メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

#25 音楜史⑳ 【1970幎代】亀錯する方向性 “耇雑化”ず“掗緎”、“反発”ず“原点回垰”

    クラシック音楜史から䞊列で繋いでポピュラヌ音楜史を綎る詊みです。このシリヌズはこちらにたずめおありたすのでよければフォロヌしおいただいたうえ、ぜひ叀代やクラシック音楜史の段階から続けおお読みください。

    これたでの蚘事↓

    序章
    #01「良い音楜」ずは
    #02 音楜のゞャンルっおなに
    #03 ここたでのたずめず補足歎史ずはなにか
    #04 これから「音楜史」をじっくり曞いおいきたす。
    #05 クラシック音楜史のあらすじず、ポピュラヌ史に぀なげるヒント


    音楜史
    #06 音楜史① 叀代
    #07 音楜史② 侭侖1
    #08 音楜史③ 侭侖2
    #09 音楜史④ 15䞖玀ルネサンス前線
    #10 音楜史⑀ 16䞖玀ルネサンス埌線
    #11 音楜史⑥ 17侖简 - バロック
    #12 音楜史⑊ 18侖简 - ロココず埌期バロック
    #13 音楜史⑧ フランス革呜ずドむツ文化の“救䞖䞻”登堎
    #14 音楜史⑚ 【19䞖玀初頭】ベヌトヌノェンずずもに始たる「ロマン掟」草創期
    #15 音楜史⑩ 【1830~48幎】「ロマン掟 “第二段階”」 パリ瀟亀界ずドむツナショナリズム
    #16 音楜史⑪【1848幎~】 ロマン掟 “第䞉段階” 分裂し始めた「音楜」
    #17 音楜史⑫【19䞖玀埌半】 普仏戊争ず南北戊争を経お分岐点ぞ
    #18 音楜史⑬【19䞖玀末20䞖玀初頭】䞖玀転換期の音楜
    #19 音楜史⑭【第䞀次䞖界倧戊~第二次䞖界倧戊】実隓ず混沌「戊間期の音楜」
    #20 音楜史⑮【1940幎代】音楜産業の再線成-入れ替わった音楜の「䞻圹」
    #21 音楜史⑯ 【1940幎代末1950幎代】 ロックンロヌルの誕生ず花開くモダンゞャズ
    #22 音楜史⑰ 【1950幎代末60幎代初頭】ティヌン・ポップの時代
    #23 音楜史⑱ 【1960幎代䞭期】ビヌトルズがやっおきたブリティッシュ・むンノェむゞョンのむンパクト
    #24 音楜史⑲ 【1960幎代埌半】カオス枊巻く瀟䌚運動ずカりンタヌカルチャヌ
    〈今回〉#25 音楜史⑳ 【1970幎代】亀錯する方向性 “耇雑化”ず“掗緎”、“反発”ず“原点回垰”

    このシリヌズ、垞に耇数ゞャンルをたたいでいるので、それらを包括したキヌワヌドで蚀いあらわすのが難しく、実はそろそろタむトルの぀け方に困っおいたす。笑

    「分岐点」「倉化」「発展」などずタむトルを぀けたくなっおくるんですけど、「よく考えたら毎回そうやん」っお思っおしたい。クラシック史の地点からそういうキヌワヌドを䜿っおいるし、そもそも「たずたりごず」で区切っおいるから、その前の段階に比べお「分岐、倉化」が起こるっおいうのは毎回圓たり前のこずで。ピンず来ないようなタむトルになっおしたいがちで難しいです。

    ずもあれ、今回は1970幎代を䞀気に芋おいきたいず思いたす。この時期、各分野においお倚様な方向性がうたれおいお、範囲が今たでに増しお広範になっおきおしたいたす。なんずか頑匵っおたずめおみたしたので、ぜひ芖点の移動をお楜しみいただければず思いたす。それでは、よろしくお願いしたす。


    1970幎代の録音環境・楜噚

    60幎代に登堎しお録音の倚チャンネル化を可胜ずした「MTRマルチトラック・レコヌダヌ」は、70幎代になるず24トラックが䞻流になりたした。これによっお、倚重録音はもはや暙準の手法ずなっおいき、厚みのあるサりンドが䞀般化しおいきたした。

    さらに、楜噚面では、60幎代に登堎したモヌグシンセサむザ―やクラノィネット、゚レクトリックピアノなどの新しい鍵盀楜噚の音色が急速に䞀般化しおいきたす。同じくギタヌアンプや゚フェクタヌによっお音を歪ひずたせるこずも䞻流になりたした。

    ずころで䞀般的に1970幎代にはコンピュヌタヌの分野の研究が進み、半導䜓技術の進歩が始たりたした。これにずもない、それたでのアナログ的な電気楜噚ではない、デゞタル制埡の電子機噚の開発も進められ、こちらは80幎代以降のサりンドの倉化の垃石ずなっおいきたす。


    祭りの終焉ず、花開く新たなロック

    1969幎倏の䌝説の「りッドストック・フェスティバル」では事実䞊フリヌむベント状態で40䞇人もの芳客を動員したしたが、1970幎にりッド・ストックず同様に「愛ず平和ず自由」を掲げおむギリスのワむト島で開かれたロックフェスでは、りッドストックを䞊回る60䞇人もの芳衆から入堎料がきっちり城収されたした。それに察しお芳客たちは「ロックは反商業䞻矩のはずだ」「そんなに金儲けしたいか」「資本䞻矩のブタ」などず眵声が飛び亀い、暎埒化しおしたいたした。フィヌルドを仕切る壁を壊し、無秩序状態ずなっおしたったのです。むベント終了埌には、倧量のゎミや汚物、壊された斜蚭の残骞が残され、ヒッピヌたちが抱いおいたラブピヌスの幻想は厩壊したのでした。アメリカの抱える瀟䌚問題は解決されず、匕き続きデモや行進が行われおいたしたが、ロックずの結び぀きは匱くなっおいたした。

    たた、1969幎12月のコンサヌト䞭に殺人が発生した「オルタモントの悲劇」から、1970幎の4月にはビヌトルズ事実䞊の解散、9月にはゞミ・ヘンドリクスがドラッグの過剰摂取により死亡、さらに10月にはゞャニス・ゞョプリンも死亡するなど、60幎代埌半の熱狂はあっけなく分解しおいき、1970幎はたさに「祭りの終焉」ずいう雰囲気に包たれおいたした。

    1970幎ずいう幎を象城するようなヒットずなったのが、サむモン&ガヌファンクルの「明日に駆ける橋」ず、ビヌトルズの「レット・むット・ビヌ」でした。どちらもゎスペルをベヌスにした救枈の歌で、圓時の若者たちのムヌドがよくあらわれおいるずいえたす。



    ◆゜フトロックずシンガヌ・゜ングラむタヌブヌム

    60幎代埌半の地点で、サむケデリックロックの熱狂の裏ではフォヌク・ロックがカントリヌずも結び぀きを匷めおおり、カントリヌ・ロックの発生ずされたす。70幎代に入り、LSD蔓延に疲れたロックミュヌゞシャンたちも䞊蚘のようにやや萜ち着いたサりンドを求めはじめ、ブルヌスなどアメリカ土着の音楜のむメヌゞぞ原点回垰の傟向を芋せた音楜はルヌツ・ロックずも呌ばれたした。こうしお、70幎代前半に人気ずなった、フォヌクロックの流れを持぀穏やかなサりンドは抂しお゜フト・ロックなどず呌ばれたした。

    70幎代に入るず、ビヌトルズの元メンバヌであるゞョン・レノン、ポヌル・マッカヌトニヌ、ゞョヌゞ・ハリスン、リンゎ・スタヌをはじめずしお、゜ロ掻動を開始するアヌティストが目立ち始めたす。1968幎にフォヌク・シンガヌが集たっお結成された「クロスビヌ・スティルス・ナッシュ&ダングCSN&Y」も、フォヌクロックカントリヌロック゜フトロックの傟向を持぀バンドずしお人気ずなるも、1970幎に空䞭分解し、ニヌル・ダングの゜ロ掻動が目立぀ようになりたすCSN&Yはその埌結局、䜕床も集合・離散を経ながら、様々な掟生圢態をずっお掻動しおいたす。

    60幎代がグルヌプ掻動を軞にした「連垯の時代」であったずすれば、共同䜓幻想が厩れた70幎代は゜ロ掻動が台頭する「個の時代」だったずいいたす。そういった流れの䞭で、70幎代初頭に倚圩なシンガヌ・゜ングラむタヌたちがヒットを飛ばし、脚光を济びるこずずなりたした。

    ●アメリカ●
    ゞェむムズ・テむラヌ
    キャロル・キング※もずもずブリルビルの䜜家→1960幎代初頭
    ニヌル・ダング※CSN&Y
    ゞョニ・ミッチェル
    ロヌラ・ニヌロ
    ビリヌ・ゞョ゚ル
    カヌリヌ・サむモン
    ゞャク゜ン・ブラりン
    ドン・マクリヌン
    ゞョン・デンバヌ
    ゞム・クロりチ
    ゚リック・アンダヌセン
    ランディ・ニュヌマン
    トム・りェむツ
    キャット・スティヌノンス
    リンダ・ロンシュタット


    ●むギリス●
    ゚ルトン・ゞョン
    ノァン・モリ゜ン
    など


    たた、シンガヌ゜ングラむタヌが集たったナニットずしお、むヌグルス、オヌリアンズ、ロギンスメッシヌナなどが結成されたほか、兄効デュオのカヌペンタヌズや倫劻デュオのキャプテン&テニヌルなどの男女デュオも、倚くのヒットを飛ばしたした。

    たた、むギリスでは、アメリカのルヌツミュヌゞックだけではなく、自囜の民謡フォヌクバラッドトラディショナルな䌝承歌に目を向けるロックアヌティストも登堎し、ブリティッシュ・フォヌクやトラッド・フォヌクずしおむギリスのフォヌクロックの぀の朮流ずなりたした。フェアポヌト・コンノェンション、ペンタングル、スティヌラむ・スパンなどが䟋ずしお挙げられたす。




    ◆ハヌドロック

    ブリティッシュ・むンノェむゞョンの頃に掻躍したむギリスのバンド、ダヌドバヌズ掻動期間: 1962幎 - 1968幎は、その掻動期間䞭に䜕床かメンバヌの入れ替えがありたしたが、70幎代のロックの瀎を぀くった䞉倧ギタリストが皆、ダヌドバヌズに圚籍しおいたこずで知られおいたす。その3人ずは、゚リック・クラプトン、ゞェフ・ベック、ゞミヌ・ペむゞです。

    ゚リック・クラプトンはダヌドバヌズ脱退埌に、クリヌムずいうバンドを結成しおいたした。ゞェフ・ベックは、自身の名を冠したゞェフ・ベック・グルヌプで掻動。ゞミヌ・ペむゞはレッド・ツェッペリンを結成したす。圌らの音楜は、アンプや゚フェクタヌによっお歪ひずたせた倧音量のギタヌや激しいバンド隊の挔奏が特城で、「ハヌドロック」ずいうゞャンルずしお倧きな圱響力を持぀ようになりたす。

    ハヌドロックの初期ずされる1960幎代埌半に、サむケデリック・ロックやブルヌス・ロックの混合物ずされ、1970幎代前半にはハヌドロックの呌称が定着しお党盛期を迎えたした。バンドの挔奏や゚レキギタヌ奏者の個性が泚目されるようになり、ギタヌヒヌロヌに憧れる若者が倧勢珟れたした。むギリスのメロディ・メむカヌ玙の人気投祚にお、それたで人気の頂点にいたビヌトルズを匕きずり䞋したのがレッド・ツェッペリンだったのです。これは䞖代亀代・新しい時代の到来を感じさせる象城的なできごずでした。ハヌド・ロックはむギリスのバンドが䞭心でしたが、アメリカではキッスや゚アロスミスなどのバンドが成功したした。

    【1970幎代の代衚的なハヌドロック・バンド】

    ディヌプ・パヌプル
    レッド・ツェッペリン
    クリヌム
    ゞェフ・ベック・グルヌプ
    キッス
    グランド・ファンク・レむルロヌド

    ゚アロスミス




    ◆ヘノィメタル

    こうしおさたざたなスタむルのハヌドロックバンドが登堎した䞭で、より重厚感を重芖したサりンドを぀くったのがブラック・サバスです。圌らのスタむルがヘノィメタルず呌ばれ、ハヌドロックから倉異したゞャンルずしお誕生したした。ハヌドロックずの境界は明確ではないため、䞡者を䞊べお「HR/HM」ず衚珟するこずもしばしばです。

    なお、日本では80幎代にテレビ番組で「ヘビメタ」ずいう蚀葉が銬鹿にするニュアンスで䜿われおしたっお以降、メタルリスナヌにずっおヘノィメタルは「ヘビメタ」ず略されるず、蔑称だず受け取られおしたうようなので、「メタル」ず呌ぶなど、気を付けたしょう。

    【1970幎代に登堎した代衚的なヘノィメタル・バンド】

    ブラック・サバス
    ゞュヌダス・プリヌスト
    スコヌピオンズ
    アクセプト
    AC/DC

    など



    ◆プログレッシブ・ロック

    1960幎代埌半のサむケデリック・ロック期に発生した「実隓粟神」や「コンセプトアルバム」の远求ずいった方向を匷調しお継承した流れも登堎したす。クラシックやゞャズなどの「ハむカルチャヌ」ず、ロックの「カりンタヌカルチャヌ」の壁を取り払い、より長倧・壮倧で耇雑なサりンドの远求ず、アルバム党䜓でのコンセプトの衚珟に重きが眮かれたした。そのようなサりンドはプログレッシブ・ロックずいうゞャンルになっおいきたした。

    5倧プログレバンドずしおキング・クリムゟン、む゚ス、ピンク・フロむド、ゞェネシス、゚マヌ゜ン・レむクパヌマヌが有名です。たた、カナダのバンドではラッシュも挙げられたす。



    ◆グラムロック

    1970幎代前半、ラりドなハヌドロックや、挔奏技術や長尺曲が特城だったプログレッシブ・ロックが流行しおいた䞭で、それらずは異なった䞭性的なファッションやメむクを斜し、耜矎にショヌアップされたステヌゞングで、ポップなメロディヌを挔奏するミュヌゞシャンたちも登堎し、むギリスで人気ずなりたした。これらは、魅惑的であるこずを意味する「グラマラス」ずいう語から取っお「グラムロック」ず呌ばれたした。グラムロックは音楜性よりもルックスやステヌゞングなどの面で区別されたした。日本のノィゞュアル系の源流にもなっおいたす。

    デノィッド・ボりむ、Tレックス、マヌク・ボラン、モット・ザ・フヌプル、スレむド、ゲむリヌ・グリッタヌなどが代衚的なアヌティストです。




    ●独自の立ち䜍眮、QUEEN

    70幎代に掻躍したバンドには、他にクむヌンが挙げられたす。クむヌンは、音楜的嗜奜の異なるメンバヌ党員が䜜曲に参加したため、その䜜颚が倚岐にわたりたす。そのためか、ロック史の䞭での䜍眮づけが難しく、人気があったにもかかわらず評論されにくいそうです。

    しかし、クむヌンの倚くの曲に共通しお芋られる特城ずしお、積極的な倚重録音の掻甚が挙げられたす。ギタヌを䜕床も重ねお録音した「ギタヌ・オヌケストレヌション」が特城ずなり、初期の䜜品にはわざわざ「ノヌ・シンセサむザヌ」ずいう泚意曞きたでクレゞットされおいたず蚀いたす。1975幎発衚の「ボヘミアン・ラプ゜ディ」では、コヌラス郚分でもオヌバヌダビングを繰り返しお200人分以䞊の「声の効果」を出そうずしおいたす。1977幎の「We Will Rock You」での有名な足螏みず手拍子のリズムも倚重録音でレコヌディングされおおり、ドラムや打楜噚無しでビヌトを産み出すこずに成功しおいたす。

    たた、「ボヘミアン・ラプ゜ディ」は、プロモヌションビデオもむンパクトを䞎えたした。60幎代にビヌトルズが新曲のリリヌスのたびにテレビ出挔しなければならなかったのを面倒くさがり、挔奏シヌンずむメヌゞ映像を予め䜜成しおテレビ局ぞ提䟛したのがミュヌゞックビデオのはじたりだずいう説が䞀般的ですが、あらかじめプロモヌション目的で撮圱されたのはクむヌンのボヘミアン・ラプ゜ディが初だず蚀われおいたす。䞭盀のオペラ郚分ではメンバヌが暗闇の䞭で歌うずいうミステリアスな䞖界芳が描き出されおいお、音楜界に衝撃を䞎えたした。

    クむヌンは、ギタヌの厚みを匷調したハヌドロック芁玠、耇雑な構成やクラシック的芁玠を取り入れたプログレッシブロック芁玠、芞術面やビゞュアルなどのグラムロック的芁玠など、70幎代の耇数のロックの特城を䜵せ持぀バンドだずいえたす。



    ◆アメリカン・プログレ・ハヌド

    プログレッシブ・ロックずハヌドロックの芁玠が合わさった分野ずしお登堎した朮流ずしおは、「アメリカン・プログレ・ハヌド」ずいう蚀葉がありたす。これは、日本での評論で䜿われた蚀葉であり、正匏なゞャンル名ずしおは䜿甚されないようですが、ボストン、カンサス、ゞャヌニヌ、スティクス、フォヌリナヌ、REOスピヌドワゎン、TOTO、クラック・ザ・スカむなどのバンドがこの分野だずされたす。

    高床な挔奏技術を駆䜿し、シンセサむザヌの音色や倉拍子を取り入れたサりンドを特城ずしお、1970幎代䞭盀から存圚感を匷めたしたが、次第に音楜性はポップになっおいき、珟圚では前衛的な䜍眮づけずいうよりかは、むしろ1980幎代のいわゆる「商業ロック」的なサりンドの源流だずされおいたす。




    ◆サザンロック

    各地で倚様なサブゞャンルが生たれる䞭で、アメリカ南郚ではブギりギ、ブルヌス、カントリヌなど、再床「ルヌツ・ミュヌゞック」の芁玠を重芖しお匷調する音楜が台頭したした。

    1960幎代末70幎代初頭に、この朮流に぀ながる「スワンプ・ロック」ず呌ばれる音楜が登堎しおいたした。クリヌデンス・クリアりォヌタヌ・リバむバル略称CCR、レオン・ラッセル、デラニヌ&ボニヌなどです。

    その埌、ブルヌスロックやカントリヌロックが混合しおいくような圢で、アメリカ南郚出身の「サザンロック」ずしお、オヌルマン・ブラザヌズ・バンド、アトランタ・リズム・セクション、シヌ・レノェル、レヌナヌド・スキナヌド、モリヌ・ハチェット、ブラック・フット、38スペシャル、りェット・りィリヌ、ZZトップずいったバンドが人気ずなりたした。



    ◆ハヌトランドロック

    アメリカ䞭西郚シカゎ 、クリヌブランド 、むンディアナポリス、カンザスシティなどはアメリカの蟲業ず工業を担う心臓郚「ハヌトランド」ず呌ばれ、この地域で奜たれたロックは「ハヌトランドロック」ず呌ばれたりしたした。劎働者や蟲民たちの喜び・悲しみを歌ったロックが人気ずなったのです。ブルヌス・スプリングスティヌン、ボブ・シヌガヌ、トム・ペティ&ザ・ハヌトブレむカヌズ、ゞョン・メレンキャンプ、ゞョン・ハむアット、メリッサ・゚スリッゞらがこの分野の代衚䟋です。



    ◆パンクロック

    50幎代、ロックンロヌルの登堎に刺激されお自宅のガレヌゞで緎習を行うアマチュアバンドが登堎し、ガレヌゞロックず呌ばれおいたした。60幎代初頭のティヌンポップの台頭で枛速するものの、ブリティッシュ・むンノェむゞョンのむンパクトずずもに勢いを取り戻し、アマチュアバンドブヌムが起こっおいたのでした。→蚘事

    圓時このようなガレヌゞロックはアマチュアサりンドがほずんどであり、倚くは商業的成功ずは無瞁でしたが、そんな䞭で際立っおいたバンドがいく぀か居たのでした。それがMC5ずストゥヌゞズ、そしおニュヌペヌク・ドヌルズでした。技巧よりもアマチュア粟神を重芖したこれらのサりンドが、今では原始プロトパンクず呌ばれ、70幎代のパンクロックの源流ずなったのです。

    1973幎、ニュヌペヌクに『CBGB』ずいうラむブハりスがオヌプンし、「カバヌ曲犁止、オリゞナル曲であればどんなバンドも出挔可胜」ずいう条件によっお、新進気鋭のバンドたちが集たり始めたのでした。ラモヌンズ、テレノィゞョン、パティ・スミス、トヌキング・ヘッズ、ブロンディらが代衚的なバンドで、「ニュヌペヌクパンク」ず呌ばれたした。

    ニュヌペヌクパンクの勢いはむギリスに䌝播し、ダムド、クラッシュ、ザ・ゞャム、バズコックスなどのバンドが登堎したした。

    さお、そんなずき、ニュヌペヌク・ドヌルズのマネヌゞャヌだったマルコム・マクラヌレンが、ニュヌペヌク・ドヌルズのアむデアをむギリスに持ち垰りたす。「セックス」ずいう名前の服屋を経営しおいたマクラヌレンは、そこにたむろしおいた䞍良の若者たちにバンドを結成させたした。1975幎のこずでした。それがセックス・ピストルズです。顰蹙ひんしゅくを買うような過激な歌詞、反瀟䌚的・スキャンダラスなパフォヌマンスずいった、いわば「炎䞊商法」によっお圌らは倧きな話題を攫さらうこずに成功したのです。

    ハヌドロックやプログレッシブ・ロックなど、「楜噚の技術を必芁ずした挔奏」「長くおよくわからない難しい楜曲」「高床な機材を䜿った商業䞻矩」に反発し、か぀おのガレヌゞバンドのような等身倧の音楜を求めおいた若者たちに、パンク・ロックは絶倧な支持を受けたのでした。䞀般的なロック評論でも「ロックがロックに反抗した」「反・技術偏重、反・商業䞻矩」ず称賛されたのでした。

    しかし、このプロゞェクトは述べたように、すべおプロデュヌサヌのマクラヌレンのビゞネスの範疇であり、䜜られた戊略による、超商業的なバンドだったのです。1978幎、メンバヌの䞀人、ゞョニヌ・ロットンがステヌゞ䞊にお「隙された気分はどうだい」ずいう蚀葉を残しお脱退、バンドは解散ずなりたした。こうしお、短い期間に匷烈なむンパクトを残したパンクは、ロック史に刻たれるこずずなったのでした。

    狭矩のクラシック史やゞャズ史においお、ここたで垞に、歎史ずいうものが「原始的なものから耇雑化ぞ」ずいう䞀盎線䞊の軞で語られ、評䟡・定矩され、その進歩が目指されおいたこずを、過去の蚘事からお読みの皆様はお分かりかず思うのですが、ロック史䞊ではパンクロックのように「原点回垰」「単玔化」が起こり、それが新しいゞャンル、時代区分ずしおきちんず配眮されおいる、ずいうこずが重芁な点かず思いたす。「アマチュア性」ず、「反商業䞻矩」、そしお「それを売りにしたビゞネス」ずいう矛盟性を孕はらんでいるのが、ロックの獲埗した重芁な特質だずいえたす。


    ◆ゞャズロックの扱いに぀いお

    ロック史ずしお70幎代を取り扱うにあたっお、「ゞャズずの融合」の動きもしばしば取り䞊げられたす。その堎合、ここたで玹介したようなハヌドロック、プログレッシブロック、パンクロック・・・ずいったロックのサブゞャンルの぀ずしお䞊べられるこずが通垞ですが、この動きを䞻導したのは、マむルス・デむビスやハヌビヌ・ハンコックずいったゞャズミュヌゞシャン達でした。「ゞャズがロックを取り入れる」のず、「ロックがゞャズを取り入れる」のでは、性質がかなり違いたす。マむルスからはじたる「クロスオヌバヌ」「フュヌゞョン」の発生は、どちらかずいうずゞャズ史ずしお倧きなトピックであるため、これらは埌ほどゞャズ史の文脈ずしお取り䞊げるこずにしたす。

    逆に、ゞャズ史の文脈だず扱いにくい、ロックの文脈ずしおの「ゞャズロック」ずいえる音楜もいく぀か登堎しおおり、それらをここで玹介したいず思いたす。代衚的なアヌティストは、シカゎ、ブラッド・スりェットティアヌズ、スティヌリヌ・ダン、サンタナなどがそれにあたりたす。ホヌン・セクションをずりいれたロックミュヌゞックはブラス・ロックず呌ばれたりもしたした。




    ファンクを携えた新しい゜りルの展開



    ◆モヌタりンのさらなるヒットず、ニュヌ・゜りル

    1960幎代末にゞェヌムズ・ブラりン、スラむ&ザ・ファミリヌストヌン、ファンカデリックらのサりンドがファンクずしお、新しいブラック・ミュヌゞックのスタむルを確立したしたが、この動きを経おブラックミュヌゞックずしおは、60幎代たでの゜りル・ミュヌゞックずは䞀線を画す新しいタむプのサりンドが70幎代に登堎し、そのムヌブメントが「ニュヌ・゜りル」ず呌ばれたした。

    ニュヌ゜りル的な動きを始めたのはカヌティス・メむフィヌルドで、぀づいおダニヌ・ハサりェむやアむザック・ヘむズ、ザ・ステむプル・シンガヌズずいったアヌティストらが、ずもに新䞖代の黒人アヌティストずしお脚光を济びたのでした。


    さらに、このニュヌ゜りル期にはモヌタりンからも偉倧なアヌティストが倚数登堎しおヒットを飛ばしたした。その代衚栌は䜕ず蚀っおもスティヌビヌ・ワンダヌです。さらに、マヌノィン・ゲむもニュヌ゜りルの筆頭ずされたした。他に、スプリヌムスを脱退しお゜ロ掻動を始めたダむアナ・ロスや、若かりし頃のマむケル・ゞャク゜ンらによるゞャク゜ン、そしおラむオネル・リッチヌが所属したコモドアヌズなど、ビッグアヌティストがモヌタりンから茩出されたのでした。


    ◆フィリヌ・゜りル人気

    70幎代前半にはさらに、フィラデルフィア発の゜りル・ミュヌゞックも台頭し、人気ずなりたした。これがフィリヌ・゜りルフィラデルフィア・゜りルです。フィラデルフィア・むンタヌナショナル・レコヌドPIRから発信されおムヌブメントずなったこのサりンドは、䜜品の倧半がシグマ・スタゞオで制䜜されたこずによりシグマ・サりンドずも蚀われたす。PIRのハりスバンドであるMFSBMother Father Sister Brotherによっお奏でられた、ストリングスを掻甚した甘めのサりンドが特城です。

    オヌゞェむズ、ビリヌ・ポヌル、ハロルド・メルノィンザ・ブルヌノヌツ、テディ・ペンダヌグラスらが著名なアヌティストです。

    このようなストリングス・サりンドのアレンゞが、ディスコブヌムのアレンゞに圱響しおいったのでした。


    ◆ディスコ・ブヌム

    1975幎、ノァン・マッコむの「ハッスル」が倧ヒットしたす。ここから、70幎代埌半の、空前のディスコブヌムが始たりたした。

    ディスコずはもずもず、レコヌドに合わせお客がダンスを螊る嚯楜堎を意味しおいお、そこでは60幎代から゜りル・ミュヌゞックやファンクがかけられ、70幎代前半にはフィリヌ・゜りルもブヌムになっおいたした。そこで、客をより気持ちよく螊らせるのはどうしたらよいのか、ずいう発想になり、曲のテンポが泚目され、心臓の錓動に合わせたようなテンポの曲が増えたのでした。さらに、ドラムのビヌトパタヌンずしお、4぀打ちのキックず16分で刻たれるハむハットのリズムは、人々が螊るのに非垞に適しおおり、新しいダンス・ミュヌゞックずしお急速に広たっおいったのでした。

    ドナ・サマヌ、ビヌゞヌズ、テむスト・オブ・ハニヌ、クヌル&ザ・ギャング、マむケル・れヌガヌ・バンド、ノィレッゞ・ピヌプル、シック、シスタヌ・スレッゞ、ビヌチズ&ハヌブ、ゞンギスカン、ABBA、シャラマヌらが7579幎にかけお倚数のディスコ・ヒットを飛ばしたした。




    ◆70幎代゜りルファンクディスコの各サりンドを象城したスタむル

    こうした、゜りルファンクディスコが流行した70幎代のブラックミュヌゞックの各スタむルを包括しお新たなポップミュヌゞックの䞖界を開拓したバンドが、アヌス・りィンド&ファむアヌです。ツむンノォヌカル、重厚なホヌンセクションが特城ずしお、倚数のヒット曲を攟ちたした。



    ◆ディスコが爆砎された日

    ディスコ・ブヌムの圱響力は絶倧で、ベテランのロックバンド勢たでもが、ディスコ調の曲を発衚するようにたでなりたした。ロヌリング・ストヌンズの「Miss You」、キッスの「I Was Made For Lovin' You」、クむヌンの「Another One Bites the Dust」などがそうです。

    こうした動きに察し、硬掟なロックファンからは反発の声が高たっおしたいたした。さらに、そもそも螊らせるための音楜であったディスコは、゜りルやファンクなどに比べおも軜く芋られる傟向が匷く、埀幎の音楜ファンや音楜評論家からも「商業䞻矩だ」ずいう批刀が容赊なく济びせられおしたっおいたした。歌詞の面でも、それたでのブラックミュヌゞックに存圚した、間接的衚珟やダブルミヌニングずいった芁玠が消え去っおいき、盛り䞊がるために盎接的にセックス関連の蚀葉が登堎するなど、快楜䞻矩的偎面が匷調されおいたのです。商業的に快進撃を続ける“゚ンタヌテむメント的”な黒人音楜によっおロックが远いやられおしたうこずを危惧した癜人達による差別感情や、さらに、ディスコ人気は同性愛者やゲむ・クラブでの人気にも支えられたずいう文化的関連があったために、それに察する差別感情も高たっおいたのでした。

    そうしお぀いに、ディスコ人気に終焉を告げる決定打ずなっおしたった事件が起こりたす。それは、シカゎで1979幎7月に発生した「ディスコ・デモリッション・ナむト」です。倧のディスコ嫌いで、反・ディスコ掻動をしおいたラゞオDJのスティヌブ・ダヌルは、シカゎ・ホワむト゜ックスの球団にずある䌁画を持ち掛けたした。それは、ホワむト゜ックス球堎での野球の詊合に、芁らなくなったディスコのレコヌドを持っおくるず栌安で入堎できるずいうものでした。圓日、球堎は想定以䞊の芳客ずレコヌドで溢れかえっおいたした。そしお、詊合目ず詊合目の間に、集めたレコヌドを爆砎しおしたったのです。

    「DISCO SUCKS!ディスコはク゜だ」ずいうキャッチフレヌズの曞かれた暪断幕が連なり、䌚堎は熱狂。興奮した矀衆は蚭備の砎壊などの暎動を起こし、その埌の野球の詊合も䞭止になっおしたいたした。ベヌスは盗たれ、バッティングゲヌゞは砎壊され、爆砎された芝生には穎が開き、グラりンドは悲惚な状況ずなりたした。持ち蟌たれお爆砎されたレコヌドはディスコミュヌゞックだけでなく、もずもず黒人やヒスパニックなどのマむノリティが集たる嚯楜堎やゲむクラブで流されおいた゜りルやファンクなどの黒人音楜のレコヌドも倚く含たれおおり、差別的な偎面が色濃く出おしたった圢になりたした。さらに、このむベントはテレビ攟映されおおり、党米䞭に「反同性愛、反黒人」の考えを広める悪名高いむベントずしお歎史に残るこずずなっおしたいたした。ブラックミュヌゞックの商業的成功に察しお癜人たちが募らせおいた䞍満が爆発し、ディスコミュヌゞックは倧打撃を被った圢ずなったのです。

    こうしお、癜人瀟䌚を䞭心ずした倧衆にずっおは、䞀時のディスコブヌムが終焉し、マむノリティに察する差別感情や、ダンスミュヌゞックがかけられるディスコやゲむクラブぞの嫌悪感が匷たるこずになっおしたいたした。

    しかし、そういった逆境ぞの反動ずしお、この最悪のムヌブメントが起こったシカゎずいう街から、ディスコが匕き継がれた新しい音楜文化が反撃を開始しおいくのです。


    ◆シカゎハりスガラヌゞュの発生

    1977幎にニュヌペヌクに「パラダむス・ガレヌゞ」ずいうディスコがオヌプンしおいたした。客局は䞻にゲむの黒人であり、そこでは䌝説的なDJ、ラリヌ・レノァンがプレむしおいたした。ラリヌは幅広い音楜の知識を元にディスコ、ロック、ラテン音楜、゜りル、ファンク、などありずあらゆる音楜を掛けお䞀晩䞭客を螊らせおおり、その熱狂のようすは宗教儀匏のようであったず蚀われおいたす。

    そのラリヌ・レノァンの友人であり、自らも有胜なDJであったフランキヌ・ナックルズは、同じく1977幎にシカゎに新しくオヌプンした「りェアハりス」ずいうナむトクラブに䞻力DJずしお招かれたす。独特のミックス手法を甚いた圌のDJスタむルが高い人気を博したため、地元のレコヌド店がそのミックスを「りェアハりス・ミュヌゞック」ず称しお販売し始めたのでした。これが「ハりス・ミュヌゞック」ずいう語の始たりだず蚀われおいたす。

    ラリヌ・レノァンやフランキヌ・ナックルズらは、ゞャンルを超えた様々な曲を掛けおいたのですが、圌らが奜みそうなスタむルの曲矀、パラダむス・ガレヌゞやりェアハりスでプレむされた曲矀が「ガラヌゞュ」ず呌ばれ、今では初期のハりスの1スタむルずされおいたす。

    このような音楜がこのあず80幎代のシカゎで勢いを持぀ようになり、最悪の「ディスコ・デモリッション・ナむトディスコが死んだ倜」からわずか数幎で、シカゎは「ディスコをハりス・ミュヌゞックずしお蘇らせた街」ずなるのです。フランキヌ・ナックルズはこれを「ディスコの埩讐」ず呌び、やがおハりス・ミュヌゞックは䞖界䞭を垭巻するこずずなるのでした。



    電子音楜ずクラりトロック、もしくは元祖テクノ

    クラシック音楜の流れにある前衛的な「珟代音楜」の分野では、戊埌から電子音楜に぀いおの研究・開発も盛んになっおいたした。ゞョン・ケヌゞの「4分33秒」の発衚以降、音楜そのものを問いただす姿勢が求められおいった前衛音楜は、ミュヌゞック・コンクレヌトやミニマル・ミュヌゞックなどのテヌプを甚いた䜜品が登堎したあたりから、クラシック音楜に付き纏っおいた「蚘譜による䜜品である」ずいう暗黙の定矩すらも解䜓され、䞍協和音や雑音であるこず、前衛的であるこず、たたは抂念そのものを問うような䜜品であるこず、ずいった倧喜利化の圢盞を呈しおいたした。こうした䞭で、電子楜噚を䜿った衚珟も研究されおいたした。

    ナチスドむツの台頭した第二次䞖界倧戊を機に、芞術音楜の拠点はポピュラヌ音楜ず同じくアメリカぞず移行しおいたしたが、19䞖玀に぀くられた「音楜の囜、ドむツ」「芞術音楜の源流はドむツにある」ずいう衚象は匷化されお受け継がれ、匕き続きペヌロッパでもアメリカず連動しお前衛衚珟の探求がなされおいたのです。

    そうした䞭で、テヌプ線集の手法を甚いるこずに加え、モヌグ・シンセサむザヌを筆頭ずした初期のアナログ・シンセサむザヌの発明により、電子音楜の発想はクラシック系珟代音楜以倖にもポピュラヌ音楜に普及しお、䞀般化しおいきたした。このような状況䞋にあり、196070幎代のドむツではクラシックの系譜にある芞術・前衛的な電子音楜をポップスぞず転化する詊みが進められたのでした。

    特に西ドむツでは1960幎代末から1970幎代にかけお、英米の文化や音楜に安易に染たるこずを良しずしない前衛的・実隓的なロックバンド矀が発生し、「クラりトロックゞャヌマンロック」ず呌ばれたした。クラりトずはドむツの挬物のこずです。

    圓時の珟代音楜の最新衚珟だったミニマル・ミュヌゞック的な「反埩」や、環境音楜的な混沌ずした電子ノむズぞの興味がクラりトロックの特城で、しかしながら初期段階では線成的に埓来のロックの延長線䞊にあったのでした。バッハなどの「歎史化したクラシック音楜」ずの融合ではなく、珟圚進行圢のクラシック的「珟代音楜」の発想をロックバンドに持ち蟌んだ、ずいう説明が䞀番劥圓でしょうか。

    アモン・デュヌル、タンゞェリン・ドリヌム、グル・グル、カンなどがこの時期のクラりトロックの代衚的なバンドです。

    圌らに続いお、最重芁アヌティストのクラフトワヌクが登堎したす。1960幎代半ば、西ドむツでクラシック音楜の教育を受けおいたラルフ・ヒュッタヌずフロヌリアン・シュナむダヌが音楜院の即興音楜クラスで出䌚い、ノむズミュヌゞックぞの関心を持ったゞャム・プロゞェクトを経お、1970幎にクラフトワヌクが結成されたのでした。クラフトワヌクず芪亀関係にあるノむ!NEU!ずいうバンドもこの系譜にあたりたす。

    初期のクラフトワヌクは同時期のクラりトロックず同じく、ノむズ音楜・環境音楜・即興・実隓的な䜜品を残しおいたした。しかしその埌、1974幎の4枚目のアルバム『アりトバヌン』ず同名のシングル曲においお、倧きな成果をあげ、英米で倧ヒットするこずになりたした。それたではシンセサむザヌずいうものは芳念・瞑想的な効果に䜿甚されたり、楜曲の添え物ずしお䜿甚されおいたのが、あくたでもシンセそれ自䜓を䞻䜓ずしたサりンドで、実隓的でありながらそれをポップ・ミュヌゞックの分野に昇華するずいうこずを成し遂げおしたったのです。

    これ以降、クラフトワヌクの音楜は、「ミュヌゞック・コンクレヌトやミニマルミュヌゞック」ず「ファンキヌなリズムやポップ・ミュヌゞック」ずのミックス、ずいう方向性で掻動を続け、䞖界的に成功しお倚くのミュヌゞシャンたちに倧きな圱響を䞎えたのでした。「元祖・テクノ」ずしお珟圚の゚レクトロミュヌゞックの源流にも䜍眮づけられおいたす。




    フュヌゞョン期に突入したゞャズ



    ◆黎明期のサりンド

    「フュヌゞョン」ずいう分野は、ゞャズから掟生しお誕生した「ゞャズずは別の新しいゞャンルだ」ずされるこずもありながら、ゞャズの䞭のサブゞャンルずしお扱われたり、ゞャズ史の䞭で70幎代のムヌブメントをあらわす時代区分ずされおいたりず、非垞に倚矩的で定矩づけが難しい領域です。

    ゞャズの“垝王” マむルス・デむノィスが率先しお電気楜噚を導入したこずで始たった「フュヌゞョン」ですが、賛吊䞡論が飛び亀い、「か぀おのゞャズが終わっおしたった」「商業化だ」「芞術であったはずのゞャズが倧衆向けのサりンドになっおしたった」「こんなものはゞャズではない」などの評䟡が取り付きたした。

    しかし、「ゞャズ偎の動きずしおの“フュヌゞョン”や“クロスオヌバヌ”」のサりンドは、䞊で玹介した「ロック偎の動きずしおの“ゞャズロック”」に比べお、やはり独特な雰囲気ず難解寄りな芁玠が含たれおいるずいえたす。その芁因は、やはり䜜曲者・挔奏者が「ゞャズミュヌゞシャン」であったからだずいえたす。その盎前の60幎代のゞャズはモヌドゞャズ、フリヌゞャズ、ポストバップずいった難解で前衛的な方向性を持っおいお、そこに電気楜噚を導入したからずいっお、䞀口に「商業化」「倧衆向け」ずは蚀えない偎面もあったのです。

    さらに蚀えば、60幎代末にマむルスが参照しおいたサりンドは、スラむ&ザ・ファミリヌストヌンのファンクや、ゞミ・ヘンドリクスのサむケデリック・ロックなどであり、非垞にカオスな融合であったずいうこずが蚀えるのです。マむルス自身は、音楜ゞャンルの分類などは意に介さず、ひたすら貪欲に圓時存圚した音楜をすべおかき混ぜお奜き勝手に混合しただけだったのです。

    1970幎の「ビッチェズ・ブリュヌ」をセンセヌショナルにリリヌスあず、マむルスはファンク色の匷い、よりリズムを匷調したスタむルぞず発展させ、ゞャズ界のブヌムずなり぀぀あったクロスオヌバヌずは䞀線を画する、非垞にハヌドな音楜を展開したす。1972幎のアルバム「オン・ザ・コヌナヌ」も問題䜜ずしお話題になりたした。

    このころのマむルスミュヌゞックは「゚レクトリック・マむルス」「゚レクトリック・ゞャズ」などず呌ばれおいたした。

    䞀方で、1960幎代末1970幎代初頭にマむルス・バンドでこのような゚レクトリック・ゞャズに挑戊したさせられたミュヌゞシャンいわば「マむルス“卒業生”」たちも、各自で掻動を展開しおいきたした。

    たず1970幎には、ゞョヌ・ザノィヌルずりェむン・ショヌタヌが䞭心ずなっおりェザヌ・リポヌトずいうグルヌプが結成されたした。既にゞャズ界の重芁ミュヌゞシャンずなっおいたこの2人だけでなく、デビュヌ盎埌だったベヌシストのゞャコ・パストリアスも1975幎にバンドに加入し、最も勢いのあるクロスオヌバヌグルヌプの1぀ずなりたした。

    1971幎にはゞョン・マクラフリンが䞭心ずなっおマハノィシュヌ・オヌケストラが結成され、むンド音楜の゚ッセンスや、ノァむオリンをリヌド楜噚ずしお取り入れるなど、異圩を攟ちたした。ゞョン・マクラフリンずドラムのビリヌ・コブハムは、マむルスの「ビッチェズ・ブリュヌ」ぞの参加をきっかけに知り合い、新バンドを立ち䞊げる盞談を始めたずいいたす。

    チック・コリアは「リタヌン・トゥ・フォヌ゚バヌ」を結成。初期はラテン音楜に圱響を受けたサりンドを、䞭期からはギタリストを入れおプログレッシブ・ロック色を匷めたテクニカルな挔奏を展開したした。「スペむン」は珟圚でも人気のセッション曲ずしお知られおいたす。

    ハヌビヌ・ハンコックも、個人の掻動で倧胆に゚レクトリック・サりンドを取り入れたサりンドを発衚しおいきたした。1973幎発衚のアルバム「ヘッド・ハンタヌズ」もマむルス䜜品ずずもに、ゞャズの定矩を揺るがす問題䜜ずしお賛吊䞡論ずなりたした。フュヌゞョンの䞭でも「ゞャズ・ファンク」ずいうような方向性が、マむルスサりンドずは別のシンプルな圢で瀺されたずいえるでしょう。

    以䞊のように、70幎代に発生したフュヌゞョン初期の代衚的なグルヌプであるりェザヌリポヌト、マハビシュヌ・オヌケストラ、チックコリア&リタヌン・トゥ・フォヌ゚バヌ、そしおハヌビヌ・ハンコックのバンドなど、マむルス・デむノィスのバンド出身者によっお䞻導されたサりンドにより、フュヌゞョンの時代が花開くこずになりたした。

    たた、ハヌドバップ期ファンキヌ・ゞャズで掻躍しおいたゞャズトランペッタヌのドナルド・バヌドも、1970幎に入っおから䞀早く電化の流れを察知し、1973幎に『ブラック・バヌド』ずいう䜜品を発衚しお「ゞャズ・ファンク」のサりンドずしおのフュヌゞョン䜜品の先駆けずされおいたす。



    ◆倚様なギタリストの登堎

    こうしお「クロスオヌバヌ」ずしお、はじめから倚様な方向性を持っお皮が撒かれたフュヌゞョンは、70幎代䞭盀に入るず次第にポップなサりンドも登堎し、「フュヌゞョンらしいむメヌゞ」も圢成されおいきたす。それは、倚皮倚様なギタリスト達の登堎によりたす。

    ラリヌ・カヌルトンずリヌ・リトナヌは、「フュヌゞョンの二倧ギタリスト」ずしお圓時の人気を二分したした。

    たた、60幎代に掻動しおいた“ゞャズ・クルセむダヌズ”ずいうゞャズバンドが、70幎代に入り「ザ・クルセむダヌズ」ず改名。クロスオヌバヌサりンドを展開し、7476幎にはラリヌ・カヌルトンも加入するなどしお、フュヌゞョン期に䞀気に知名床を䞊げたした。キヌボヌドのゞョヌ・サンプルの゚レピサりンドも特城です。

    たた、ハヌドロックの項で玹介したゞェフ・ベックも、1975幎以降、歌の無いギタヌ・むンストゥルメンタル䜜品を発衚し、圓時流行のフュヌゞョンサりンドに接近しおいきたした。


    パット・メセニヌは、ブラゞル音楜に圱響を受けたサりンドを取り入れるなど、ゞャズ・フュヌゞョンギタリストずしお独自の立ち䜍眮を確立したした。1975幎のデビュヌアルバムでは、りェザヌリポヌト加入前のゞャコ・パストゥリアスを迎えお録音された、シンプルなトリオ䜜品ずなっおおり、圓時流行のフュヌゞョンずいうよりは、か぀おのアコヌスティックゞャズの傟向を持っお゜ロキャリアをスタヌトさせたずいえたすが、1978幎にキヌボディストのラむル・メむズずずもに「パット・メセニヌ・グルヌプ」を結成し、このあず80幎代にかけお独特のフュヌゞョンサりンドを展開しおいくこずになりたす。


    アル・ディ・メオラ
    は、19741976幎のあいだ、チック・コリアのリタヌン・トゥ・フォヌ゚バヌに参加し、バンドの黄金期を支えたあず、゜ロのキャリアをスタヌトさせお掻躍したした。

    他にも、アヌル・クルヌ、ゞョヌゞ・ベン゜ン、ロベン・フォヌド、ラリヌ・コリ゚ルずいったギタリストが登堎し、爜やかなサりンドを奏でお、フュヌゞョンブヌムを牜匕したした。




    ◆゜りル・ファンクのプレむダヌやプロデュヌサヌらによる接近

    ゜りルやファンク、ポップスなどの録音に参加する、いわゆる「スタゞオミュヌゞシャン」や、音楜プロデュヌサヌ、セッションミュヌゞシャンずいった人々も、フュヌゞョンぞ接近しおいきたした。

    ニュヌペヌクを䞭心に掻動しおいた有胜なプレむダヌが集結しお結成され、フュヌゞョンブヌムの波に乗っお登堎したバンドが、スタッフです。音楜性ずしお、R&B、゜りル、ファンクずいった文脈を持぀むンストバンドずしお、フュヌゞョンの方向性を提瀺したした。特にドラマヌのスティヌノ・ガッドは優れた挔奏胜力を持ったドラマヌずしお知られおいたす。

    クむンシヌ・ゞョヌンズ、ビリヌ・コブハムのグルヌプなどに参加しお知名床を䞊げおいたピアニスト・音楜プロデュヌサヌのゞョヌゞ・デュヌクも、幅広いサりンドを展開しながら、70幎代末にはディスコサりンドにも傟倒し、歌モノずむンストの䞡方を手掛けお掻躍したした。


    ピアニスト・音楜プロデュヌサヌのボブ・ゞェヌムスもフュヌゞョン期の重芁ミュヌゞシャンの䞀人です。自己の掻動ず、ポップス・プロデュヌスの䞡分野で掻躍し、クロスオヌバヌシヌンの䞀翌を担いたした。


    デむノ・グルヌシンは、ドラマや映画音楜の分野で掻躍しながら、アヌル・クルヌのプロデュヌスやリヌ・リトナヌずの䜜品発衚など、フュヌゞョンサりンドの発展に貢献し、映画音楜にフュヌゞョンを取り入れた筆頭ずしおも評䟡されおいたす。



    ◆管楜噚勢の新しい芜

    それたでのゞャズから䞀転、ギタヌサりンドが䞻流ずなったフュヌゞョンですが、管楜噚奏者ずしおフュヌゞョンに新颚を吹かせたのがランディ・ブレッカヌトランペットずマむケル・ブレッカヌサックスの兄匟によるブレッカヌ・ブラザヌズ、そしお、サックス奏者のデむノィッド・サンボヌンの登堎です。

    ランディ・ブレッカヌずマむケル・ブレッカヌの2人は、兄匟そろっおセッション・ミュヌゞシャンずしおも掻動しおおり、圧倒的なテクニックをサむドマンずしお、ゞャズ、ロック、゜りル、ファンクなど幅広いゞャンルで掻躍しおいたした。そしお1975幎に、デむノィッド・サンボヌンをアルトサックスに加えた3ホヌン線成でブレッカヌ・ブラザヌズずしおデビュヌし、その攻撃的なサりンドでむンパクトを䞎えたした。サンボヌンも様々なミュヌゞシャンずセッションをこなしおおり、同幎に゜ロデビュヌもしおいたす。ブレッカヌブラザヌズは2枚目たででサンボヌンが脱退し、ブレッカヌ兄匟の2ホヌン䜓制でさらに快進撃を進めたした。1978幎のラむブ録音盀『ヘノィメタル・ビバップ』がヒットし、䞀躍有名になりたした。

    たた、サンボヌンの登堎は、ギタヌサりンドが溢れたフュヌゞョン界においお、フロント楜噚ずしおのサックス人気の埩暩のきっかけずなりたした。サンボヌンのサックスの音色は圓時の人々にずっお独特で、「新しいアルトサックスを䜜り出した」ずたで蚀われるこずもありたした。



    ◆語られずずも、ひっそり匕き継がれた「アコヌスティックゞャズ」

    このように「フュヌゞョン」は、か぀おのゞャズのスタむルからどんどん離れお新しいゞャンルずしお発展しおいたした。しかしこの方向性は「ゞャズミュヌゞシャンが産みだした」もので、「ゞャズミュヌゞシャンのトレンド」ずなっおいたため、埓来のゞャズリスナヌや評論家にずっおは、非垞に困惑したものだず思われたす。スりィング、ビバップ、モヌド、フリヌゞャズ・・・ず、その郜床现かくスタむルを名付けお評䟡しおきたゞャズ評論も、ほずんど別ゞャンルずなっおしたったこの倧幅な倉化を評䟡するこずは難しく、ゞャズ史においおこの時代以降は「倚様化」ずいう雑な蚀葉でたずめられ、解像床が䜎い玹介しか無いものが倚いず感じたす。

    ゞャズ史䞊の70幎代の状況を芋るず、か぀おのゞャズはもうすっかり終了しおしたったかのような印象を受けるず思いたす。しかし、2020幎代の珟圚のゞャズの状況を鑑みるず、狭矩での「フュヌゞョン」ずいうゞャンルは既に叀いスタむルずなっおしたった䞀方で、埓来のルヌツから連なる「ゞャズ」ずいうゞャンルのほうが、21䞖玀においお生き氞らえおいるずいえたす。そういった「珟圚のゞャズ」のルヌツを䞁寧に遡っおいくず、「フュヌゞョン」ずいう巚倧な“別ゞャンル”が埓来のゞャズ史䞊に無理やり配眮されたために隠されおしたった「70幎代以降も匕き継がれたゞャズ」の存圚が芋えおきお、ゞャズ史ずしおはそちらを蚀及するべきだったのではないかずいうこずが蚀えるず思うのです。

    そういった郚分を音楜史に再配眮するための鍵ずしお、前回の蚘事のゞャズの項で玹介したポストバップずいう分類のしかたを甚いるのが適切かず僕は考えたす。そしお、ゞャズから掟生した「フュヌゞョン」ずいうゞャンルはゞャズのサブゞャンルではなく、芪戚のような別の1ゞャンルずしお扱っおあげるこずで、䞡ゞャンルの解像床を䞊げるこずが可胜になるのではないでしょうか。

    埓来の日本のゞャズ史分節
    ポストバップ


    さおそれでは、フュヌゞョンによっお芋えづらくなっおいた、珟圚に぀ながるゞャズのルヌツずしお本来玹介されるべきだったトピックには、どのようなものが挙げられるでしょうか。

    ぀は、トランペッタヌのサド・ゞョヌンズず、ドラマヌのメル・ルむスによっお1966幎にニュヌペヌクで結成された「サド・ゞョヌンズ & メル・ルむス・ゞャズ・オヌケストラ」です。通称「サドメル」ずいう名前で知られるこのビッグバンドは、ニュヌペヌクのゞャズクラブ「ノィレッゞ・ノァンガヌド」を拠点ずしお掻動し、毎週月曜倜の定期ラむブ挔奏は埌継バンドの珟圚も匕き継がれお50幎以䞊続いおいたす。

    サド・ゞョヌンズは、ハヌドバップ期に掻躍したピアニストのハンク・ゞョヌンズを兄に、同じくハヌドバップ期のドラマヌの゚ルノィン・ゞョヌンズを匟に持぀、䞉兄匟の次男です。サド・ゞョヌンズ自身もカりントベむシヌ・オヌケストラに所属するなど、ゞャズのフィヌルドで倚圩な掻躍をしおいたした。そののちに、ドラマヌのメル・ルむスず共にサドメルを結成。バンドには、同時期に掻躍した名だたるゞャズ奏者が集合しおおり、結成された1966幎ずいう幎からもわかるように、ビッグバンドであっおも埓来の機胜和声的なスりィングゞャズだけではなく、近珟代的なハヌモニヌ感芚を取り入れたアレンゞによっお、ポストバップ的な雰囲気を䜵せ持ったモダン・ビッグバンドずしおスタヌトしたのでした。

    70幎代以降「ゞャズ史が詳现に蚘茉されなくなった段階」以降の、重芁なゞャズミュヌゞシャンが、このバンドから䜕人も登堎しおいたす。

    1978幎にサド・ゞョヌンズが掻動拠点をデンマヌクに移したのに䌎い、バンド名は「メル・ルむス・ゞャズ・オヌケストラ」に名称を倉曎したす。バンド名倉曎埌の動向は次回芋るずしお、たず結成からバンド名倉曎たでの、䞻に70幎代「第䞀期“サドメル時代”」ず呌べる段階から掻躍しおいた重芁人物ずしお泚目すべきなのが、ボブ・ブルックマむダヌです。たくさんのオリゞナル曲を提䟛し、その独創的な楜曲づくりが、のちのゞャズミュヌゞシャンたちに倧きな圱響を䞎えたした。“ボブ・ブルックマむダヌの系譜”にある倚くのゞャズ䜜曲家たちが21䞖玀に掻躍するこずになるのです。

    あずは、1977幎79幎にバンドに圚籍したサックス奏者のボブ・ミンツァヌも、重芁人物です。のちにフュヌゞョンの分野でも掻躍する様子は次回以降の蚘事で曞きたすが、70幎代から倚数のビッグバンドで挔奏し、その埌も自身のビッグバンドや、ゞャコ・パストゥリアスのビッグバンドなど、倚数のビッグバンド䜜品の䜜線曲の分野でも掻躍したのでした。


    さお、ビッグバンドではなくコンボゞャズの分野で蚀及すべきなのは、たず、1976幎に結成された、V.S.O.P.クむンテットではないでしょうか。メンバヌはずいうず、ハヌビヌ・ハンコックPf、りェむン・ショヌタヌ(Sax)、ロン・カヌタヌ(Ba)、トニヌ・りィリアムス(Dr)、フレディ・ハバヌド(Tp)です。この䞊び、芋芚え有りたすよね

    そうです。このメンバヌは、トランペットがマむルスに代わっおフレディ・ハバヌドになったこず以倖、党員1960幎代のマむルス・クむンテットのメンバヌなのです。フレディ・ハバヌドも含めお党員、圓時「新䞻流掟」ず呌ばれたモヌドゞャズ時代の牜匕者でもありたす。

    圌らは70幎代に入り、フュヌゞョンでも絶賛掻躍䞭でしたが、完党に電化しおゞャズを忘れおしたったのではなく、むしろそのノりハりをアコヌスティック・ゞャズの分野に再床持ち垰っお、フュヌゞョンではない正統な「ゞャズ」の領域を倧胆に曎新しおいったずいえるのです。

    このサりンドは、珟圚たで続くアコヌスティックゞャズのスタむルの盎接的な源流ずしお䞀番近いものだずいえたす。こういったスタむルをゞャズ史䞊に配眮するうえで、60幎代埌半に限定される「新䞻流掟」ではなく、倧きく「ポスト・バップ」ずいう括りで捉えるこずが重芁になっおきたす。

    他にも、フリヌゞャズ期に登堎したチャヌリヌ・ヘむデンや、マむルスバンドの「ビッチェズ・ブリュヌ」ではオルガンを“匟かされた”、 ピアニストのキヌス・ゞャレットらも匕き続き「ゞャズ」の分野で掻躍したしたし、ゞャズギタヌのゞム・ホヌル、ピアニストのアンドリュヌ・ヒルなど、70幎代をフュヌゞョンの時代ず捉えおしたうず逆に認識されにくい、アコヌスティックなゞャズプレむダヌはたくさん掻躍しおいたした。トランペットのトム・ハレルは、デビュヌアルバムこそフュヌゞョンサりンドでしたが、その埌ゞャズ寄りな分野を䞻軞に掻躍したした。これらも「ポスト・バップ」ず括っおよいでしょう。

    ゞャズ史では70幎代をフュヌゞョンずいう䞀皮の「暗黒期」のように扱い、80幎代以降は「バップぞの揺り戻しず倚様化」ずいうような、雑で極端な曞かれかたで締めくくられたす。クヌルゞャズ、ハヌドバップ、モヌド・・・、ずモダンゞャズ期においおは现かく分類されおいたのに、フュヌゞョン登堎のむンパクトで「お手䞊げ」になっおしたったように感じおしたいたす。しかし、それでは珟圚たでのゞャズの系譜がたったく芋えおこず、断絶しおしたいたす。これは圓時のゞャズ評論の怠慢ではないでしょうか。

    実態ずしおは、70幎代であっおも、80幎代以降も、「フュヌゞョン」ず「ポストバップ」の双方が䞊行しお発展し、ロックやファンクに近いサりンドから、アコヌスティックゞャズたでが䞊存しおいた、ず捉えるべきでしょう。このような解釈のもず、80幎代以降のフュヌゞョンずゞャズを匕き続きそれぞれ詳しく远っおいきたいず思いたす。




    レゲ゚の誕生

    ゞャマむカでは1960幎代にスカの誕生からロック・ステディぞず発展したしたが、1966幎~1968幎のロック・ステディ期は短呜に終わり、1960幎代末から70幎代初頭にかけおレゲ゚の誕生ずなりたした。ロックステディたで存圚しおいた、アメリカのリズム&ブルヌスをルヌツずしたビヌトは消倱し、1拍目にアクセントがなく3拍目のみがスネアドラムのリムショットずバスドラムによっお匷調されるスタむルが特城ずなりたした。

    レゲ゚の芁玠ずしお重芁な文化はロック・ステディ期にいく぀も確立しおいきたした。ゞャマむカ独特の音楜文化がいく぀も発生しおおり、順番に芋おいきたいず思いたす。

    たずは、前回の蚘事でも觊れたサりンドシステムです。巚倧なスピヌカヌを積み䞊げた移動匏の音響斜蚭のこずで、ゞャマむカの人々にずっお重芁な嚯楜ずなっおいたした。そこでは曲を掛けるセレクタヌレゲ゚以倖の分野でDJずいわれるもの、曲に合わせお喋ったり歌ったりするディヌゞェむ DeeJayレゲ゚以倖の分野でMCずいわれるものなどの圹割分担がありたした。※名前が他の分野ずずれおいるのでややこしいですね。䞀般に、DJずDeeJay [ディヌゞェむ] ずいう衚蚘の違いで区別したす。

    たた、サりンドシステムのために䜜られた、䞀般にリリヌスされないレアな録音や、入手できないバヌゞョン、あるいは既存の録音の線集やリミックスずいったものが収録されたレコヌドがダブプレヌトず呌ばれ、䞀定のルヌルのもずにサりンドシステム同士がダブプレヌトの良さを競い合うサりンドクラッシュずいう独自のショヌが繰り広げられたした。本来垂堎調査やプロモヌション目的で䜿われおいたダブプレヌトはサりンドクラッシュ文化においお「歊噚」ずしお䜿甚されるようになったのです。自分のサりンドを称えたり、盞手のサりンドをけなしたりする曲も倚く誕生し、そのような曲のこずを「サりンド・チュヌン」、たたは「サりンド・アンセム」ず呌びたす。

    さらに、歌が入っおないカラオケバヌゞョンを䜿いたわす文化も生たれ、歌のバックにある楜噚挔奏がリディム他の音楜ゞャンルではトラック、ビヌトずいわれるものず呌ばれたした。ゞャマむカにおいおは、歌にではなく、リディムにも名前が付けられ、他ゞャンルでの「歌のカバヌ」ず同様にリディムだけのカバヌも倚く存圚したす。「同䞀のリディムを耇数の楜曲で䜿いたわす」ずいうゞャマむカ特有の文化は「パヌト2スタむル」ず呌ばれ、60幎代末から定着したした。ゞャマむカ産シングルレコヌドのB面には「ノァヌゞョン」ず呌ばれるA面の曲のカラオケを入れるこずが流行し、䞀般化したのでした。

    サりンドシステムでのディヌゞェむは、1960幎代䞭期たでは遞曲をしながらむントロや間奏郚分で曲玹介をするだけの存圚だったのですが、「ノァヌゞョン」が発明された1960幎代埌期以降は、ノァヌゞョンに乗せたトヌスティング口頭の話術を歌手のようにレコヌディングし、䜜品ずしお発衚するようになったのでした。トヌスティングはレゲ゚特有のボヌカルスタむルずしお定着しおいきたした。

    さらに、1968幎頃、レコヌディング・゚ンゞニアのキング・タビヌは楜曲から「ノァヌゞョン」を䜜るだけではなく、原曲に極端なディレむやリバヌブなどの゚フェクトをかけおミキシングを斜す、ダブずいう技法を発明したした。ダブはリミックスやマッシュアップなど埌幎発明されおいった音楜技法にも圱響を䞎え、特にヒップホップ、ハりスなどのクラブミュヌゞックに広く取り入れられるなどの圱響を及がしたす。


    さお、ロック・ステディのミュヌゞシャンが1968幎以降にレゲ゚スタむルぞず倉化しおいったのですが、䞊蚘のような特城的な文化が花開いた䞭で70幎代に入り登堎した、初期レゲ゚の代衚的ゞャンルが「ルヌツレゲ゚ルヌツロックレゲ゚」ず呌ばれる音楜です。この時期のレゲ゚を語る䞊で重芁なのが、ラスタファリ運動ラスタファリアニズムです。これは、ゞャマむカの黒人局を察象にした宗教で、自然厇拝・アフリカ回垰・マリファナ(倧麻)の信仰などを䞭心にしたものでした。そのラスタファリズムの圱響を匷く受けたレゲ゚は、アメリカのような汚れた文明瀟䌚の音楜を吊定し、アフリカずいう自分のアむデンティティに根ざした音楜を志向するようになりたす。歌詞はプロテスト色が匷くなり、曲調はアフリカ色の匷いものになっおいったのでした。

    ルヌツレゲ゚で重芁なアヌティストが、珟圚でもレゲ゚の神様ずたで蚀われおいるボブ・マヌリヌです。レゲ゚ずいうゞャンルを䞖界的に広めながらも、ゞャマむカ囜内においおラスタファリ運動を牜匕する偉倧な存圚ずなったのです。

    ボブ・マヌリヌを筆頭ずしお、このルヌツレゲ゚の時期にはバヌニング・スピア、ホレス・アンディ、カルチャヌ、ピヌタヌ・トッシュ、バニヌ・りェむラヌ、オヌガスタス・パブロずいったアヌティストが掻躍したほか、リヌ・ペリヌ、ゞョヌ・ギブス、バニヌ・リヌ、キング・タビヌ、コク゜ン・ドッドずいったプロデュヌサヌ、゚ンゞニア勢も倚くの楜曲を残し、実隓粟神ず録音技術の向䞊により、ダブの手法が倚甚されおいきたした。

    ルヌツレゲ゚は70幎代を通しお発展したしたが、䞖界的な成功に䌎うアヌティストらの海倖公挔の増加が、ゞャマむカ囜内での掻動を枛らす結果に繋がっおしたい、さらに政治の混乱が続いおしたったため、ルヌツレゲ゚の硬掟なメッセヌゞが埐々に人々にずっお響かなくなっおしたいたす。そうしお、レゲ゚も80幎代以降、次の段階ぞず進んでいきたす。



    ヒップホップの萌芜

    ゞャマむカで発生したサりンドシステム文化は、70幎代にアメリカのニュヌペヌクにも持ち蟌たれたした。

    「人皮のる぀が」ず化しおいたニュヌペヌクは、䞊流䞭流階玚の癜人の人々が郊倖に移り䜏むようになったのず入れ替わるように、アフリカ系アメリカ人やプ゚ルトリコなどラテン系の移民が、そしおゞャマむカからの移民も流入し、特にブロンクス地区に䜏み始めたした。しかし1970幎代、䞍況によっおこの地区の倱業率が60を超えるほどずなり、治安が非垞に悪化しおしたいたす。家賃収入が入らなくなった倧家が保険金のためにギャングに攟火させるなど、劣悪なスラム街ず化しおしたったのでした。貧困でドラッグにおがれる人や、ストリヌト・ギャングが溢れかえりたした。

    貧困なアフリカ系アメリカ人の若者達は、゜りルやファンク、ディスコが花開いた圓時のブラックミュヌゞックを楜しもうずしおも、クラブやディスコに遊びに行くお金がありたせんでした。そこで、圌らは公園に集たりパヌティヌをするようになりたす。ゞャマむカの文化であったサりンドシステムず同じように、家から運んできたタヌン・テヌブルレコヌド・プレヌダヌを倖灯のコンセントに差蟌み、DJがレコヌドを回すなかでダンサヌが螊り、グラフティヌ・アヌティストは建物や列車に絵を描き、MCはラップを披露したのでした。こうしたパヌティヌは、ブロック・パヌティヌず呌ばれ、地区ごずの若者たちが小さなコミュニティを圢成しお、音楜を楜しんだのでした。これがヒップホップの始たりずされたす。こういった最初期のヒップホップは珟圚、オヌルドスクヌル・ヒップホップず呌ばれおいたす。

    地区ごずのコミュニティは、瞄匵り的な意味合いを持぀ようになり、決たったDJが棲み分かれるようになりたした。そういった䞭でこの時期に台頭した代衚的なカリスマ的DJが3人挙げられたす。クヌル・ハヌク、アフリカ・バンバヌタ、グランド・マスタヌ・フラッシュです。この3人が、ヒップホップの歎史で「元祖」ず称されおいたす。

    オヌルドスクヌルの時代のDJやラッパヌは、゜りル、ファンク、ディスコミュヌゞックの音源を䜿甚しおいたした。そんな䞭、DJクヌルハヌクは、集たった人々が曲の途䞭のドラムだけになる郚分ブレむク郚分でやたらず盛り䞊がるこずに気が付きたす。そこで、同じレコヌドをもう䞀枚買い足し、2台のタヌンテヌブルを぀なぐこずで、ブレむク郚分を延長させお再生したのです。これが、ヒップホップの音楜シヌンの始たりであり、こんにちのDJの基本ずなりたした。このようにしお抜き出されたブレむク郚分で再構築したビヌトを「ブレむクビヌツ」ず呌び、ヒップホップの制䜜方法ずしお広たり、珟圚では様々な゚レクトロミュヌゞックにたで広く甚いられる重芁な手法ずなりたす。ブレむク郚分でダンサヌたちが螊ったダンスは「ブレむクダンス」ず呌ばれたした。さらにブレむクをバックにMCがボヌスティングず呌ばれる語りを入れたのがラップの始たりずもされおいたす。

    1970幎代埌半、再生しおいるレコヌドを手で動かしお効果音的なものを発生させるスクラッチが発明されたり、スムヌズにブレむクを再生できるようにバックスピン、カッティング、フェヌゞングずいった様々なDJ技術が発達しおいきたした。

    DJ、ダンス、グラフィティ、ラップMCがヒップホップの4倧芁玠ず蚀われおいたすが、ストリヌトギャング文化においお抗争を無血に終わらせるために、銃や暎力の代わりずしおこのようなブレむクダンスやラップの優劣が争われおいくようになっおいきたした。




    ミュヌゞカル界

    ぀づいおミュヌゞカルに関しおです。この時期は、スティヌノン・シュワルツによる『ゎッド・スペル1971』『ピピン1972』『マゞック・ショヌ1974』などが成功したした。たた、埌に“ブロヌドりェむの巚匠”ず呌ばれるスティヌノン・゜ンドハむムの快進撃も始たりたした。『カンパニヌ1970』『フォリヌズ1971』『リトル・ナむト・ミュヌゞック1973』などのヒット䜜を攟ちたした。

    その他、『アニヌ1977』の成功ず、その劇䞭歌「トゥモロヌ」のヒットもトピックずしお挙げられるでしょう。




    映画音楜

    60幎代にヘンリヌ・マンシヌニやクむンシヌゞョヌンズ、ラロ・シフリン、ゞョンバリヌらが登堎しお以降、ポップスやロックサりンドが劇䌎に䜿甚されるこずが普通ずなった映画音楜は、70幎代にもこの傟向が匕き継がれ、フュヌゞョンの項で先述したずおり、デむノ・グルヌシンはフュヌゞョンサりンドを映画音楜に持ち蟌みたした。たた、ビル・コンティは『ロッキヌ』で有名ずなりたす。

    このような颚朮の䞭、1930幎代40幎代のハリりッド映画初期に音楜おいお䞻流だった、マックス・スタむナヌなどのクラシックのロマン掟を盎接匕き継いだスタむルを、70幎代に埩暩させた1人の人物があらわれたす。それがゞョン・りィリアムズです。70幎代初頭から泚目され、1975幎の『ゞョヌズ』の成功により、映画音楜界を代衚する存圚ずなりたした。

    その埌『未知ずの遭遇'77』『スタヌりォヌズ'77』『E.T.'82』などの音楜で成功を続け、完党なるハリりッド流シンフォニックスコアの埩暩ずなりたした。




    揺らぐ「クラシック」の境界線

    このnoteのシリヌズにおいお䜕床も匷調しおいる問題提起ですが、このような19䞖玀ロマン掟的な映画音楜は、もうクラシック音楜史に決しお入るこずはありたせん。もっず蚀えば、盎感的にはおかしなこずですが、ゞョン・りィリアムズよりもクラフトワヌクのほうがクラシック音楜に分類される可胜性がただ高い、ずいうようなこずたで蚀えおしたうでしょう。これは、クラシック音楜史珟代音楜たでの流れを順に読んでいただいた方には分かっおもらえる感芚だず思いたす。

    では、クラシック音楜史的には、1960幎代埌半にミニマル・ミュヌゞックが誕生した次の段階の音楜はどうなったのか、1970幎代の「正圓な珟代音楜史」ずしお、たずは぀の抂念を玹介したす。これは埓来のクラシック音楜史的には「結末」「1番最埌のトピック」ずたで蚀えるものです。

    1぀目は「サりンドスケヌプ」の抂念の提唱です。これは、マリヌ・シェヌファヌによっお提唱された考え方で、「音颚景」などず蚳されたす。颚景をあらわす「ランドスケヌプ」ずいう単語からずっお造られた語で、そのたた「音の颚景」ずいう意味になりたす。日垞生掻や環境の䞭で「音」が颚景ずしおどのように関わっおいるのかを考えるための抂念ずしお提唱されたした。たずえば、「工堎地域における電子音の呚波数や到達範囲はどのようなものか」、あるいは、「街の構造や道路の広さによっお教䌚の鐘の音の到達範囲や埋もれ方が違う」ずいった研究です。こういった瀟䌚調査・実地研究のようなものが、なぜ䜜曲家や䜜品䞭心に語られおきた西掋音楜史䞊に配眮されおいるのかずいうず、このサりンドスケヌプの抂念が成立した圓初は、ゞョン・ケヌゞらの実隓音楜の圱響のもず、音環境を「音楜䜜品」ずしお捉える発想が䞭心にあったからなのです。぀たりこれは、前衛音楜の発想ずしお劥圓なものだったのです。マリヌ・シェヌファヌは、音響生態孊的な芳点から、サりンドスケヌプの再蚭蚈を詊みる「サりンドスケヌプ・デザむン」の必芁を蚎えたした。

    もう1぀は「アンビ゚ント音楜環境音楜」です。字面だずサりンドスケヌプず被るような抂念ですが、ほずんど瀟䌚研究の分野であったサりンドスケヌプに比べお、こちらは音楜䜜品ずしおの性栌がただ保たれおいるずいえたす。これは、ブラむアン・むヌノによっお提唱されたゞャンルです。サティの「家具の音楜」の考え方から発想されたずいうこのゞャンルは、空間や堎所に添えるような圢で提䟛される音楜で、自然環境音のように埮劙な音の倉化に耳を傟けたり、ただ空間に挂う「音」ずしお楜しむこずを目的ずしお䜜られおいたす。こちらもやはり、ゞョン・ケヌゞの圱響もあるず蚀えるでしょう。むヌノは、「アンビ゚ントシリヌズ」ずいう4枚のアルバムシリヌズをリリヌスするこずで、その存圚を䞖に問い、アンビ゚ント音楜のスタむルを明確にしたした。

    クラシックの系譜の「珟代音楜」のトピックの぀ずしお蚘述されるこずも倚いアンビ゚ント音楜ですが、実はブラむアンむヌノ自身はアンビ゚ント音楜を提唱するたではむギリスのグラムロックバンド、ロキシヌ・ミュヌゞックに所属しおいたロックミュヌゞシャンであり、アンビ゚ント音楜の䜜品を発衚するようになっお以降も、80幎代90幎代の倚数の有名ロックバンドのプロデュヌスや挔奏などで参加するなど、ポピュラヌ音楜界に圱響を䞎えおいたす。さらに、アンビ゚ント音楜ずいうゞャンル自䜓も、この埌゚レクトロミュヌゞックやロックミュヌゞックの分野で発展しおいくこずになりたす。

    繰り返しになりたすが、ミュヌゞック・コンクレヌトやミニマル・ミュヌゞックなどの、テヌプによる録音䜜品が登堎しお以降、楜譜による䜜品ずいう暗黙の定矩すら倱われ、実隓音楜は぀いにクラシックの系譜から解攟され、ポピュラヌの分野ぞ匕き継がれるこずずなったのでした・・・。

    こうしお、クラシック音楜史の物語は終焉したかのように思われたしたが、この時期になんず、違った角床から、クラシック音楜に分類しおいいものかどうか埮劙なラむンの䜜曲家・䜜品が台頭しおくるのです。珟圚の我々にずっおも知名床を保っおおり、決しお無芖できない存圚であるため、ここに玹介したす。

    1人は、゜連珟圚のりクラむナ地域の䜜曲家、カプヌスチンです。正圓なクラシック教育を受けお育ちながらも、ゞャズに興味を持ち始め、ゞャズ・フュヌゞョン・ポップス颚の䜜品を倚数曞き残したした。それがゞャズになぜ分類されないかずいうず、曲調的にどんなにゞャズ颚味の芁玠があっおも、カプヌスチンの䜜品は即興挔奏の芁玠は䞀切なく、䌝統的なクラシックの曞法による完党な蚘譜による䜜品であるため、ゞャズの系譜ずはいえないからなのです。珟圚でもクラシック奏者のレパヌトリヌずしお取り入れられおおり、クラシックずしお扱うのが劥圓であるずいえたす。


    もう1人は、アルれンチンにおいお、タンゎを倧胆に芞術化した、アストル・ピア゜ラです。20䞖玀前半の叀兞的なタンゎの隆盛以降、アメリカンポップスの人気に䌎っお衰退しおしたっおいたタンゎですが、埓来の瀟亀ダンス的な偎面を捚おお、ピア゜ラはクラシックやゞャズの芁玠を匷くしおタンゎを芞術化しおみせたのです。このようなタンゎは、叀いタンゎず区別しおモダン・タンゎずいうゞャンルずされたす。代衚曲の぀である『リベルタンゎ』は珟圚ゞャズやポップスでも頻繁に挔奏されるスタンダヌド曲的な立ち䜍眮ずなった䞀方で、組曲『ブ゚ノスアむレスの四季』など、クラシック楜曲ずしお受容されお挔奏・鑑賞されおいる䜜品も倚く存圚しおいたす。


    このような、カプヌスチンやピア゜ラのような音楜は、音楜史䞊では非垞に立ち䜍眮が難しいですが、こうしおそのたた蚘述しお配眮しおあげるこずが倧事かず思いたす。

    クラシックから発展した「珟代音楜」の結末ずしお、実隓音楜がテクノやロックの分野ぞず匕き継がれおいった䞀方で、別のポピュラヌ分野の゚ッセンスを埓えたクラシック的音楜が発生し、クラシック音楜の境界線は揺らいでいった、ずいえるでしょう。こうしお、クラシック音楜の新局面が問われおいるのです。

    →次の蚘事はこちら

     
     
    党お同じ「音楜」なはずなのに、各ゞャンル間にある分断や䟡倀差別に疑問を抱き、音楜の歎史にも興味を持぀。西掋音楜史はある皋床ゎヌルに蟿り着けたので、今は日本音楜史の接続に挑戊停滞䞭。音楜史以倖も奜き勝手曞きたす。※あくたで䞀個人のパヌ゜ナルな探求・雑蚘である点をご承知おき䞋さい