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#26 音楜史㉑【1980幎代】デゞタル革呜

    クラシック音楜史から䞊列で繋いでポピュラヌ音楜史を綎る詊みです。このシリヌズはこちらにたずめおありたすのでよければフォロヌしおいただいたうえ、ぜひ叀代やクラシック音楜史の段階から続けおお読みください。

    これたでの蚘事↓

    序章
    #01「良い音楜」ずは
    #02 音楜のゞャンルっおなに
    #03 ここたでのたずめず補足歎史ずはなにか
    #04 これから「音楜史」をじっくり曞いおいきたす。
    #05 クラシック音楜史のあらすじず、ポピュラヌ史に぀なげるヒント


    音楜史
    #06 音楜史① 叀代
    #07 音楜史② 侭侖1
    #08 音楜史③ 侭侖2
    #09 音楜史④ 15䞖玀ルネサンス前線
    #10 音楜史⑀ 16䞖玀ルネサンス埌線
    #11 音楜史⑥ 17侖简 - バロック
    #12 音楜史⑊ 18侖简 - ロココず埌期バロック
    #13 音楜史⑧ フランス革呜ずドむツ文化の“救䞖䞻”登堎
    #14 音楜史⑚ 【19䞖玀初頭】ベヌトヌノェンずずもに始たる「ロマン掟」草創期
    #15 音楜史⑩ 【1830~48幎】「ロマン掟 “第二段階”」 パリ瀟亀界ずドむツナショナリズム
    #16 音楜史⑪【1848幎~】 ロマン掟 “第䞉段階” 分裂し始めた「音楜」
    #17 音楜史⑫【19䞖玀埌半】 普仏戊争ず南北戊争を経お分岐点ぞ
    #18 音楜史⑬【19䞖玀末20䞖玀初頭】䞖玀転換期の音楜
    #19 音楜史⑭【第䞀次䞖界倧戊~第二次䞖界倧戊】実隓ず混沌「戊間期の音楜」
    #20 音楜史⑮【1940幎代】音楜産業の再線成-入れ替わった音楜の「䞻圹」
    #21 音楜史⑯ 【1940幎代末1950幎代】 ロックンロヌルの誕生ず花開くモダンゞャズ
    #22 音楜史⑰ 【1950幎代末60幎代初頭】ティヌン・ポップの時代
    #23 音楜史⑱ 【1960幎代䞭期】ビヌトルズがやっおきたブリティッシュ・むンノェむゞョンのむンパクト
    #24 音楜史⑲ 【1960幎代埌半】カオス枊巻く瀟䌚運動ずカりンタヌカルチャヌ
    #25 音楜史⑳ 【1970幎代】亀錯する方向性 “耇雑化”ず“掗緎”、“反発”ず“原点回垰”
    〈今回〉#26 音楜史㉑【1980幎代】デゞタル革呜


    1980幎代のわかりやすい特城ずしお、今回は「デゞタル」をタむトルにしたした。

    䞀般にわかりやすい察比ずしお、「自然機械」「アコヌスティック゚レクトリック」ずいう察立軞は思い浮かべられやすいず思いたすが、泚意すべき点ずしお、「デゞタル」に぀いおはそこが境界線ではありたせん。

    楜噚で蚀いたすず、゚レキギタヌや゚レキベヌス、゚レクトリックピアノ、モヌグシンセサむザヌなどが登堎しおいる地点で既に、電流や回路を甚いた、いわゆる「電化サりンド」にはなっおいるのですが、これらはただ「デゞタル」ではありたせん。1970幎代に半導䜓技術が進歩したこずにより、「0ず1」の数字を甚いた蚈算、コンピュヌタヌ凊理が機械でなされるようになりたした。これが「デゞタル化」です。それたでの「0ず1」ではない、連続的な電気信号は「アナログ」ずいいたす。モヌグシンセサむザヌも「アナログシンセサむザヌ」であり、珟圚ではデゞタルシンセに比べお「枩かみのある音」ず称されおいたす。

    1980幎代の音楜は、デゞタルサりンドによっお䞀気にサりンドが塗り替えられた時代だずいっおよいでしょう。


    ◉機噚の発達


    ◆シンセの発達ずリズムマシンの誕生

    60幎代に誕生したモヌグシンセサむザヌは、70幎代に入るず䞀般に認知されるようになり、぀づいおダマハやオヌバヌハむムずいったメヌカヌからシンセが発売されおいたした。初期ではモノフォニック䞀床に単音しか発音しないだったものがポリフォニック耇数の音が発音するぞず発展。さらに、音色を保存できるメモリヌ機胜が付加されたずころから、たずデゞタル制埡ずの融合が開始したした。

    信号を自動で制埡する「シヌケンサヌ」の機胜も、アナログの段階からすでにシンセのモゞュヌルのひず぀ずしお存圚しおいたのですが、70幎代埌半に入るず、こちらもデゞタル・シヌケンサヌずなりたす。これによっお、挔奏情報が数倀化したのでした。音を鳎らすために、音皋やリズムをすべお数倀で入力するようになり、この䜜業が「打ち蟌み」ず蚀われるようになりたす。

    さらに、シンセサむザヌやシヌケンサヌの機胜から分化する圢でリズムボックスずいう打楜噚音を鳎らせる機材が登堎したした。これは、あらかじめ決められたプリセットを遞ぶだけのものでしたが、こちらがシヌケンスのプログラムが可胜になるず、リズムマシンず呌ばれお区別されるようになりたす。リズムマシンの発展は、日本のメヌカヌRolandによっお䞻導されおいき、䞖界のクラブミュヌゞックの進化に倧きな圱響を䞎えたした。

    はじめおマむクロコンピュヌタを内蔵しおプログラミング察応になったリズムマシンは、1978幎のRoland「CR-78」でした。ここから、各機皮の特城的な音色が珟圚たで残る、代衚的なリズムマシンが続々ず誕生したす。

    【80幎代初頭に発売された代衚的なリズムマシン】

    Roland 「TR-808」1980幎
    Oberheim 「DMX」1980幎
    Linn Electronics 「Linn Drum」1982幎
    Roland 「TR-909」1983幎
    Roland 「TR-707」1984幎

    機械的なプログラミングによる、こうした芏則的なビヌトの誕生は、特にハりスやテクノずいったゞャンルの発展に倧きく貢献したした。もちろん、䞻芁なポピュラヌ音楜にも広く取り入れられるようになりたした。


    ◆MIDIの誕生ずデゞタルシンセの時代ぞ

    このようなリズムマシンだけでなく、先述したずおりシンセサむザヌの挔奏情報も数倀化され、打ち蟌みによる自動挔奏が詊行錯誀されおいった䞭で、1982幎に「MIDI芏栌」が制定されたした。これは、い぀音が始たり、どの高さでどの音量で、い぀音が消えるか、ずいう挔奏情報の芏栌です。この共通の芏栌が決められたこずにより、異なる楜噚間での挔奏情報のやり取りが可胜になったのです。

    MIDIの送受信によっお自動挔奏が可胜ずなり、MIDIをプログラムするMIDIシヌケンサヌが普及しおいきたす。これによっお、埓来のハヌドシヌケンサヌは衰退しおいきたした。ただ、MIDIを打ち蟌むためには、圓時高䟡だったコンピュヌタヌを䜿甚する必芁があるなど、ハヌドルは高かったようです。ずもあれ、ここから生挔奏だけではない数倀入力の「打ち蟌みサりンド」の本栌的な開始ずなったのでした。

    MIDIの誕生を受けお、1983幎にはダマハがフルデゞタル構成のシンセサむザヌ「DX-7」を発売。MIDIを初搭茉した画期的なシンセサむザヌずしお普及しおいきたした。DX-7では、音色の合成方法ずしお「FM音源方匏」が採甚され、シンセベルの音など、硬質でキラキラした音色を埗意ずしたした。特にきらびやかな゚レクトリックピアノのサりンドは、それたでの゚レピの䞻流であったロヌズピアノやりヌリッツァヌなどに察しお、小型であるこずも含め、そのシェアを奪うたでのものになりたす。

    フルデゞタル構成の利点ずしお「䜜成した音色デヌタの保存・再珟が簡単に可胜」「いち早くMIDI端子を装備し、容易に他のデゞタル楜噚ず組み合わせるこずが可胜」ずいうふうに、アナログシンセサむザヌから革呜的な進化を遂げ、1980幎代䞭盀以降の音楜に幅広く䜿甚されるこずずなりたした。

    さらに、こうしたFM音源のデゞタル合成方匏のシンセだけでなく、PCMシンセずいうものも登堎したした。これは、メモリに波圢を蚘録しおおいお、MIDIによっお波圢をメモリから再生するずいうもので、珟圚鍵盀楜噚で「キヌボヌド」ずいえば、ほずんどがこの方匏です。PCMシンセは、1980幎代初頭にフェアラむト瀟の「フェアラむト CMI」や、ニュヌむングランド・デゞタル瀟の「シンクラノィア」などで登堎したしたが、圓時はただPCMシンセ台で家が買えおしたうほどの賌入コストがかかり、䞀般局においおは実甚的ではありたせんでした。その埌、1988幎にKORGの「M1」でようやく実甚的になり、シンセサむザヌの音源方匏の぀ずしお定着しおいったのです。

    PCMが広く採甚されたこずによる圱響ずしお、各皮鍵盀楜噚の仕組みの違いが無くなっおいった、ずいうこずが挙げられたす。別々の楜噚であった゚レクトリックピアノ、電子オルガン、シンセサむザヌ、デゞタルピアノなどは、発音の仕組みずしおすべお同じものPCMになっおいき、今ではこれらの呌称の違いは「目的の違いによる鍵盀数や搭茉機胜の違い」だけずなっおいたす。


    ◆サンプラヌの普及

    1960幎代に開発された鍵盀型のテヌプ再生機であるメロトロンがサンプラヌのはじたりだずされたすが、ビヌトルズやキングクリムゟンの楜曲で䜿甚されたほかは、あたり普及したせんでした。しかし、80幎代に入るず、デゞタル技術によるサンプラヌが登堎し、䜎䟡栌化も実珟。急速に普及しおいきたす。特に日本のAKAI瀟のMPCなどによっお䞀般化しおいきたした。

    ハりスやテクノなどのクラブミュヌゞックのDJにはもちろんのこず、もずもずレコヌドを䜿甚したブレむクビヌツの発芋によっおサンプリングの手法が産声を䞊げおいたヒップホップの分野においおも、䜎䟡栌のサンプラヌの普及は歓迎され、タヌンテヌブルずレコヌドを䜿甚したDJプレむに加えお、サンプラヌの䜿甚による「匕甚」ず「再構築」の可胜性が広がり、さらに抜き出した音を楜噚音ずしお挔奏するパフォヌマンスも開発されたした。 ドラムマシンずの接続や゚フェクトの䜿甚など、新たな手法が開拓されおいきたした。たた、サンプリングの手法が発達するに぀れお、単玔に楜曲を聎かせる目的のDJの遞曲ずは別に、再構築に適した、良きグルヌノを持぀マむナヌな楜曲リリヌス圓時は正圓な評䟡を受けおいなかったものや廃盀になったレアなものに䟡倀が芋出されるようになり、発掘が進んでいきたした。これは「レアグルヌノ」ず呌ばれお評䟡されたした。


    ◆メディアに぀いお

    1982幎、CDコンパクトディスクが登堎したした。ここたで蚘録メディアずしお20䞖玀を通じおポピュラヌ音楜を支えおいたレコヌドに取っお代わるものずしお急速に普及し、1986幎には぀いに、CDの販売数がLPレコヌドを远い抜いおしたいたした。こうしお、楜噚や創䜜段階だけでなく、リスナヌの受容段階においおも音楜のデゞタル化が進んだのでした。


    ◆レコヌディング段階のデゞタル化

    80幎代、楜噚面など創䜜段階ではデゞタル化が進みたしたが、レコヌディング面においおはただ、磁気テヌプを甚いたアナログMTRが䞻流のたたでした。やがお1986幎には「DATDigital Audio Tape」ずいう芏栌が定められ、「A/D倉換アナログ⇔デゞタル」を甚いお磁気テヌプにデゞタル録音する圢のデゞタルMTRが䞀時的に䞻流ずなりたす。しかし、すぐにパヌ゜ナルコンピュヌタヌの䜎䟡栌化やハヌドディスクの容量増加が進んだこずによっお、90幎代のハヌドディスクレコヌディングの時代ぞず進んでいくこずになりたす。







    ◉クラブミュヌゞックの始動


    ◆シカゎハりス

    1970幎代埌半にピヌクを迎えたディスコミュヌゞックは、クラブ向けの音楜スタむルの基瀎を䜜り䞊げたした。客が螊るのに適したテンポ感ず4぀打ちのキックのビヌトや長尺のブレむクの存圚はDJカルチャヌの創出に繋がっおいたす。

    70幎代末、差別的な「ディスコ・デモリッション・ナむトディスコが死んだ倜」が起こったシカゎでしたが、その埌、ラリヌ・レノァンやフランキヌ・ナックルズずいったDJによる独特な遞曲ずプレむが「ガラヌゞュ」ず呌ばれお人気ずなっおいたした。シカゎのナむトクラブ「りェアハりス」から発祥しおいったこのような音楜がハりスミュヌゞックずしお売られ、最悪の事件からわずか数幎で、シカゎは「ディスコをハりス・ミュヌゞックずしお蘇らせた街」ずなり、フランキヌ・ナックルズはこれを「ディスコの埩讐」ず呌んだのでした。


    1982幎、入堎料の倀䞊げ問題によりフランキヌ・ナックルズはりェアハりスを離れたす。クラブのオヌナヌはこれを機に「りェアハりス」を「ミュヌゞック・ボックス」ず改名し、新たにカリフォルニアからロン・ハヌディヌを埌任DJずしお招聘しょうぞいしたした。䞀方のフランキヌ・ナックルズも同じシカゎのクラブ「パワヌプラント」に移籍しおDJを続け、ファンたちもそちらを远っおいきたした。こうしお2人のDJの間に競争が生たたのです。

    圌ら2人のプレむスタむルは、ラリヌ・レノァンらの「ガラヌゞュ」の匷い圱響䞋にありながらも、リズムマシンを䜿甚したアグレッシブな傟向を持っおいきたした。ディスコの楜曲が収録されたテヌプを切り貌りしお、シンセサむザヌやドラムマシンの音を加えおリミックスリ゚ディットしたこずでハりスぞ倉化したず蚀われおいたす。80幎代に入り、ディスコ゜ング自䜓にもサりンドの倉化が起こっおおり、䌝統的なディスコトラックでの生バンドやオヌケストラに代わっおシンセサむザヌずドラムマシンが䜿甚されるようになっおいたした。こうしお゚レクトロニックなディスコが積極的にDJでプレむされるようになり、初期のハりスミュヌゞックのプロトタむプずなっおいったのです。ナックルズずハヌディヌの2人の間の競争により「シカゎハりス」がみるみる普及しおいき、ダンスミュヌゞック界でシカゎずいう郜垂が倧きな地䜍を確立しおいきたした。


    ◆デトロむトテクノ

    1980幎代䞭盀、シカゎに隣接する郜垂でありモヌタりンなど黒人音楜の䌝統を持぀デトロむトでも、シカゎずデトロむトを行き来する人々によっお「シカゎハりス」が持ち蟌たれ、新しい音楜の運動が生たれおきたした。この運動を䞻導したのは、デリック・メむ、ホアン・アトキンス、ケビン・サンダヌ゜ンずいったDJたちです。シカゎハりスに圱響を受けながらも、ドむツのクラフトワヌクなど、ペヌロッパの電子音楜の芁玠を融合させ、ドラムマシンやシンセサむザヌの耇雑なリズムを独自の解釈で盛り蟌んで、シカゎハりスよりもシリアスな音楜を志向しおいきたした。このようなサりンドはシカゎハりスに察しお「デトロむトテクノ」ず呌ばれたした。



    ◆ペヌロッパぞの波及ず、アシッドハりス・ムヌブメント

    ハりスやテクノの人気はむギリスぞも波及したした。1987幎にむギリスの「マヌズM/A/R/R/S」の楜曲「パンプ・アップ・ザ・ボリュヌム」がペヌロッパで火が぀き、党米チャヌトでも倧ヒットずなり、ハりスミュヌゞックが埐々に䞖界ぞ認知されおいき぀぀ありたした。


    さお、ハりスの発祥地シカゎでは、DJ ピ゚ヌル、スパンキヌ、ハヌブの3人からなるシカゎハりスのグルヌプ「Phutureフュヌチャヌ」は、安䟡で出回っおいた叀いアナログベヌスシンセのRoland「TB-303」を甚いお音楜制䜜をしおいたずころ、ツマミをランダムに動かすこずによっお偶然、LSDの幻芚䜜甚を思わせるようなサりンドが産み出されたした。TB-303のフィルタヌずレゟナンスを䜿い、それたで聎いたこずがなかった独特のベヌスサりンドを12分間に枡っお挔奏し、1987幎「Acid Tracks」ずいう曲名でリリヌスされたした。

    このトラックを受け取ったロン・ハヌディは倧倉気に入り、䞀晩で4回プレむするなどしおパワヌプッシュしおいきたした。こうしおシカゎハりスのオヌディ゚ンスに理解され、ハりスの新たなサブゞャンル、アシッドハりスが誕生したのでした。

    このようなサりンドが、スペむンのむビサ島でのでもプレむされ、さらにそこから持ち垰られ、ハりスミュヌゞックが流行し始めおいたむギリスたで飛び火したした。瞬く間にむギリス党土に飛び火し、アシッドハりスやデトロむトテクノをナニヌクに解釈したUKハりスシヌンが圢成されたのでした。

    さお、アシッドずはLSDの意味です。ひたすら連続するうねるような電子音のサむケデリックサりンドず違法ドラッグの盞性は抜矀であり、䌑むこずなく螊る人々を続出させるこずになりたした。LSDのほかにも、通称゚クスタシヌず呌ばれるMDMAなどの倚幞系のドラッグも蔓延しおおり、これがダンス音楜ず結び぀いたのです。高熱や脱氎を起こし死亡したり、それに察凊しようず氎を摂り過ぎお䜎ナトリりム血症で死亡したりするケヌスも匕き起こしおしたいたした。

    1980幎代埌半のペヌロッパは経枈的にそれほど良い状態ずは蚀えず、閉塞的な状況を反映しおか、むギリスでは野倖で酒やドラッグを摂取しながら、アシッドハりスやテクノの音楜で䞀晩䞭螊りあかす倧芏暡な音楜むベントが行われるようになり、ロンドンのゞャマむカ系移民のスラングでパヌティヌを意味する「レむノ」ず呌ばれるようになりたした。知らない人間同士が抱き合い肩を組んで巚倧なスピヌカヌから倧音量で流れる無名のDJの掛ける未知の音楜に狂乱し螊り明かすずいう、以前のむギリスでは考えられないような生掻スタむルを生み出し、この動きはすぐにペヌロッパ倧陞䞭に広がりたした。フランスやベルギヌ、ドむツなどでも同皮のレむノが開催されるなど、巚倧なムヌブメントぞず爆発的に成長しおいったのです。倚くの若者を惹き぀けたこの動きを、1960幎代埌半のヒッピヌムヌブメントになぞらえおセカンド・サマヌ・オブ・ラブず呌ばれるようになりたした。

    こうした䞭で、むギリススコットランドの電子音楜バンド「シェむメン」の楜曲などがヒットしたした。



    ◆ディヌプハりス

    アシッドハりスなどの刺激的なハりスが流行した裏で、もうひず぀のサブゞャンルも掟生したした。ブラックミュヌゞックを意識し、掟手過ぎるような音色を避けお、緩やかに展開しおいく内省的な曲構成が特城で、ディヌプハりスず呌ばれたした。ラリヌ・ハヌドによるプロゞェクト、Mr.フィンガヌズの楜曲「ミステリヌ・オブ・ラブ」がこのゞャンルの始たりだずされたすが、アシッドハりス以降、90幎代にさたざたなスタむルのハりスミュヌゞックが展開する䞭で、80幎代のオヌ゜ドックスなハりスがい぀しか「ディヌプハりス」ず分類されるようになった、ずいう捉え方もありたす。





    ◉レゲ゚の新朮流


    ◆ダンスホヌルレゲ゚の始動/ラバダブ

    70幎代、ボブ・マヌリヌらによっおゞャマむカに花開いたルヌツレゲ゚は、海倖公挔の増加によるゞャマむカ囜内の支持の䜎䞋や、倱政による政治・経枈の混乱で、硬掟なメッセヌゞぞの倱望感が広がったために、埐々に䞋火になっおいきたした。さらに、1981幎にボブ・マヌリヌが死去し、倱速が決定的ずなったのでした。

    こうした䞭で、か぀おのラスタファリズム色を薄れさせ、「スラックネス」ず呌ばれる䞋ネタを䞭心ずした歌詞や「ガントヌク」ず呌ばれる自分の銃や力を誇瀺する歌詞を流行させたした。ここから、埓来のルヌツレゲ゚ず異なる「ダンスホヌルレゲ゚」の始たりずされたす。䞻なアヌティストずしおは、む゚ロヌマンらDJがこの動きを掚し進めたした。

    む゚ロヌマンは、ワン・りェむ物ずよばれる「アルバムすべおの曲が同じリディム」ずいう圢匏の䜜品を倚く出すこずによっお、リディムそのものを聎衆に認識させおいきたした。この時期のアヌティストは、基本的にレコヌディングよりもラバダブずいう、サりンドシステムでの即興セッションに掻動の重点を眮いおおり、そうした䞭でむ゚ロヌマンをはじめシャバ・ランクス、ニコディマス、ブゞュ・バントン、バりンティ・キラヌが圱響力を持っおいきたした。


    ◆コンピュヌタラむズド革呜/ラガマフィン

    さお、こうした䞭で、圓時普及し始めたデゞタル楜噚によるリディムの制䜜も進んでいっおいたのですが、1985幎のキング・ゞャミヌのプロデュヌスによる、りェむン・スミスの「アンダ・ミ・スレン・テンUnder Me Sleng Teng」が倧ヒットしたこずにより、デゞタルサりンドのむンパクトを起こしたした。リヌ・ペリヌやキング・タビヌずいった1970幎代から掻躍する゚ンゞニア達もこぞっお打ち蟌みの技法を導入、ここからレゲ゚界は急速にドラムマシンやシンセサむザヌを取り入れお゚レクトリック・ミュヌゞック化しおいくこずになりたす。この音楜的革新を「コンピュヌタラむズド」「コンピュヌタヌ・リディム」ずいいたす。スティヌリィ&クリヌノィヌやボビヌ・デゞタル・ディク゜ン、スラむ&ロビヌなどがコンピュヌタラむズドのリディムトラックを倧量生産し、ニンゞャマン、シャバ・ランクス、スヌパヌキャット、バりンティ・キラヌ、ビヌニ・マンなど倚くのDJによるヒット曲を生んでいきたした。

    ダンスホヌルレゲ゚は、ドラムマシンの導入ず聎衆のニヌズにこたえる圢で曲のテンポも埐々に䞊昇し、それたでのレゲ゚ずは党く異なる音楜ず進化しおいったのでした。ここからしばらく人気ずなった打ち蟌みによる高速のダンスホヌルレゲ゚は特にラガラガマフィンず称されたす。シンガヌたちはわざずキヌを倖しお歌うずいうアりト・オブ・キヌ唱法を確立し、倧きな人気を博したした。



    ◉ヒップホップ


    ◆80幎代前半: オヌルドスクヌル・ヒップホップの䌝播

    ニュヌペヌク・ブロンクス地区のブロック・パヌティにお、クヌル・ハヌクなどブレむクビヌツをプレむするDJの出珟ずずもに始たったヒップホップですが、初期はただブロンクスの䞭だけで発展しおいたカルチャヌでした。1970幎䞭頃から埌半にかけお、貧困な黒人の若者達が公園に集たっおは、DJが回すレコヌドの䞭でダンスやラップ、グラフティヌ・アヌトを楜しんでいたのです。

    そんな䞭で突劂、ブロンクスからではなく、ニュヌゞャヌゞヌ出身の3人組ナニット「シュガヌ・ヒル・ギャング」が、1979幎「ラッパヌズ・ディラむト」ずいうラップの楜曲をリリヌスしたす。

    これは、゜りルシンガヌのシルノィア・ロビン゜ンずいう女性が、NYのヒップホップ文化に目を付け、商業的な成功を目論んで結成させたものでした。圓時、ディスコブヌムがピヌクを迎え、䞋火に差し掛かっおきた頃であり、次にブレむクさせたい音楜ずしお圌女はヒップホップに泚目したのです。

    ロビン゜ンは早速、ブロンクスのラッパヌをスカりトしに出向きたしたが、ブロンクスの若者たちにずっお、既存のファンクやディスコ音源を䜿ったパヌティの文化であったヒップホップを楜曲䜜品ずしおリリヌスする発想は無く、実珟したせんでした。

    そんなずきロビン゜ンは、クラブの譊備員をしおいたニュヌゞャヌゞヌの若者が、ブロンクスのナニット「コヌルド・クラッシュ・ブラザヌズ」のラップの真䌌をしおいるのを芋぀けたす。そこで、圌ずその友人を぀かたえおそれをレコヌディングさせたのでした。シルノィア・ロビン゜ンは、倫のゞョヌ・ロビン゜ンずずもに、ヒップホップ専門レヌベルシュガヌヒルレコヌズを蚭立し、ナニットはシュガヌ・ヒル・ギャングず名付けられ、「ラッパヌズ・ディラむト」が発売されたのでした。

    ただこの楜曲は、ディスコの最埌のヒット曲ずいわれおいるシックの「Good Times」ずいう曲のトラックカラオケバヌゞョンに、コヌルド・クラッシュ・ブラザヌズの歌詞そのたたのラップを乗せただけなのでした。盗䜜の塊であるこの楜曲が、あろうこずかアメリカで倧ヒットしおしたいたす。幅広い局にヒップホップ を知らしめ、ヒップホップ・ミュヌゞックを初めお商業的に成功させた楜曲ずなりたした。圓時ブロンクスでヒップホップに芪しんでいた若者は、突然珟れた無名のよそ者が自分たちのパクリをヒットさせおしたったこずに察し、皮肉に思い、拒吊反応を瀺したす。

    ただ、それたではヒップホップは既存の音楜をサンプリングしお楜しむパフォヌマンス文化であり、それをレコヌドにするこずなんお䞍可胜だず思われおいたので、ここからヒップホップ楜曲のリリヌスの門戞が開かれた圢ずなったのでした。ヒップホップ文化が䞖間に知られたこずで、ストリヌトで有名だったDJやラッパヌたちにずっお、本堎の実力を芋せ付けるチャンスの到来ずなったのです。こうしお倚くのラッパヌたちが次々ずレコヌドをリリヌスしはじめ、ヒップホップが音楜レコヌド䜜品ずしお䞖に攟たれる時代を迎えたす。

    最初期の3倧DJのうち、クヌルハヌクは目立ったアクションをずりたせんでしたが、グランドマスタヌ・フラッシュやアフリカン・バンバヌタはヒット䜜をリリヌスしおいきたした。加えお、トリヌチャラス・スリヌ、スヌパヌ・りルフ、カヌティス・ブロりなどがこの時期に音源をリリヌスしたオヌルドスクヌルヒップホップの代衚的なアヌティストです。



    ◆80幎代埌半: ゎヌルデン゚むゞの開始ミドルスクヌル

    80幎代䞭盀にオヌルドスクヌル・ヒップホップが飜きられたころ、ランDMC、UTFO、LLクヌルJ、フヌディニずいった新しい䞖代のラップ・アヌティストが登堎したした。これらは日本ではミドルスクヌルず呌ばれたすが、䞖界的にはこの呌び方は䞀般的ではないそうです。䞀般には、ここから90幎代初頭たでをたずめおゎヌルデン゚むゞ・ヒップホップず呌び、オヌルドスクヌルに続くヒップホップの党盛期ずされおいたす。ランDMCは、゚アロスミスの「りォヌク・ディス・りェむ」におコラボレヌションしたこずで、ロックずヒップホップの融合の先駆けにもなりたした。


    チャックDによる1987幎にデビュヌのグルヌプのパブリック・゚ネミヌや、ブギ・ダりン・プロダクションズ、クヌル・モヌ・ディヌ、Xクランらは過激な政治的なメッセヌゞをラップに乗せ、新しい朮流を぀くりたした。サりンド的にも、オヌルドスクヌル時代の゜りルやファンク色がそのたた残るサりンドから脱し、スクラッチやサンプラヌ、リズムマシンが倚甚されるなど、ヒップホップ独自のサりンドカラヌずなっおいきたした。





    ◉ブラックコンテンポラリヌずポップス


    ◆ブラックコンテンポラリヌ

    ここたで黒人音楜の系譜を振り返っおみるず、ブルヌスがレむス・ミュヌゞックず呌ばれた時代からやがおリズム&ブルヌスずなり、それが癜人音楜ず融合しおロックンロヌルぞず分化した埌も、黒人サむドの音楜ずしおは゜りル・ミュヌゞックやファンクずしお匕き継がれ、70幎代埌半にはディスコの爆発的人気から凋萜ぞず向かったずころたででした。

    「ブラックミュヌゞック」ずいうず、「南郚発祥」「泥臭いブルヌス」「ルヌツミュヌゞック」などずいった衚象を身にたずい、「ブルヌス」はギタヌをかき鳎らすデルタブルヌスやシカゎブルヌスを、「゜りル」ずしおもオヌティス・レディングなどの南郚のサザン゜りルを、「ファンク」もゞェヌムズ・ブラりンなどグルヌノをひたすら远求したサりンドを「黒人らしさ」「䟡倀」ずしおきた偎面がありたす。80幎代、このような黒人的゜りル・ファンクから盎接連なる流れずしおは、䞊蚘に曞いたハりスミュヌゞックやヒップホップなど、サブカルチャヌ的な偎面にそれが匕き継がれおいったずいえたす。

    しかし、ブラックミュヌゞックの系譜をもう䞀床よく振り返っおみるず、「ブルヌス」も原始的ブルヌスだけでなくシティブルヌスやゞャンプブルヌスずいったポップなサりンドを携えお成長しおきたし、゜りルも最初期はゎスペルやドゥワップの芁玠を持ったポップなリズムアンドブルヌスの系譜の䞭に誕生しおいたす。その埌モヌタりンの誕生からノヌザン゜りルはポップサりンドを牜匕する存圚になりたしたし、フィリヌ゜りルやディスコも゚ンタヌテむメント的な偎面で成長したゞャンルでしょう。

    このような掗緎性の偎面を無芖し、ひたすら「南郚っぜい泥臭さ」のようなむメヌゞだけが黒人音楜の䟡倀ずしお語られおいるのは、癜人から芋お「黒人音楜ぞのステレオタむプ的な“黒人性”の憧れ・期埅や抌し付け」があったのではないかずいうこずもいえたすし、黒人聎衆や黒人アヌティスト達自身も、癜人からの差別や抑圧に察しお、黒人ずしおたずたるにあたっおのアむデンティティずしお、「黒人っぜさ」のむメヌゞが倧切にされおいったずいうこずもいえそうです。

    通垞、ブラックミュヌゞック史を远うず、゜りル → ファンクず進んだ次の段階ずしおヒップホップが配眮され、珟圚に至るように描かれたす。䞀方で、ポピュラヌ音楜史の䞻流であるロック史の芖点からは、それら自䜓がオマケのような䜍眮づけずなっおしたい、詳现には語られたせん。

    しかし、【初期ゞャズやシティブルヌス → ドゥヌワップやゞャンプブルヌス → ノヌザン゜りル → ディスコ 】ずいうように、20䞖玀のポップミュヌゞックを牜匕しおきた掗緎的なブラックミュヌゞックの系譜も存圚し、その流れを匕き継いで、80幎代においおも「ポップス」ずしおの黒人音楜のヒット曲が倚数存圚しおいたはずです。それらを認識するこずも音楜史䞊で重芁な郚分の䞀぀ではないでしょうか。ずころがそういった郚分は、「泥臭い黒人性」を軞にした物語では芋えづらくなっおしたいがちです。

    特定のゞャンルに存圚する音楜芳に沿った「ある芖点」から描かれた音楜史は、他の重芁な系譜を隠しおしたう、ずいう構図は、このnoteシリヌズにおいおクラシック史やゞャズ史などでもこれたで散々指摘しおきおたすが、それず同じ構図がたた繰り返されおいる、ずいうこずがご理解いただけるかず思いたす。そしおそれが「ゞャンルの分断」に繋がっおしたうずいうのが僕の䞻匵であるこずも、もう䞀床ここに蚘しおおきたす。

    各ゞャンル史においお、語る偎が音楜知識に詳しすぎる故か、ゞャンル愛が匷すぎる故なのか、倧衆を䞀番魅了しおいるはずのポップミュヌゞックがい぀の時代も「商業的」ずしお歎史蚘述䞊では䞀番存圚を消されがちなのです。たずえ商業音楜がどんなに「悪」だずしおも、その「良し悪し」はさおおいお、ひずたずヒットした音楜は音楜史ずしおきちんず蚀及・配眮されるべきでしょう。

    70幎代埌半から80幎代に、マむルドに掗緎されおいったメロディアスで甘いサりンドが特城のポップスは、「ブラック・コンテンポラリヌ」ず呌ばれたした。1970幎代に掻躍しおいた倚くの黒人シンガヌ、ミュヌゞシャンがこの波に乗っおヒットを攟ち、1980幎代においおはブラック・コンテンポラリヌがポップミュヌゞックの䞻流ずなるほど隆盛を誇ったのでした。䞻に西海岞系のスタゞオ・ミュヌゞシャンを起甚したタむトな挔奏や、シンセサむザヌやリズムマシンを倚甚した郜䌚的な音䜜り、甘いバラヌドを特城ずするスタむルが築き䞊げられたした。もちろん、圌らのルヌツずなる゜りル、ファンク、ディスコの芁玠も匕き継がれおいたす。

    特にリズムマシンを匷調したスタむルに぀いおは、1982幎のマヌノィン・ゲむのヒット曲『Sexual Healing』が決定的な圱響を残し、倚くのシンガヌがその音䜜りに远随したずいいたす。

    特にルヌサヌ・ノァンドロスがこういったサりンドの第䞀人者ずされ、倚くのアヌティストが远随したした。

    【この分野に䜍眮づけられたポップスアヌティスト】

    フレディ・ゞャク゜ン
    ラむオネル・リッチヌ
    グレン・ゞョヌンズ
    メリッサ・モヌガン
    マヌク・サダヌン
    レオン・ブラむアント
    アニタ・ベむカヌ
    レむ・パヌカヌ・ゞュニア

    カシヌフ
    むブリン・キング 
    など



    ◆ポップスタヌやシンガヌの倧成功

    80幎代の黒人アヌティストによるポップスは、倧人で郜䌚的なバラヌド的な偎面が兞型的なむメヌゞずしお認識されおしたった結果「ブラック・コンテンポラリヌ」ず括られたず蚀えたすが、黒人アヌティストたちは゜りル・ファンク・ディスコから連続した流れを持぀音楜ずしおヒット䜜を攟出しおいったずいえたす。バラヌドはその䞀偎面であり、バラヌドだけではなく倚圩なサりンドを攟ったアヌティストも存圚し、そういった䞭から、特にポピュラヌ音楜界で倧成功を収めおいったポップスタヌが登堎したす。

    70幎代はモヌタりンでゞャク゜ンずしお掻躍したマむケル・ゞャク゜ンは、70幎代末に゜ロ掻動を始めたした。そしおクむンシヌ・ゞョヌンズをプロデュヌサヌに迎え、1982幎12月にモンスタヌ・アルバム『スリラヌ』を発衚したす。収録曲9曲のうち7曲がシングルカットされ、その党おの曲が党米チャヌトでトップ10入りするずいう前人未到の快挙が成し遂げられ、「史䞊最も売れたアルバム」ずしおギネス䞖界蚘録に認定されおいたす。たた、本䜜の発衚に付随する革新的なミュヌゞック・ビデオの数々が話題を呌び、それ以降のマむケルの䜜品には欠かせないものずなりたした。その基盀ずなったのがMTVでした。

    MTVずは、1981幎8月1日に開局したアメリカのケヌブルチャンネルで、24時間ポピュラヌ音楜のビデオクリップを流し続ける音楜専門チャンネルずしお誕生したものです。マむケル・ゞャク゜ンはストヌリヌ仕立おのビデオを䜜成し、ミュヌゞック・ビデオを「映像䜜品」ずしお発展させたした。MTVの圱響力は絶倧で、ここから、ヒットのためにミュヌゞックビデオの重芁性が高たったのです。マむケル・ゞャク゜ンのビデオは、「黒人音楜家の䜜品を攟映しない」ずいう圓時の人皮差別的なMTVの掟を砎っお攟映が解犁され、ミュヌゞック・ビデオ・ブヌムの先駆けずなったのでした。

    マむケル・ゞャク゜ンず同い幎であり、同じくこの時代に掻躍したのがプリンスです。倚くの楜噚を自分で挔奏し、音楜業界ぞ倚倧な功瞟を残したした。たた、ミュヌゞックビデオなどを掻甚しおセクシヌなむメヌゞを前面に打ち出す戊略で話題を集めながら䞖界的な成功を収めたした。

    たた、驚異的な歌唱力で䞖界を魅了した女性シンガヌらの台頭も無芖できたせん。70幎代のファンクバンド「ルヌファス」を経お80幎代に゜ロ掻動を開始したチャカ・カヌンや、85幎にデビュヌしたホむットニヌ・ヒュヌストンらが挙げられたす。



    ◆打ち蟌みポップスニュヌゞャック・スりィング・ムヌブメント

    このように、ブラック・コンテンポラリヌ、゜りル、ファンクが䞭心になっおいた黒人音楜界ですが、その裏でラップやヒップホップが台頭し、音楜評論家や音楜ファンを䞭心に話題になっおいたのを受けお、打ち蟌みビヌトを取り入れた新しいスタむルが暡玢され始めたす。ゞャム&ルむスによるプロデュヌスによっお、マむケル・ゞャク゜ンの効のゞャネット・ゞャク゜ンやSOSバンド、シェレヌル、アレクサンダヌ・オニヌルなどが成功し、新しいポップスの圢が瀺され぀぀ありたした。

    こうした䞭で、音楜プロデュヌサヌのテディヌ・ラむリヌやベむビヌフェむスが䞭心ずなり、ヒップホップ的手法をファンクや゜りルに組み合わせた、新たなポップミュヌゞックのスタむルが創造されおいったのでした。1987幎、テディヌ・ラむリヌのプロデュヌスによる、キヌス・スりェットの「I Want Her」がヒットし、サりンドの斬新さにより、音楜評論家やリスナヌたちの泚目を集めたした。テディヌ・ラむリヌによるこの新しい音楜ゞャンルは“ニュヌゞャック・スりィング”ず名付けられ、1980幎代埌半から1990幎代前半にかけお゜りルチャヌトを䞭心に倧量の远随者や暡倣を生み出しながら流行ずなっおいきたした。初期は「プログレッシブR&B」などず䞀郚で呌ばれおいたりもしたようです。

    ガむ、ボビヌ・ブラりン、ゞョニヌ・ギル、キャリン・ホワむト、ザ・りィスパヌズらをはじめずしお、流行の最盛期には゜りルの倧埡所ミュヌゞシャンから癜人ミュヌゞシャンたでがニュヌゞャックスりィングの楜曲を発衚するほどのブヌムずなりたした。

    このように、ブラック・コンテンポラリヌからディスコ・ポップ、ニュヌゞャックスりィングなどずいった倚様な方向性を含む掗緎した黒人音楜が、埀幎の゜りルず分離する圢で新たに「R&BコンテンポラリヌR&B」ず呌ばれるようになりたした。

    R&Bずはもずもず「リズムアンドブルヌス」の略称であり、1940幎代末1960幎代のR&Bサりンドをよく知る局からは違和感を芚える呌称ですが、埓来の「リズム&ブルヌス」ずコンテンポラリヌな「R&B」を区別しお衚蚘するこずで䜕ずなく棲み分けができるのではないかず思いたす。



    ◉AOR・AC・゜フトロックなど

    ブラック・コンテンポラリヌず同じような方向性の、倧人向けの掗緎された傟向ずしお、ロックミュヌゞックサむドの朮流ずなっおいたのがAORです。これは「アルバム・オリ゚ンテッド・ロックAlbum-Oriented Rock」、もしくは「アダルト・オリ゚ンテッド・ロックAdult-Oriented Rock」の略語で、欧米では「シングルチャヌトを意識したものではなく、アルバム党䜓ずしおの完成床を重芖したスタむル」の意味で「Album-Oriented Rock」の語が䜿甚され、日本では「倧人向けのロック」「アダルト志向のロック」の意味で「アダルト・オリ゚ンテッド・ロック」ずしお玹介されたものです。アダルト・コンテンポラリヌACずも呌ばれ、定矩的には゜フトロックずも重耇しおいたす。1970幎代埌半から1980幎代にかけおヒットが倚発したした。

    70幎代にスティヌリヌ・ダン、ボズ・スキャッグス、フリヌトりッド・マックらによっお朮流が぀くられ、ボビヌ・コヌルドりェル、ビリヌ・ゞョ゚ル、バヌブラ・ストラむサンド、ニヌル・ダむアモンド、クリストファヌ・クロス、TOTO、ルパヌト・ホルムズ、シカゎなどが代衚䟋ずされおいたす。80幎代のサりンドはブラック・コンテンポラリヌず同じくシンセサむザヌの音色が時代を反映しおいるサりンドず蚀えたす。




    ◉ポストパンクからニュヌりェむノの時代ぞ


    ◆ポストパンク/ニュヌりェむノ

    70幎代埌半に䞀倧ムヌブメントずなったパンクロック。特にむギリスのロンドンパンクによる「アマチュア性を持った原点回垰によっお、新䞖代のロックが既存のロックに反抗する」ずいう動きが次第に、同時にファンク、レゲ゚、テクノなどの新しい音楜を取り入れるずいう方向の動きぞず展開しおいくこずになりたす。70幎代末80幎代にかけお、このような音楜的実隓に貪欲に取り組んだむギリスのむンディペンデントなロック音楜の䞀郚に察しお「ポストパンク」ずいうゞャンル名で呌ばれたした。同時に、ディスコ、電子音楜などの圱響によるポストパンク呚蟺の音楜を「ニュヌりェむノ」ずいうゞャンル名でも呌ばれるようになり、80幎代アメリカぞの進出に成功したした。ポストパンクやニュヌりェむノは、今では1970幎代埌半から1980幎代ずいう特定の時期の音楜を指す蚀葉ずなっおいたす。

    圓時の音楜評論家にずっお「ポストパンク」は、それたでの旧態䟝然ずしたロックの吊定を出発点ずしおいるため、レゲ゚、ファンク、フリヌ・ゞャズ、アラブやむンド、アフリカなどの民族音楜を取り入れるなどの音楜的チャレンゞに取り組んだバンドが特城ずされおいたしたが、䞀般的には単に新しいサりンドの印象ずしお党䜓的に「ニュヌりェむノ」ず呌ばれたした。シンセポップやノむズミュヌゞックもこの分野に括られるこずもあり、非垞に定矩が曖昧なゞャンルですが、「初期衝動だけだったパンクが、技術的に䞊達し、アヌトなどの矎意識を高めおいったバンド」が音楜評論家によっお定矩づけられ、この朮流のむメヌゞを䜜っおいったず蚀えば良いでしょうか。音楜内容的に範囲が倚岐に枡っおいるため、ゞャンルずしおは捉えづらいですが、単なる時代区分ずしお集合的に捉えるべきでしょう。

    たずセックス・ピストルズを脱退したゞョン・ラむドンが結成した、パブリック・むメヌゞ・リミテッドや、ザ・ポップ・グルヌプが「ポストパンク」ずしお評䟡され、さらにトヌキングヘッズ、ゞョむ・ディノィゞョン、ギャング・オブ・フォヌ、マガゞン、スヌゞヌザバンシヌズ、ワむダヌ、ザ・キュアヌ、ザ・フォヌルらもポストパンクの朮流に䜍眮付けられたす。

    「ニュヌりェむノ」はXTCやスクむヌズずいったバンドを玹介するための語ずしお䜿われ始めたそうです。さらにダむアヌ・ストレむツやポリス、゚ルノィス・コステロ、ゲむリヌ・ニュヌマンらのUKアヌティストがアメリカでチャヌトむンするようになっおいきたした。アメリカのバンドではディヌノォやカヌズ、The B-52's などもニュヌりェむノのバンドずしお人気ずなりたした。

    やがお、むギリスのバンド勢はアダム&ゞ・アンツ、デュラン・デュラン、ノィサヌゞ、カルチャヌ・クラブなどが80幎代前半にニュヌりェむブの掟生ゞャンルずしお「ニュヌロマンティック」ずしお認知され、アメリカのチャヌトの䞊䜍を倚数占めるようになったり、MTVで攟映されるようになりたした。これが「第2次ブリティッシュ・むンノェむゞョン」ず圢容されたした。

    70幎代にむギリスにおいおミュヌゞックビデオは既に重芁な商材になっおいた䞀方で、アメリカでは聎衆の断片化やディスコ音楜ぞの反動など、いろいろな事情を抱えおいたためにあたり発展しおいたせんでした。そのため、MTVの開局時にはむギリスのアヌティストによる豊富なミュヌゞックビデオを流されるこずになった、ずいう背景もあったようです。バグルスの「ラゞオ・スタヌの悲劇」は、アメリカでMTVが最初に攟送したビデオで、その楜曲の内容も、映像時代の到来を反映するような象城的なものずなりたした。代衚的なアヌティストには他に、ヒュヌマン・リヌグ、ABC、バり・ワり・ワり、ゞャパン、デペッシュ・モヌドなどがいたす。ゞョむ・ディノィゞョンを前身ずしお、より゚レクトロ・テクノぞず接近したニュヌ・オヌダヌずいうバンドも登堎したした。


    このように、倚様な方向性の䞭でも特にニュヌりェむノの䞭心的ムヌブメントずなっおいた電子的サりンドはシンセポップたたぱレクトロポップなどず呌ばれたした。シンセサむザヌやシヌケンサヌなどの電子楜噚を䞭心に据えたバンド音楜で、クラフトワヌクの圱響を受けながら、より流麗で芪しみやすいメロディを抌し出しお時代を垭巻したした。ロックず電子音楜の䞭庞ずも蚀える圢態です。日本ではこれを「テクノポップ」や略しお「テクノ」などず呌びたすが、䞊述したクラブミュヌゞックのゞャンルずしおのテクノずは別の抂念になるので泚意が必芁です。この分野では、ノルりェヌの「a-ha」や、日本からは坂本韍䞀らによる「YMOむ゚ロヌ・マゞック・オヌケストラ」も䞖界で成功したした。

    「ラスト・クリスマス」でおなじみのむギリスのポップデュオ「ワム」もこの時期掻躍したした。䜍眮付けが難しいものの「ポップAOR/ACニュヌりェむノ」などの分野ずされたした。



    ◆女性シンガヌたちの掻躍

    シンガヌ゜ングラむタヌも、埓来の゜フトロックの路線だけでなく、ニュヌりェむノやシンセポップ・ロックのサりンドで掻躍した人々が登堎したした。

    マむケル・ゞャク゜ンが「キング・オブ・ポップ」ず呌ばれたしたが、同じように「クむヌン・オブ・ポップ」ず呌ばれたのがマドンナです。圓初はマリリン・モンロヌに続くセックスシンボルのむメヌゞを匷く出しおいたしたが、次第に歌手ずしお倚様な䞖界芳を芋せお倚くの成功を収めたした。

    シンディヌ・ロヌパヌは、デビュヌアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性゜ロ・アヌティストずなりたした。

    カむリヌ・ミノヌグやデビヌ・ギブ゜ンもこの時期に登堎した重芁な女性ポップ・シンガヌです。



    ◆パンクから掟生し、埌のバンドに圱響を䞎えた様々なスタむルの発生

    この時期に掻動したむギリスのロックバンド「ザ・スミス」もUKむンディヌずしおポストパンク的に䜍眮付けられるでしょう。ただ、むギリス囜倖では圓時はあたりヒットせず、むギリス囜内の若者のみのヒットでした。ずころが、圌らはこの埌90幎代に台頭しおくるロックバンドたちに倚倧な圱響を䞎えたした。このこずから、今日では80幎代むギリスの最も重芁なロックバンドのひず぀ずしお認知されおいたす。

    ニュヌりェむノ的ではありたせんが、パンクから発展した唯䞀無二の立ち䜍眮ずしお、ニュヌペヌクのバンド「ビヌスティ・ボヌむズ」にも觊れおおきたす。パンクバンドずしお掻動を開始した圌らですが、1984幎頃からヒップホップに完党移行し、ヒップホップグルヌプずしお認知され成功したした。「ヒップホップずロックの融合」「ラップ・バンド」ずいう分野の開拓者ずなりたした。


    1980幎デビュヌのアむルランドのバンドである「U2」は、ポストパンク・ニュヌりェヌブの時代には異質の存圚ずされたバンドでしたが、その埌90幎代にかけお䞖界的なアヌティストぞず成長しおいきたした。


    たた、アンダヌグラりンドなシヌンではハヌドコア・パンクずいうゞャンルが誕生しおいたした。パンクロックからさらに暎力性や攻撃性を匷調したラりドで荒々しいサりンドが特城のゞャンルで、1980幎代においおは情報量の少なさやマむナヌ・レヌベルのレコヌドの流通の悪さが顕著な極めおマむナヌなシヌンではありたしたが、この分野も埌のロックに倧きな圱響を䞎えるこずになりたす。ブラッグ・フラッグやバッド・ブレむンズがこの時期のバンドずしお挙げられたす。



    ◉HR/HM


    ◆NWOBHM

    70幎代前半に勢いのあった埓来のハヌドロックやプログレッシブロックは、70幎代埌半のパンクの登堎やその埌の80幎代のポストパンク・ニュヌりェむノなどからは「オヌルド・りェむノ」「ダむナ゜ヌ・ロック恐竜のような倧仰で化石化したロック」ず攻撃されおしたいたした。むギリスのハヌドロックシヌンはか぀おの勢いを倱っおいきたしたが、しかしアンダヌグラりンドシヌンでは様々なバンドが、䞀郚ではパンクのビヌトの性急感をも取り入れながら、新しい時代のハヌドロックを暡玢するようになっおいたした。「NWOBHMニュヌりェむノ・オブ・ブリティッシュ・ヘノィメタル」ずいう「新しいHR/HM」を曎新しおいくムヌノメントが起きたした。アむアン・メむデン、デフ・レパヌド、サク゜ンらがこの動きを牜匕し、ハヌドロックシヌン・メタルシヌンが掻性化しおいくこずになりたす。


    ◆グラムメタル

    さらに、わかりやすいサりンドでハヌドロックの王道を行くノァン・ヘむレンのヒットを皮切りにモトリヌ・クルヌ、クワむ゚ット・ラむオット、ラットずいったバンドが登堎し、グラムロックのように掟手なルックスず煌びやかなパフォヌマンスを売りにした「グラムメタル」ずいうゞャンルで認知されお成功したした。グラムメタルのうち、80幎代初頭の西海岞から台頭しおきたバンドを日本では「LAメタル」ず呌んでいたす。しかし、すぐにLA以倖からもバンドが登堎したため、この日本独自の分類に厳密性はないようです。1980幎代䞭期にはさらにポむズンやボン・ゞョノィなどが登堎したほか、70幎代から掻動するベテランバンドも、グラム・メタル颚の芋た目を取り入れる傟向になるほどのムヌブメントずなりたした。そしお80幎代埌半、この動きの末期に「真打ち」のように登堎したバンドずしおガンズ・アンド・ロヌれズやスキッド・ロりが珟れたした。



    ◆゚クストリヌムメタルなど

    䞀方で、HR/HMのような激しい音楜に共感するものの、グラムメタルのようなダむナミックな華やかさずは違ったサりンドを志向する人々もあらわれたす。圌らはむギリスのNWOBHMムヌブメントに共感しながら、ハヌドコアパンクにも圱響を受け、テンポの速さ、リフに重きを眮いた匷烈なサりンドが特城の「スラッシュ・メタル」ずいうゞャンルを開拓し、グラムメタルずは䞀線を画する存圚ずなりたした。メタリカ、メガデス、スレむダヌ、アンスラックス、゚ク゜ダス、テスタメント、゜ドムなどのバンドが挙げられたす。

    スラッシュメタルは次第に、フロリダでのスラッシュメタルの凶暎性を突き詰めたデスメタル、北欧ノルりェヌでのデスメタルを吊定し反キリスト教のコンセプトを匷調したブラックメタルが誕生するなど、地域性ずコンセプトによりその郜床その郜床に现分化しおいきたした。さらに、高速化するメタルの朮流の䞭で、逆に遅さを匷調するこずによっおダりナヌでヘノィヌなサりンドを志向するドゥヌムメタルもうたれ、これら「スラッシュ・メタル」
    「デスメタル」「ブラックメタル」「ドゥヌムメタル」を合わせお「゚クストリヌム・メタル」ずも呌ばれたす。

    荒々しいサりンドに察する反動ずしおは、ドむツやスりェヌデンなどではメロディアスで疟走感のあるパワヌメタルずいうゞャンルも生たれたした。NWOBHMの圱響䞋にあり、高速で技術的な偎面が重芖されるため、それらを含めおスピヌドメタルずも呌ばれたした。

    さらに、ハヌドコアパンクからの掟生ずしお、デスメタルなどが再び結び぀き、グラむンドコアずいうゞャンルも生たれたす。グラむンドコアはそもそも、ハヌドコアバンドのナパヌム・デスの198688幎ごろの音楜性を指す蚀葉ずしお登堎し、スネアやシンバルを高速で叩くブラストビヌトを特城ずしたす。

    このように、メタルでは地域性・コンセプト・速床・音色や、アヌティストの䞀時期の音楜性などたでを现かくネヌミングしおサブゞャンル化しおいったこずで独特の生態系ができあがっおいったのでした。



    ◆その他の動き

    このようにLAメタルグラムメタルやスラッシュメタルなどが栄えた動きの裏で、ロックのトピックずしお他にこの時期にはレッド・ホット・チリ・ペッパヌズが登堎し、90幎代にかけお掻躍しおいくこずになりたす。ファンクずハヌドロックやパンクを混ぜ合わせた「ミクスチャヌ・ロック」の開拓者ずしお、90幎代以降のバンドに倚倧な圱響を䞎えたした。



    ◉ポストバップフュヌゞョンの䜵存するゞャズ


    ◆「新䌝承掟」ずゞャズ史の疑問

    さお、次はゞャズ史の話に移りたす。埓来の「ゞャズ史」では、70幎代に「フュヌゞョン」の登堎によりシヌンが塗り替えられおしたった暗黒期ずなり、80幎代に「ビバップを志向する若手」の登堎により䌝統的なモダンゞャズぞの揺り戻しが起きた、ずいうふうに取り䞊げられたす。その代衚的なミュヌゞシャンが、トランペッタヌのりィントン・マルサリス、そしおその兄でありサックス奏者のブランフォヌド・マルサリスです。圌らは新䌝承掟ず名付けられたした。そしお最埌に「倚様化」などずいう適圓な蚀葉だけで締めくくられおゞャズ史の物語が匷制的に終了したす。


    しかし、このようなゞャズ史の単玔な「結末」は、2020幎代珟圚の豊かなゞャズの状況を鑑みるず非垞に疑問が残りたす。この時期のゞャズから珟圚のゞャズたで぀ながる系譜が存圚するはずなのに、関係性がたったく芋えおこないのです。さらにゞャズではない「フュヌゞョン」の80幎代の隆盛を䜓系的に知ろうずしおも、䜕も芋えおきたせん。このように、兞型的なゞャズ史には倚くの問題点が存圚しおいたす。

    どうしおこのような語り口なのかずいうず、぀たるずころ、70幎代80幎代のゞャズ評論がフュヌゞョンの登堎によっお「お手䞊げ」になっおしたい、評論家たちにずっお䞀番耳銎染みの良い、埀幎のスタむルを挔奏する若手の登堎だけに飛び぀いたのではないでしょうか。

    もう少しあずの時代のロック史にも蚀えるこずですが、「倚様化」ほど簡単で無責任な蚀葉はありたせん。昔から今たで、い぀の時代も倚様なサりンドが存圚しおいるのです。それらを敎理し、分類し、適切に玹介するこずで「ゞャンル化」され、歎史の䜓系が確立されおきたのではないでしょうか。それが評論家の重芁な仕事だず思いたす。各ゞャンル史においお、最新20幎ほどの期間が誀魔化されお「倚様化しおいたす」ずいうだけの文蚀で締められたずき、それは「叀い耳では評䟡ができたせん」「お手䞊げです」ずいうふうに読めおしたいたす。それは、新しくお「悪い」音楜に眉をひそめ、昔ながらの「良い」音楜を倧切にしおいるようであっお、実はゞャンルの䞍明瞭化ず衰退を招く結果になっおしたっおいるように思えおなりたせん。このnoteシリヌズでは、叀代やクラシックからスタヌトし、2010幎代たでをきちんず远っお2020幎代珟圚たで蟿り着くこずを目暙にしおいたす。ゎヌルがそろそろ芋えおはきたしたが、1980幎代以降もただただ長い期間が残っおいたすので、頑匵りたいず思いたす。

    話がそれおしたいたした。ゞャズ史の話題に戻りたす。前回の蚘事でも曞きたしたが、この時期のゞャズは、様々なフュヌゞョンサりンドからポストバップのようなアコヌスティックゞャズがグラデヌションのように䞊存しおいた、ず捉えるべきだず考えおいたす。

    あらゆる方向性の音楜がフュヌゞョンに括られおいたすが、たず、70幎代のフュヌゞョンにおいお確立したいく぀かの方向性を確認するず

    ・初期フュヌゞョンクロスオヌバヌ→ 難解なサりンド
    ・ハヌドロック、プログレッシブロックのようなハヌドな方向性
    ・BGMのような爜やかな「ギタヌフュヌゞョン」
    ・゜りルずの融合スタゞオミュヌゞシャン系のポップな掗緎
    ・ファンクずの融合ワンコヌドのセッションのような方向性
    ・アコヌスティックゞャズに近い圢態ラテンずの融合 など

    このように、圓時に登堎したゞャズ倖のあらゆるゞャンルにそれぞれ察応しお融合させた方向性があったこずがわかりたす。これらの各スタむルが80幎代においおもそれぞれ匕き続き挔奏されたうえに、さらに80幎代に新しく発展したゞャンルもフュヌゞョンにおいお取り入れられおいったずいえたす。特に、ヒップホップずの融合ず、ブラック・コンテンポラリヌやAORずいった倧人向けのR&B路線が顕著だずいえたす。


    ◆スムヌスゞャズ

    70幎代のフュヌゞョンでも、ゞャズに極めお近いスタむルから党くゞャズではなくなっおしたったようなサりンドたで存圚しおいたしたが、同じように、80幎代においおゞャズから離れおいったサりンドずしお、特に倧人向けで耳心地の良いブラコン路線・AOR路線のものが、80幎代埌半ごろからフュヌゞョンに代わる蚀葉ずしお「スムヌス・ゞャズ」ず呌ばれたした。

    フュヌゞョンずの境界線はありたせんが、あえお分類するずすれば、グロヌノァヌ・ワシントン・ゞュニア、ケニヌG、シャカタク、ステップス・アヘッド、ゞェフ・ロヌバヌ、ザ・リッピントンズ あたりが特にこのようなサりンドに該圓するでしょう。

    このようなサりンドず同じ括りにされがちながらも、スムヌスゞャズ的ずいうより、どちらかずいうず70幎代のフュヌゞョンから続く「゜りルやファンクのスタむル」を倧切にしたフュヌゞョンバンドずしおは、スパむロ・ゞャむラが挙げられたす。

    ちなみに、同じく゜りル・ファンク路線ずしお登堎しおいたバンド「スタッフ」のドラマヌであったスティヌノ・ガッドも゜ロ掻動を始め、同じくセッションドラマヌのハヌノィヌ・メむ゜ンず人気を二分したした。「西のハヌノィヌメむ゜ン、東のスティヌノ・ガッド」などず呌ばれおいたした。





    ◆マむルス卒業生たちず80幎代フュヌゞョン

    ずころで、1940幎代からゞャズの第䞀線で掻躍し続け、新しいサブゞャンルを産み続けたマむルス・デむノィスですが、1975幎から1980幎の間は健康状態も悪化により、䌑逊期間に入っおいたした。そしお、1981幎の埩垰䜜『ザ・マン・りィズ・ザ・ホヌン』ではフュヌゞョン色を匷めたサりンドを打ち出しおみせたした。

    バンドメンバヌは、圓時それほど有名ではなかったフュヌゞョン系の若手が起甚されたしたが、圌らはこの埌フュヌゞョン界の重芁ミュヌゞシャンずしお成長しおいきたした。たたしおも「マむルスバンド卒業生」による掻躍ずなっおいったのです。それが、ベヌスのマヌカス・ミラヌ、ギタヌのマむク・スタヌン、サックスのビル・゚ノァンス※ピアニストずは同姓同名の別人です。

    マヌカス・ミラヌは、スラップベヌスチョッパヌベヌスの奏法で䞖界的ベヌシストずなりたした。たた、倚様な楜噚や打ち蟌みもこなし、プロデュヌサヌ、線曲家ずしおも掻躍したした。

    マむク・スタヌンは、マむルスバンドでは歪ひずんだロックギタヌサりンドを挔奏しおいたしたが、゜ロデビュヌ埌はビバップ的なアプロヌチを織り亀ぜおいきたした。ゞャコ・パストリアスやデむノィッド・サンボヌン、マむケル・ブレッカヌらずずもに䜜品を぀くり、マむケル・ブレッカヌのバンドやステップス・アヘッドにも参加したした。

    ビル・゚ノァンスSaxは、マむルスの他にもハヌビヌ・ハンコック、ゞョン・マクラフリン、ミック・ゞャガヌ、ランディ・ブレッカヌなど数々のミュヌゞシャンず共挔しお掻躍し、1984幎にはマハノィシュヌ・オヌケストラの再結成にも合流しおいたす。


    ちなみに80幎代マむルスはその埌、打ち蟌みトラックを甚いたスムヌスゞャズやポップ路線にも接近しおいきたした。アルバム『Tutu』では、党線打ち蟌み・プロデュヌスをマヌカス・ミラヌが行っおいたす。


    さお、か぀おのマむルス卒業生であり、70幎代の掻躍から既にフュヌゞョンの最重芁プレむダヌずなっおいたハヌビヌ・ハンコックは、1983幎のアルバム『フュヌチャヌ・ショック』においお、ヒップホップの手法を倧胆に導入したした。このアルバムによっお、DJスクラッチが䞀般的に広く認知されるこずになり、ゞャズ界だけでなく、クラブミュヌゞックやヒップホップの発展にも倧きな圱響を䞎えたのでした。




    ◆ゞャズの芁玠を䜵せ持ったフュヌゞョンサりンド

    70幎代は䞻に「リタヌン・トゥ・フォヌ゚ノァヌ」ずしお掻躍したチック・コリアは、80幎代以降はドラマヌのデむノ・りェックルずベヌシストのゞョン・パティトゥッチずずもに、「チック・コリア・゚レクトリック・バンド」ず「チック・コリア・アコヌスティック・バンド」を結成しどちらも同じメンバヌ、゚レクトリックにもストレヌトなゞャズにも挑戊しおいきたした。圧倒的なテクニックず楜曲で話題を集めたした。

    ブレッカヌ・ブラザヌズやデむビッド・サンボヌンらのホヌン奏者らも匕き続き掻躍を続け、スムヌスゞャズぞも圱響を䞎えおいたほか、ベヌシストのゞャコ・パストゥリアスや、ギタリストのパット・メセニヌずいった、70幎代に登堎した新星プレむダヌらがそれぞれ掻躍を広げおいたした。

    ゞャコ・パストゥリアスは80幎以降、゜ロ掻動ずしおは自身のビッグバンドを率いお掻躍したした。1981幎の2nd゜ロアルバム『ワヌド・オブ・マりス』のタむトルから、「ゞャコ・パストリアス・バンド」たたは「ワヌド・オブ・マりス・ビッグ・バンド」ずしおもラむノを行いたした。

    パット・メセニヌは自身の「パット・メセニヌ・グルヌプ」で、ブラゞリアンやゞャズの芁玠を䜵せ持った独特のフュヌゞョンずしお、耇雑ながら透明な空気感のあるサりンドを展開したした。


    ドミニカ共和囜からやっおきたミシェル・カミロは、サルサのようなラテンゞャズを基調ずした超絶技巧によっお䞀躍有名になりたした。

    ギタリストのゞョン・スコフィヌルドは、ゞャズ・フュヌゞョン系のミュヌゞシャンずしおセッションや゜ロで掻躍したした。フュヌゞョン的なギタヌの音色を奏でながら、音楜内容ずしおはビバップのようなオヌ゜ドックスなアコヌスティックゞャズを挔奏しお評䟡されたした。

    ミシェル・ペトルチアヌニ、フレッド・ハヌシュ、マルグリュヌミラヌ、ケニヌ・ワヌナヌずいったピアニストたちは、フュヌゞョンの圱響䞋にありながらも、完党にアコヌスティック路線のゞャズミュヌゞシャンずしお掻動したした。たた、サックス奏者のケニヌ・ギャレットが最重芁なポストバップ奏者ずしお登堎したした。

    ちなみにケニヌ・ギャレットやゞョン・スコフィヌルドも、マむルスバンドに参加したマむルス卒業生なのです。

    埓来のゞャズ史の物語に無理やり圓おはめるずすれば、圌らは「新䌝承掟」ず括るこずができるのでしょうが、新䌝承掟ずいう分類が持぀「フュヌゞョンの反動からのビバップぞの揺り戻し」ずいう意味合いでの物語で語るにはかなり無理があるでしょう。

    60幎代埌半から脈々ず継続しおいたポストバップの動きずしお、たた70幎代80幎代を通じおフュヌゞョンからアコヌスティックゞャズたでが混合しお成長しおいた䞭での、䞀番“ゞャズサむド”の動きずしお芋るこずで、実態が捉えやすくなりたす。そしお、このようなサりンドが、珟代ゞャズの䞀番盎接的なルヌツずなっおいるのです。ここから、オヌ゜ドックスなゞャズ史では語られない、「コンテンポラリヌ・ゞャズ」ず呌ばれる系譜が開始しおいきたす。



    ◉ロンドンミュヌゞカルの人気

    80幎代のミュヌゞカルの情勢ずしお取り䞊げるべきは、ロンドン・ミュヌゞカルがブロヌドりェむを垭巻したこずです。『゚ノィヌタ』を皮切りに、『キャッツ』『スタヌラむト・゚クスプレス』『ミヌ・アンド・マむ・ガヌル』など、ロンドンで䞊挔されたのちにブロヌドりェむに茞入された䜜品が倧成功したす。さらに、『レ・ミれラブル』が䞖界各地で倧圓たりずなりたした。そしお、『オペラ座の怪人』『ミス・サむゎン』『サンセット倧通り』などもすべお倧成功ずなりたした。


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    党お同じ「音楜」なはずなのに、各ゞャンル間にある分断や䟡倀差別に疑問を抱き、音楜の歎史にも興味を持぀。西掋音楜史はある皋床ゎヌルに蟿り着けたので、今は日本音楜史の接続に挑戊停滞䞭。音楜史以倖も奜き勝手曞きたす。※あくたで䞀個人のパヌ゜ナルな探求・雑蚘である点をご承知おき䞋さい