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人間のレイチェル、人魚のアリエル。

    このドキュメンタリー風の映画に出てくる女性は、カイウラニ・リーという女優さんで。彼女が演じているのは、レイチェル・ルイーズ・カーソン(1907年~1964年)だ。

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    若い頃の Rachel Louise Carson
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    晩年の Rachel Louise Carson

    1960年代の米国で、ある環境問題を告発した人。彼女は研究者でありネイチャー・ライターでもあった。当時、環境の保護や人々の健康について真剣に考え執筆もしていた人は、他にも複数いたのだが。カーソン氏がいなければ、環境保護運動の発展はもっと遅れていたかもしれないと言われている。

    今回は、そんな女性について書いていく。おもしろく読み続けられるよう、いろんな話をまじえながら。


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    ざっくり説明するとこうだが……

    1962年にカーソン氏が『沈黙の春』を出版すると半年間で約50万部売れ、アメリカで合成農薬の使用による環境問題に注目が集まった。

    化学企業などは、農薬に使われる化学物質の危険性をとりあげた彼女の著書を批判し、農薬と生態系の健全性に関する主張を全面的に否定した。

    後の調査で彼女の見解が裏づけられると、環境保護運動が強まった。没後だが(1980年)、カーソン氏に勲章が授与された。

    ……こんな端的な内容では、何も学べやしないしおもしろくもない。


    海洋生物学者であるカーソン氏は、『センス・オブ・ワンダー』では、海辺の自然の豊潤さをつづった。(1956年に雑誌に掲載されていた文章が、著者の死後1965年に本として出版されたもの)

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    冒頭に貼った映画は、この作品をもとに制作されたものなのだ。この映画の日本版宣伝の世界観が美しい。

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    日本語版翻訳者さん
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    Sense of Wonder って何なの?

    センスは、たとえば『Sixth Sence』のセンスと同じだ。今回の話に関係あるから貼る。大丈夫、これは怖くない部分だ。(車の外に幽霊が映るけれどケガを負った人にしか見えない)

    このシーンの構成はすばらしい。

    母親も子どもの頃に自分と同じ悩みを抱えて、不安がったり淋しがったりしていたのだと主人公が気づく瞬間。(いや、母親には霊感はないが。彼女にも親はいる)その0.1秒後におとずれる、幼い息子が2人の共通点に気づいて目に涙を浮かべてママと呼びかけてきたのだと、主人公の母親が理解する瞬間。

    真の絆が生まれた人と人の間には、失うことや薄れることなど永遠に恐れる必要のない、深い愛が宿るのだろう。物事には成立ちや理由があるから。

    浜崎あゆみさんは、そうなれないケースのことを「理由なくはじまりはおとずれ 終わりはいつだって理由をもつ」と表現した。マリア、誰も皆泣いている。マリア、だけど信じていたい。『M』は普遍性の高いよい歌だ。

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    カーソン氏はこのように語っていた。

    「子どもの成長を見守る善良な妖精がいて、彼ら彼女らに話しかけることができたら、世界中の子どもに生涯消えることのないセンス・オブ・ワンダーを授けてほしいとお願いする。神秘や不思議に目を見はる感性のことだ。この感性は、大人になるとやってくる倦怠や幻滅・自然という力の源泉から遠ざかっていくことに対する、解毒剤になる」

    「私たちは大人になってから、つまらない人工的なものに夢中になっていないだろうか。地球を守っていくためにも人類の未来を守っていくためにも、センス・オブ・ワンダーが必要なのだ」

    ここにあわせるのこのMVでいいの?と思われるだろうか。元気や活力の表現がリアルでいいじゃん。絶対に抵抗をしなければならない時、私たちは抵抗しなければならないよ。

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    しばらく過去回の文章を貼る。

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    彼のアドバイスは「環境の産物になるな」だ。

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    動画をお借りする。この手の話は幾度もしてきたが、ここでさらに私の過去回を貼るよりもこちらの動画を貼る方がずっといい。

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    こういうのも関連回だよ。


    レイチェルは、ペンシルベニア州スプリングデール近く、家族経営の農場に生まれた。

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    少女が大好きだったのは、自然とふれあうことと読書だった。10才の彼女が書いた物語が、子ども向け雑誌に掲載されたりしていた。

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    自然を愛したら自然を守りたくなる。

    大学ではじめは英文学を専攻していたのだが、生物学へと転向。(専攻を変えるのは米大でよくあること)卒業後は、ジョンズ・ホプキンス大で動物学と遺伝学の研究にたずさわった。

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    カーソン氏が生物学を専攻していた、
    ペンシルベニア女子大学(現在のチャタム大学)。

    博士号にも挑戦するつもりが、大恐慌の間に家族を養うために働かざるを得なくなり、大学や研究室から離れることに。

    ラジオの教育放送の原稿を執筆して、収入を得ていた。「Romance Under the Waters」海洋生物と漁業に関する内容だった。

    漁業局はそのラジオ・シリーズを大変気に入り、彼女にさらなる仕事の機会を与えた。

    カーソン氏は、水生生物学者として漁業局に雇われた史上2番めの女性となった。ネイチャー誌などで彼女の特集が組まれた。

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    彼女の主な業務は、海や魚についてのデータを分析し、それらを一般向けの文献にすることだった。子どもの頃から好きなこと2つ・大学で学んだ2分野が、キャリアを形成したわけだ。理想的な流れだね。

    けれど。父親も他界してしまったし高齢の母親の世話もあったしで、カーソン氏は苦労していたのだ。さらに、お姉さんも亡くなってしまい。1人で、残りの家族と姪っ子だか甥っ子だかを養わなければならなくなっていたのだ。

    彼女の海の話に感銘を受けた出版業界の人のすすめで、本を出すことに。

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    人々の好奇心を刺激することができていた自分の記事に、誇りをもっていたが。レイチェルとは書けなかった。世界はレイモンドやリチャードの方を信頼していたからだ。「私に本を書いてほしいって本当に!?」みんなにも世界を愛してほしかったから、登場する生き物たちに名前をつけた。サバのスコンパー、ウナギのアンギラ……。
    (私の意訳)

    『Under the Sea-Wind』(潮風の下で)『The Sea Around Us』(我らをめぐる海)『The Edge of the Sea』(海辺)は、海と海の生き物に関するあらゆる話、科学的な正確さと美しい散文が融合した三部作だ。

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    2作めは国際的なベストセラーとなり、
    全米図書賞も受賞した。

    Under the Sea 〜 という文言で世界中の人々が思い浮かべるのは、カーソン氏の著作ではなく、これかもしれないが。

    レイチェルとアリエルは似ているよ。レイチェルもアリエルも、異なる世界に興味や関心をもち、自分の世界と愛や絆で結ぼうとした。

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    息抜き的に余談をはさもう。

    ネットにあるこういう質問↓に対して、そもそもセバスチャンはカニだが、と淡々と答えている人が多いようだが。

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    自分も改めて調べてみた時にカニだったんだとおどろいただろ、と言いたい。「カニらしいです!エビにしか見えないですよね!」とかが正しい回答だろ、と言いたい。

    私はロブスターだと思っていたよ。実写で、エビばかりをスターにしてごめんカニにもスポットライトをあてるよ的に、変更(ポリコレ)があったのかと思ったよ。まじで。

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    彼は、(大層立派な)フルネームにもカニが含まれているくらいカニなのだが、エビにしか見えない。

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    私がこの過去回↓を書こうと思ったのは、彼女のライティングを思い出したからではなかったが。内容を増やして3回にわけた(三部作にした)のは、彼女のライティングを思い出したからだった。


    局内の出版物の編集長となった彼女は、フィールド・ワークの機会をより得ることができるようになっていた。

    その頃、彼女が養っていたに近かった姪が、5才の息子を残して他界してしまった。

    身近な土地を自分の足で歩き・特定地域の環境を自分の目で観察し、それらをもとに文章を書く作家として、生きていくことを決意。ロジャーくんを養子にむかえ、メリーランド州シルバースプリングに引越し、自然の中で一緒に暮らした。

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    『センス・オブ・ワンダー』は、その年に書かれたものなのだ。

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    子どもの世界は、新鮮で新しく美しく、驚きと興奮に満ちている。私たち大人のほとんどにとって、その澄んだ視覚や美しく畏敬の念を抱かせるものに対する真の直感は、すでに薄れている。あるいは、完全に失われている。それは不幸なことだ。
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    私の本に限らず、戦争中に本は売れない。誰も物語を読む時間などないからだ。あの頃、私の作家人生は始まる前に終わってしまったと思っていた。
    (私の意訳)

    WWⅡ最終年には、マンハッタン計画の影響で、科学のための資金は特定の技術分野に集中していたと言う。私は、この話は本当なのだと、カーソン氏のキャリアを知る過程で思ったね。この年、彼女と彼女のまわりの自然系学者たちに、仕事はほとんどなかったそうだ。

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    この過去回より。

    カーソン氏が懸念していた合成農薬は、その多くが、世界大戦以降に軍事資金を通じて開発されていた。

    続けてお送りしておりますシリーズ「人類の闇」、今夜のキーワードは「もったいないから何かに使いたい」、どうぞご覧ください。

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    『沈黙の春』が、1962年に出版されるやいなや社会をゆり動かしたのには、理由があった。

    急速な経済発展にともない、農薬や化学物質が次々と開発されていた時代だ。そんな時代に、それらの乱用の危険性を先駆的に鋭く訴えた内容が、物議を醸さないわけがない。

    いくつかの化学物質は、動植物の食物連鎖によって生体内に蓄積され、やがて環境汚染をひき起こすと。その過程で人体も汚染されかねないと。

    人間が自然の生態系を大きく破壊しているというのが、当時は、みんなの中の当たり前の知識ではなかったのだ。まだ、嘘か誠か議論されるような情報だったのだ。

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    以下、カーソン氏が農薬の過剰使用の危険性を指摘したから起こったムーブメントの1つ。

    1957年後半までにアメリカでは、米農務省がヒアリの根絶をかかげて、塩素化炭化水素と有機リン酸を含む液体の散布計画を拡大していたのだが。

    (ある種を人為的に大幅に減少させようとしていることから、やはり、生態系に関する包括的な知識がまだ乏しいのがうかがえる)

    有害な殺虫剤の空中散布があったニューヨーク州ロングアイランドなどの土地所有者たちは、これ以上の散布を停止するために訴訟を起こした。この訴訟自体は失敗に終わったが、合衆国最高裁判所は請願者らに、将来の潜在的な環境被害に対する差し止め命令を得る権利を付与した。

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    Fire ants(ヒアリ)は刺すアリだ。たとえば南米原産のアカヒアリは、巣を守るためなのだが、群れで何度も刺してくる。電線をかじるなどして、電気系統にダメージをもたらすことも多い。

    彼女は、最初の一人でも唯一の人物でもなかったが。彼女の科学的知識と詩的文章の組合せが、特別な力を発揮したのだ。

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    論理的に解説される科学的な情報・専門家によって地道にとられてきたデータ・どんな人が読んでもわかるライティング・人々の心に響く王道のストーリー。これらがあわさって、世界は動いたのだ。

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    彼女に機密情報を提供した政府科学者は少なくなかったそうだ。殺虫剤散布の危険性を却下するグループと、生物学的害虫駆除などの代替方法を検討する意思のあるグループとに、科学的陣営もわかれており。カーソン氏は、「敵」も一枚岩ではないことを知ったと言う。

    カーソン氏は、また、バイオ・ダイナミック農法の農家グループと関わりをもっていた。そこで、強力な支持とともに広範な証拠を得ていたらしい。戦略的な理由からクレジットされていない情報源であったが、彼女の本の主要な情報源であった可能性が高いそうだ。

    え、カッコイイ。高まる。

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    The Great Cranberry Scare(クランベリー騒動)について。

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    1957年・1958年・1959年の米国産クランベリーに、実験用ラットでは発癌性が確認された除草剤が多分に付着している/含まれていることが判明し、全米でクランベリー製品のとりあつかいが中止された事件。

    こんな記号的な情報を楽しめる人など誰もいない。詳しく解説していく。

    アメリカのクランベリーの消費量はホリデー・シーズンにピークをむかえる。つめもの・パイ・カクテル・装飾……と、感謝祭の食卓に多用されるため。

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    私はサンクスギビングの歴史を深く知っている。
    いつか、それメインの文章を書くかもしれない。

    1959年の感謝祭直前のこと。政府機関から、クランベリーが化学除草剤によって汚染されている可能性があると知らされ。アメリカの人々は、今年は七面鳥に何をそえたらいいのかどころではない、大きな不安に駆られた。

    クランベリー農園にとって、その発表があった1959年11月9日は「レッド・マンデー」という感じだっただろう。クランベリー業界からしたら最大の稼ぎ時に攻撃を食らったわけだから、嘆く権利があるように思えるが……

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    実は、事前に警告を受けていた。問題となった化学物質は農業省によって承認されたものではあったが、果実が育ちはじめる前・収穫直後にのみ使用するよう、言われていたのだ。守らないと有害な化学物質が混入する恐れがあると、強調して伝えられてもいたのだ。

    どの農園が決まりを守っていなかったか・汚染と言ってもどの程度なのか、個別に判断することができなくなり。安全なクランベリーの買い方というのを国民に伝授することも難しく。全てのクランベリーがキャンセルされる、という最悪の結果になってしまった。

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    生だけでなく缶詰も瓶詰も、倉庫に返却され廃棄された。

    ネバダ州は、商店がクランベリー製品をとりあつかうことを違法行為とした。
    シカゴのある父親は、娘の通う学校の給食にスプーン1杯のクランベリーがあったことを知り、激怒して中学校へ抗議した。
    アラバマ州のある主婦は、クランベリーをさわってしまったとパニック状態におちいり、救急車で運ばれた。
    アイオワ州のある教会は、クランベリーにふれる際はゴム手袋を着用するようにと、休日のミサで説いた。
    全米のレストランは、メニューからクランベリー・ソースを削除した。

    こんな歌まで歌われていた。

    共和党のニクソン副大統領(当時)は、ウィスコンシン州での選挙運動中に、報道陣の前で山盛りのクランベリーを食べた。これはこれでくだらないパフォーマンスと言うか、ニクソンのやりそうなことだ。

    こんばんは、シリーズ「人類の闇」のお時間がやってまいりました。本日のキーワードは「卵が先か鶏が先か」、お見逃しなく。

    また、しばらく過去回の文章を貼る。

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    民主党の上院議員だったジョン・F・ケネディーもクランベリー・ジュースを一口飲んだが、そうせざるを得なかったのだろう。彼はマサチューセッツ州出身だからな。クランベリーの本場だ。

    複数の議員たちがこの騒動に乗っかっていた。

    アメリカン・シアナミド社で実験を行っていたある博士は、議会での証言を求められ、このように述べた。「第一に、アミノトリアゾールを人体に毒性のある量で曝露させることは不可能である。第二に、それが人に癌をひき起こすという証拠はない」

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    そうなの?参考までに。アミノトリアゾールを用いた除草剤を開発や製造していた代表的な企業は、シアナミドだよ。

    この人の発言で私が気に入っているのは、これだ。「この植物はパニック・グラスと呼ばれている」😂まじめな話、危険な化学物質は危険だけれど、人々のパニックもじゅうぶん危険だ。

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    事態を収拾しようと、ホワイトハウスの報道官室が記者団に、「アイゼンハワー大統領夫妻は感謝祭の晩餐会でクランベリー・ソースを召し上がる予定である」などと述べてみたが。その晩餐会帰りの客が、ファースト・レディーはクランベリー・ソースでなくアップル・ソースを強く求めていた、と口をすべらせた。笑

    生クランベリーの即時検査が実施されたが、クランベリーの売上減少を防ぐことはできず。米国政府は結局、売れ残ったクランベリーに対して補助金を出した。

    「検査の結果、残留農薬は検出されなかった。国内のクランベリーの99%は全く汚染されていなかった」という政府発表で、どこか無理やり、この騒動は幕を閉じた。

    ある主婦は、クランベリー製品を全てゴミ箱に投げ入れたことにほっとして、キッチン・スツールに腰をおろしてタバコを1本吸った。感謝祭のメニューを彩るクランベリー以外の赤い食べ物について、何があるかしらと考えながら。「発癌性だなんてダメに決まっているじゃあないの」

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    赤い果実がもたらしたすったもんだの感謝祭を表すのに、こんな皮肉はどうだろうか。時代も反映していて、なかなかエモいと思うのだけれど。

    こういう曲の時代だよ。

    いや、ほんと、この騒動はエモいって。

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    カーソン氏の死後の研究では、DDTの危険性には疑問の余地もあるという意見も出ているが。さまざまな人たちから話を聞いてきたカーソン氏にとって、1960年までにじゅうぶんな研究資料をもっていたカーソン氏にとって、幅広い合成殺虫剤の毒性の証拠は明確なものであった。

    殺虫剤規制の改正に関するアメリカ食品医薬品局(FDA)の公聴会に出席し、化学業界の代表者らの意見に落胆したカーソン氏は、特定の殺虫剤プログラムの背後にある財政的誘因の可能性について疑惑をもつようになった。

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    まぁ、正しい疑い方だと思う。

    実は、彼女は乳がんを患っていたのだが。執筆中、殺虫剤会社がそのことを悪用できないようにと、自身の病気を隠していた。自らの健康管理さえままならない人間の見解によるとーーとか、あげあしをとられるのではないかと思ったのだ。

    まぁ、正しい警戒のし方だったと思う。

    1980年代から継続的に、ロナルド・レーガン、ブッシュ(父)と続いた共和党政権時代、カーソン氏は批判されてきた。2000年代には、彼女がDDTの禁止を主張しなければ何百万人ものマラリア患者が死なずに済んだーーという論法で、再批判された。

    カーソン氏は、マラリア予防目的のDDT使用の禁止など、全く主張していなかったにもかかわらず。真逆くらい違った。彼女はこう言っていた。「農薬利用など、マラリア予防以外の目的でのDDTの利用を禁止することによって、マラリア蚊がDDT耐性をもつのを遅らせるべき」

    開発途上国では、安価な殺虫剤であるDDTは農薬として日常的に使用されてきた。それでどうなったか。DDTに耐性をもつ蚊が激増した。

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    Wikiより。

    ニーチェも “言っていた” 。あなたが世界の仲間(昆虫)を害虫あつかいしている時、世界の仲間(人間)はあなたを害虫あつかいしていると。

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    ちなみに。多くの国において、一人あたりの所得が最近の円換算で約450万円前後に達すると、環境保護への意識が急速に高まると言われている。結果として、大気汚染の改善などの現象も見られると。

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    再度、この過去回より。

    ショート動画もお借りして、よりカジュアルな言葉で、安定のバランスの良さの彼にも語ってもらおう。


    ある晩、カーソン氏のひざの上に座って月をながめていた養子の男の子は、「僕はここへきてよかった」と言った。

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    未来の子どもたちがみんな、ここへきてよかったと思える、そんな世界にしたい。そのために、すでにここにいる私たちは、何をすればよいのか。それを、それぞれのセンス・オブ・ワンダーで、考えたり行ったりするのだ。

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    海外のあるジャーナリストが、自然欠乏症候群から子供たちを救うという主旨の本を書いていたのを思い出した。

    (カーソン氏などのおかげで、今は前よりずっと何が危険で何が危険でないか調べられているということをふまえての、以下貼り出しだが)

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    霧雨煙る森の中・ふれるとあたたかい土の中、嵐の去った海辺・月明かりに照らされた岬で、たくさんのともだちが待っている。

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    『沈黙の春』が出版された2年後、カーソン氏は癌が原因で亡くなった。

    地球の美しさについて深く思いをめぐらせることができる人は、自らの生命についても、その終わりの瞬間まで・静かにだが確かに、輝く価値を感じ続けていられる人なのではないだろうか。

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    この孤立した世界を見つめながら、全てがつながっていることを理解した。時は、波の下で人の手がおよぶこともなく、静かに流れ続けている。
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    レイチェル、ありがとう。

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    紗綾

     
     
    世に溢れんばかりに出まわっている処世術や俗説に、「また同じ話だ」「ぶっちゃけこれじゃない」と感じている人へ。 行き止まり感を払拭できるような、そんな文章を目標に書いています。 読みやすいよう仕上げていますが、短い文章が好きな人にオススメできる長さではないです。 月に3~4回更新。