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【完結済】消印なき恋文「失夏園」ep.1/5

    ──向日葵の咲く頃に始まった恋は、金木犀の香りのなかに散った。

    だから僕は再三、君に伝えたのです。
    文ふみをしたためよ、と。

    想い人と物理的に離れるのであれば、なおのこと。
    その物理的距離をいとも容易く打ち消すことのできる時代だからこそ、文を。

    前略

    以前、君は僕の極端な右上がりの文字が読みづらいとおっしゃいました。
    ですから極力、右を下げ、左を上げるよう意識してみたのですが、いかがでしょうか。

    井上いのうえ 悠来ゆうき 様

    どうです?
    上、なんて上出来では?
    実は三度みたび、書き直しました。
    井上の「上」の字のために。
    これは定規で線を引きました。
    ほんとうです。
    疑うのなら、分度器で測ってみて下さい。
    きれいに90°が3つ、見つかるはずです。

    失敬、話が脱線しました。

    ところでその後、金沢の恋人とはいかがですか。
    夜毎よごと、電話で言葉を交わしてらっしゃるとのこと。
    今も続けておられるのでしょうか。

    よい時代です。
    互いに望めば、どれだけ離れていようとも声を聴くことができる。
    話すことができる。
    ですが、その声はホンモノでしょうか?

    少し、考えてみませんか。
    まず、君が恋人に電話をかける。
    恋人が通話ボタンを押す。
    君が「もしもし」と声を発する。
    「もしもし」は電気信号に変換され、電波に乗って君の恋人の元に届く。
    と思うじゃないですか。
    まだですよ。
    その電気信号が君の恋人の携帯電話のスピーカーを振動させる。
    そしてその振動が空気を揺らす。
    その揺らぎが君の声として恋人の耳に届く。

    果たしてそれは本当の君の声なのでしょうか?

    極めて精巧なニセモノだと僕は思うのですがね。
    まあこればかりは各々の価値観ですから。

    その点、文ふみは声こそしませんが、変換という工程を経ない分……あまり押しつけがましいのもよくありませんよね。
    失礼しました。
    でも、指の腹で文字の上を撫でてみてください。
    凹凸を感じませんか?
    それが僕の痕跡です。
    声を聴くより、かえって近く感じませんでしたか?
    それこそ、二学期が始まればいやでも毎日僕の顔を見るようになる。
    そうしたらもう、凹凸をたどっても何も感じなくなるかもしれない。

    物理的な距離を埋めるもの。
    それが文なのではないかと、僕は考えているのです。

    芥川龍之介も、太宰治も、北原白秋も、そして島崎藤村でさえも、想い人へ文ふみをしたためたといいます。

    例に漏れず、君の敬愛する夏目漱石も。

    ──おれの様な不人情なものでも頻しきりにお前が恋しい。これだけは奇特きとくといって褒めてもらわなければならぬ。

    これは漱石君が留学先のイギリスから日本で暮らす妻へあてた文です。

    僕はね、これ、君にぴったりだと思うのですよ。

    誤解しないでください。
    君が人情味に欠けると言っているのではありません。

    僕が言いたいのは、少しばかり不器用で、その実まっすぐ。
    そんなところが君に似合いそうだと感じたまでです。

    ただ、「お前」なんていうのはやめておいた方が賢明かと。
    いかんせん君、僕に呼びかけるとき、「ばか、、お前」だのなんだなって口汚くなるでしょう?
    まさか恋人にまで言っていないでしょうね?
    いけませんよ、絶対に。

    君のことです。
    だって、彼らにはメール、、、を送る手段がないじゃない、とおっしゃるでしょう。
    ええ、そうです。
    ごもっともです。
    ですがね、君、メール……mailの古くからの意味をご存知ですか?
    「郵便物」です。
    でもこれだって17世紀からのことで。
    mailの語源はmale。
    フランス語です。
    なんと、13世紀に生まれた言葉。
    「かばん」とか「革袋」なんて意味だったそうですよ。
    いわゆる「メール」として使われるようになったのは20世紀も後半に入ってからのことです。
    わりあいに最近で驚きませんか?
    それより800年もの歴史を持っていたという事実に僕は驚いています。
    800年前といえば日本は鎌倉時代でしょうか。
    僕は君と違って歴史が苦手ですから、深入はよしておきます。

    ところで、君は文章を書くのが苦手だとおっしゃいましたね。
    いいんですよ、言葉なんて。
    なんだって。

    ですが君、厄介なことに完璧主義じゃありませんか。
    自覚、ありますか?
    半端なものはとてもじゃないけれど出せないときおっしゃるのならば。

    いくらだってお手伝いします。
    いつでもおっしゃってください。
    いっしょに言葉を探しましょう。

    まず手始めに、僕にでも書いてみては?
    この文へのご返事でも、なんでも。

    いいえ、冗談です。

    草々

    20XX年8月28日
    井上 悠来様

    白石椋

    追伸
    こちらの便箋、差し上げます。
    僕が五枚程、使ってしまいましたが今の季節にちょうど似合う絵柄ですから。
    よろしければ。


    #井上と白石
    また練習で少し連載します。

    ↑
    これまでの連載、読切、全部ここです。

    ↑
    井上と白石シリーズの中から、白石メインのおすすめはこちらの三つです。

    ↑
    ありがたいことにこちら二本、とても読んでいただけていてうれしいです。

    ↑
    水兵リーベで遊びましょ。

    ↑
    ゆきお様・解説
    手紙のシステム!
    白石が手紙を書いた理由とは?
    手紙の中身はまどろっこしいようで実はシンプル。
    理由もシンプル。
    さあ、ゆきお様のもとで頭の中の絡まりをほどいてきてください。

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    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

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