
52. 例外の世界――人権は人権であって、教団の沈黙の前では人権ではない
私はこれまで51回にわたり、SDA教会の家庭で育った経験を書いてきました。
第6回、第7回では、子どもが「なぜ」と尋ね、理解しようとすることまで罪として扱われた経験を書きました。
第8回、第9回では祈りへの介入、第48回では「好き」という感情、第49回では食生活の選択について取り上げました。
第50回では「生まれながらの罪人」、第51回では信仰と法律の関係について考えました。
一見すると、別々の話です。
しかし、共通する問題があります。
大人たちが正しいとすることに疑問を持つと、疑問そのものが問題にされる。矛盾を指摘しても、説明されるのではなく、信仰や服従を求められる。
私は、こうした経験について、ダブルバインドやガスライティングと呼ばれる心理的な働き、さらには宗教的虐待の問題として検討する必要があると考えています。
では、教会組織は、こうした問題にどう向き合っているのでしょうか。
英国のSDA教会は、虐待の申告への対応を見直すため、2024年に独立した専門家による検証を決定しました。2025年には、過去の虐待申告を扱うための方針改善について公表しています。
同じSDA教会です。
一方、日本基督教団のカルト問題連絡会は、2023年に「いわゆる『宗教二世』問題を新たに作らないための約束と宣言」を公表しました。
そこには、子どもの「信じる自由」と「信じない自由」を尊重すること、宗教的観念で子どもを脅さないこと、疑問を拒絶して大人の指示に従わせないことなどが明記されています。
私は、この宣言を読んで驚きました。
なぜなら、私がこれまで書いてきた問題の多くが、まさにそこに挙げられていたからです。
もちろん、日本基督教団とSDA教会は別の組織です。また、英国SDA教会の取り組みが、すべての問題を解決したわけでもありません。
それでも、少なくとも問題を認識し、組織として公表し、対応の仕組みを検討することはできるのです。
私はこれまで、日本のSDA教団に対して、具体的な経験や保存している記録を示し、問題を伝えてきました。
しかし、私が求めている問題の検証、説明、再発防止について、誰が責任を持ち、どのような手続きで対応するのか、具体的な説明を得られていません。
私が問題にしているのは、単に返事があるかどうかではありません。被害の訴えに対して、組織が責任を持って対応する仕組みが明らかにされているかどうかです。
英国では虐待申告への対応を見直す取り組みが公表されています。一方、日本のSDA教団では、私が伝えた問題について、どのような検証や検討が行われているのか、具体的な説明を得られていません。
別の日本のキリスト教団体が、宗教二世の人権を守るための原則を明文化しているのに、なぜ同じ問題について明確な説明を得られないのでしょうか。
私が求めているのは、特定の信仰を否定することではありません。
信仰を理由に子どもの疑問や感情を封じることがなかったか。被害を訴えた人に、組織としてどのように対応するのか。その基準と手続きを明らかにしてほしいのです。
人権は人権であって、信仰によって例外になるものではありません。
第1回から繰り返し問い続けてきたことがあります。
言っていることと、やっていることは、なぜ違うのでしょうか。
そして、第52回では、もう一つ問いを加えたいと思います。
被害を訴える人の安全を、誰が、どのような責任と手続きによって保障するのでしょうか。
その答えが公式な文書で示されない限り、私は、自分自身と家族の安全が確保されていると判断することはできません。