メインコンテンツへスキップ
見出し画像

#790_バニラの余白[3]_掌編小説

    あの夜、門灯の下で見た瀬田さんの涙が、まだ胸の奥で冷めないまま、試験が終わったばかりの教室のざわめきも、心春と並んで歩くいつもの坂道も、真尋にはどこか遠くの出来事のように思えた。
    「ねえ心春。今日ちょっとつき合ってくれない?」浮き立った教室の空気を抜けるように、真尋は並んで歩く心春より少し前に出て歩調を緩める。

    「うん。なに?」
    「レコード屋さん、行かない?」
    真尋ははにかんで俯き、人差し指で頬のあたりを搔いた。

    「え?レコード?なにそれ」心春の息が白く大きく吐かれた。
    「おじいちゃんにもらったの。気に入っちゃった」
    「いいけど……配信でよくない?」
    「そうなんだけど、おじいちゃん家には無かったの。瀬田さんの曲……」
    真尋は照れて小さく指を折り曲げた。
    「ふぅん?目覚めたんだ、クラシック」
    「そんなんじゃないけど」
    真尋は慌ててマフラーに顔を埋め、歩調を早めた。


    バスを降りて、駅の手前にあるCDショップに入ると、店内は大音量でいま流行のポップスが大音量で流れていた。店員に尋ねると、申し訳なさそうに首を横に振る。教えてもらった近くの楽器店でも、目当てのジャケットは見つからず、真尋の肩から小さく力が抜けた。

    「やっぱり、配信なのかな」真尋は空を見上げて小さくため息をついた。
    「ね、その方がはやいよ。でも……」心春はそう言って、続けた。

    「せっかくここまで来たんだから、もう少し探してみようよ」
    「ありがと。でも、探すって?」
    「うーん。あ、中古屋さんは?」
    「そうだね、行ってみよう」真尋はそう答えながら、もう一歩先へと足を踏み出していた。


    ガード下を抜けると、いくつも商店が並ぶ。その中に一軒のレコード店が店を構えていた。白い壁に、昭和レトロな茶色い木のドアを開けると、カラン、と小さなベルを鳴り、アメリカ風のゆったりとしたジャズが流れてきた。

    「わっ……」心春が小さく息を漏らす。石油ストーブの煤に混じって、古い紙の匂いと擦り切れたレコード盤のあまいような香りが店の中を漂う。

    「なんかいいね、ここ」心春が店内を見回すと、店内にはスズランの形のスタンドライトや、昔のレコードのポスターが貼られている。心春は自分の好きな曲がレコードで出ているのを見て、真尋よりもはしゃいでいた。

    真尋はまずクラシックの棚を探した。アルファベットや五十音、アーティストや曲名、インデックスをなぞり、背表紙を目で追った。
    これまでに歩いたどの店よりも、品揃えがありそうだったが、棚に隙間なく詰め込まれたレコード盤の束に、指先が途中で立ち尽くす。背表紙のアルファベットをいくら追いかけても、探している名前だけが滑り落ちていくようだった。

    真尋はレトロなこげ茶色のカウンターに手をかけ、店員に呼びかけた。
    「あの、すみません。レコードを探しているんですが……」
    店員はカウンターに背を向けて一枚のレコードに針を置いた。目線よりも上の棚にレコードジャケットをしまい、エプロンを整えて振り返った。

    スピーカーから針が落ちるノイズが聞こえ、真尋はマフラーの中で、そっと小さな息を呑んだ。


    <了, 約 1,200 字>
    再編集: 2026年11月1, 4日
    つづく。


    あとがき

    スケッチのように、お試しで書いています。
    前編、後編の予定でしたが、もう少し続きそうです。

    今回のシーンは、「水とはちみつ」執筆時には空想していないシーンでした。

    一昨年の目標でもありました、「冬」をしっかりと表現できればと思います。また、一昨年に同じく、温かな冬で行きたいと思います。

    どうぞ暖かくしてお過ごしくださいね。

    また明日お目にかかりましょう。
    おやすみなさい🌙


    連載中の作品

    画像
    めざせ、1000日
    リベンジです
    ↓7月で落としました👀

    ▶ほかの記事をお探しですか?(記事検索)
    すべての記事:人気、急上昇、新着、定番など

    あなたへのおすすめ