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元院長のブログ 9

    第9集(#321〜)一部準備中

    第1集(#はじめに・#1〜#40)
    第2集(#41〜#80)
    第3集(#81〜#120)
    第4集(#121〜#160)
    第5集(#161〜#200)
    第6集(#201〜#240)
    第7集(#241〜#280)
    第8集(#281〜#320)

    #321 2021/5/10 認知症専門医がアルツハイマー病になったとき(2)

    アメリカ医師会雑誌(JAMA)2021/4/28号に認知症専門医(脳神経内科医)のダニエル・ギブス医師の体験談が載っていました。
    医師として、患者としてのギブス医師の言葉と行動は、日本の私たちにとっても示唆に富むものと考えます。一部ですが翻訳を試みました。前半は短くまとめ、後半の問答を少し詳しく紹介します。
    ギブス医師は現在69歳。50歳代半ばから匂いを感じなくなってきたそうです。当初パーキンソン病の初期症状かと思っていましたが、60歳のときに自分のLRRK2(遺伝性パーキンソン病関連遺伝子)とAPOE4(アルツハイマー病高リスク遺伝子)を調べたところ、LRRK2は陰性、APOE4が陽性(ホモ接合)とわかりました。アルツハイマー病の家族歴がなかったためギブス医師は衝撃を受けました(両親はともに早くにがんで死去)。

    Q1.アルツハイマー病が早期に診断されたことの意義は何か?
    A1.以前はアルツハイマー病の診断を早期にする意味はないと考えていた。治療薬が何もなかったからだ。アルツハイマー病が疑われても診断はできるだけ遅らせたほうがよいと考えていた。しかし、今は認知能力が落ちる前に対処できる可能性が出てきた。生活習慣の改善で認知症の進行を遅らせる知見も得られている。アルツハイマーと言えばナーシングホームにいる晩期患者のことばかりだが、認知機能が損なわれる前の超早期のことを言うようになって欲しいと強く願っている。超早期こそ介入の効果が出るはずだ。

    Q2.アルツハイマー病のリスクを持つ人に対して望むことは何か?
    A2.議論のあるところだが、研究に参加してもよいという人は、アミロイドβやタウ蛋白のPETを受けて早期アルツハイマー病の診断になったならば、新規薬剤や生活習慣改善の効果をみる治験に参加してもよいのではないか。数年すればPETよりも安価な血液検査で脳内のアミロイドβやタウ蛋白を調べられるようになる。しかし、ハイリスクの全員に検査を受けてもらいたいとは思わない。家族歴からハイリスクだとわかっている人は、生活習慣の改善をできるだけ早期(40歳代〜50歳代)に始めておく必要がある。この年代は働き盛りで生活習慣の改善はそう簡単ではないが、生活習慣の改善によって心臓病や高血圧、糖尿病も同時にリスクを下げられることを知るべきだ。まずは食事と運動が大切。地中海食などの野菜中心の食事と適度なエアロビクス(有酸素運動)を心がけて欲しい。

    Q3.アルツハイマー病ではないかとわかってから、あなたは生活習慣をどのように変えたのか?
    A3.認知機能低下が起きる前の2013年に61歳で引退した。判断能力がすぐにでも低下するのではないかと感じたので、患者の治療には関わらないことにした。患者の安全を脅かしてはならないからだ。1日1万歩を目指し、山道を犬と散歩している。地中海食の効果については運動ほどのデータはないが、地中海食の変法であるMIND食(ベリーやナッツなどフラバノールの多い食事)はアルツハイマー病リスクの低減にはよいと思って摂っている。社会的な活動に関わることがリスク低減になることはわかっていても、アルツハイマー病では初期の段階でもなかなか難しいものである。私も相当の努力をして人と話したり会ったりしている。新型コロナのパンデミックで人と会うのが難しくなった。その点、2回のワクチンが打てたことを喜んでいる。知的活動に関わることについてはさまざまな意見があるが、学び続けることが大切だと思う。脳内シナプスの新たな形成には単なる記憶想起よりも新しく学習するのがよい。クロスワードパズルをたくさんやればよいという人がいるが、単純なのは記憶力向上に必ずしも役立たない。私はニューヨークタイムズ紙オンラインのクロスワードパズルに毎日挑戦している。週末になると(永井註:金・土・日のパズルは膨大かつ難しくなるらしい)大変になるが、新しい単語は必ず調べて覚えるようにしている。
    最後に大事なことは睡眠だ。睡眠中にはGリンパ系(永井註:2019/6/10の本ブログ参照)によってアミロイドなどの中毒物質を洗い流してくれる。数年前この事実が知られると、マスコミは冗談で「洗脳」と呼んでいた。深い睡眠期であるノンレム睡眠のときにこの現象は起こるとされる。少なくとも7時間半の睡眠が望ましいので、毎晩8時間の睡眠を心がけている。ただしアルツハイマー病の患者は不眠の問題を抱えることが多く、自分もときに不眠になる。

    Q4.「医師は患者として最悪」とよく言われる。認知症患者の治療にあたっていたのであれば病気の先が読めてしまい、患者になることが難しかったのではないか?
    A4.私は脳神経科学者として自分の病気を客観的、理性的に見ることができる。それがコーピング(ストレス対応)にもなっている。自分の脳画像を全て見てきたが、それは一歩下がって別の面から自分自身を観察することになる。怖いことではない。
    例を挙げよう。2015年、自分に認知障害があると感じていたとき、臨床研究の一環としてアミロイドPETを初めて受け、その画像が20-30名の医師・研究者による検討会で開示された。すると、自分の脳の嗅覚野にアミロイドが蓄積しているのが直ぐにわかった。そのとき自分が思ったのは、「素晴らしい」だった。他の人もそう思った。なぜなら、PETでこうした所見を認めたという報告がそれまでなかったからだ。そのとき、私は科学者の頭になっていたのである。そのおかげで、自分が将来アルツハイマー病を患うという重大な事実はどうでもよくなり、結果的に癒されたのだ。

    Q5.あなたは、いくつもの臨床研究に登録している。なぜそのような行動をとるのか?
    A5.アルツハイマー病の治療に結びつけられることは速やかに全て行おうと思っている。私自身が直接恩恵を受ける可能性はほとんどないのはわかっている。が、新しい治療法の発見につながる可能性があれば全て試みたい。今まで5つの治験に参加してきた。その1つで重篤な副反応が生じ集中治療室に数日入ることになったが完全に回復した。よい経験だった(永井註:インタビュー記事の最初の解説で、ギブス医師はアルツハイマー病のモノクローナル抗体による治験で高血圧性脳症、脳内出血を発症したことが書かれている。回復後、その症例報告の共同執筆者に名を連ねた)。

    Q6.「アルツハイマー病を治療する立場」から「アルツハイマー病と共に生きる立場」になった自身の経験を本として出版された。そのタイトル「A Tattoo on My Brain(わが脳にタトゥーあり)」はどういう意味か?
    A6.タイトルは執筆を始める前に思いついた。タトゥーには2つの意味がある。1つは文字通りのタトゥー。治験の1つに参加して脳内出血を起こした。微小な出血だったので後遺症はなく、脳腫脹もきれいに消失した。ただし出血のわずかな跡がヘモジデリンという鉄色素となって脳内に今も残っている。ヘモジデリンは皮膚のタトゥーに使われるインクとほぼ同じなのだよ。もう1つの意味は比喩的なものである。私には皮膚のタトゥーはないが、人のタトゥーを見ると、これは一種のカミングアウトだと考える。「自分は誰か」を表現しているのだと思う。皆に見せたり、ときに隠したりする。私の場合もカミングアウトのようなものだ。アルツハイマー病に対してできることがあるという希望を託しているのだ。負のレッテルを剥がし、アルツハイマー病についてもっと自由に語り合い、病を受け入れて、堂々と取り組もうではないか。 [目次に戻る]

    #322 2021/5/13 一瞬一瞬を大切にする

    終末期の患者さんにどう接したらよいでしょうか。
    いろいろな状況があります。意識があってしっかりされているかたもいれば、意識低下や認知機能低下のあるかたもいます。だから同じようには考えられない。そう言われれば、その通りです。
    それでも同じ人間の最期の時には共通の考えがあってもよいように思います。しかし、よい答がなかなか得られませんでした。
    多くの終末期の患者さんを看取るなかで、おそらくこう考えるとよいのではないかと、やがて思うようになりました。
    40歳代半ば、大学での医学教育に再びかかわるようになった頃です。
    そのきっかけをくださった患者さんがいらっしゃいます。
    50歳代の女性でした。
    手術に手術を重ね、それでも再発が襲ってきました。告知は済ませています。しかし「諦めよう」とは言えませんでした。
    「私はこの先どうなるでしょうか」。
    しっかりした眼差しで見つめられたことがあります。
    思わず目を逸らしました。
    「大丈夫ですよ」。

    思えば、何が大丈夫だというのでしょうか。
    肺転移が無数にあり、鼻に酸素の管を付けていました。
    ところが、あるとき、晴れやかな顔で私を迎えて下さいました。
    「私、とても幸せ」。
    笑顔いっぱいでした。
    「どうしてですか」。
    答はこうでした。
    「お恥ずかしい話だけど、今までうちの家族はバラバラだった。娘は家を出てもう何年も顔を見せてくれない。電話すら寄こさなかった。それが、昨日、来たんです。ここに来たんです。自分が病気になったから来てくれたんです。もう嬉しくて嬉しくて・・・。最高に幸せ!」

    その数日後の土曜日午後、そのかたの部屋をノックして入りました。
    すると、ご本人と娘さんが同じベッドで寝ていました。
    「ごめんなさいね。」
    口に指を当て、私にささやきました。
    娘さんは母親のそばで静かに眠っていました。

    大学病院では医学生と一緒に回診をします。
    がん末期のその患者さんの回診を済ませたあと、学生たちに聞いてみました。
    「あの患者さんの予後はどうだろうか」。
    「厳しいと思います」。
    ひとりの学生がすぐ答えてくれました。
    「確かにあと1ヶ月ほどだろう。かわいそうだと思うか」。
    返事がありません。
    この病気さえなければ、あと数十年はあるはずです。1ヶ月と数十年の差。どう考えるか。
    「気の毒です」。
    もうひとりがようやく応えました。
    「最高に幸せ!」と言った話をしました。
    「本当に気の毒だろうか」。
    問いかけました。
    「1ヶ月も、数十年も、違いはないのではないか」。
    自分にも言い聞かせるように言いました。
    「一瞬一瞬を大切に生きれば、同じではないだろうか」。
    理由を言いました。
    「ボ〜と生きていると、数十年なんてあっという間に過ぎてしまう。時間は絶対的なものではない。相対的なのではないか。1ヶ月でも一瞬は無限にある」。
    学生たちは何とも言えない表情をしていました。

    「一瞬一瞬を大切にする」。
    全ての場合ではありませんが、終末期の患者さんやそのご家族には、折りに触れこのことを話すようになりました。 [目次に戻る]

    #323 2021/5/17 一瞬の中の永遠

    前回、一瞬一瞬を大切にする意味をお話しました。
    短い時間でも一瞬は無限にある、と主張しました。
    2021/4/25の日本経済新聞朝刊に「一瞬」を話題にしたエッセイがありました。作者はピアニストの仲道郁代氏、タイトルは「一瞬の中の永遠」。
    こう書き出しています。
    「私は演奏をしていると、曲の中のある一瞬に永遠を感じることがある。それは、一瞬にしか過ぎないのに、音の響の奥に永遠が聞こえてくる」。

    私にも好きな曲や旋律はあります。しかしそれに「永遠」を感じるかというとぴんときません。「曲の中のある一瞬に永遠を感じる」とはどういうことでしょうか。
    仲道氏によれば、「一瞬の中に、全てが薄皮のように重なっているイメージだ」というのです。さらに「永遠」についてこう述べています。
    「音楽は時間とともに流れ行く芸術であり、終わりがあることを知っているものなのに、時間を超える感覚が、永遠とはこのようなものかと感じてしまう世界が、そこには、音楽にはある」。

    亡くなった娘が楽しみにしていた仲道氏のコンサートを娘の写真とともに聴きにきたある母親について語ります。その思いに届く演奏ができているか、問い続けることが演奏の原点になっていると言います。ベートーヴェン、シューマン、ショパンなど作曲家が生きたその人生にも思いを巡らせます。「作曲家の思い、私の思い、受け止めてくださる方の思い。音楽が見せてくれる「永遠」の感覚を感じ、感じている自分、そして、聴いてくださる一人一人の存在を強烈に意識する。生きているということを」。

    少し分かった気がします。
    演奏者だけでなく、聴く者も思いが重なると一瞬の中に「永遠」を感じるということでしょうか。音楽を聴く機会の少ない私には自体験が思い浮かびませんが、音楽以外の芸術や文学でなら幾度も感じてきたような気がします。風景の中、生活の中の一瞬にも「永遠」があったように思えます。
    医療現場では、生か死かの問いかけを常に受けます。一瞬が永遠の別れになることがあります。その一方で一瞬のもつ貴重さもあります。
    仲道氏は、ベートーヴェン最後のピアノソナタ作品111を取り上げ、エッセイの結びとしています。
    「(ベートーヴェンは)永遠の天上界に昇ろうとする。そこは輝かしい響きに包まれた世界だ。けれども、最後の最後で彼は天上界へと架けた梯子(はしご)を降りてくる。人間は素晴らしいのだと。私たちは問い続けなければならないと。そして終わりは新たな始まりであると。だからこそ、稀有(けう)であり貴重なのだと。」

    人は、いずれ死にます。
    医師としては、自分自身に対しても患者に対しても、「どうせ死ぬのだから」ではなく、「今を生きているのだから」でありたいと思っています。 [目次に戻る]

    #324 2021/5/20 時間は作るものだよ

    かつて年間200件以上の定時の全身麻酔手術に関わっていました。それ以外に年間30例ほどの緊急手術を手伝っていました。深夜〜未明の手術もそれなりにありました。加えて、外来、回診、研究、会議、講義、学会、論文執筆、査読、海外出張、医師会活動など、盛りだくさんの仕事をしていました。
    大阪での夕方の講演のあと、夜遅くまで懇親会に付き合い、寝台列車に乗って翌日の始業に間に合わせたことがあります。地方での手術では最終列車に乗り遅れることが時々ありました。新潟では、近くのホテルで3時間の仮眠を取り、最寄りの新幹線の駅の始発に間に合わせるべく午前3時にタクシーを呼んだことがあります。長野で午前1時過ぎまでかかった手術のあと、夜通しタクシーを走らせ、朝のカンファレンスに間に合わせたこともありました。国際学会に参加したイタリア・ローマから出勤したこともあります。週末は、仕事絡みのゴルフにもまめに参加していました。
    不思議なことに仕事がどれほど忙しくても、自分の時間がありました。飲み会を断ったことはまずありません。忘年会10回、新年会5回などザラでした。仕事のゴルフばかりでなく、前夜祭込みのプライベートゴルフも楽しんでいました。ドライブにもよく出かけました。手術を最も多くこなした助教授時代の7年間、車の総走行距離は20万kmを超えました。コンサートや美術館、映画館にもよく通いました。小説もそれなりに読んでいました。
    1日が48時間いや72時間あればと願っていたのは確かです。
    いつ睡眠をとっているのですか。よく聞かれました。
    会議の時だよ。
    真面目に答えていました。

    若い人が「忙しくてできない」と言ってくると、「忙しいは理由にならない。時間は作るものだよ」と、うそぶいていました。
    手を抜くときは抜く。重要事案は全身全霊を傾ける。その含みがありました。
    後輩の学位審査の事前チェックが前日になってしまったことがあります。遠くの外勤先にいた後輩は、仕事のため昼間は来られないと電話で言ってきました。その日、私は某市で夜の研究会に参加しなければなりませんでした。そこで2人が落ち合ったのは午後10時、某市郊外の高速道路Kインターチェンジ料金所の前でした。スライド(当時はPCではなく、35mmスライド)を車内灯に透かして見ながら、発表原稿を読んでもらいました。スライドはもはや訂正できません。口頭で補うしかありません。言い逃れができない箇所では「素直に謝れ」などと指示しました。2人が別れたのは日付が変わる直前でした。
    思えば「パワハラ」だったかもしれません。今なら「ブラック」と言うのでしょう。家族からもずいぶん非難されました。
    時代は移り、今、自分を含め常勤医11人の中規模病院で多くの入院患者、外来患者を診ています。下につく医師はいません。処方も指示も全て自分で行います。急変にも独りで対応しています。1日がせめて48時間あって欲しいと願っています。

    「時間は作るものだよ」。
    よくあんなことを言ったものだ。今になって後悔しています。
    自業自得、因果応報。
    黙ってやるほかありません。
    好きだった言葉「刹那に生きる」を恨んでいます。

    それでも、同僚の医師に助けられています。ありがたいことです。医療は医師だけで行っているのではありません。全ての医療者の助けがあって支えられています。ありがたいことです。
    日曜日と祝日は本当にありがたい安息日です。しかも自分のベッドで好きなだけ寝られるのです。こんな幸せはありません。ときどき病院からの電話で起こされても幸せです。
    時間は作るのではなく、恵みとしてやってくる。そのことをようやく実感しています。 [目次に戻る]

    #325 2021/5/21 子育て外科医はそんなに悪でしょうか

    20年以上前、全国紙のA新聞に「外科医は出産ダメ?」という匿名の投書が載りました。
    ある女子医学生が外科医になろうとして外科の医局の説明会に行った時のことを書いています。「女で外科に来るなんて患者さんに失礼だと思わないか」と言われ、挙句に「子どもは産みません」とまで言ってしまった、というのです。
    私は当時、ある大学の外科教授でした。この投書を読み、翌日、その新聞社に抗議の手紙を出しました。
    一部を再掲します。
    「私はX大学外科学講座の主任教授を務めている者です。
    当地の2000年○月○日付のA新聞に載りました「外科医は出産ダメ?」について、私見を述べさせて頂きます。
    これは東京都の女子医学生からの投書ですが、外科採用の説明会で先輩から「女で外科にくるなんて、患者さんに失礼だと思わないか」と言われたとのことです。そして、悲しくも「子どもは産みません」と言ってしまったとのことです。投書の中では、「外科を志すためには『結婚はしません』、『子どもは一生いりません』と誓うことを、医者の世界では、やる気のある証拠と考えている人が多い」、とも書かれてあります。
    私は、「女で外科にくるなんて、患者さんに失礼だと思わないか」という意見を吐く外科医のいることに驚きました。また、こうした意見に従ってしまう女子医学生がいることには、さらに驚きました。
    この話はもちろん実話だとは思いますが、にわかには信じ難いところがあります。「外科を志すためには『結婚はしません』、『子どもは一生いりません』と誓うことを、医者の世界では、やる気のある証拠と考えている人が多い」というのも、私の周囲、種々の大学の先輩、同僚の日々の意見を聞きましても、本当とは思えません。
    女性が外科医になることは確かに厳しいという風潮が存在していたことは否定しません。しかし、いまや新規医師の3割が女性であること、今後さらに女性医師が増えること、外科医の仕事は減るどころか増えている現状を考えますと、投書者の先輩の意見は、単なる暴論に過ぎないと思います。
    投書をよく読みますと、こういう暴論を確実に言ったのは、先輩一人だけのように思います。「医者の世界では云々」は、投書者の思い過ごしもあるのではないでしょうか。どんな世界にも変な暴論を吐く人は少数ながらいます。これをもって、多数の意見とされてしまうのは、納得できません。
    こうした投書を掲載するにあたっては、現在の外科指導者が上記のような「暴論」を本当に持っているのかどうか、是非調査して頂きたいと思います。
    投書は医学界の一面を少しは伝えているのかもしれませんが、これによって受ける外科のイメージは著しく損なわれてしまった気がしてなりません」。

    A新聞からは何の音沙汰もありませんでした。
    「こんな大学などあり得ないよ」。私は医局で息巻いていました。

    それから20年以上の年月が過ぎました。
    よい時代になったはずです。
    ところが、です。
    似た話が残っていることを最近知りました。
    2021/3/15のブログで「女性目線の考え方」を紹介しました。このブログを読まれたある女性外科医から突然お手紙を頂戴しました。
    「女性医師関連のことを2008年からやってきたが、本当に叩かれることが多かった。自分が発信してきたことをそのまま受け取ってもらったことが嬉しくて涙が出た。そして自分がやっていることは間違っていないと励みになった」という内容でした。
    その後のメールのやりとりで、ご自身が「逆境をプラスに変える方法」という動画*を公開されていることを知りました。許可をいただきましたので、皆さんもぜひご覧になってください。
    *https://youtu.be/0eL6s7qDxwA

    力強い言葉が語られています。
    「子育て外科医はそんなに悪でしょうか」
    「目の前の人たちに否定されたからと言って自分の夢をあきらめてよいものか」
    「もしかしたら、可能性は無限大にあるのではないか。だって誰もやってないのだから」
    「少しずつ、女性目線で仕事をし続ける異質な私を受け入れてくれる変化を感じます」
    「もし厳しい環境に遭遇して挫折しても、取り返せるのです。少しの発想の転換や自分を信じてコツコツ努力することで、違う未来が待っています。つらいことがあっても、ピンチの先にはチャンスがあると信じて、諦めずに頑張っていきましょう」
    「人間は負けたら終わりなのではない。やめたら終わりなのだ」。
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