
35. 黒子――祈りによって消された怒り
小学2年生の私にとって、教会の外は悪魔の世界であり、教えに従わなければ地獄に落ちると信じていました。
私は公立小学校に通い、週に一度、教会へ行くために学校を休んでいました。自宅は校区の端にあり、通学には徒歩25分ほどかかりました。同じ通学路を歩く子どもたちは、私にとって大切な友達でした。
ある日、母親が同級生2人を教会のイベントへ連れて行きました。
昼食にはSDA教団の関連企業が製造する植物由来の肉の代替食品などが出され、大人たちは「お肉よりもいいものがある」と説明していました。同級生の1人は気持ち悪そうな顔をしていました。
そこへ、同級生の母親が怒ってやって来ました。どうやら保護者の許可なく子どもを連れて来てしまったようでした。
母親は私の母親や牧師と話した後、子どもの手を握り、帰り際に私をものすごい剣幕で睨んで出て行きました。
その視線は今も忘れられず、ときどき夢に見て、怖くなって目が覚めます。
しかし、もっと恐ろしかったのは、その後でした。
教会の大人たちは「あの人のために祈りましょう」「正しいことをする者は理解されない」と話していたのです。
同級生の母親が怒った理由は、小学2年生の私にも理解できました。なぜ、相手の怒りの理由を考えないのでしょうか。
その後も、登校時などに同級生の母親から注意されることがありました。家庭でそのことを伝えても、「牧師が言っているから正しい」「正しい者は理解されにくい」と説明されるだけでした。
さらに、私は小学校で、教会に通っていることを理由にいじめられるようになりました。
教会の外では、教会に通っていることでいじめられる。家庭では、教会の大人たちの判断に疑問を抱いても、理解してもらえない。
大人たちが決めたことなのに、なぜ私がその結果を引き受けなければならないのでしょうか。
やるせない気持ちになりました。
思えば、これは幼い頃から、家庭の中でSDAクリスチャンたちの背後に何かどす黒いものを感じていた理由の一例だったのかもしれません。
普段は穏やかな大人たちが、信仰の話になると、突然、目の前の人間の気持ちや事情を理解しようとしなくなる。その変化が恐ろしかったのです。
そして、何より怖かったのは、私自身の将来でした。
教会に真面目に通い続けると、私もいつか、相手の気持ちを理解しようとしない大人になってしまうのだろうか。
あれから40年が経ちました。
これまでの経験を振り返ると、あのとき小学2年生の私が抱いた懸念は、決して間違っていなかったのだと、今は確信しています。この大人たちは職場や、未来や、結婚相手の家や、夢の中までやってくる。