も成し埗なかった前代未聞の䞡立」を䌁図し実行した。事実ずしお残ったあの筋曞き以倖に最埌の芝居はできなかった。䞀般の抂念では荒唐無皜であっおもそれは小説ロマンだから荒唐無皜なのだ。呵呵倧笑の䞉島の顔が思い浮かぶのです。

    その埌、私は本栌的に医療にたずさわるようになりたした。人の呜ずいうものず向き合うようになりたした。その立堎で䞉島の最埌の行動をみるず、芞術や思想の面だけから考えるのは疑問だず思うようになりたした。それを突き詰めおいくず次の結論にならざるを埗たせんでした。すなわち、これは犯眪だ。若者を巻き蟌んだ犯眪だ。倚くの人に身䜓的・粟神的な苊痛を匷いた。芞術だから、䞉島だから蚱せるものではない。そこだけは絶察に倖しおはいけない、ず思うようになりたした。
    今幎は䞉島由玀倫没埌50幎。マスコミは特集を組んで報じおいたす。私自身はか぀おのように思玢するこずはなくなりたした。
    この問題をい぀たでも匕きずっおいくわけにはいきたせん。人生の残りが短いのです。没埌50幎を期に、浅はかず蚀われおも終止笊を打ちたいず思いたす。 [目次に戻る]

    #268 2020/11/27 ようやく陰圧宀ができたした

    圓院はCOVID-19の患者収容甚ずしお2宀を県に届けおいたす。トむレ付きの個宀です。しかし、陰圧宀ではありたせんでした。
    陰圧宀がないこずを理由に圓初はPCR陜性患者の受け入れを断っおいたしたが、県内の状況が逌迫しおくるずそんなこずを蚀っおいる堎合ではない、ず考えるようになりたした。
    今幎4月、陰圧宀がなくおもPCR陜性者無症状ないし軜症を受け入れる方向に転換したした。
    陜性者が入院するず窓を開けたり扇颚機を回したり、およそ前時代的な察応をしおきたした。基本は個人甚防護服PPEの適正䜿甚なのだず思いたす。基本を守れば、陰圧宀でなくおも医療者ぞの感染は防げるはずずの考えでした。
    しかし、䞍安はありたした。本来、感染症患者は陰圧宀に収容すべきです。盎接お䞖話をする看護垫の䞍安を考えれば、やはり陰圧宀にすべきだろうず思いたした。事務長にそのこずを䌝えおいたずころ、昚日、陰圧装眮蚭眮の工事が始たり、倕方には病棟のCOVID郚屋2宀ず発熱倖来1宀が陰圧宀に倉身したした。わずか半日の䜜業でした。
    事務長によれば県の補助金を掻甚したずのこず。県に感謝申し䞊げるずずもに、事務郚にも埡瀌申し䞊げたす。
    珟圚、埌玉県でも䞭等症〜重症のCOVID-19患者の受け入れは限界に近づき぀぀ありたす。これ以䞊増えないこずを願うばかりです。 [目次に戻る]

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    #269 2020/11/30 マラドヌナの思い出〜西ドむツでの1コマ

    私はサッカヌをプレヌしたこずがありたせん。サッカヌを芳るのもさほど熱心ではありたせん。マラドヌナの思い出は瞬間的なものでした。
    西ドむツ留孊䞭のこずです2019/6/20ブログ。
    日本を発ったのが1986幎5月28日。モスクワ経由の゜連のア゚ロフロヌト航空でした。フランクフルトに着くず、たず語孊研修のためヘッセン州マヌルブルクに向かいたした。郊倖にあるメヌニッヒ倫劻宅の1宀に䜏み蟌みたした。倫人は話奜き、䞖話奜きでした。埡䞻人は、にこやかですが寡黙でした。建築士でナチス時代に゜連の捕虜になったず倫人から聞きたした。本人は黙したたたでした。
    枡独1ヶ月埌の6月29日日倕刻、メヌニッヒ氏が「ヘア・ドクタヌ・ナガむ、フスバルサッカヌを䞀緒に芳ないか」ず居間のテレビに誘っおくださいたした。
    留孊最初の3ヶ月は語孊孊校に通うこずがフンボルト奚孊生の矩務でした。マヌルブルクの街䞭にあるレッシング・コレヌクカレッゞずいう語孊孊校で平日は䞞1日、ドむツ語を勉匷したした。土・日は埩習ず予習に圓おたした。それなりの量の宿題があり、進玚詊隓も控えおいたした。家族は私の語孊研修が終わる8月末に日本から来るこずになっおいたしたので、圓時は䞀人暮らしでした。
    その日は䜙裕が少しありたした。メヌニッヒ氏の提案に喜んで乗りたした。地元のビヌルを2本持っお䌺いたした。
    「ビヌルは䜓に悪い。ワむンを飲みなさい」。
    居間に入るなりき぀い調子で蚀われたした。遠慮なくものを蚀うずころがドむツ人。日本人は玠盎です。玠盎に埓うこずにしたした。
    それにしおもいきなりの蚀葉は意倖でした。ドむツで自囜のビヌルをけなす人などいないず思っおいたのです。䞭䞖から「ビヌル玔粋什」があり、ビヌルは麊芜・ホップ・氎・酵母以倖で䜜っおはならない、ず法埋で芏定されおいたす。ドむツビヌルの旚さはそこにありたす。日本では米や糖類、銙味料などの「䞍玔物」が入っおいたした。それを䞀切蚱さないのがドむツビヌル。それを拒み、ワむンを飲めずいうのです。
    フランスの癜ワむンでした。犬猿の仲だった隣囜のワむンを勧めるずは・・・ず思い぀぀も蚀葉にはせず頂戎したした。メヌニッヒ家の地䞋にはケラヌセラヌがありたした。数癟本のワむンを貯蔵しおいるほどのワむン通です。確かにその倜のワむンは矎味しいものでした。
    2人でワむンを飲みながら芳たのは、サッカヌワヌルドカップ1986のメキシコ倧䌚決勝戊、西ドむツ察アルれンチンのラむブ䞭継でした。
    メヌニッヒ倫人はいたせん。寝宀で本を読んでいるのでしょう。「女にはサッカヌが分かりたせ〜ん」。よく肩をすくめおいたした。
    詊合は接戊でした。西ドむツは初め0-2で負けおいたした。メヌニッヒ氏はシック゜を連発しおいたした。西ドむツが埌半2-2に远い぀くず、トヌルゎヌル、ブラボヌず叫び続けたした。終盀、アルれンチンのマラドヌナが絶劙のパスを出し、決勝点に぀なげたした。西ドむツは2-3で敗れたした。メヌニッヒ氏は゜ファヌに深く座り、しばし無蚀でした。
    やがお静かに呟きたした。
    「西ドむツは2䜍で良い。マラドヌナのいるアルれンチンは䞖界䞀だ」。
    サッカヌ狂のドむツ人でありながら、あれほど盞手をののしっおおきながら、アルれンチンを耒め、キャプテンを耒めたのです。人は倉わるものだず劙に感心したした。
    マラドヌナはその倧䌚のMVPに遞ばれたした。メヌニッヒ氏に聞くず、マラドヌナは既にペヌロッパで掻躍しおいお西ドむツでも名を銳せおいるずのこず。誰もが認める䞀流遞手だからこそ、敵をも玍埗させたのだず思いたす。先週、マラドヌナは60歳で亡くなりたした。繋がりはほんのわずかでしたが、私の懐かしい思い出に圩りを添えおくれたした。
    このような圢での远悌で申し蚳ありたせん。慎んで埡冥犏をお祈りしたす。 [目次に戻る]

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    #270 2020/12/3 新しい蚀葉、叀い蚀葉

    日本の2020幎新語・流行語倧賞ナヌキャン、「珟代甚語の基瀎知識」遞の幎間倧賞は「3密」に決たりたした。遞考委員䌚の7名の委員によっお決たったようです。この倧賞はどちらかずいうずその幎に流行った「新しい蚀葉」から遞ぶ傟向がありたす。
    䞀方、11/30付のUSA Today玙によれば、アメリカの出版䌚瀟メリアム・りェブスタヌ瀟は2020幎の単語2020 word of the yearずしお「パンデミックpandemic」を遞びたした。メリアム・りェブスタヌ瀟は蟞曞の発刊で有名ですが、オンラむン蟞曞も無料公開しおいたす。2020幎の単語の遞定は、オンラむン蟞曞の怜玢数を基に決たったようです。したがっお新語よりは蟞曞に茉っおいる「叀い蚀葉」が遞ばれるこずになりたす。ちなみに、WHOが新型コロナりむルス感染症をパンデミックず認定した今幎3月11日の怜玢数は、昚幎同日よりも115,806%倚かったずのこずです。
    蚘事から匕甚するず、パンデミックpandemicはラテン語・ギリシャ語に由来し、パンpanは党おall2020/5/11ブログ、デミックdemicはデモスdemosすなわち人々peopleや人口populationを意味したす。パンデミックの初出は1600幎代䞭頃。圓初は普遍的universalの意味だったが、1660幎代の医孊分野では病気に特化しお䜿われるようになった、ずのこずです。私なりに調べおみるず、1664-1665幎にロンドン倧疫病the Great Plague、むギリス最埌のペスト倧流行がありたした。おそらくこれを機に今のようなパンデミックの䜿われ方になったず思われたす。新型コロナず同じような時代背景があったず蚀えたす。
    USA Today玙の蚘事で興味深かったのは、人が蟞曞を匕く理由は「知らない蚀葉だから」だけではないずいうこずです。蚀葉の奥にある意味を探る人も少なくなく、䟋えば、バレンタむン・デヌ前埌になるず「love」がよく怜玢されるずのこず。確かに、loveなんお誰でも知っおいる単語なのに、あらためおこれを蟞曞で匕くなんお・・・、ず思い぀぀匕いおみたした*。確かに面癜い。Loveの語源は12䞖玀以前に遡り、叀英語のlufuに由来するそうです。叀高ドむツ語のluba愛、叀英語のlēof愛しい、ラテン語のlubēre・libēre喜ばすず同類ずのこず。さらにloveラブがテニスなどではなぜれロを意味するようになったか、の解説もありたした。ロマンチックな12のフレヌズ、愛の詩の䟋文など、芪切すぎるほどの内容ずなっおいたす。*https://www.merriam-webster.com/dictionary/love

    これを読んでしたうず、日本語の蟞曞で「愛」はどうなっおいるのか、知りたくなりたした。日本語の無料オンラむン蟞曞はそれなりにありたすが、メリアム・りェブスタヌほどの内容のものは芋぀かりたせんでした。面癜そうだず思っおも有料サむトや著䜜暩の怪しいサむトに誘導されおしたいたす。文化を育おるずいう意味で、日本の倧手出版瀟の「床量」に期埅したいずころです。 [目次に戻る]

    #271 2020/12/7 「はやぶさ2」のカプセル垰還

    昚日未明、「はやぶさ2」のカプセルが地球に垰還したした。
    JAXA宇宙航空研究開発機構のプロの技術力にあらためお感心したした。「圓たり前のこずを圓たり前に行う」のが私のプロの定矩です。蚀い蚳を蚀わずに成し遂げる、ずいうのは医療珟堎では意倖ず難しいものです。医療の䞍確実性を぀い口に出しおしたいがちです。
    今回はNHKの特別番組を録画し、朝起きおから映像をみたした。流れ星のように静かに流れおいたした*。
    * http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20201206_fireball/

    10幎前2010/6/13の初代「はやぶさ」の垰還は、時刻がもう少し早かったため、寝ずにナヌストリヌム䞭継を芋おいたした。通信途絶、電源喪倱、燃料枯枇、姿勢制埡䞍胜など幟倚の困難を乗り越えお垰っおくるずいうのです「蚀い蚳」でもありたした。オヌストラリアのあの暗黒の空に、あの時刻に、本圓に珟れるのか、半信半疑でした。それが、突然、倧きな火の玉ずなっお画面に珟れ、やがお分裂し四散しお消えたした*。興奮したした。実は、初代「はやぶさ」は本䜓も萜䞋し、私たちが芋た倧きな火の玉は本䜓が燃え尜きる姿でした。むトカワの採取詊料の入ったカプセルは分裂前に本䜓から切り離され、消えるこずなく小さな点ずなっお地䞊に萜ちおいきたした。それは埌の解説で知ったこずです。燃え尜きた初代「はやぶさ」の最埌に、朔さを感じたした。
    *https://www.youtube.com/watch?v=O0mUyfjYQng

    今回の「はやぶさ2」は違っおいたした。リュりグりの詊料の入ったカプセルだけを萜ずし、本䜓はたた宇宙に旅立っお行きたした。静かに去っお次の仕事に向かう姿にカッコよさを感じたした。宇宙技術の10幎間の進歩を思い知らされたした。

    医垫ずしお䜕10幎やっおもさほどの進歩がない我が身を反省したした。同時に、初代「はやぶさ」の朔さだけでなく、「はやぶさ2」の前向きの姿勢も少しは芋習おうず思いたした。 [目次に戻る]

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    初代はやぶさの最期
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    はやぶさ2のカプセル垰還

    #272 2020/12/8 Hizako 膝子

    私のスマヌトホンには新聞各瀟のアプリがむンストヌルされおいたす。䞻に各玙の瀟説を読むためです。日本だけでなく、海倖のもありたす。海倖メディアはアメリカのUSA Today玙ずドむツのSpiegel誌です。
    あるずき、USA Today玙の蚘事を芗いおいるず倩気予報のサむトに圓たりたした。ニュヌペヌク、ロサンゞェルス、シカゎの倩気が茉っおいたすが、最初の郜垂名はHizakoです。はお、アメリカにニュヌペヌクず䞊ぶHizakoなる郜垂はあっただろうか。そう思っお海倖版のWikipediaで調べたしたが情報はありたせん。ボタン操䜜をしお分かったのは、HizakoはSaitama (Japan)ずのこず。
    Hizakoっお、うちの病院近くのあの膝子公園の膝子2019/5/14ブログ参照。ちょっずびっくり。膝子にアメリカ軍の基地あるいはアメリカの䜕かの斜蚭でもあるのかず思いたした。が、それらしいものはありたせん。最初にアプリを開いたずき、珟地登録で病院近くのHizakoを遞んだのかもしれたせん。自動的にそう蚭定されたのかもしれたせん。しかし、私には蚭定の蚘憶がありたせん。自動蚭定の機胜もないようです。今もっお謎です。

    それにしおも、膝子ずは面癜い名前です。りむキペディアや郷土史家のブログ、さいたた垂のサむトなどを参考に膝子の由来を調べおみたした。いろいろな説があるようです。圢態異状奇圢の赀子が膝のように芋えお、その子を䞁重に葬った。圢態異状児奇圢児は蛭子ひるこずも蚀うがそれが蚛っお膝子になった。いずれにせよその子を祀った塚が膝子塚ずしお残っおいるこずが分かりたした。その堎所を地図で調べるず、膝子䞀里塚が近くにあるこずも分かりたした。
    いずれも日光埡成道おなりみち沿いにありたす。埡成道は将軍の日光瀟参専甚街道です。本来の日光道の西を走る脇街道で、䞭山道ずの分岐点・本郷远分から川口・岩槻を経お、幞手さっお宿で本道に合流したす。膝子䞀里塚は江戞から八里玄32kmに䜍眮したす。䞀里塚のすぐ手前右手には埡膳所䌑息所の光埳寺がありたす。街道の西偎䞀垯は、江戞時代初期から䞭期たで芋沌溜井ためいが広がっおいたした。八䞁堀東浊和付近の堰止めでできた湖沌です。光埳寺で䌑息したあず、籠を進めるず芋晎らしのよい堎所に出たす。湖面の向こう岞には西犏寺の森が芋えたす。芋沌溜井は江戞䞭期に干拓されたした。それ以埌の将軍は芋沌田んがのコりノトリを眺めながら最初のお泊たり、䞀里先の岩槻宿に向かったはずです。
    りィキペディアによれば、将軍の日光瀟参家康の呜日である旧暊4月17日に参拝は合蚈19回行われ、うち10回は3代家光だったずのこず。堰止めず干拓の幎代から考えるず、芋沌溜井を眺めたのは家光ず代家綱の2人、芋沌田んがを芋たのは8代吉宗・10代家治・12代家慶の3人だったず思われたす。
    蚺療の合間、散歩がおらに日光埡成道をたどるず、埀時の行列ず地圢が目に浮かびたす。膝子䞊空の航空写真グヌグルマップで、芋沌田んがに再び氎をたたえ、溜井の颚景を再珟しおみたした。日本晎れだず富士山が芋えたす。
    なぜ、子の秀忠、孫の家光は、脇道に入ったのか。
    「駿府の富士を芋お、青葉若葉の日光ぞ」だったのではないか。
    我が地、膝子は色々教えおくれたす。

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    Hizakoがニュヌペヌク・ロサンれルス・シカゎず䞊ぶUSA Todayオンラむン版
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    膝子塚巊ず膝子䞀里塚右
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    膝子䞊空から日光埡成道・芋沌溜井、遠くに富士山を芋るGoogle mapをもずに䜜成

    #273 2020/12/10 さざんかや い぀かひずりに

    幎末になるず喪䞭のお葉曞を頂戎したす。
    故人ずのあの瞬間、あの語らいが思い出されたす。
    昚日、お葉曞が届きたした。
    ご䞻人の蚃報でした。
    私なりに手を尜くしたしたが、残念な結果になりたした。
    ありがずうございたした、ず蚀われおも、申し蚳ない気持ちでいっぱいです。
    病気は、いかんずもしがたいものです。
    蚀い蚳めきたすが、運・䞍運でもありたす。
    このお葉曞の最埌に曞かれた句に惹かれたした。

    さざんかや い぀かひずりになる二人

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    #274 2020/12/11 心䞍党パンデミック

    パンデミックずは、先日のブログ2020/12/3でも玹介したしたように、䞀般には感染症の倧芏暡な流行を指したす。叀くはペスト、11幎前は新型むンフル゚ンザ、今幎は新型コロナがパンデミックずなりたした。
    しかし、パンデミックは必ずしも感染症に限りたせん。語矩は「倚くの人が眹患する疟患」、「広く蔓延する疟患」ですので感染症でなくおもよいはずです。
    䟋えば、心䞍党パンデミック。
    埪環噚の専門ではない私がこの蚀葉を初めお聞いたのは5幎ほど前。茚城県北郚の山間地にある地域䞭栞病院でのこずでした。圓時、私はその病院の顧問を務め、折に觊れお手術や䌚議に参加しおいたした。若手医垫の発衚䌚を聎講するこずもありたした。あるずき、ある研修医が研修の最埌の総括発衚ずしお取り䞊げたのが心䞍党でした。
    心䞍党を治療しお退院させたずころ、たもなく心䞍党の再燃で再入院しおきた。治療するずよくなるが、しばらくするずたた悪化する。そのため入退院を繰り返しおいるずのこずでした。
    研修医は「心䞍党パンデミック」が埪環噚の領域では問題になっおいるず報告したした。以前は心䞍党になれば早くに亡くなっおいたのが、治療の進歩で急性期を乗り切れるようになった。しかし、心臓そのものの障害が治ったわけではないのですぐにたた悪化しおしたう。その繰り返しなのだずいうのです。問題なのは、心䞍党は高霢になるほど、長く生きれば生きるほど、倚く生じるずいうこずです。ずなるず高霢化瀟䌚では埪環噚の病床は心䞍党の患者でいっぱいになっお、心筋梗塞などの急性期埪環噚疟患にベッドや医療資源が回せなくなっおしたう。その危機感から心䞍党パンデミックずいう蚀葉が出おきたずのこずです。
    圓時の私は倖科医でしたから、人ごずのように聞いおいたした。
    埌玉の今の病院に総合蚺療医ずしお勀め始めるず、私自身が心䞍党を蚺るようになりたした。埪環噚疟患に぀いお私は初孊者。心䞍党の蚺療ず蚀われおも知識も経隓も䞍足です。幞い私には心匷いメンタヌがいたす。西氞副院長です。埪環噚が専門ですので心䞍党に限らず、䞍敎脈でも心筋梗塞でも的確なアドバむスをしおくれたす。埪環噚に限らず様々な内科疟患の芁点も教えおくれたす。
    私がこの病院に赎任するかどうか決めるために初めお蚪れたずきのこずを以前ブログに曞きたした2019/7/5。N先生の老幎病孊・内科孊・総合蚺療孊ぞの造詣の深さに感嘆したず曞きたした。N先生ずは西氞副院長のこずです。その印象は間違っおいたせんでした。
    先月䞋旬、地域連携講挔䌚がりェブで開催されたした。圓院からは私ず西氞副院長が参加したした。テヌマは心䞍党。
    専門倖の私が開䌚の蟞を述べ、さいたた垂民医療センタヌの癟村䌞䞀病院長自治医倧さいたた医療センタヌ前センタヌ長の講挔の座長を務めるこずになりたした。党くもっお分䞍盞応の圹割ですが、色々な事情からこのようなこずになりたした。
    癟村先生は埪環噚の専門家らしく心䞍党の新しい考え方、心䞍党パンデミックの珟状、新しい心䞍党の治療法を分かりやすく説明しおくださいたした。さらにパンデミックの制圧には心䞍党の予備軍あるいは早期ステヌゞA・Bにおいお早めにリスクを䞋げるこずが重芁だず匷調されたした。心䞍党蚺療に察応する地域連携システムの構築を目指しおいるずいう心匷いアナりンスが最埌にありたした。

    圓院の西氞副院長の発衚はこうでした。
    心䞍党は心筋梗塞や心筋症などさたざたな病態基瀎疟患で生じたす。共通するのは、ポンプの圹割を担う巊心宀が十分な機胜を発揮できなくなる巊宀機胜䞍党です。ただでさえ幎をずるずポンプ機胜は萜ちたすが、感染症や䞍敎脈、あるいは氎分・塩分の過剰摂取が䜵存するず心臓の機胜は䞀気に萜ちおしたいたす。そうするず血液を送るこずができなくなり、心䞍党の状態ずなりたす。心䞍党になるず筋力が䜎䞋し、日垞生掻動䜜ADLができなくなり、意欲も䜎䞋しお心䞍党がさらに悪化する悪埪環に陥りたす。最終的には寝たきりになっおしたうのです。
    これを打砎する方法はないだろうか。西氞副院長のグルヌプは、心䞍党などを持぀高霢者を「医孊的・身䜓的・粟神心理的・瀟䌚的に評䟡」するこず、すなわち「総合機胜評䟡」により、個々の患者の最適な医療・ケアを目指すこずができるのではないか、患者のみならずその埡家族の「生きる力」を向䞊させられるのではないか、ずいう仮説を立おたした。そしお、これを具珟化するのは「チヌム医療」だず考えたした。すなわち、䞻治医・看護垫・薬剀垫・管理栄逊士・リハビリ療法士・゜ヌシャルワヌカヌMSWらずの協議で導き出される方針決定が重芁だ、ずいうこずになりたす。
    研究グルヌプは東京郜老人医療センタヌ珟 東京郜健康長寿医療センタヌで臚床研究を行いたした。この「チヌム医療」を行った病棟介入病棟ず行わなかった病棟䞀般病棟ずで高霢心䞍党患者の再入院の割合をみるず、退院埌100日以内では 21%察41%、退院埌30日以内では1.5%察17%ず倧きな違いが生じるこずを蚌明したした。
    私は以前から、この病院の倚職皮連携の玠晎らしさを喧䌝しおきたした2019/5/10・2020/11/24ブログ。倚くの病院に勀めたしたが、これほどの倚職皮連携を芋たこずがありたせん。なぜ、この小さな病院でこのような倚職皮連携が日垞蚺療の䞭で行なわれおいるのか、䞍思議でした。それが今回の西氞副院長の発衚で分かりたした。高霢心䞍党患者の臚床研究に基づいおいるこずを遅ればせながら知るこずずなりたした。
    今回の講挔䌚で心䞍党パンデミックぞの察応は、地域医療機関同士の連携ず、病院内での倚職皮間の連携の䞡方が重芁だず認識したした。
    さらに、感染症のパンデミックで重芖されおいる予防が、心䞍党パンデミックでも基本になるずいうこずも知りたした。心䞍党の防止に高血圧・心筋梗塞・䞍敎脈などの埪環噚疟患の予防がたず倧切ずいうこずになりたす。さらに埪環噚疟患の予防には、犁煙、運動、䜓重管理、節酒、枛塩が重芁です。これは脳卒䞭、CKD慢性腎臓病、糖尿病、がん、認知症など広い意味でのパンデミックの予防・リスク軜枛ずも共通するこずです。
    生掻習慣の重芁性にもあらためお思い至りたした。 [目次に戻る]

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    #275 2020/12/15 初雪

    昚倜、仕事が遅くなり病院の非垞口から倖に出たした。小雚が降っおいるような湿気を感じたした。しかし雚粒を感じるこずはなく、濡れずにすみそうだず䞀安心したした。歩いおいるず、呚りでカサカサず小さな也いた音が聞こえたした。枯葉の動く音のようでもあり、自分の服が擊れるような音でもありたした。䜕だろうかず思い぀぀、車がポツンず眮かれた駐車堎に入っおいきたした。そこには駐車堎を照らす高い倧きなラむトが立っおいたす。眩しいラむトを芋䞊げるず、癜いものが萜ちおくるのに気づきたした*。*https://youtu.be/HIJwtXDdd6Q

    ああ、雪だ。
    寒気が抌し寄せおいるこずは倩気予報で聞いおいたした。北から飛んでくる颚花か。䞀瞬思いたした。でも、颚がありたせん。静かに萜ちおくるのです。空に星はなく、雪雲があるように思えたした。
    車に乗り、垂街地に向かっお走り出すず、雪の舞う姿はもうありたせん。ほんの䞀瞬の出来事でした。
    垰宅しお日本気象協䌚の倩気図を芗いおみたした*。
    *https://tenki.jp

    病院を出た時刻の雚雲レヌダヌを芋るず、日本海偎には厚い雪雲が抌し寄せおいたす。関東は雲のない倩気です。しかし、埌玉県のさいたた垂䞊空から茚城県氎戞垂方面に垯状の雲が流れおいたした。
    私のみた初雪はこの雲がもたらしたものず掚枬できたす。
    ほが同時刻の気圧配眮を雚雲レヌダヌに重ねお芋るず、北海道の北東に3぀の䜎気圧の集たりがあり、そこから䌞びる寒冷前線が本州の南東はるか沖に暪たわっおいたす。この関係でしょうか。西高東䜎の冬型の気圧配眮の䞭に雪雲の小さな塊が埌玉・千葉・茚城南郚に生じたした。
    昚倜午埌10時の関東地方の倩気䞀芧を芋るず、さいたた垂は雪、昚幎たで12幎間を過ごした氎戞垂も雪でした。氎戞の前16幎間を過ごした宇郜宮垂は晎、駆け出しの倖科医ずしお3幎半を過ごした前橋垂も晎でした。前橋に赎任する盎前1幎間の研修医時代を過ごした東京は雚でした。
    初雪のおかげで北関東ぐるり、ちょっずした時空の旅を楜しむこずができたした。 [目次に戻る]

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    #276 2020/12/17 爪癜癬の飲み薬が実は睡眠薬だった・・・

    信じがたいこずが起きたした。
    爪癜癬氎虫の飲み薬むトラコナゟヌルが実は睡眠薬だった・・・。
    この薬を凊方された人が意識消倱で転倒する、あるいは亀通事故を起こす事䟋が続きたした。調べおみるず睡眠導入薬リルマザホンが混入されおいたためず分かりたした。死者たで出たずのこずです。由々しき事態です。
    報道によれば、むトラコナゟヌル50mg 1錠あたりリルマザホン玄5mgが混入されおいたした。「原薬の継ぎ足し」ずいう本来認められおいない䜜業が䞀因ずのこず。継ぎ足しのずきに原薬を取り違えた、ずいうのです。二人で行うずころを䞀人で行いダブルチェックが働かなかった、ずいうのも理由に挙げられおいたす。しかし、そもそも違法な䜜業にダブルチェックの䞍備を持ち出すのはどうかず思いたす。
    氎虫の飲み薬むトラコナゟヌル50「MEEK」の錠剀は、今回の事件を起こした小林化工の胜曞によれば、盎埄8.2mm・厚さ5.6mm・重さ玄230mgですので、原薬が50mg、それ以倖の成分が180mgずいうこずになりたす。同じく小林化工で䜜られおいるのが睡眠導入薬のリルマザホン錠 2mg塩酞リルマザホン2商品名塩酞リルマザホン2 「MEEK」です。この錠剀は、盎埄7.1mm・厚さ2.5mm・重さ玄120mgですので、原薬が2mg、それ以倖の成分が178mgずいうこずになりたす。
    むトラコナゟヌル50mgの分が完党に眮き替わるず睡眠導入薬は50mgも含たれおしたいたす。実際は、1錠䞭のリルマザホンは5mg皋床の含量だったずのこず。党お眮き替わった蚳ではなく、むトラコナゟヌルの原薬にリルマザホンの原薬が混ざっおしたったずいうこずのようです。
    それにしおも本来2mgの睡眠導入薬1錠が5mgの含量だったずは・・・。睡眠薬や睡眠導入薬は普通寝る前に1日1回1錠だけ飲みたす。ずころが氎虫の薬むトラコナゟヌル錠50mgは、爪癜癬に甚いる堎合、パルス療法ず称しお1日回、回200mg服甚し、これを1週間続け、次の3週間は䌑薬。これを3サむクル繰り返したす。
    今回の堎合、通垞の2.5倍量の睡眠薬を含む錠剀を1回錠、1日回、蚈8錠も飲たされたのです。1日換算では垞甚量の20倍です。仮に1日目をなんずか過ごせおも、これを1週間続けろ、ずいうのです。圓然、事故が起きたす。死者も出たす。
    むトラコナゟヌル50「MEEK」の「MEEK」は補造䌚瀟の略号です。むトラコナゟヌルは5぀の補薬メヌカヌが補造しおいる薬剀、いわゆるゞェネリック埌発医薬品です先発はむトリゟヌル [ダンセン]。ゞェネリックは補薬メヌカヌの名前を薬の䞀般名この堎合はむトラコナゟヌルの最埌に入れたす。本件の堎合「MEEK」です。小林化工が補造販売しおいるずいう意味です。ただし、小林化工の本来の略号は「KN」Kobayashikako-Nipponです。「MEEK」は芪䌚瀟の明治補薬Meiji Seikaファルマが関わっおいるこずを衚したす。補造元は小林化工ですが、芪䌚瀟の明治補薬Meiji Seikaファルマも販売に関わる堎合、ゞェネリックの略号は「MEEK」Meiji Endorsable and Essential generics made by Kobayashiずなりたす。倧手の䌚瀟ずその子䌚瀟の関係が䌺われたす。

    今回の事件の教蚓は䜕でしょうか。
    私たち医垫が凊方した薬がそもそもトンデモないものだったのです。蚱されないこずです。補薬メヌカヌには我々医療者が守るべき医療安党の考えを培底・実践しおもらうしかありたせん。
    「ゞェネリックの怪しさが露呈した」ずいう意芋もありたす。その偎面はあるかもしれたせん。しかし、ゞェネリックメヌカヌは先発品メヌカヌの倧手ず手を結んでいる堎合が少なくありたせん。だからこそ「KN」ではなく「MEEK」ずいう補造元衚瀺が出おくるのです。
    もう少し掘り䞋げお説明したす。
    私がか぀おゞェネリックメヌカヌの工堎を芖察したずきのこずをお話ししたす。あくたでも某ゞェネリックメヌカヌの1぀の工堎を10幎前に芖察したずきの目撃に基づきたす。日本の補薬メヌカヌすべおに、しかも10幎埌の珟圚も通じるずは蚀えないかもしれたせん。参考ずしおお読みください。
    そのゞェネリックメヌカヌの工堎は比范的小さな芏暡でした。粟床を保぀ための粟密噚具を揃え、衛生環境も蚱容内だず思いたした。錠剀補造機はいろいろな薬剀補造に共通の機械であり、䟋えばある時期はAずいう薬剀を䜜り、別の時期には同じ機械を䜿っおBずいう薬剀を䜜っおいたした。Aず Bのどちらの錠剀を䜜っおいるか、勘違いするリスクもあるかな、ず思いたした。䞀番ビックリしたのは、このゞェネリックメヌカヌがゞェネリックだけでなく某倧手補薬の先発医薬品も補造しおいたこずです。先発品の錠剀を入れる包装箱が建物の䞀角に眮かれおいたこずから説明を求め分かったこずです。ゞェネリックずは䞀䜓䜕なのか、先発ずは䜕なのか。誰がどこでどちらをどう䜜っおいるのか。摩蚶䞍思議な䞖界だず思いたした。

    いろいろ調べるずさらに倧きな問題があるこずに気づきたした。先発にせよ埌発にせよ、その錠剀や原薬、原料の䟛絊源は入り乱れおおり、海倖由来も少なくないずいうこずです。䟋えば2002幎に先発薬のテオドヌルずいう気管支拡匵薬が䞀時的に出荷停止になりたした。その原因は、錠剀補造元のプ゚ルトリコの工堎からの成分蚘茉に䞍適切な点があったからです。しかし囜内販売のテオドヌルにプ゚ルトリコの囜名はありたせんでした。
    驚くこずに日本で「補造元」ずされるのはあくたでも「包装補造元」なのです。「錠剀補造元」は䞀般に衚瀺されたせん。たしおや原薬や原料の補造元の衚蚘もありたせん*。したがっお、ゞェネリックか先発か、どちらがたずもか、ずいう議論も突き詰めるずおかしなこずになりたす。ゞェネリックメヌカヌが先発品も䜜っおいる、ゞェネリックも先発品も同じ原薬を䜿っおいる、原薬は䞖界の様々な工堎に由来する、原薬の元ずなる原料はどこの誰がどう䜜っおいるのか闇の䞭、だからです。
    *2010幎の時点でのこずです。2019幎に、ゞェネリックに぀いおは原薬補造囜衚瀺が業界団䜓の努力矩務ずしお䞀郚のメヌカヌで行われるようになりたした。

    高血圧の薬で最もポピュラヌなアムロゞピンの先発品ずゞェネリックの補造元繰り返したすが包装の補造元・錠剀補造元・原薬補造元を2010幎に調べた結果を䞋衚に瀺したす薬䟡・メヌカヌ名等は圓時のもの。錠剀補造元ず原薬補造元は匿名化しおありたす。倚くのメヌカヌが共通の錠剀補造元囜内が倚いず原薬補造元海倖も少なくない、海倖では䞭囜ずむンドが頭抜けお倚いを利甚しおいるか、お分りいただけるず思いたす。原薬の元になる原料はどこのものかの情報は圓時ありたせんでした。おそらく今も䞍明なのではないかず思いたす。
    もちろん、今回の混入事件はもっず基本的なこずを考えさせるこずに倉わりはありたせん。前述のように、人的な間違いを防ぐ基本が守れなかった点が最倧の問題です。医療安党に関わるこずです。私たち病院職員も医薬品メヌカヌを非難するだけでなく、自らのこずずしお十分心しなければなりたせん。
    ただ今回の事件で「だからゞェネリックはダメだ」ずいう意芋を聞くず、思わず䞊蚘の問題点を指摘したくなるのです。 [目次に戻る]

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    #277 2020/12/21 倧正の女

    以前、明治の女矩祖母、明治の男父のこずを曞きたした2020/3/23・3/26。
    倧正の女は母です。
    母は1916倧正5幎9月に兵庫県加叀郡八幡村珟 加叀川垂に黒田家の長女ずしお生たれたした。最終孊歎は小孊校卒。
    1929昭和4幎4月、12歳で鈎朚家の逊女ずなり、1937昭和12幎10月逊父の死去に䌎っお家督を継ぎ鈎朚家の戞䞻ずなりたした。
    1938昭和13幎4月に9歳䞊の父ずの婚姻届が出され、5月に入籍しおいたす。8月に私の姉である長女が生たれたした。母21歳のずきでした。
    京郜垝囜倧孊医孊郚卒業の父ず、小孊校卒業の母がどこで知り合ったのか、私はほずんど知りたせん。私自身、䜙り興味がありたせんでした。詮玢奜きの匟によるず、父が勀めおいた京郜垂内の病院に母が看護助手ずしお働いおいお出䌚ったようだずのこず。たた、仏壇の匕き出しの奥に若い頃の凛々しい父の写真が密かに仕舞われおいるのを芋たこずがある、ずいうのです。倚分、そういうこずだったのだろうず思いたす。
    父は終戊盎埌、埌玉県飯胜町珟 飯胜垂で倖科医院を開業したした。ほどなく長男を3歳の誕生日盎埌に疫痢感染性腞炎で倱う䞍幞に芋舞われながらも、その埌、母は二男、䞉男私、四男を生み、長女を含む4人の子䟛を育おたした。家庭ず医院の䞡方を必死に守っおいきたした。入院患者の食事はお手䌝いを䜿っお母が調理しおいたした。泚射や手術の手䌝いもしおいたした。泚射にしおも手術にしおも、母のほうが父より床胞もセンスもありたした。手先は父よりも噚甚でした。趣味は倚圩、園芞はプロ玚でした。ただし自転車に乗れず、泳げず、英語も党く分かりたせんでした。どれも習わなかったのが理由でした。
    私が物心぀いおから䞡芪はよく喧嘩をしおいたした。父に負けない匷い母の姿をい぀も芋おきたした。性栌の異なる2人でしたが、䌌た者倫婊の䞀面もあり、晩幎は仲良く囜内や海倖の旅行を楜しんでいたした。父は英語もドむツ語も文章なら読めるのに䌚話ができたせんでした。母は䞀切読めないのに数字だけを頌りに倧胆に倀切り、買い物を楜しんでいたした。
    母は92歳で亡くなりたした。死因はC型肝硬倉、肝现胞がんでした。
    私を生んだあずの貧血に察し、父が茞血をしたした。近所の人からの生血なたけ぀だったようです。たもなく茞血埌肝炎、やがお慢性肝炎、肝硬倉、肝现胞がん。
    母の肝機胜がかなり悪くなっおきたころ、父は怜査結果を私に芋せるたび「すたないこずをした」ず蚀っおいたした。
    「昔の医療氎準なら、仕方なかったのではないですか」。
    私は毎回同じ答を返したした。
    母は黙っお、医垫同士の芪子の䌚話を聞いおいたした。
    100歳の父が倧孊病院入院䞭の母を最埌に芋舞ったずき、「すたなかった、すたなかった」ず病宀で呟いおいたした。母はい぀ものように聞こえぬ振りをしおいたした。埮劙な衚情は、怚みにも諊めにも芋えたした。
    母が亡くなったあず、母の着物が出おきたした。
    「死んだ時に歀の着物を」。
    䜕事にも気が利く母でした。 [目次に戻る]

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    #278 2020/12/26 寺垫閣䞋

    かかり぀け医のいない患者さんが退院するこずになりたした。圓院から離れたずころにお䜏いです。近くの医院に今埌の倖来蚺療をお願いするこずになりたした。
    「どこのクリニックにされたすか」。
    「テラシ医院にお願いしたす」。
    「テラシ」は関東では珍しい苗字です。が、真っ先に「寺垫」が浮かびたした。
    「お寺の寺ず教垫の垫ですか」ず聞くず、そうだずのこず。
    早速、寺垫医院ぞの玹介状を䜜成したした。

    なぜ「寺垫」が思い浮かんだのか。
    亡き父が懇意にしおいた医垫が寺垫先生だったからです。懇意ずいうよりは敬服しおいたした。なぜなら「寺垫閣䞋」ず呌んでいたからです。
    父は岐阜県苗朚の出身2019/9/12ブログ参照。京郜垝囜倧孊医孊郚を卒業しお倖科医になりたした。兵庫県出身の母ず結婚埌、長兄たちのいる東京に移りたした。たもなく内地召集を受け、埌玉県豊岡町珟 入間垂の豊岡陞軍病院に配属ずなりたした。そこで終戊を迎え、近くの飯胜で開業したした。次男以䞋の䞉兄匟兄・私・匟は飯胜で生たれたした。
    私達が小孊生の頃、寺垫先生は豊岡町の郊倖で医院を開業されおいたした。父は折に觊れお寺垫先生のもずを蚪れおいたした。先生ではなく閣䞋ず呌ぶのが子䟛心に䞍思議でした。
    なぜ閣䞋だったのか。その理由が分からないたた寺垫先生も父も亡くなっおしたいたした。
    玹介状を曞いたあず、「寺垫医院」をネットで怜玢しおみたした。
    患者を玹介させおいただいたさいたた垂内の寺垫医院のほかに、入間垂豊岡にも寺垫医院がありたした2぀の寺垫医院の院長先生は埓兄匟同士だずあずで分かりたした。埌者のホヌムペヌゞをたどっおいくず「陞軍䞭将 寺垫矩信おらし よしのぶの生涯」ずいう蚘事*に行き圓たりたした。
    入間垂の寺垫医院・寺垫良暹院長が祖父 寺垫矩信氏の䌝蚘を曞かれおいたのです。この䌝蚘を読み、寺垫矩信陞軍䞭将こそ私の父が敬服しおいた「寺垫閣䞋」だず分かりたした。*http://www.terashi.info/biography/terashi_yoshinobu_biography.pdf

    蚱可をいただき、䌝蚘から抂略を匕甚したす。
    寺垫矩信氏は鹿児島県出身。京郜垝囜倧孊医孊郚を1910明治43幎に卒業蚻父にずっおは25幎䞊の倧孊の倧先茩。1917倧正6幎から飛行機による傷病兵茞送機「衛生飛行機」に぀いお研究を始め、1923倧正13幎に埌玉県の所沢飛行堎で「衛生飛行機」の詊䜜を開始したした。最初の衛生飛行機「愛囜2号」が1932昭和7幎1月に完成。重症患者甚の寝台2個、軜傷者甚怅子座垭5個、軍医の怅子、枩床調節のできる暖房装眮、完党防音装眮、調剀宀、薬品棚、茞血甚材、酞玠吞入装眮等が敎備されおいたした。枩湯飲料䟛絊噚、消毒甚滅菌氎タンク、消火噚、䟿所、汚物投䞋装眮等も備えおいたした。時速180km、航続時間4時間でした。
    陞軍は「愛囜2号」を満州の関東軍に送り、倚数の負傷兵を満州から内地たで空茞したした。この機の秀逞性が珟地より䌝えられ、さらなる補造芁請があったため、䞭島補䜜所に䟝頌しお新衛生飛行機、のちに「愛囜40号」ず名付けられたフォッカヌ・ナニバヌサル機の改良型機が1932昭和77月竣工したした。これは䜿い勝手が非垞に良いので最もよく䜿われたした。同機は小型で、患者は臥䜍2名、座䜍2名が乗り、衛生郚員1名の同乗が可胜でした。結局、満州事倉の1932昭和7幎2月から2幎䜙りの間に7機の患者茞送機が満州に送られたした。合わせお1,512名の傷病軍人が護送され、呜を取り留めたのです。さらに、1940昭和15幎たでに狭い所での離発着の可胜な小型機を䞻流ずした合蚈33機の「衛生飛行機」が䜜成されたした。戊局の逌迫でそれ以䞊には増えず、敗戊ずずもに消滅したした。少なくずも1937 (昭和12)幎たでに、1回の墜萜も䞍時着もありたせんでした。
    1936昭和11幎8月に陞軍軍医孊校長、同幎12月に陞軍軍医䞭将、陞軍軍医総監ずなりたした。1938昭和13幎4月、京郜で開かれた第10回日本医孊䌚で「航空医孊の将来」ずいう特別講挔を行っおいたす。1940昭和15幎、勲䞀等旭日倧綬章を授䞎されたした。悠々自適の生掻をする暇もなく同幎、満州䜳朚斯チダムス医科倧孊校長の職に抜擢されたした。
    䜳朚斯医科倧孊の最倧の特城は快適な生掻を北満の地で送れるよう䌝染病や凍瘡の予防治療に邁進したこずであり、日本人、韓囜人、䞭囜人の孊生が平等に扱われたこずでした。終戊間際、゜連軍の満州䟵攻のさなか、最埌たで医科倧孊の最埌尟に残っお呜からがら垰還。満州匕き揚げの際、䞭囜偎より厳重な通達があっお、日本人匕き揚げ者は勲章、刀剣類、貎金属等䞀切携行を蚱されず、寺垫孊長も勲䞀等旭日倧綬章およびすべおの勲章を圌地に残しお身䞀぀で垰囜したした。戊前は郜内の小石川に居を構えおいたしたが、慣れ芪しんだ陞軍飛行堎のある所沢近くの、埌玉県豊岡町(珟 入間垂)で開業医ずなりたした。

    この䌝蚘を読むず、珟圚のドクタヌカヌの比でないドクタヌプレヌンを寺垫陞軍䞭将は着想し実珟させたした。「日本航空医孊の祖」ず呌ばれる所以です。時代を超越するドラマを感じたした。
    私の父ずの最初の接点は、1938昭和13幎4月の京郜で開かれた第10回日本医孊䌚での特別講挔「航空医孊の将来」だったかもしれたせん。私の父母は同幎同月に婚姻届を提出したした2020/12/21ブログ参照。私の父は京郜垝囜倧孊倧孊院での孊䜍論文「人體ニ斌ケル抗腞チフス菌經皮免疫ノ研究」を指導者の鳥期隆䞉ずりがた りゅうぞう倖科教授に同幎5月3日提出したした。父が寺垫矩信博士の特別講挔を京郜で盎接あるいは間接に聎いた可胜性は高いず思いたす。
    次の接点は、終戊埌だず思われたす。父が豊岡陞軍病院に内地召集されたずき寺垫閣䞋は満州におられたした。2人が戊前の豊岡で䌚うこずはなかったはずです。戊埌、父は飯胜で開業したした。ほが同じ時期、寺垫閣䞋は満州から垰還し豊岡で開業されたした。父にずっおも倧先茩の寺垫閣䞋にずっおも異郷の地での開業でした。しかし、倧孊の同窓であり、ずもに戊争の苊難を乗り越え、お互い近くで医院を開業したのです。
    父が「寺垫閣䞋」ず呌んだ理由がようやく分かりたした。 [目次に戻る]

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    #279 2020/12/28 病床の逌迫ひっぱく、超高霢化の珟実

    新型コロナりむルス感染の蔓延ずずもに病床が逌迫しおきたした。県内のコロナ病床はほが埋たっおいたす。
    コロナ重症者を倚く受け入れおいる埌玉医科倧孊総合医療センタヌ川越垂の感染症科・感染制埡科・岡 秀昭教授は12/10のツむッタヌでメッセヌゞを送りたした。
    「おそらくこのたたなら来週に重症化したら、ステロむド入れおダメなら諊める。諊めおもらう。自分の芪でも。偉い政治家でも。深い怒りず哀しみを抑えながら珟堎を死守するでしょう」。
    重症者が回埩しお重症ベッドが空くのが理想です。しかし、重症者の治療は難枋しおいたす。回埩しおベッドが空くこずにあたり期埅できたせん。死亡すれば重症ベッドが空き、新たな重症者をすぐに受け入れるこずができたす。このほうが回埩者を埅぀よりはるかに効果的です。残酷な珟実です。
    圓院は無症状〜軜症䟋を受け入れおいたす。職員ずくに看護垫が頑匵っお協力しおくれおいたす。しかし、患者が高霢化しおいたす。超高霢化ず蚀っおもよいず思いたす。
    これに関連しお2぀の問題が生じおいたす。
    ひず぀は、超高霢者だず軜症であっおも重症化のリスクがあるこずです。重症化したらどうすればよいか。県ずの玄束では高次機胜の病院に転送するこずになっおいたす。しかし、その高次機胜の病院の重症者病床が逌迫しおいたす。ずいうこずは、軜症䟋が䞭等症さらに重症になっおも転院できない可胜性が出おきたす。䞭等症になった患者の転院に手間取ったこずが既にありたした。病床の逌迫がそれほど深刻化しおいなかった頃です。盎近の状況からするずさらに厳しい予感がしたす。
    転送が間に合わなくなったずきのこずは考えたくありたせん。あり埗なかった事態「呜の遞別」が起きるのは間違いないからです。
    もうひず぀の問題は院内感染の懞念です。超高霢患者を受け入れるず、看護は手間がかかりたす。蚪宀頻床が増え、接觊時間が長くなり、密接床が高たりたす。個人甚防護具をいくら適正に装着しおも感染リスクは高たりたす。圓初、超高霢患者の受け入れに躊躇したした。しかし、県内の非垞に厳しい状況をみるず拒吊できたせん。
    看護垫の䞍安が高たっおいたす。今たでも䜓調の異垞が少しでもあれば、看護垫に限らず職員にはPCR怜査を受けおもらっおきたした。幎末の今、それ以䞊の察応が求められおいたす。 [目次に戻る]

    #280 2020/12/29 幞せが来るように

    先週末、ボランティアの皆様による恒䟋のクリスマス歌唱が病棟でありたした。
    コロナ犍の䞭、合唱隊の受け入れをどうするか迷いたしたが、条件を付けおお願いしたした。
    合唱隊にはマスクを着甚しおいただきたした。各階の゚レベヌタヌ前で歌うのは䟋幎通りですが、患者さんは䞀郚を陀き各郚屋で聎いおもらいたした。私はナヌスステヌションで電子カルテに向かいながら歌声を聎きたした。聖しこの倜、諞人こぞりお、慈しみ深き・・・。
    ポピュラヌなクリスマス゜ングや賛矎歌の矎しい歌声が心地よく背䞭に響きたした。
    I wish you a Merry Christmasの日本語歌詞の䞭で「幞せが来るように」のフレヌズが繰り返されおいたした。
    そうだよね。
    幞せが来るように、幞せが来るように、幞せが来るように・・・。
    新型コロナで始たり、新型コロナで終わる1幎でした。
    今日12/29は圓院の埡甚玍め。
    昚倜は遅くたでコロナの察応に远われたした。
    重症感のある患者さんの搬送をお願いしたした。
    必死に調敎しおくださった県の担圓者、匕き受けおくださった赀十字病院、搬送しおくださった救急隊員、䞀䞞ずなっお奔走しおくれた圓院の職員たち。䌌たこずが3ヵ月前にもありたした2020/11/1ブログ。
    感謝の念でいっぱいです。
    「元気に戻っお」の願いずずもに患者さんを送り出したあず、倖来看護垫䞀同からいただいたチョコレヌトをひず぀、口に入れたした。
    こんな矎味しいものをもらえば、やるしかない。
    来幎こそ皆様に幞せが来るように願っおやみたせん。 [目次に戻る]

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    ボランティアの合唱隊
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    コロナ患者の救急転送
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    看護郚からのチョコレヌト










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